思い出②

 夜の山に入るのは初めてだった。勿論街灯などはなく、唯一の光源である月明かりでさえ頭上を覆う枝葉が殆ど遮ってしまう。


(アイツ……何処にいるんだよ)


 日中に俺が歩いた道をたどり、柴咲を探す。だが、夜の山というのは想像以上に不気味だった。

 歩き慣れたはずの山道は、昼間とは全く別の表情をみせ、まるで異世界への入り口の様にも感じられる。だが、柴咲アイツはもっと怖い思いをしているかもしれない。そう考えると、自然に足が動いた。

 足元に気をつけながら暫く歩いていると、何処からか啜り泣くような声が聞こえてくる。雉鳩と虫の鳴き声、それから草木が風で擦れる音。それらに混じって少女の鳴き声が確かに聞こえたのだ。

 細心の注意を払い、声のする方を目指す。すると、大きな杉の木の根元でうずくまる柴咲の姿があった。


「お、おい。大丈夫か?」

「え?……うわぁぁーーん!!」


 俺の姿を見るなり、彼女は大粒の涙を流しながら抱きついてきた。そして、それからが大変だった。

 しがみつく彼女を連れて、慎重に山を下っていく。そして、安全な場所に来る頃にはすっかり遅い時間帯となっていた。そのため、村では有志による捜索隊が組まれ、俺が祖父母の家をでた頃より、更に大事になっていた。


「じーちゃん、ばーちゃん。……あの、見つけたよ。迷子の子」


 家に帰ってそのことを伝えると、祖父は慌てて村の捜索隊に報告に行き、祖母は泣きながらでっかいおにぎりを用意してくれた。後から聞いたが、どうやら俺も行方不明者に数えられていたらしい。

 次の日、柴咲は黒いスーツの大人を連れて礼を言いに来た。そこで彼女は、もじもじしながら俺の前に歩みでる。


「あの……、昨日はありがとうございました。それで、ですね?わたしやっぱり、あなたとお友達になりたいんです。……駄目、でしょうか?」


 後ろの黒服の目もあるし、何よりわざとではないにしろ、山に置き去りにしたという負い目がある。だから俺は、彼女のお願いを渋々承諾したのだった。


(まあ、また危ない所に行かれても困るしな)


 その日から、俺達は毎日の様に行動を共にした。最初は乗り気じゃなかった俺も、日を追う毎に彼女といるのが普通になっていった。俺達としては、常に黒服の監視があるのは煩わしかったが、それもいい思い出だ。

 そしてあっという間に二週間が過ぎ、別れの日がやって来た。


「嫌です!帰りたくありません!」


 柴咲達が帰る日。見送りに来た俺の服を握りしめると、彼女はそんな駄々をこね始めた。


「我が儘を言わないでください、お嬢様。それにそんなに引っ張っては斎藤様の服が伸びてしまいます」

「構いません!……ね!一輝さんは服が伸びるのとわたしと離れるの、どっちが嫌ですか?」

「えっ?……なに、その二択?」


 突然の質問に一瞬呆けてしまう。だが、ミシミシと俺のTシャツが悲鳴をあげ始めると、慌てて彼女を制止した。


「ま、まあ!一旦落ち着けよ、楓!な?」

「は、はい……」


 服を握る力を緩めると、彼女は悲しそうに下を向いた。


「わたし、実はこんな風にお友達と遊んだのは初めてだったんです。だから、帰るのが寂しくて……」

「そっか。でもさ、またいつか会えるって」

「本当、ですか?」

「ホントホント!お互い名前も分かってるんだし、もし見つけたら俺の方から声をかけるさ」

「……わかりました」


 柴咲はぐっと何かをこらえると、俺の服から手を離す。その代わりに、俺の右手を両手で掴んだ。


「わたし。あの夜の山が本当に怖かったんです。今でも夢に出ては寝付けない日があります。でも、いつも最後には貴方が来てくれて、それで気が付くと眠っているんです。……あの日の貴方は、まさに王子様でした」


 俺の右手を握る両手に力を込めると、柴咲は潤んだ瞳をこちらに向ける。


「ですから、あの……。わたしが大きくなったら、結婚してください!!」


 力強く彼女はそう言った。そんな彼女に対し、俺は……。

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