だーい好き

第3話

どうしてこんなことになってしまったのだろう。


恐怖におびえるだけの私を撫でる千さん。


「震えないで。俺が悪いみたいじゃん」


何をどう考えても千さんは悪い人だ。


それなのに自分を正当化しようとする姿に狂っていると感じた。


「樹里ちゃんは優しいから、俺みたいなやつにも笑ってくれる。だからだーい好き」


笑顔が向けられても顔は強張るばかりだった。


「初めて会ったのはコンビニだよ。俺がコーヒー買って出ようとしたらゴミ捨てをしてたんだ。俺に気付いて”ありがとうございました”って言ってくれたんだ」


コンビニのバイトは接客業。


ただマニュアル通りのことをしただけで私の人生は狂ってしまったらしい。


「今度はレジをしてもらった時。一生懸命な姿が可愛かった。最近は…そうだ、プリン美味しかった?この前のおじさん怖かったよね」


その話から連想された日はあの日だった。


煙草を買いに来たおじさんに怒鳴られたが、客の一人に助けられた。


その人は私にプリンをくれた。


「じゃあ…好きなものを知ってたのって」


どんどん顔が青ざめていくのが分かる。


「うん、何でも知ってるよ。好きな本も食べ物も、勉強は少し苦手だけど努力をする真面目ちゃん。真面目ちゃんだからこそ…そういう経験がなくて焦ってる」


服の中にゆっくりと入って来た手はいやらしく動いた。


「離してよ、このこと誰にも言わない。無かったことにするから」


私の言葉を聞いた千さんは低く、冷たい声で”は?”と言った。


何か地雷を踏んでしまったらしい。


「俺との出会いを無かったことにするって事?樹里ちゃんが俺の部屋に来たことも、お風呂に入ったことも、ベットで寝てたことも。全部なかったことにする気?」


早口でそう言う千さんは本当に頭がおかしい人だ。


一気に私との距離を詰めて、私の目から視線を離さなかった。


「あ、お礼の件の内容、考えたよ」


狂気じみたその笑顔はまるで悪魔のようだった。


「ここで一緒に暮らそう」


大きな体で私を抱きしめる千さんを押し返そうとしたがびくともしなかった。


「出来る限りって言いました。嫌です」


その抵抗は虚しく、鋭い目つきでそれ以上怒らせてはいけないと警戒した。


床に落ちたスマホから通知音が聞こえた。


勢いよくスマホを手に取ると合コンで私と話してくれた男の子から電話がかかってきていた。


「た、助け…」


「もしもし?この前の男?これ以上俺と樹里ちゃんの時間を邪魔しないでくれるかな」


すぐにスマホを取られて、助けを求めることは出来なかった。


電話を切ると千さんはスマホを自分のズボンのポケットにしまった。


「樹里ちゃんは俺の事、嫌い?」


「嫌い」


即答すれば少しだけ寂しそうな顔をした。


「あんな男より、俺の方がずっとずっと樹里ちゃんのことを愛すよ。樹里ちゃんと初めての経験たくさんしたいし」


どうして私をそこまで好きになれるのか分からなかったが、もう私にはどうすることもできないのではないかと思い始めた。


「さぁ何したい?ご飯食べたい?ゲームしたい?それとも初体験しちゃう?」


色っぽい目でこちらを見る千さんに”家に帰りたい”と言った。


「それは無理だね」


きっぱりと断られた私は体育座りで小さくなった。


いつか助けが来ることを願ってこの時間を耐えようと思った。


「あんまりそういう態度取ってると…俺も優しくしてあげなくなっちゃうよ?」


「千さんに優しくされたくない」


震える声で必死に絞り出した言葉だった。


「…そう。じゃあ俺はあっちで仕事してるからね」


こんな狂った人がまともな仕事をしているはずがないと思いながら、それ以上の詮索はきっと許されないだろう。


大人しく部屋で座っていると段々お腹が空いてきた。


ニュースをつけて私の誘拐事件が放送されているか確認したが情報は何もなかった。


もしこのまま誰にも見つけられず千さんと二人で暮らすことになったらどうしよう。


その前にきっと私の家族や友達が不審に思って警察に被害届を出してくれるだろう。


隣の部屋で仕事をしていると言っていたのでそこから離れた壁で体育座りをしていた。


「あれ、まだそんな感じなの?お腹減ったでしょ。仕事も終わったしご飯食べよう?」


にっこりと笑う千さんに、戸惑いながらも渋々後ろをついて行った。


空腹はとうの昔に過ぎていて、のども乾いていた。


「はい、お水飲みながら待っててね」


手際よく料理をする千さんは普通にしていればそこら辺にいる普通の男性にしか見えなかった。


綺麗な顔立ちで、ルックスには申し分ないはずなのに犯罪者だ。


「ちょっとトイレに行ってくる。その間、火に触っちゃだめだよ」


幼い子供に言うようなセリフを言って、トイレに向かった千さん。


千さんが部屋から出てから、私は奇跡が起こったと思った。


「スマホ」


私のスマホをキッチンに置いて行ったらしい。


ゆっくりと音をたてないように立ち上がってスマホを手に入れた。


しかし、希望というのはすぐに失われる。


朝は心配のメッセージがたくさん来ていたのに今はもう何も送られてきていなかった。


”警察に言う?”


”未成年飲酒バレるかもじゃん”


”大丈夫っしょ。どうせそいつも体目当てだろうし”


”飽きたら解放されると思う”


皆、自分の都合ばかりだった。


自分さえ守られていれば私のことはどうでもいいらしい。


「ママなら…」


”帰ってこないなら連絡してよ”


”どこかで遊ぶのはいいけど責任もってね、もう大人なんだし”


違う、そういう言葉が欲しいんじゃない。


私は一言心配の言葉があるだけで安心できたはずなのに、もう私の心は崩れてしまった。


「所詮その程度の愛だったのかな」


ゆっくりとスマホをもとに位置に戻して椅子に座った。


ドアが開いて千さんは戻って来た。


「どうしたの?具合悪い?」


さっき自分がしたことをバレたら、千さんを怒らせてしまうかもしれない。


「何も…ない」


悟られないように私はそう言ってテーブルに顔を伏せた。


「樹里ちゃん、顔を上げて」


頭を撫でる千さんの手は温かかった。


顔を上げると千さんと目が合った。


「俺はずっと樹里ちゃんが好きだよ。何してる時も一番に浮かぶのは樹里ちゃんだし、何があっても樹里ちゃんと一緒なら大丈夫」


真っ直ぐその言葉は私の心に届いた。


「ずっと…?好き?」


「うん、ずっとだーい好き」


手を大きく広げて愛の大きさを表現して見せた千さん。


「私も…大好き。捨てないで、忘れないで」


自分が良ければすべてよし何て人ではなく、私のことを一番に考えて欲しい。


「本当?嬉しいな。これから色んなことしてくれる?」


千さんの喜ぶ顔を見て私は何だか嬉しくなった。


「…今夜、樹里ちゃんの初めてもらってもいい?」


色っぽい千さんは耳元で囁くようにそう言った。


「今が良い。すぐに。大事にして」


千さんに出会えてよかった。


千さんが私を好きでよかった。


私の心のピースが埋まったように感じた。


「千さん、だーい好き」

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