第5話
Ⅰ【今はさよなら】p5
ゆっくりと湯船に浸かりながら、浴室の真上にある星子の部屋から聞こえてくる深雪の好みらしいロックをBGMに、星子と深雪の微かな話し声、そして時折爆発する笑い声を楽しんだ。
入浴後、いつもならそそくさとマイルームに引き揚げるプロセスの中に、居間のソファでどっかり新聞を広げ、煙草を燻らすひとときを組み込んだ。
普段は生乾きのままにしてしまう髪の毛も丁寧に乾かした。
深雪との逢瀬を切望しながら、それが叶わなかった今までに比べて、必ずすぐ傍らまで行ける確信を抱きながら待つこの時間など、無いに等しいと感じた。
ゆっくりと階段を登る。
一段一段踏みしめて……
俺の存在に気づいてほしくて、わざとはっきり音が出るようなやり方で。
深雪好みの音楽が、深雪の声が、一段づつ近づいてくる。
二人の会話が一瞬途切れた。
踊り場に着いて、俺はマイルームのドアを開けた。
ギーと軋む音が響く。
俺が自分の部屋に入ったことを二人が確認している気配を感じながらドアを閉める。
あぁ……俺の存在を深雪に知らせることが出来たんだ。
俺は満足感に浸りながら再び始まった二人の会話に耳を傾けた。
普通に喋れば内容も分かる距離だ。
でも二人は寝床につく俺の為に可也声を落としてくれていたので、話の内容は分からなかったが深雪の肉声をはっきり聞き取ることができた。
穏やかで深くて静かな、けれど決して弱いものではなく、内面に秘めた激しさを物語るように自分を圧し殺したものを含む声だった。
深雪……君はきっと表に出せない、とてつもなく鋭い、刃物のような感情を抱いているのだろう。
爆発寸前の苦しみを抱えているのだろうか………
いいよ無理しないで………
君は君らしく、もっと強く主張していいんだ。
良い子になんかならなくていい。
穏やかさを装わなくてもいい。
君の中にあるものを、その声で吐き出してごらん。 せめてこの場所では………
誰も驚きはしないさ。 叱りもしない。
そうしてくれれば凄く嬉しいんだ。 俺も星子も。
君と血が繋がっているのは、父親と妹だけだと星子が話していたことを思い出す。
つまり継母ということだ。
看護師をしている妻は、日中の時間がなかなか取れないので、星子に関わる行事には比較的自由に時間を使える俺が参加するようにしていた。
授業参観等にも頻繁に行った。
役員も引き受けた。
その時俺の他に唯一参加してたいた父親役員が深雪のお父さんだったこともある。
ただ、深雪と深雪のお父さんの繋がりを知ったのは深雪と星子が高校に入って、星子の口から深雪の話を聞くようになってからだ。
お父さんは心理学者だったね。
男同士ということもあり、お父さんと話す機会はけっこうあった。
彼と話しているうち、俺なりに感じることもあった。
立派な肩書きや風貌とは裏腹な面も見ている。
家庭の事情もある程度は知っていた。
だから深雪が荒れていると星子から聞いた時は納得したものだ。
星子の部屋では、音楽と二人の会話が続いている。
このまま時間が止まればいい………
ホッとしたような深雪の 軽やかな笑い声を聞きながら、一旦は布団に入ったが、深雪が居るというのに眠るのが勿体無くてすぐ起き上がった。
既に午前2時を回っていたが、目も頭も冴え冴えとしている。
俺は仕事机に向かい、俺好みの曲を流しながら、今しなくてもいい仕事に手を付け始めた。
深雪に俺の趣味を知ってほしかった。
少しでも俺の気配を感じさせたかった。
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研治さん……… 私、もう行かなければならない……
私の肉体は既にこの世界には無い。
つづく
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