第2話 貧乏だと自殺もできない世界
桐生は言われたマンガ家の自殺について調べながら思っていた。
そっか……自殺するお金、あったんだ……。
今はほとんどの人間がボディセンターに肉体が格納されているために簡単に自殺はできない。
そもそも死ぬことすらなかなかできなくなっている。
肉体は完全に保管保全されているのでなかなか老衰も訪れない。
厳密に言えば精神が完全に衰えて死ぬことはあるので死を追放できなかったのだが、今の人間の仕事はそうやってボディセンターに収容されたまま精神が衰えるまで義体と仮想空間内のアバターを使い分けて働き続けるか、あるいは義体の開発がまだ進んでない分野、たとえばボディーセンターやデータセンターの修理保守の一部の仕事で働くかだけになった。
一時期ごみ収集や汚物抜き取りなどは自動化できないししても割に合わなかったのだが、ベーシックインカムの導入や自動化の進歩でそれもパワーアシストを加えた義体で作業できるようになった。
このせいで極度に少子高齢化社会が進んでいるのだが、もう子供を増やす方法が役所にも企業にも見つからなかったので今生きている人間を徹底的にこき使うことにしたのだ。
子供を生み育てるのを楽にしようという施策はいくつも作られたが、肝心の可処分所得を増やすことはできなかった。
子育て支援の財源のために子育て世代含めた国民から税や税もどきのもので徹底的に吸い上げた結果、国民が貧しさとその制度の歪さに対する不安で、子供を生み育てる事をリスクとしか感じられなくなっていたので、まさしく本末転倒である。
そもそもそうやって税などを集めても使い道が見つからずに繰越にしていてもまだ財政健全化のためといってせっせと税金やそれににたものを増やし続けていたのだからどうにもならない。
なんでそんな愚策をしていたかというと、そういうことを決める役人や民間議員にとって少子高齢化で国がどうなろうと、健全財政がもたらす株高のほうがずっと大事だったからだ。彼らは多くの金融資産を持っている。
大きく見れば利益相反、株価操縦みたいなとんでもない話だが、本邦はそういう役人や役人に近いものの金融投資を禁止する法律を廃止している。
それゆえ国なんかどうなろうが知ったことではない。自分の持っている金融資産が増えるほうが大事だ。
だがお金というものは恐ろしいもので、集めるとそれを失う不安が自動的に増える。
その不安で彼らは余計危ない蓄財とそのための不正ではなく、一見バレない法制度改正に走り、それでさらに蓄財し不安も増やすという悪循環を続けている。
いつのまにか本邦の本末転倒と悪循環を導く行政の行き過ぎた文書主義はすっかり根を張って誰も逃れられない。
みんなそれで非正規労働に追いやられても、まだ利用者のためになると思って働いてしまう。
本来抗議の声を上げてもいいはずだし暴動だって起きてもおかしくないレベルの不条理なのだが、みんな「民度が高い」といわれるとそれで嬉しくなってやりがい搾取だと知ってても逃げることができない。
そして制度を設計し運営する人間はそれに更につけ込む。
人を働かせてろくに払いもしないが、その人が仕事が終われば客になるのだということをすっぽり忘れているか無視している始末。
それで客にカネがないと嘆いているから噴飯も良いところだ。
それでもこらえて働いてしまう中、人間の数少ない残された逆転の夢がマンガ家になるという夢だ。
日本はようやくマンガやアニメが国際競争の良い武器になることを認識してそれを使い始めている。
マンガ印税に関わる優遇制度も作られ、評判悪い上に成果も全く上がらなかったクールジャパンキャンペーンもようやく改正された。
それでもまだコンテンツ制作に関するお金の流れには謎が多い。
莫大な額が流れているはずなのに現場の創作者はいつも貧しいか、体を壊すほど忙しいか、なのだ。
出口のないこの地獄の釜の底みたいな社会に桐生も日々ため息が出る。
ましてそこから脱出できたはずのマンガ家が自殺となると、まったく先に望みがない。
ボディーセンターに体を保管している人間の自殺操作を請け負うハッカー集団の存在は知られているが、その実態は全く不明である。
集団と言っても指揮系統は不明だし、その上検察も裁判所も彼らの自殺幇助に対して関心を強く持っているとはいえない。
かつて鉄道自殺が多かった頃と同じく、自殺したいなら目障りでないところでやってくれ、的な感覚が多いのだろう。
あの頃鉄道は大量輸送機関であるとともに実質的な安楽死装置だった。でもホームドアが完備され、さらにボディーセンター収容が進んで鉄道自殺は激減した。
だが鉄道で物理移動するのが贅沢になったために鉄道の廃線も進んだ。
かつての人間から見たら驚くような大幹線ですら旅客輸送が廃止になったりしているのだ。
マンガ家の先生、せっかく希望に溢れた勝ち組に見えるのに、なんでまたお金使って自殺なんかしたんだろう。
いま世間で言われているメディア展開でのトラブルとは、そんな深刻なものなのだろうか。
桐生には正直わからない。実質収入がほとんどない彼には想像もつかない。
だいたいにおいてこの不条理な世界で才能を認められるなんて、それだけでとんでもなく稀で素晴らしいと思う。
それゆえの誹謗中傷も多いだろう。それを阻止し更生につなげ被害者を守るのがこの情報審判院の仕事だ。
そしてそれはすでに稼働している。今は人間にユニバーサルIDシステムでIDが付与され、匿名であることをいいことに無責任にフェイクニュースを作って広めたり脅迫罪強要罪にあたるネットでの行動は法に基づいて自動的にAIが判断して警告、行政処分、検察送致といった対応が行われる。
そのAIは時々ミスをするが、それでも人間の監視よりは圧倒的に処理が早い。そしてそのミスの事案の処理が桐生のこの審判院のはじめての仕事だった。
人間のいやなところに触れまくるそういう事案に、桐生は深くため息をしながら、これ、終わることあるのかな、と絶望する。
処分しても処分してもそれ以上にルールから外れるものが後をたたないのだ。
それでもこの自殺案件は例によって出版社の公表した遺憾の声明で、世の中は一時憤ってもすぐ別のネタでの炎上に忙しくなって忘れてしまったかのように読まれなくなった。それを桐生たちは審判院のアクセスモニタリングで見ている。そしてその他の自殺幇助ハッカー集団の捜査は警察庁以下各都道府県警が続けている。
だが、それとは別に港署の刑事が不審がる何かがあるのだ。
なんだろう?
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