「俺は吾妻さんの事が好きだ」
吾妻さんと直接話をする。
そのために放課後になるとすぐにシューズロッカーの前で待機した。
一〇分。
二〇分。
三〇分。
吾妻さんは来ない。
四〇分。
五〇分。
六〇分。
一時間が経過した。
普段関わりのない早めに部活を終えた生徒が、昇降口へ向かう時に奇異の目を注ぎながら通り過ぎていく。
さすがに待ちくたびれた。
自分から会いに行こうと思い立ち、吾妻さんの居場所に頭を巡らせる。
その時、図書室のある廊下の方向から待ち詫びていた女子生徒の姿が見えた。
吾妻さんが来た!
俺は報われた思いで吾妻さんを眺めた。
しかし吾妻さんはシューズロッカーの前に立つ俺を見るなり、こちらへ向かいながら不可解そうに眉根を寄せた。
「吾妻さん。待ったよ」
声をかけると、吾妻さんは足を止めて眉根を寄せた顔のまま口を開く。
「なんですか誠、新田さん」
誠也さんと言いかけて慌てて苗字読みに切り替えた。
おそらくは俺とは無関係だと周りに主張するために、あえて他人行儀な呼び方をしたのだろう。
そんな吾妻さんの態度に軽いショックを受けたが、努めて平静を装い笑い掛けた。
「一緒に帰ろうよ」
「どうしてですか?」
猜疑に満ちた目を投げ返してくる。
負けるな。ここで引いたら聞きたいことは聞けずじまいだ。
「どうしてって吾妻さんと帰りたいと思ったから」
「私が誠也さんの事を避けているのがわからないんですか?」
認めさせようとする強い口調で言った。
しかし誠也さんに呼び方が戻っているところをみると、俺からの誘いに動揺が無いわけではないのだろう。
「吾妻さんが避けているのは知ってる。でもそれは何か理由があるからでしょ? その理由が俺にあるなら直接言ってよ、直すから」
非があったことを厭わずに開陳を求めると、吾妻さんは曖昧さを避けるように大きく首を横に振った。
「誠也さんに原因はありません。私個人の問題です」
個人の問題、と答えれば俺が介入しにくくなるのを承知で言っている気がした。
見知らぬ人が相手ならここで身を引いただろう。しかし相手は吾妻さんだ。俺が好きな相手だ。
「吾妻さんが困ってるなら助けになりたい。だから俺を避ける理由を教えてよ」
「誠也さんに話してもどうしようもないことです」
突き放そうとするように答えた。
けれども俺は引き下がる気はない。
「それは話を聞いてみなくちゃわからないよ。とにかく話してよ、僕が助けになれるからそれから考えればいいよ」
「……」
捲し立てて打ち明けるよう促した俺に、吾妻さんは戸惑いの混じった目で無言を返した。
三秒ほど沈黙があってから吾妻さんが心配の覗く表情で言葉を継ぐ。
「どうして、そこまで私に構いたがるんですか?」
さっきまでの突き放す言い方とは違う何かを懸念するような声調。
微かに吾妻さんの心が動いた証左だろう。ここで沈黙してしまえば吾妻さん取り合わなくなるかもしれない。
「わからないかな? 俺が吾妻さんに構いたい理由」
「想像したくないです」
聞こえた言葉を追い出そうとするように頭を横に振って下を向いてしまった。
はっきり言わないと、俯かれたまま逃げ去ってしまいそうだ。
この気持ちを口にするのはとてつもなく緊張するが、相手が違うとはいえ一度は喉元まで出しかけている。
あの時の勇気を今ここで奮い起こせばいいだけだ。
「こんな場所で言うのも変かもしれないけど」
一度言葉を切る。
続きを待ち望んでか、吾妻さんが顔を上げた。
しかしまたすぐに下がってしまう。
「俺は吾妻さんの事が好きだ」
言ったぞ。
一回口にしてしまうと、続くフレーズもせきを切ったように喉元をせり上がってくる。
「好きだから構うんだよ。好きだから困っているのを見ると助けたいと思うんだよ」
「……」
吾妻さんは再び無言を返した。
告白が不意打ち過ぎて、すぐに返事が出来るものではないだろう。
「何も答えられないのならそれでもいい。ただ俺は吾妻さんの事が好きだから、助けて欲しいと思っているなら助けるから。今は俺の気持ちだけ知ってもらえれば十分だよ」
無言のまま俺の前を立ち去る、と想定した。
だが想定とは違い、吾妻さんは顔を上げた。
何故か目尻を吊り上げた悔しそうな憤怒を浮かべている。
「誠也さんは自分が何を言っているか、理解していますか?」
「理解してるよ。自分の気持ちを正直に話しただけ」
気持ちに嘘偽りはない。
俺の言葉の何が吾妻さんの癇に障ったのだろう。
「それが困るんです。誠也さんは私の事を好きになってはいけないんです」
無理難題を言われても困る。
「そんなこと言われても、好きになってしまったものはどうしようもないよ。俺に吾
妻さんの事を忘れろっていうの?」
感情的になって言い返すと、吾妻さんは思いきり口元を歪めた。
「忘れてほしくても忘れてはくれないかもしれません。でも私の事が好きだと誠也さんは後悔します。だからせめて忘れたフリをしてください」
そんな悲しいこと出来るわけない。
「強情だと思うかもしれないけど忘れたフリさえ俺はしないよ。忘れたフリをしたら吾妻さんと過ごした時間が無かったことになるから嫌だ」
あんな楽しい時間、忘れてたまるか。
好きな人と一緒に過ごした時間は何にも替え難いんだ。
「なんでですか……」
嘆くように呟いてから吾妻さんは再び顔を下げる。
束の間、沈黙が場を占有した。
今の吾妻さんは俺の告白に戸惑っているのだろう。
「すぐに答えはいらないから。今日は俺が吾妻さんのことが好きってことだけを覚えておいて欲しい」
告げると、背中を向けて自身の履物が入ったシューズロッカーに手を伸ばした。
スニーカーを取り出して履き替え、振り返りもせずに昇降口へ歩き出す。
「誠也さん……」
かろうじて絞り出したという躊躇いの混じった声で吾妻さんに呼び止められた。
ゆっくり振り返ると、吾妻さんは決意を固めた瞳で見返してくる。
「明日です。明日には答えを出します、それまで待っていてください」
「わかった」
俺が了解すると、吾妻さんは会話が長引くのを避けるように図書室の方角へ踵を返して去ってしまった。
検討するところまで持っていけた。突き放された最初を考えるとよくこぎ着けたと思う。
明日になるのを待ち遠しく感じながら一人だけの帰路に就いた。
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