「ヨレヨレスーツの異世界再生計画」

●なべちん●

第1話「草野ヤスオ、再生の決意」

スーツはいつもヨレヨレ。手入れする余裕なんてない。毎朝、ただ無理やり体に通すだけ。革靴はすり減り、かつての光沢はどこにも見当たらない。電車に揺られ、無表情な人々に囲まれながら向かう会社。これが草野ヤスオ、四十歳の毎日だ。


 朝の通勤電車の中、ヤスオは窓ガラスに映る自分の姿を見ていた。そこには疲れ切った男が立っている。眉間の深い皺、目の下のクマ、口元に貼り付いた諦め。それが今の自分だ。かつて、自分がどんな表情をしていたかなんて、もう思い出せない。


 ヤスオには、若い頃、夢があった。自然と共に生き、人々のために役立つ仕事がしたかったのだ。地球のために何かをする、そんな理想を抱いていた。しかし、現実は無情だった。大学を卒業しても、希望の職には就けず、生活のために選んだのは、大企業の下請け企業。単調な作業の日々に追われ、次第に夢を追う気力は削られていった。


 「俺の人生、これでいいのか……」


 それは、ヤスオが毎朝必ず心の中で呟く言葉だった。転職を繰り返すたびに、周りからの視線は冷たくなっていった。「安定性に欠ける」と面接官に非難されることもあり、次第に転職すら難しくなった。ようやく辿り着いた今の職場では、彼はただ日々をやり過ごすだけの存在になっていた。


 「何かを変えたい」と思っていたはずなのに、いつしかその気力すら消えてしまった。日々の忙しさに追われ、成果を求められる毎日が続く。そのたびにヤスオは、自分の夢や理想を心の片隅へ追いやってきた。


 「どうして、こうなったんだ……」と退社後の夜道を歩きながら、ヤスオは心の中で問いかける。街の灯りは冷たく、疲れた彼の影を引きずっている。家に帰っても、そこにあるのはテレビの音だけだ。転職を繰り返すうちに、信頼できる仲間も離れていった。友人たちはそれぞれの生活を持ち、家族を作り、充実した日々を送っている。ヤスオには、そんな未来は訪れなかった。


 彼の心を重くするのは、過去の失敗の数々だ。新しい職場で「今度こそ何かを変えるんだ!」と意気込んでは、組織の壁に跳ね返され、無力感に苛まれる。そのたびに「またか」と自分を責めることしかできなかった。そして、次第に「どうせ変えられない」と諦めるようになった。


 「もう、何をやっても無駄なんだ……」


 そう呟きながら、週末もソファに倒れ込み、現実から目を逸らすようにスマートフォンをいじる。SNSには知り合いの成功や幸せの報告があふれ、そのたびに無意識にため息をつく。画面をスクロールする指だけが動き、心はどんどん遠ざかっていく。


 「俺には、もう何も残っていない……」


 ヤスオは、食事すら億劫になっていた。冷めた弁当を口に運ぶのも、ただ生きるための作業に過ぎない。風呂に入る気力もなく、そのまま眠りに落ちる。夢なんて、もう見たくもなかった。


 朝が来る。いつものようにヨレヨレのスーツを身に纏い、電車に乗る。会社では会議で無意味な資料作りに追われ、上司の指示に無言で従う。反論すれば、その場で叱責されることを知っているからだ。情熱や意欲は、いつの間にか消え失せていた。


 「夢を追っていたあの頃の俺は、どこに行ったんだろう……」


 ヤスオはふと、昔の自分を思い出そうとした。自然と共に生き、人々の役に立つ仕事をする。そんな理想を胸に抱いていたはずだった。しかし、現実に押しつぶされるたびに、その思いは粉々に砕かれていった。


 もう、どの会社でも通用しない。転職の度に「自分はダメな人間だ」と思い知らされ、今の会社で過ごす毎日が「最後の居場所」だと感じていた。逃げ場もなく、目指す場所もない。ヤスオは、自分の人生が完全に行き詰まっているように思えた。


 夜、デスクに突っ伏し、資料作りの手を止めた。周囲の人々が帰っていくのを横目に、ヤスオは静かに呟いた。


 「俺の人生、このまま終わっていくのか……」


 その瞬間、何かがヤスオの中でぷつんと切れたような気がした。そして、ふとポケットの中に触れたもの――小さな石のようなものが、彼の指先に感じられた。


 「これは……?」ヤスオが手に取ると、それは不思議な光を放ち始めた。気がつけば、彼の周りが眩い光で包まれていく。


 「時の石……」頭の中に、どこからか声が響く。それは、時を遡り、過去に干渉する力を持つという。


 ヤスオは、その言葉に息を呑んだ。「俺が……やり直す?」何度も挫折し、夢を諦めてきた自分にそんなことができるのだろうか。迷いが頭をよぎる。


 だが、彼の胸の中に、かすかな希望が灯り始めた。「もう一度……やり直してみたい……」


 ヤスオは目を閉じ、心に問いかける。「もし今ここで何も変えられないなら……過去に戻って、せめて少しでも何かを変えられるなら……」


 彼の体が光に包まれ、時の石が彼を過去へと導く。目を開けると、そこにはかつての村の姿が広がっていた。ヤスオは静かに息を吸い、目の前の世界を見据えた。


 「もう一度……始めよう。今度こそ、何かを変えてみせるんだ……」


 この一歩が、ヤスオの新たな旅の始まりだった。過去を変え、未来を再生するための、一歩目だった。

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