第4話 織原一④

 スマホを握りしめたまま周りを見渡す。この部屋の家具や小物は、全部見慣れたものばかりだ。自分の部屋だと確信できる。でも、この部屋にいる自分は、見知らぬ女性の体の中にいるという現実がある。その事実に若干の違和感を覚える。違和感、というより、なんだか不気味な感じだ。

 ここに住み始めて一年と少し経つが、これまで一度も誰かを部屋に上げることはなかった。というかそんな機会が一度もなかった。しかし、今ここにいるのは、そこに存在しているのは弥彦環というそれはそれは美しい女性の身体だけだ。それがどうも「気持ち悪い」と思ってしまうのはなぜだろうか。


 ――――ベッドに腰を下ろし、再びスマホを操作しながら考えを巡らせる。さっきの通話で、遥香さんと三時に会う約束をしてしまった。さっきはその場しのぎで話を合わせたが、実際に顔を合わせて話した時、すぐに僕が「環さん」でないことがバレてしまうだろう。そこでの振る舞い次第では、すべてが台無しになるかもしれない。

 とにかく、今できることはスマホを通じて環さんについてもっと知ることだ。時間はあと約二時間、それまでに彼女の友人関係、話し方、日常のルーティンエトセトラ…メッセージ履歴だけでは限界があるかもしれないが、少しでも多くの手がかりをつかむしかない。

 


 メッセージ履歴を整理してみてわかったのは、環さんがかなり忙しい生活を送っているということだった。彼女は大学の授業や課外活動、アルバイトに加え、友人たちとの集まりにも頻繁に参加しているようだ。彼女は社交的で、常に誰かと繋がっている印象を受ける。僕とはまるで正反対の大学生活を送っている。

 全体的に明るいトーンで会話をしているなか、一つだけ、他とは違う気になる文章があった。


「環、最近ちょっと疲れてるみたい。なんか無理してない?」


「ううん、大丈夫。ただちょっと悩み事っていうか、考えてることがあってさ…」


「そっか。あんまり無理しないでね。何かあったらすぐ言うこと!」


「ありがと笑 でも大丈夫だよ。今はただ、ちょっと自分のことを見つめ直す時間が欲しいだけだから」


 会話の相手は「ななみ」という人らしい。この人はよく環さんの相談に乗っているようだ。

 それにしても、自分を見つめ直す?この文章から推測するに環さんは、何か大きな悩み、あるいは課題に直面しているようだ。でも、そのことについてそれ以上詳しく話しているやり取りは見つけられない。

 このメッセージのやり取りを見て、僕はますます彼女のことが心配になった。彼女が僕と入れ替わったことで、その悩みがさらに深刻になっているのではないか。そんな考えが頭をよぎる。僕はさらにメッセージをさかのぼる。


 遥香さんとのメッセージ履歴をもう少し読み込んでみる。以前に彼女とどんなやり取りをしてきたのか、どんな話題で盛り上がっていたのか。知っておけば、会話がスムーズに進むはずだ。少しでも彼女のキャラクターを知っておく必要がある。


 「うーん……これは意外と難しいかもしれないな」


 しばらくやりとりを眺めていると、どうやら彼女たちはかなり親密で、気軽にふざけ合うような仲のようだ。お互いに遠慮のない冗談を交わし、時には深夜に愚痴を言い合ったりもしている。最近は、遥香さんが気になる相手について話していたらしく、その相手とのやり取りに悩んでいる様子だ。

僕は自分が女子特有のこのノリについていけるかどうか不安になった。これまで女の子とこんなに親密な友達関係を築いたことなどもちろんない。しかも今回は、実際に会うのは初めての相手だ。とてもじゃないがうまく話せる自信がない。


 もう少し時間をかけて履歴を見ていくと、ふと気がついた。環さんの口癖や言い回しの特徴が、メッセージを読んでいくうちに分かってきたのだ。たとえば、彼女はよく「まじで?」や「ウケる!」といったカジュアルな言葉をよく使う。僕とは全く違う話し方だが、一応これを覚えておけば、少しは自然に話すことができるかもしれない。


「これで少しは大丈夫か…?」

 


 彼女はここ数週間の間に、遥香さん以外にも他の友人たちとも頻繁にやり取りをしている。友人たちの名前だけでも覚えておこう。遥香さんと話しているときに、ほかの人の話になったら役立つことだろう。それに、今後彼女たちと会うことになった場合、急に名前を忘れたりしたら怪しまれる。

 

そうこうしているうちに時刻は午後二時を過ぎようとしていた。そろそろ遥香さんに会う準備をしなければならない。これから遥香さんと会ったら、まず何を話そうか、こんなことを聞かれたら、どう答えようか、そんなことを考えながら外に出る準備をしていく。

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