21

 この神聖都市アレクサンドリアを支配しているのは、かの有名なアレクサンドロス様だ。


 彼は先祖から支配権を受け継ぎ、一族でこの地を支配して……きたわけではない。

 人間ヒューマンに近しい見た目をしているが、実は神と人間のハーフデミゴッドなのだ。そのため寿命が長く、何百年もの間、この都市を治めてきた。


 今まで見てきたどんな人の髪よりも明るく、艶のある金髪で、背は高く、彫りの深い顔立ちは整っている。

 まさしくハンサムの象徴。

 きっと、数多の女性達を虜にしてきたんだろうな。


 中でも、海と空を足して2で割ったかのような綺麗な碧眼は、濁りがなく澄み切っている。


 だが、はっきり言おう。







 俺はアレクサンドロス様のことが大っ嫌い・・・・だ。







 別にその美青年ぶりに嫉妬しているわけじゃない。


 じゃあ、どうして俺はやつのことが嫌いなのか。







 母親のかたきだからである。







 俺には親がいない。

 というか、もういない。


 少し前まで、俺は優しい母親に支えられて幸せな生活を送っていた。




 ***




「オーウェン、これ見て! 今日はこーんなに稼いだのよ!」


 母さんは世界で1番優しくて素敵な人だった。

 

 俺のクズの父親は、母さんが妊娠したと知ると無責任に姿を消し、全てを押し付けたそうだ。

 本気でそのクズを愛していた母さんはその時、絶望の底に突き落とされた。


 だが、そんな絶望から母さんを救ったのは俺の誕生。


 純粋な息子の笑顔を見て、俺をひとりで立派に育てる、と心に決めたそうだ。そうして実際、母さんの愛を受けて俺はぐんぐん成長していくことができた。


「ママ、すごーい! おれも大きくなったらママみたいに勇者パーティーに入る!」


 この時俺は6歳だった。


「オーウェンならなんでもなれる! きっとママなんかよりずーっと凄い人になるよ。オーウェンは勇者に向いてるのかも」


「ゆうしゃ?」


「勇者はね、世界を魔王から救う英雄ヒーローなのよ」


 母さんが所属していた勇者パーティーは本当に小さな規模だった。

 だが、優しそうな仲間メンバーに囲まれているようだったし、実際彼女も満足そうに話してくれる。


 生活はなんとかできていたが、やっぱり貧乏ではあった。


 たくさん稼げた、といっても、やっと少し貯金ができる、程度のものだ。


「ママ、聞いて! おれ、大きくなったら英雄ヒーローになる! で、ママを助けて、ママと結婚する!」


 俺の無茶な言葉に、母さんは微笑んだ。

 そこには俺への無限の愛が込められていた。


「そうね。ずーっと待ってるから」


「うんっ!」


 その頃の俺は無邪気だった。

 まあ、6歳なんだから当然だ。


 世界の闇を、まだ知らなかった。

 母さんの笑顔が見れなくなることも……。




 それから数日たった。


 俺の7歳の誕生日だった。

 早く帰ってきて祝ってくれるはずの母さんも、まったく家に帰って来る様子はない。


 仕事が忙しいことはわかっていた。幼いながらも、母さんが無理をしてお金を稼いでくれていることはわかっていた。それでも、俺の誕生日の時ぐらい、帰ってきてくれてもいいじゃないか。魔時計の針が進んでいく。


 気づけば家を飛び出していた。


 母さんの馬鹿っ!

 母さんの馬鹿っ!


 心から恨んだつもりはないし、憎んだつもりもない。


 だが、俺は裏切られたような気持ちになっていた。


 外は土砂降りだった。

 暗いし、雨で前がよく見えない。


 雷が鳴り響き、急いで道を歩く市民の足音が、街中に響く。


『Eランクのゴミパーティーの魔術師ごときが、調子乗ってんじゃねぇ!』


 乱暴な声と共に、誰かが殴られる音がした。

 大柄で強そうな男に殴られた女の人は、抵抗することなく地面に倒れた。


 抵抗?


 力の差があり過ぎて、できなかっただけだ。


 そしてそれは、俺の母さんだった。


「母さんっ!」


 慌てて駆け寄ろうとする。

 どうして母さんを殴るんだ? 何も悪いことなんてしないのに。


 疑問と怒り、混乱が渦巻き、勝てるはずもない相手に殴り掛かる。小さく無力な7歳児の、無意味な抵抗だ。


「だめっ、オーウェン! ママは大丈夫だから……」


 後から聞いた話によると、母さんを虐めていた男は今日の地下迷宮ダンジョンで母さんのパーティーに報酬を横取りされたそうで、1番弱そうな・・・・母さんに八つ当たりしていたそうだ。

 母さんはランクが低かった。


 E3ランク。


 下の下である。


『そこで何をしている?』


 背後から声が聞こえた。

 今度こそ、救世主が来てくれた。母さんを救ってくれる英雄ヒーローが来てくれたんだ。そう思った。


「――っ! アレクサンドロス様っ! どうしてあなたがここに!?」


 虐めていた男が、はっとした様子で固まった。

 人生終わった、とでもいうような驚きぶりである。


 英雄ヒーローは金髪に碧眼の格好いい青年だった。


「私がいつも館でくつろいでると思ったか? 少し街の外に用事があったものでな」


「アレクサンドロス様……お助け……ください……」


 母さんは吐血していた。

 少し腹が立ったからといって、ここまで傷つける必要はないだろう。


 どうしてこんなことを……


 救いを求めるようにアレクサンドロス様を見上げる母さん。

 俺もそれに倣った。


 この人なら、母さんを苦しめるやつらから母さんを守ることができる。

 権力がどうこうとか、そういうことは知らなかった俺だが、アレクサンドロス様が救世主だと信じて疑わなかった。


「弱い者が何を言っても無駄だ」


 僅かな沈黙の後、放たれた場を凍らせる一言。


「この都市で、勇者パーティーに所属する者はランクで全ての価値が決まる。私に救いを求めて何になる? 自分の身も守れない弱者が、救いを求めるな」


 大雨に打たれ、冷酷な瞳は俺と母さんを見つめていた。

 そこに感情はない。

 あるのは冷たさだけだ。


 そうしてアレクサンドロス様は俺達の前から姿を消していく。

 あっという間だった。




 ***




 嫌なことを思い出した。

 顔を横に細かく振って、頭からあの記憶を吹き飛ばす。


 あの後のことは――あの後のことだけは絶対に思い出したくない。この世界がいかに残酷で、狂気に満ちているのか。それを知った暗い記憶。思い出しても辛くなるだけだ。


「もしかしたら今日、アレクサンドロスあいつに会えるのかもしれないな」


 クロエの救出前。

 この都市の支配者の館の前で、小さく呟いた。

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