詩集売りの彼女

悠真

 僕がまだ東京の東中野に住んでいたころの話です。


 当時は、その気になれば歩いてでも行ける新宿をよく訪れていました。

 代々木の音楽専門学校に通っていたので、その通り道にあたるということでも、非常になじみのある街でした。


 とある週末の夜、酒に酔った大人や学生たちが家路につくころ、僕は新宿駅構内のとある柱の袂でしゃがみこんでいる女性を見ました。

 床に白い冊子をいくつか積み上げていたので、何かを通行人に売ろうとしているのはひと目見て分かりました。

 白いワイシャツに真っ赤な鞄を肩から掛けて、彼女はじっとしていました。

 一人で歩いていた僕はそばへ寄ってみましたが、彼女は僕が正面に立つまで目を上げようとしませんでした。


「それは何ですか」


 僕は、そう声を掛けました。

 手づくりの冊子は、A5サイズでした。

 ホッチキスで留められ、表紙には手書きをコピーしたような細書きの文字が躍っていました。


 彼女は、初めて僕に気づき顔を上げました。

 顔色が不健康な鈍い白さを帯びていて、猫背である姿勢もあって中年以降だと思って遠くから眺めていましたが、実際は二十代後半のようでした。


「シシュウです」


 当時ロックに打ち込んでいた僕でしたが、そのきっかけが詩でした。

 いつでも大学ノートとペンを持ち歩き、毎日のように新しい詩を書いていたので、彼女が「詩集」と言ったことにたいしても素直に受け止めました。


 僕は、他人の詩は一切読まなかったのですが、同志を応援したい思いと、ひょっとしたら僕は彼女に恋する予感がしたのかもしれません。

 一冊買いました。

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