律side

第77話

何年ぶりになるのだろう。


制服はもうとっくに脱ぎ捨て、私服のタイプも変わったけど、意志の強い目は変わらない。



当然のように指を絡ませて歩いていたころが、遠い昔のことのようだ。今や、香りも、速度も、雰囲気も、俺と空ける距離も、諒ちゃんとは違うことを無自覚に意識してしまう。



「ねえ律、びっくりした?」

「かなり」

「大成功だね」

「前もって言えよ」

「サプライズじゃん」

「……サプライズ」

「彼女がお留守番してるとは思わないからさ」



えりかのまっすぐな視線が俺を射る。



「留守を任せてるってことは軽い付き合いじゃないんだ?」



それが、高校生のとき受けていたものと重なれば、



「──…妬けるんだけど」



当時の思い出が引きずり出される。



「……それで、急にどうしたの? 海外にいたんじゃなかった?」

「地元の方に帰ってきたの」

「え、あ、そうなんだ?」

「そう。そしたら偶然クラスの子に会って、その子があいつらの思惑を教えてくれて、全部誤解だったってわかったから、律に会いたくなったの」



「あいつら」とは、えりかを苦しめていた女たちのことだろう。そこまではわかった。でも、「思惑」が理解できない。



「思惑って?」

「あいつら、私たちを別れさせるために、いろんな人利用してたみたい」



寝耳に水ってきっと、こういうことだ。



「私よく聞かされてたんだよね。律がそこら中で女遊びしてるって。みんなから言われたら、まあ、信じるしかないよね。律はモテてたし、実際昔は遊んでたから、なんか疑い切れなかった」



えりかの歩行速度が落ちる。


――いや、俺が落としている方かもしれない。



「……ありえねえだろ。あんなにずっと一緒にいて、俺いつ浮気すんの?」

「そうだよね。冷静に考えればそうなんだけど」

「でも、ごめんな」

「ん?」

「知らなくて、ごめん」



何度もいろんな人から聞かされたら、信頼できなくなっても仕方がない。えりかに惚れる以前の過去がなくした信頼は完全に自業自得だ。


すると、えりかは笑った。随分と、屈託なく。



「私も、信じなくてごめん」



それは、心が壊れていった彼女を腕の中に閉じ込めながら、向けられたいと願った笑顔だった。



「誤解だったってわかって、律が本当に私だけを大切にしてくれてたって気付いたら、律に会いたくなって、今の住所も連絡先も知らないから実家に行ったら、律のお兄ちゃんが住所を教えてくれた」

「(……兄ちゃん、)」



昔の彼女とはいえ、無許可に家の場所を教えた実の兄に呆れる。そして、それを報告してこない兄にいくらでも文句が浮かぶ気がする。


兄にシフトしていた意識が、強い引力でえりかの方へと引き戻された。



「ねえ、律、やり直さない?」



足を止めたのはどちらが先か。


歩道の真ん中で立ち止まり、見つめ合う。



「全部誤解だったんだし、別れたとき、律は私に冷めてたわけじゃないんでしょ? もう邪魔するようなやつもいないしさ、いたとしても狭い社会じゃないんだし、きっともう大丈夫だよ。やり直してみようよ」



えりかの指が俺に伸びる。


強気なところも、自信のあるところも、全部。



「ねえ、私にしたら?」



可愛かったんだけど。



「──…ごめん」



彼女の指から逃れるように、一歩後ろに下がった。



「それは考えられない」



考えられない。


諒ちゃん以外を好きになる未来は想像できない。



強気な彼女の目は微かに震えたようだ。



「……まあ、そうだよね。何年も経ってるんだし。ごめん、懐かしくて、律が予想以上にいい男になってたから、高ぶったのかも」



冗談っぽく笑ったえりかは、目を伏せた。



「……でも本当に、好きだったんだよ? あのときちゃんと信じてたら、今も律は私のものだったのかな、とか、ずっと考えてる」



もし、に意味はないけど、あのとき別れずにえりかと重なった道を辿っていたのなら、諒ちゃんと重なった「今」は存在しなかったのかもしれない。


そう考えれば、過去の淡い想いよりも、今、掌中で、体の奥で、滾りつつも穏やかに存在する感情を、俺は消したくないと思うのだ。



「付き合ってたころ、何もできなくてごめんな」



駅に着き、昔の不出来を謝れば、えりかは笑って首を横に振った。



「謝るの、絶対私だ。なんか悔しくて意地悪しちゃったし」



さらっと放たれた言葉に、自分の体温がさっと下がる錯覚を覚える。



「――意地悪? 誰に? 諒ちゃんに?」

「いや、顔怖いって」

「茶化すな。言えよ。何したの?」

「そんな低い声出さないでよ。反省してるんだから」



えりかは眉を寄せて。



「……謝っといてよ、多分傷付けたから」



まるで自分が傷付いたかのように顔を歪めた。




     

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