第10話 土曜の夜と日曜の朝

 どうにも堪えこらえ切れるものではなかった。愛妻の違った姿を目の前で見せつけられる。しかも相手は自分ではなく、他でも無い親友。


 とても止められるわけがなかった。あんなにも没入している綾乃は見たことがない。そしてその先の世界を見せてあげたのは自分ではない。


 全く耐えられなかった。倦怠期なんて微塵に吹っ飛ぶような、綾乃の妖艶さ。




 この抱えきれない複雑な感情の重圧には抗えず、また、彼らのいる部屋に戻ろうとも思えなかった。そう、夜はまだ終わっていないからだ。始めた当事者は自分だが、止める権利はこちらにはない。あくまでイニシアチブは当事者二人にある。


 綾乃の喋り声が聞こえた気がしたが、今は聞きたくない。聞けない。眠れるのかどうかもわからない。せめて空が白くなるまでは放っておいて欲しい。布団を被って身を丸めた。


(俺、とんでもない世界に入ってしまったのかもしれない……)



 ◆



「……おはよう、起きた?」


「ん……おは……よう」


 寝ぼけ眼で応える一樹。綾乃が一樹の頬に触れていた。すごく疲れた夢――紛れも無い現実なのだが――を見たような気がする。目をゴシゴシさせると視界の解像度が上がってくる。ピンクベージュのパジャマの綾乃の首筋から胸元にかけて、アーモンド大のアザがいくつか見えた瞬間、一樹の耳から脳天にかけての血管が沸騰しそうに熱くなった。


「そ、そ、それってまさか」


「う……うん。いっぱい付けられちゃった」


 これらは、一樹の依頼に対する亮介からの回答であり、煽りだ。


(一樹、綾乃さんのこと大事にしてあげてる?)


 付けられたことや行為自体が悔しいのではない。それを受け入れた綾乃の気持ち、そして自分の来し方こしかたに絶望してしまうのだ。


「なんで!? どうして!?」


 なんて女々しいのだろう。

 自業自得の典型じゃないか。

 喚いてわめいてどうする。

 わかっている、この大きな矛盾も含めてわかっている。

 わかっていなかったこともわかっている。

 今ならわかる。

 今になってやっとわかった。


 でも、でも、だって――。


 泣き笑いのような表情で優しく抱きしめようとした綾乃を一樹は制した。

 詰るなじる理由も、謝る理由も存在していないはずだ。だがそうせずにはいられない、そんな情念のやり取り。



 AM7:09。土曜の夜から始まった危険な遊戯の第一幕はここで終わる。

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