【アップ】男山教会2023年1月1日礼拝説教/讃美歌〜Mynoteあります

天川裕司

【アップ】男山教会2023年1月1日礼拝説教/讃美歌〜Mynoteあります

【本日の礼拝メッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=g-R9PpYrjZ0&feature=youtu.be


【ブログ】

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12783014584.html

(讃美歌や聖書の内容を閲覧できます)



前奏

招詞 ヨハネの黙示録4章11節

頌 栄

たたえよ、主の民 [讃21-24,こども改25]

開 会 祈祷

主 の 祈り(週報裏面)

十戒・祈祷(週報裏面)

子ども説教

子どもと親のカテキズム問16

「私たちを愛される神さま」

こどもさんびか

どんなときでも[改129(1節)]

牧 会 祈祷

讃 美 歌 87番B(1,2節)

聖書

ヨハネの黙示録2章1~7節(新P453)

イザヤ書62章1~5節(旧P1163)

説 教

「はじめの愛~教会の祈りと悔い改めと希望」

宮武輝彦

祈 祷

讃 美 歌 87番B(3,4節)

使 徒 信条

聖餐式

感謝のささげものと執り成しの祈祷

頌 栄  539番

祝 祷

報 告



讃美歌~♬


【讃美歌全曲マラソン】讃美歌87番B(めぐみのひかりは)

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=NFYgV2w5mf0


1

めぐみのひかりは わがゆきなやむ

やみ路を照らせり 神は愛なり

われらも愛せん あいなる神を

2

うき雲おおえど み顔の笑みは

さやかに照りいず 神はあいなり

われらも愛せん あいなる神を

3

うれいのときにも のぞみをあたえ

なぐさめたまえり 神はあいなり

われらも愛せん あいなる神を

4

ものみなうつれど めぐみのひかり

とわにぞかがやく 神はあいなり

われらも愛せん あいなる神を


讃美歌539番

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=RLNZOZY75YY

THE ALFEE - 頌栄539番 (1993)

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=WGLmyfdrb3w

(ブログを見て下さると歌詞も閲覧できます)



2023年1月1日 礼拝説教 中心聖句


しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。

ヨハネの黙示録2章4節


若者がおとめをめとるように あなたを再建される方があなたをめとり 花婿が花嫁を喜びとするように あなたの神はあなたを喜びとされる。

イザヤ書62章5節  


はじめに

年の初めに、わたしたちの希望が、主キリストにあることを覚えたい。

「エフェソにある教会の天使にこう書き送れ。『右の手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が次のように言われる。」「七つの星を持ち、七つの金の燭台の間を歩く」とは、「最初の者にして最後の者、また生きている者」「一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持つ」永遠の御子、主イエス・キリスト自ら、七つの教会の天使と教会を支配しておられること(1章30節)。神の言葉である聖書の御言葉に聞くとは、聖霊の導きの中に、キリストの声に聞くこと。教会は、神の召しによって、この使命を果たす。主イエスは、ご自身の血によって贖われた教会の群れを知っておられる(ヨハネ10章14節)。「わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたことも知っている」。教会は、キリストの教えを土台とする以上、そうではない教えを明らかにする。それは、「主に依り頼み」「悪魔の策略に対抗して立つ」ことであり、「神の武具を身に着け」「絶えず目を覚まして根気よく祈り続ける」(エフェソ6章10~18節)こと。「あなたはよく忍耐して、わたしの名のために我慢し、疲れ果てることがなかった」と、主イエスは、エフェソにある教会の忍耐を知り、偽りの教えや反キリストに対して、ご自身の名のためであったことを受け入れる。

「しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。」との、「初めのころの愛」とは、ペトロ同様、「わたしを愛するか」と問われる主に従う思いを告白したころ(ヨハネ21章15節)。だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。もし悔い改めなければ、わたしはあなたのところへ行って、あなたの燭台をその場所から取りのけてしまおう」とは、キリストへの愛の告白をしたころに立ち戻れということ。キリストの花嫁とたとえられる教会は、聖なる花婿を迎える準備を「愛の灯火」を掲げつつ果たす(マタイ25章「十人のおとめ」)もし、その燭台が取りのけられると、教会は「世の希望」であるキリストの灯火を消すことになってしまう。「たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」(コリント第一13章2節)。信仰の成長は、知的に測られるものでなく、むしろ、愛において確かめられるもの。しかも、教会の愛は、現世において不完全。しかし、キリストを完全に知るとき、わたしたちの信仰と希望と愛は、永遠に残る。その中で最も大いなるものは愛。

「だが、あなたには取り柄もある。ニコライ派の者たちの行いを憎んでいることだ。わたしもそれを憎んでいる」と、主イエスは言う。初めの愛から離れていても、偽りの教え(おそらくは、無律法主義的な自由奔放な生活)を憎むことができるとは。人間の感情は、思いの他、表向きで、主の眼差しは更に深く、愛の真実を問う。

おわりに

真の預言者イザヤは、キリストの到来において、終わりの日における教会の希望を告げる。その日、主の花嫁たる教会は、初めの愛において主の栄光を喜ぶ。



(Mynote)


二〇二二年一月一日(新年礼拝)。

〈子供メッセージ〉

『子供と親のカテキズム問一六』

「私達を愛される神様」

問「運が悪いと言ったり、占いを気にしたり、祟りを心配する必要ありますか?」

「いいえ、キリストの父である神様は、子供である私達を愛し、いつも守って下さいます。たとえ涙が止まらないような事があっても、全ての事が私達の役に立つように導いて下さいます。」

〈公同礼拝〉

聖書

『ヨハネの黙示録」(第二章一〜七節)

『イザヤ書』(第六二章一〜五節)

説教題『初めの愛〜教会の祈りと悔い改めと希望』

宮武輝彦先生

本日は新年礼拝、神様の御言葉を初心に戻って聴ける事を感謝する。聖霊の力に依り希望に満ち溢れる様に(『ローマ書』を参照)。

世間には様々な問題がある。高齢化の問題。世情の問題。占い等では解決しない。祟りと見ても解決しない。本当に解決する・救いたもうものは、真実なる神様に依る救いのみである。ここにこそ思いと心を集中させ、本当の救いを求める様に。これはクリスチャン、ノンクリスチャン問わず全ての人に求める。

「あなたは初めの愛から離れてしまった」(『ヨハネの黙示録』第二章四節)

この言葉はエペソの教会に当てられて言われた。どこの教会でも同じ事が言える。この様に、世界に在る教会でも「初めの愛」について語られて居る。

七つの星を持ち、七つの金の燭台。星は天使達、燭台は教会の事である。教会とはイエス様の事。イエス様は三日目に復活された。一度は陰府にくだり甦られた事により、今でも永遠に生きて居る誠の神を示す。この事はどの教会でも同じに在り、共通の救いに在る。

聖霊の導きに依り、生ける誠の神様の言葉を聴く事が大事。いつでもそうせねば成らない。これは誰でも求める救いに在る。この初めの救いへの道、神様が人に与えられた初めの愛をしっかり憶える事が大事。霊の耳を以て教会の声、神様の声に聴く事が大事に在る。生ける誠の神様が全ての教会の礼拝を支配して居られる。人を用いて神様がこの様にして下さって居る。

イエス様ご自身がエペソの教会の人達に、具体的に大事な事を話されて居る。

「私は、あなたのわざと労苦と忍耐とを知って居る。又、あなたが、悪い者達を許しておく事が出来ず、使徒と自称しては居るが、その実、使徒でない者達を試してみて、偽者であると見抜いた事も、知って居る。あなたは忍耐をし続け、私の名の為に忍び通して、弱り果てる事がなかった。しかし、あなたに対して責むべき事がある。あなたは初めの愛から離れてしまった。そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、私はあなたの所に来て、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。しかし、こう言う事はある。あなたはニコライ宗の人々のわざを憎んでおり、私もそれを憎んでいる。耳のある者は、御霊が諸教会に言う事を聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにある命の木の実を食べる事を許そう。」(『ヨハネの黙示録』第二章二〜七節)

忍耐して来て居るのに、初めの愛から離れて居る。ここを慎重に考える必要がある。自分が良いと思ってして居る事でも、信仰に於いてそれが間違って居る事がある?この疑問を常に持つ必要がある。どんな義人でも人である以上(罪人である以上)、悔い改めが必要である。神様の武具を身に付ける事、信仰とは戦う事そのものである。そして戦う相手は人ではなく悪魔である。

「愛の神様、神様の愛」この事について改めてしっかり考え、認識し直さねば成らない。

戦いが勢いが増し過ぎてしまって、それにより「初めの愛」から離れてしまっては成らない。何と(誰と)戦って居るのかを認め直し、誰の愛・力を土台に戦って居るのかをもう一度確認する必要がある。神様の愛(初めからの愛)を土台に戦って居るのなら、自分の主観だけで人を恨み、無き者にしては成らない。戦う相手は徹頭徹尾、悪魔である。兄弟姉妹である人ではない。この事を常に念頭に置かねば成らない。

「愛して居る」という言葉を我々人間は普段どんな思いと姿勢で遣って居るか?「愛」をもう一度確認し、信仰に於いて、正しく理解して実行せねば成らない。イエス・キリスト様が人に教えられた愛とはどの様なものであったか?現代人なら聖書を読み、この事をもう一度覚え直し正しく理解し、それを実践する事が大事である。

正しい教えに聴く事が大事に在る。これと同時に、正しい愛を以て人に接せねば成らない。信仰者は常に悔い改めが必要である。愛の灯火を絶対に消しては成らない。

ペテロがイエス様から「私を愛するか?」と三度聴かれた様に(鶏が鳴く前に三度ペテロがイエス様の事を「知らない」と言ったからイエス様もそれと同じ回数の三度聴かれた)、そのイエス様の愛をいつでも思い出し、そのとき自分の愛が相応しいかどうかを確認する必要がある。「その教会が本当に愛に満ち溢れて居るか?」についての正解は、イエス様に教えて貰わなければ絶対に分からない(人には分からない)。

イエス様と同じ姿勢で信仰生活を歩めて居ても、その初めからの愛を離れてはいけない。

悔い改めて初めの愛を覚えるなら、伴侶を娶る様に、神様はその人を喜ばれる。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Café~


お時間のある時に

ぜひいちど立ち寄ってみて下さい。

きっと安らぎが得られる事と思います。


THE ARTHUR HOLLANDS SHOW

https://www.youtube.com/@arthurs-show/videos?app=desktop


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)






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