第33話
各地での迷宮の出現以降、冒険者登録をする者は増加したが、冒険者の数が爆発的に増えているかというと、そうではない。
それは、冒険によって大ケガを負い引退を余儀なくされたり、命を落としたりする者もいるからだ。冒険者になって間もない者の死傷率は圧倒的に高い。
(シンガ村近くに出現した「山麓の洞窟」は、初心者向けの迷宮だったはず…)
最深部のホブゴブリンは狂化していて少々厄介だったが、他に手こずるような魔獣はいなかったし、迷宮内のマップも複雑なものではなかった。
だからと言って少しでも油断すると、判断を誤り、それが最悪の結果に繋がってしまうが。
――…そのまま、帰ってこないやつもいるけどね。
夕食後、部屋に戻ってからも、女将の言葉が頭から離れず、ミハルはやるせない思いで唇を噛み締めた。その時、
「あ…」
背中からふわりと逞しい腕が延びてきて、我に返る。
「ミハル」
「ん…」
こめかみに触れる唇の感触と、背中から伝わる温もりに、体の強張りが弛んでいく。
「…ライ…あ」
ライトは、ミハルの首筋にくちづけ、華奢な手や腕を優しく擦った。
「こちら」での生活の方が身近なライトは、
二人でいるとき、ミハルに触れる手には遠慮がなく、肩や腰に手を回したりというのは日常茶飯事で、息をするように額や頬に口付けてくる。
(キスだって…。いや、
それは、海外生活があったからだろうか。
どちらかの部屋にいるときには常に体のどこかに触れられていたような気がする。
「ん、ちょっ…」
ライトの手が、ミハルの脇腹や胸などをまさぐり、唇が首やうなじを這う。
「それは、や、やり過ぎ…!」
いたずらを繰り返す唇と手から逃れようと、ミハルは身を捩った。
「ふふっ…」
ライトは笑って、ミハルの腹の前で両手を組み直す。
「…もう大丈夫か?」
「…ん…」
こめかみに口付けられ、ミハルは、ライトが気を紛らしてくれたのだと気付く。
体の向きを変え、広い胸に顔を埋めると、今度は
顔を上げ、その胸板に手を当てると、ミハルの意を察したライトがそっと唇を重ねてきた。そんなふうにねだることができるくらいには自分もスキンシップに慣れてきている。
見つめ合い、ライトが囁く。
「…誰かの人生の責任は、その誰か本人にある。『何もできなかった』なんて思うことはない」
「ん…」
ミハルはライトの言葉に頷き、今度は自分から唇を重ねた。
◇◇◇◇
シンガ村は、以前は農業の方が盛んだったが、近くに街道が作られ、魔獣の駆除が行われて以来、細々と行われていた畜産と酪農も発達を見せた。
元々の産業のおかげで飲食業も充実しているため、そこに宿泊施設などが整備されて、旅の中継地点としても賑わうようになった。このところは拠点にする冒険者が増えたことで、鍛冶屋や道具屋も繁盛しているらしいが、それにはマウロー商会が絡んでいるらしい。
マウロー商会と村長の間で約定が交わされ、質の良い畜産物や乳製品を優先的に仕入れられるようにした代わりに、道具の卸しを融通したり、職人を斡旋したりしている。最近では、迷宮で新素材が見つかったりすると、マウロー商会が率先して鑑定、買い取りを行っているとのことだ。
――会長とシンガ村の村長とは、昔からご昵懇のようでして…
特産品や素材の流通に関することだから、商業者ギルドもなんらかの関与はしているのだろう。
(そういうことか…)
村人達から話を聞き、オーマとシンガ村村長の関係はなんとなく見えてきた。
村長自身については、
「よそ者のくせに」
と悪し様にいう者が多かった。前の村長がどこからか連れてきた娘婿らしいが、その辺りを詳しく知るものは少ない。
「口が回る、小賢しいだけのやつだと思ってたがなぁ…。村長になってからは、ずいぶん高飛車な態度を取りやがる」
そう言ったのは酒場の亭主だ。
村の運営は、前の村長から引き継がれてきたものをそのまま受けついだだけだったのが、このところは大きな商会と繋がりを持ち、私腹を肥やしているようだ…というのがもっぱらの噂だ。
「そんなことに頭が回るようになったのかと、むしろ感心したがな」と、亭主は皮肉たっぷりに言った。そして、
「早く代替わりすりゃあ、いいんだが」
ため息をついた。
畜産物、乳製品に関しては、商会と村長の取り分が大きく、不満の声も上がっている。が、今のところ、酪農家や畜産家が食うに困るような事態にはなっておらず、裕福ではないにしろ、収入はまあまあ安定しているようだ。だから、下手に逆らって自分たちの首を絞めるような事態を避け、とりあえず従っているとのことだ。
村長とオーマの間に利害の一致があるらしいことは分かった。
だから、大事な取引相手であるオーマが行方不明となっているのに、村長の方に動きがない、というのが少々気になるところだった。
村の様子をうかがいながら、それとなく情報収集を行い、今のところ人々の暮らしが脅かされているということがないことに、ミハルはほっとした。
その後は、教会に向かった。
教会は、ゲームの中では「セーブ」と「蘇生」ができる場所だったが、この世界の教会はちゃんとした宗教施設である。祀られているのは「神の子」。それは荒れ果てた世界を作り直したと言われている存在だ。
この国の王族はその子孫と言われており、「神の子」は、この国で唯一の信仰対象だ。
王家と教会との繋がりは密接なのだが、表向きは独立した組織ということになっている。
また、子どもたちの手習いや診療所のような役割も担っている。
辺境都市ローサや王都であるダンテのものとは比べるまでもないが、各地に点在する町や村の教会も、規模は様々だがその外観はいずれも立派なもので、シンガ村の教会も例に漏れず、町で一番大きくて豪奢な建物だった。
「…ええ、ええ、確か十日ほど前…」
教会の事務官をしているという男性から話を聞き、ダレイらしい人物が保護されていることが確認できた。
「発見したのは、旅の行商人でして…」
その行商人は度々ローサにも立ち寄っており、たまたまダレイのことも見知っていたが、
「確信はない、と…」
おそらくらローサに知らせを持ってきたのもその行商人だろう。
「東門の外で、傷だらけで倒れられていたそうで…。とにかくひどい怪我で。それと、まあ、なんと言いますか…」
事務官が言葉を濁したので、ライトが単刀直入に尋ねた。
「面会はできるか?」
事務官の男性は一瞬、表情を曇らせたが、
「…はい…。ああ、君…」
と、若い女性を呼び止めた。診療所の看護士らしい。
「この方達を奥の、あの男性の部屋に…」
「え、あ…」
若い看護士は、ライトとミハルの姿を見て一瞬ぽうっとなり、それから慌てて、
「は、はい、どうぞこちらへ…」
と、廊下を先導した。
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