12.受難

 お医者さんが僕の胸に当てていた聴診器を外す。

「他に身体には異常はなさそうですね」

「あぁ……良かった」

 隣に座るお母さんが、深い深いため息を吐いた。きっと僕よりも不安を溜めていたに違いない。

「いや本当に鉄骨が足に当たったというのに軽傷で済んだのは奇跡的です」

 あの時、玉津姫をかばった時、僕は何も力を使ってはいなかった。けれど水に好かれるこの身体を、鉄骨が足に当たる瞬間に、が守ってくれたのだろう。

「とはいっても怪我であることに変わりないので、しばらくは安静にして、運動も控えてください。何か運動はされてますか?」

 耳を疑った。サアっと全身から血の気が引く感覚がした。

「……水泳部に入ってます……練習はしちゃ駄目なんですか」

「医者としては勧められませんね、最低でも三ヶ月は治癒に必要です」

「あと一週間後に大会があるんです!僕は泳げないんですか!」

「今無理をすると怪我が悪化して、本当に泳ぐのに耐えられない身体になってしまいますよ」

「……わかりました」

「辛いけどしっかり治しましょ、湊人」

 母さんが背中をさすってくれる。僕はうつむいて涙が零れそうになるのを必死にこらえていた。


 青く塗られたプールサイドに陽炎がゆらめくほど、太陽の日差しは暑く、水泳部員たちの肌をじりじりと焦がしていた。夏休みに入る前に比べて、みんなこんがり焼けてきた。対して、僕はプールテントの影から、泳ぐ様子を見学していた。

 顧問の先生が口に咥えた笛を鳴らし、プールサイドに水泳部員が集められた。揃うのを見ると顧問の先生が話し出す。

「えぇ、みんな知ってると思うが、川瀬が怪我でしばらく水泳ができなくなった。それで今度のインターハイの出場選手だが川瀬に代わって、佐和田を出場選手とする」

 周りで、喧騒と喝采が沸き立ち、佐和田を包んだ。慣れないのか、はにかんだ、ぎこちない笑顔を浮かべていたが、一瞬僕と目が合うと気まずそうに目をそらした。僕も目をそらした。


 まだ、誰も来てない部室に、僕ひとり入る。着替えるわけでもなく、部室に置いたバッグを取りに来て早々に帰ろうとした。そしたら、もう一人入ってきた、佐和田だった。

「よう、佐和田。インターハイおめでとう」

「おう……ありがとう。そのなんか……ごめんな」

 いつもの佐和田とは思えないほどのよそよそしい態度に、内心驚いてしまう。

「気にすんなって、佐和田は何も悪くないだろ。僕の分まで頑張れよ、大会応援しに行くからな」

「あ……あぁ!一位取ってやるよ」

 ようやく表情が晴れた佐和田を見てから、僕は部室を出て行った。

 僕は嘘をついてしまった。

 それは佐和田にではなく、自分に対して。正直、今の自分には、とても応援するような気持ちは持てず、心にも無いことを言ってしまった。それがますます僕を苦しめ、心の雲はもやもやしたままだった。

 この日から僕は部活の見学に来ることはなかった――

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