冒険者?いえ、受付係です

@migimi

第1話 

連日の残業で寝不足気味だった。課長からのお小言の途中、軽い頭痛を感じて、つい目頭を押さえたら、

「高藤、聞いてるのか?!」

課長にその手を振り払われた。

そんなことは日常茶飯事だったが、その時はそのやりとりが行われたのが階段のすぐそばだったのは、運が悪かった。

手を振り払われたはずみで、最上段から足を踏み外した。

(あ、やばい…)

そう思って伸ばした手は、手摺を掴み損ねた。体が中に浮き、背中から落ちた。階段の真ん中辺りで一度、後頭部を激しく打ち付けて、そのまま勢いよく下の踊り場まで転げ落ちた。

(いってえ…)

体の中で、何度か鈍い音がして、痛みで動けない。視界が赤く染まり、全身が心臓になったみたいに、ドクドクと脈打っている。

遠くの方で悲鳴とか怒鳴り声がしていたが、それも、すぐに聞こえなくなった。

(…これ、死ぬ?…冷蔵庫の作り置き、無駄になったな…。ああ、サ習目前のあのゲーム、ログインできてないや…。俺、今日、誕生日じゃん…。…そういや、「話がある」って、あいつから…メッセージが…)

色々な思いが浮かんでは消えていく。盆やりとした視界に「あいつ」の顔が入り込んだ。

顔を歪ませて、しきりに何か言っているが、よく聞こえない。

あいつの言葉を想像して、俺は苦笑いした。表情筋が仕事していたかどうかは分からないけれど。

今夜、久しぶりに会うはずだった。今まで、急な残業のせいで、ドタキャンが続いていたけれど、今日だけは会うつもりでいた。

(恨み言かな…?無理もないか…。きっと今日、「終わり」にするつもりだったんだよな?…なのに、最後までこんなで、…ド約束守れなくて…)

「ごめ、ん、な…、あ、き…」

「あいつ」への言葉が、ちゃんと声になったかも分からない。

真っ赤だった視界が、あっという間に暗闇に沈む。


ーここじゃない世界を、生きてみる?ー


不意に、少年のような、女性のような声がした。自分の声すら聞こえなくなっていたのに、その言葉だけは、なぜかはっきりと耳に、頭に、心に響いた。

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