もしもし、此方おかしな電話相談室

大黒 太福

第一章・1

 園山そのやま 普人ひろとは拉致された。

 正直なところ、今がどういう状況なのか、自分でもよくわかっていない。まず、視界は真っ暗。布のようなもので目隠しをされている。腕もやはり、紐かなにかで左右の手首をまとめて縛られているようだった。

 抜け落ちている記憶を取り戻そうと、脳を働かせる。今日は少し遅めに起きて、のんびり支度をして、意気揚々と地元の地方競馬場へと足を運んでいた。第一レースから馬券を買って、楽しんでいたはずなのに。

 それが、ちょっとした揉め事に巻き込まれた。なぜ、あんな提案に乗ってしまったのだろう。まったくもって自分らしくない判断だと、普人は今更ながら後悔に襲われていた。

 その後のことはよく覚えていない。少し前に意識が戻ってきたときは、おそらく車の中であった。ずっと目隠しをしていたから視覚は頼りにならないが、聞こえてきたエンジン音や体感した揺れからして、間違いはないだろう。少しの間走っていたが、車内は無言であった。それからエンジンが止まったかと思うとドアが開き、外の空気を感じた。そうして、車を降りるよう促され、どこかを歩かされて、靴を脱ぐように言われ、今では椅子らしきものに座っている。

 背後から足音が聞こえたかと思うと、手首を縛っていたものが解き放たれた。ゆっくりと、周囲を警戒しながら手を動かす。手のひらを胸の前に持ってきて、握ったり開いたりを繰り返した。

「目隠しを外していい」

 直後、男にそう言われて、普人は両手で思う存分顔を触った。目元に巻かれている布を思いっきり引っ張っると、ようやく視界に光が差し込んでくる。長いこと暗闇にいたので眩しさがやけに痛い。

 目の前に広がっている光景は、まるで見知らぬ場所だった。室内である。いわゆる、リビングダイニングキッチンと呼ばれる間取りであることは間違いない。リビングにはダイニングテーブルを囲む四つの椅子があり、そのうちのひとつに普人は座っていた。奥にはカウンター式のキッチンが見え、右手方向にはバルコニーがあった。レースのカーテン越しに窓戸からうっすらと覗く景色は、なんの変哲もない一般的な住宅街である。部屋の広さからか考えて、ここはアパートかマンションの一室だろう。そして、部屋は一階にある。わかる事実はそこまでだった。

 テーブルを挟んで対面する椅子に、例の男が座っていた。

 改めて、普人は男の顔をまじまじと見つめる。相手の切れ長の瞳が、じっとこちらを見据え返している。威圧感があった。黒髪を七三のオールバックにしてきっちりとまとめている。さすがに室内と言うことでコートは脱いでいたが、出会ったときと同じく黒いスーツのままだ。

 均整のとれた顔立ちと、身綺麗な格好、上品な所作。端的に言えば、美形である。正直なところ嫌味なぐらいに完璧であった。見た目だけで判断すれば、年齢は普人と同じぐらいだろうが、堅そうな雰囲気から相手の方がやや年上に感じる。

 それにしても、この男と一度でも会ったことがあれば、間違いなく覚えているはずだが、これっぽっちも普人の記憶に残ってはいない。

 つい先ほど――意識を失う少し前に、競馬場で初めて出会ったばかりの男と、普人は向かい合って座っている。

「ようこそ」とだけ、彼は言った。

 男は表情に変化が少ないせいで、やけに淡々とした印象を受けた。その態度は、外見の美しさを担保しつつも、どこか不気味である。

「こういうときはなんて言えばいいのかな?」思い切って、普人も口を開いた。「定番の……ここはどこ、僕は誰、ってやつ?」

 普人は怖じ気もせずに、へらへらとおどけて口にした。

 それから、相手の出方をうかがったが、彼はぴくりとも動いていなかった。つられて笑うこともなかったし、逆にからかわれて怒ることもなかった。

 それどころか、信じられないような事実を告げる。

「君の名前は、園山 普人。二十四歳。九月二十二日生まれ。大学を卒業後は就職するが、一年前に退職してから現在に至るまで無職だ。しかし、資産はそれなりに保有している。有価証券類が合計で二千万。現金が二百万。すべて競馬で当てた金だ。それで、今は悠々自適な日々を送っている。それから……」

「ああ、いいよ。もういい」

 呆れた風な声を作って、普人は話を制止する。自己紹介をする前に名前をフルネームで当てられて、内心ではひどく動揺していた。それどころではない。経歴もその通りだし、なにより資産額までピタリと一致している。

「ほかに、なにか質問は?」

「……ありません。そこらへんのことは、全部、自分でわかってるから」

 普人はいったん、質問を打ち切った。

 正直に言えば聞きたいことはある――なぜ、そんなことまでわかっているのか?

 だが、これを真っ正面から尋ねたところで、返答はないだろうとも思っていた。競馬場で多少やりとりをした記憶が蘇る。この男は、答えたくないことにはまるで答えない。

 しかし、特に資産に関しては誰にも知られていないはずなのに、完璧に把握されている。友人知人どころか、家族にすら教えていないのだ。金があると知られるのは、相手が誰であろうと面倒ごとを引き起こす。もしも情報が漏れるとすれば、競馬アプリの使用履歴だろうか。もしくは銀行の出入金記録。もっとも、そんな情報が外部に漏れていたとしたら大問題だ。

 思考を巡らせる普人などお構いなしに、話は続いていく。

「そして、ここは今日から君の仕事場だ。静かで悪くないだろう」

 普人は思考を一時停止して、部屋の中を見渡した。

 どこからどう見ても普通の部屋である。残念ながら悪の組織のアジトだとか、反社会勢力の支部だとか、そういういかにもな雰囲気ではなかった。と、いうよりも、そもそも生活感がなさ過ぎる。見渡す範囲にあるものは、すべてが最低限の生活必需品で、それ以外の物品は一切置かれていない。

 目の前にある、ひとつの物を除けば、なのだが。

 なにから聞けばいいか決めかねていると、青年がさらに口を開いた。

「君には、これからここで仕事をしてもらう」

 唐突な申し出にむっとして、普人は口を挟んだ。

「ああ、ちょっと」と、強引に横やりを入れた。「お互い名前を知ってないと、フェアじゃないでしょう。仕事の話をするなら、なおさらね」

 名前も知らない相手とやりとりできないよ、と付け足すと、意外なことに相手は素直に頷いた。

天麻てんま

 青年は一言で名乗ったが、それは、名字か名前かもわからないものだった。それでも、呼び名がないよりはずっと話が進めやすいのは間違いない。もっとも、確実に偽名だろう。

「天麻さんね……それで、僕をこんな方法で連れてきて、なにをさせたいワケ?」

「ここで私の指示に従って働くこと――それが君の、私に対する借金を返す、唯一の方法だ」

 借金、という言葉を聞いて、普人は苦虫を噛み潰したような顔をする。

「えっと、天麻さん……結局、この話なかったことには」

「できない」即答だった。

 彼の言う借金というのは、正直、詐欺のようなやりとりで生まれたもので、普人にとっては断固として認められない存在である。

「困るよ。そんなふうに強要するようなら、僕は警察に行く」

 警察、という言葉を出して、じっと天麻を見つめた。目が泳ぐか、指先が動くか、普人は相手の全身をくまなく観察していた。

「行きたいなら行けばいい」しかし、天麻は微動だにしない。「行ったところで解決することはなにもない」

 青年はやはり表情ひとつ変えずに断言した。美しくも無機質な顔つきは、時として巨大な圧力を発する。

 だが、その圧力より何よりも普人が気にしているのは、警察に行ってもなにも解決しない――という言葉を、この男は断固とした事実として発言していることだった。人間の考えていることは、形を変えて声や態度に表れるものだ。警察は動かない。少なくとも天麻はそう信じ込んで発言している。

 普人は眉をひそめた。もちろんハッタリという可能性もあるが、普人には目の前の男がハッタリを乱用するような安い相手には思えなかったのだ。

 周囲を見て、耳をそばだてる。天麻以外の姿は見えないし、他に人の気配も感じられない。

 普人は一般的な成人男性だ。中肉中背で重い方ではないとはいえ、ここまで連れてくるのには、どう考えても天麻ひとりの力では不可能だ。今は姿は見えないが、ほかに仲間がいると考えたほうがいいのではないか。

 普人は小さくため息をついて、天を仰ぐ。いまの状況に対して、情報があまりにも少なすぎる。このまま立ち上がって逃げだすことも出来なくはないが、リスクが大きいだろう。

 諦めた普人を見て、青年はいよいよ本題に入った。

「さて、仕事の説明だが」

 そう言って、天麻はテーブルの上の、二人の間に鎮座していた異物にようやく視線を向けた。

 いわゆる、黒電話である。随分とレトロな風貌の、ダイヤル式の電話だ。

 普人にとっては、まったく馴染みのない存在であった。映画やドラマで見たことはあるし、昔の電話はこんな形をしていたということは理解している。逆に言えば、それぐらいしか知らなかった。

 なぜ今時こんな電話があるのだろう。そもそも通じるのだろうか。電話線が伸びて壁まで繋がっているところを見ると、おそらくは利用できるのだろう。

 電話を前にきょとんとする普人に、天麻は話を続ける。

「ここには、社会において苦しんでいる者たちから電話がかかってくる」

 それから、彼は瞳を伏せた。なにか考え込んでいるらしい。ようやく現れた僅かな表情の動作を見て、相手がロボットではないらしいと理解する。それぐらいにこの男からは冷たい印象を受けた。

「そうだな」と、天麻はようやく声をひねり出した。「電話をかけてくる相手は、言うなれば〝弱者〟だ。君は相手から悩みを聞いて、彼らの抱える問題を解決する」

「……なにそれ」普人の素直な感想だった。

「説明の通りだ」

「お悩みコールセンターってこと?」じっと電話を見つめる。「この電話で?」

「そうだ」

 普人は電話と天麻を交互に見やった。

 話を聞く限りはまともな内容なのだが……やましいことがないならば、もっとちゃんとした方法で人を雇うはずではないのか。絶対に、ろくな話ではないだろう。

「それと、重要な話がある」天麻は強調して言った。「ここで言う、問題を解決するという言葉の定義についてだ」

「定義?」

「問題の解決とは、相談相手が納得したことを指す。それが真実でなくとも、道徳や倫理に反していたとしても、全く問題ない。相手が納得さえすれば解決だ」

「……なにそれ」ともう一回言う。

 普人の頭の中に、ぼんやりと仕事の流れが浮かんでくる。

 電話がかかってくる。普人がそれを取る。相手は悩みを相談する。普人はそれに答えて、相手を納得させる。

 本当にそれだけなら、できなくはない。いや、むしろ自信はある。いやいや、やる気が出てきてどうする。このままでは相手に乗せられるだけだと、普人は思い直そうとしたのだが、続いて、天麻は金の話に移行した。

「それから、給金は歩合制――一件解決するごとに百万円だ」

「ひゃ、百万?」思わず声が裏返る。「いったい、なんでそんなことを……」

「ただの道楽だと思ってもらえればいい」

 いくら歩合制といっても値段が高すぎやしないか。それこそ、真っ当に求人を出せば引く手数多だろう。しかも、それが道楽だと天麻は言い切った。いったいどんな資産家だったら、そんなことを道楽にできるのか。

 やっぱり怪しい。怪しすぎる。

「いやあ、いくらなんでもおかしいでしょう」

 考えた末に、普人はそう言った。こんな怪しい仕事を簡単に請け負うわけがない。真正面から断ろうとした時だった。

 突然、目の前の黒電話が、けたたましく鳴り始める。

 ぎょっとして、普人は電話を見つめた。映画やドラマで聞いたことのある音だが、直で聞く音は画面越しのそれより遙かに騒がしい。

「出ろ」と、天麻が命令する。

「いきなり出ろって……」ためらう素振りを見せる普人だが。

「出ろ」と、もう一回言った。

 普人は思い切り顔を顰めたが、電話は気を遣ってはくれない。音はこちらの状況などお構いなしに鳴り響いている。

 ああ、どうしてこんな事になってしまったんだろうか。普人は先ほどまでの、人生で一番おかしな時間を振り返っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る