三章 図書室で二人きり
「私、騒がしいの好きじゃないんです」
一階の廊下を渡った先に図書室はある。
引き戸を開けた途端に、常に物音や話声が飛び交う教室とは明らかに漂っている空気が違うと感じた。
なんと言い表せばいいのか、静謐だろうか。とにかく静かな場所だ。
放課後なら利用する人もいるだろうが、昼休みにまで来るもの好きはいないのだろう。
いないのだろう、と思いかけて例外がいることに今さら気が付いた。
長机と椅子の並んだ読書スペースの一席から、俺を昼休みの図書室に誘った女子生徒が笑顔をこちらに向けていた。
「誠也さん。お待ちしてました」
吾妻さんが存在を主張するように顔の横へ手を挙げ小さく振った。
俺は挨拶代わりに手を挙げ返し、吾妻さんに近づく。
「こんにちは。吾妻さん」
「来てくれてよかったです」
挨拶の後、すぐにほっとした微笑を浮かべてくれる。
「誠也さんが来てくれなかったら一人でお弁当を二つ用意した変な子になっちゃうところでした」
「弁当二つあっても変ではないよ。意外と大食いだな、と思われはするだろうけど」
「そんなに食べられません」
「用意した限りは食べないとダメだよ。もったいないからね」
からかう気分で言った。
吾妻さんが困った目で俺を見る。
「誠也さんが私のお母さんですか」
「冗談だよ。さてどんなお弁当かな?」
俺は笑いかけながら向かいの席に腰を下ろした。
吾妻さんの前に二つ並んだ桃色と紺色の風呂敷に包まれた弁当箱を見る。
「片方は誰の分?」
「誠也さんの分です。わかってるのにわざと訊きました?」
「もしかしたら、とは思ってた」
「手ぶらですもんね」
俺の両手に何もないのを見て苦笑する。
「もし私が弁当を用意してなかったらどうするつもりだったんですか?」
「購買で買う金ぐらいは持ってるよ」
「こんな時間から買いに行っても、良いもの残ってないんじゃありませんか?」
「そこはそれ。一食ぐらい食べなくたって死にやしないよ」
まあ、空腹を我慢することになるのは確実だけど。
「良かったですね。期待が外れなくて」
「昨日食べた吾妻さんの弁当美味しかったからね。期待しちゃうのも無理はないよ」
出来ればまた食べたい、そう思うぐらいに吾妻さんの弁当は美味しかった。
俺の言葉に吾妻さんは頬を緩める。
「そう言ってもらえると素直に嬉しいです」
少々照れを感じたのか弁当箱へ視線を外して、紺色の風呂敷に包まれた方の弁当箱を俺の前へ押し滑らせた。
「それでは食べましょうか。どうぞ」
「ありがとう」
礼を言って受け取り風呂敷を解く。
昨日と同じ二段重ねの弁当箱。一段ずつに並べて片方の蓋を取る。
卵焼きと豆の煮ものと鶏肉の腿を使った照り焼き。
「そちらはおかずです。昨日はハンバーグだったので今日は鶏にしてみました」
なるほど。そういう意図で鶏肉か。
「俺は豚よりか鶏の方が好きなんだよ」
「そうですよね。明日も鶏肉を使ったおかずにしましょうか?」
「明日?」
どういうことだ。
家まで送ったお礼と言うには今日だけのはずでは?
俺の疑問に答えるように、吾妻さんは嬉々と顔を綻ばせた。
「美味しいって言っていただけると、また食べてもらいたくなるんですよ」
「だから明日も作るって言ってるの?」
「明日も明後日も作ってきます」
そんなことを笑顔で宣言した。
女子の作った美味しい弁当が連日食べられるなんて夢のようだが、俺は無遠慮に受け入れるほど図々しくはない。
「作ってきてもらえるのは嬉しいよ。でもそんなに何回も悪いよ」
「いいんですよ。私が勝手に作って食べてもらいたいだけですから」
食べてもらいたい、ときた。
断りづらくなったがせめて対価だけでも。
「お金ぐらいは払わせてよ」
「気にしないでください。私は作って誠也さんに食べてもらうだけで充分なんです」
ほんとうに返礼はいらない口ぶりだ。
けれども俺だってタダで施しを受けるつもりはない。
「何かお礼ぐらいはさせてよ。俺の方は昼食代が浮いた分の金額残しておくから」
即物的な返礼だが、妥協点としては悪くないだろう。
「お礼って何でもいいですか?」
迷ったように訊いてくる。
「俺に出来る範囲ならね」
「考えておきます」
そう言うと話題を打ち切るように桃色の風呂敷を解いた。
「遅くならないように食べましょう、誠也さん」
確かに。そろそろ食べないと昼休みまでに食べ終えられないかもしれない。
お互いに食べ始め、箸を動かす音だけが室内に響く。
しばらく吾妻さんの方から喋り出すのを待ったが、吾妻さんは食べるのに集中して喋り出す気配はない。
やむを得ず俺が話題を振ることにした。
「ねえ吾妻さん」
「はい。なんですか?」
弁当箱から顔を上げて訊き返してくる。
こちらの話を聞くためか箸をわざわざ弁当の縁に渡しかけた。
食べながらでいいんだけど。
「図書室って静かだね。いつもこんな感じ?」
「いつも静かです。それがどうかしましたか?」
「静かなのはいいんだけど、どうして吾妻さんは図書室で食べるのかなって思って。教室でもいいと思うんだけど」
「私、騒がしいの好きじゃないんです」
吾妻さんは表情を変えずに答えた。
「へえ、そうなんだ」
何と返すのが正解かわからず、俺は差し障りのない相槌を返すにとどめた。
俺の反応に戸惑いを感じ取ったのか、吾妻さんは顔に笑みを見せる。
「でも一番の理由は新聞や小説を読みたいからなんです」
おそらくはそれが本心なのだろう。
騒がしいのが好きじゃないのならば人の少ない場所は他にもあるからな。
「吾妻さんって読書よくするの?」
「こっちに来てから読むようになったんです。時の流行とかニュース記事を読むといろいろためになるんです」
笑顔で答えてから俺に視線を据える。
「誠也さんは日頃何か読みますか?」
「空気ぐらい。読書はあまりしないかな」
返答してからそういえばと思い出す。
「小学生の頃は読書をよくしてた気がする」
「小学生の頃ですか。どんなもの読んでたんですか?」
「子供向けの本だよ。題名も忘れるぐらいだから、そこまで真剣に読んでないのかも」
「無理もないですね。小学生の頃の話なら」
吾妻さんと喋りながら俺は会話の合間に弁当の中身を頬張っていた。
話す間は箸を止めていた吾妻さんより先に食べ終わってしまう。
「弁当箱、預かりますね」
俺が食べ終えたのを見て、吾妻さんが弁当箱を引き寄せた。
風呂敷で包み直すと自身の弁当箱の傍に置く。
「全部食べてくれましたね。ありがとうございます」
「美味しかったよ。こちらこそありがとう」
俺の方も礼を言うと、吾妻さんは照れたように微笑んだ。
食べるだけで喜んでもらえるなんて、もしかしたら今の俺は結構な幸せ者かもしれない。
「貰うだけじゃ悪いから、お礼の件何か考えておいてね」
「わかりました」
請け合うように頷いた後、楽しい事を思いついたかのように笑った。
「明日までには考えておくので、明日のお昼も来てくださいね」
「返事を聞きに明日も来るよ」
それからは授業や先生の話題でひとしきり談笑しながら、吾妻さんが食べ終るのを待って図書室を出た。
五分前には教室に戻ると、明日の返事を心待ちにしている自分を見付けて急に照れ臭くなり、男子の馬鹿話に首を突っ込んで気を紛らわした。
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