第一章 異ソウの女児と異彩の落ちこぼれ
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『それでは、続いてのニュースです。連日発生している異能力者による非能力者への殺傷事件により、異能嫌敵派の活動は増々激化し、各地でデモや異能力者への襲撃が相次いでいます。あと二ヵ月で異無日本内戦終結二十二周年を迎える日本ですが、未だに異無間の間には暗雲が立ち込めており、世間からは応酬の繰り返しによる第二次異無日本内戦の勃発を危惧する声が上がっており、民間人の不安は日々高まるばかりです。これに対し日本異能犯罪武装対策局は――』
マスメディアは人々の不安を煽る内容ばかりを発信している。しかし事実、最近の日本には明るい話題など一切上がってこない。国内の雰囲気がどんよりと落ち込みつつある中、
地上波放送のそのニュースは、渋谷のスクランブル交差点を囲う建築物の超巨大モニターを介して大音量で発信された。
「まったく、二十二年前の内戦で、対異能機関が敗戦なんぞするから異能力者共がつけ上がるんだ。日本が異能力者に乗っ取られかけている」
右隣に立つふてぶてしい体格をした中年男が過去を詰る。桜太郎にとって、中年男の言葉は耳に痛い。彼は二十二年前、志願学徒兵として異無日本内戦に動員された男だった。前触れはありつつも唐突に開戦した戦いの途中から参戦し、敗戦当時も戦場にいた。
「いやいや、そんな風に言っちゃだめですよ。みんながみんな、俺たち非能力者を皆殺しにしたいって考えを持ってるわけじゃないんですから」
中年男の後輩だろう若い青年がフォローを入れる。大丈夫だろうか、反感を買わないだろうかと桜太郎は心配になって、目線を斜め下に向けて二人を盗み見た。想像通り、青年に反論されたことにより、中年男は気分を害したようである。瞼の重い脂肪により狭まった目の色を変えて、青年を睨んでいた。
「京東の復興だって、異能力者たちの力が必要不可欠だったったんですから。結局は、善も悪も異能の使い様によるし、何より人によるんですよ。俺の友だちにB級念動力者っがいるんですけど、車が脱輪した時にヒョイッと浮かせて助けてくれたし」
「内戦を知らん世代には、あの敗戦の悔しさを理解できないだろうけどな……」
「授業で習いましたし、個人的にも調べました。京東都三区(
「知ってる、そんなことくらい」
異能力者と非能力者が勢を成し、異無日本内戦は勃発した。二か月間という短期戦にも関わらず、民間人や非能力戦闘員問わず甚大な数の死傷者数を出した。主戦地となったのは、京東都・
桜太郎が派遣されたのは京東の八光区だった。つまり、夕日新聞の見出しが大々的に報じた敗戦確定時の光景を生目で見た。
――地獄は青い。終戦当夜、そう思った。白い火飛沫を上げながら逃げる間もなく猛スピードで広範囲に拡大する深く高い蒼い炎。蜃気楼に歪む満月。負傷した同期を戦場から逃がすために高層建築物の屋上に上がり、救助を待っていなければ、蒼炎の大津波に溺れて焼け死んでいたことだろう。仲間の負傷という不幸中の、それによってたまたま生き延びることができたという幸いだった。
京東都三区、蒼炎に沈没。この見出しは、正確だった。まさにその通り。あの日の東京はまさしく火の海に沈んだのだ。この被害は、多くの火炎異能力者たちが協同して齎した炎ではなく、たった一人の異能力者によって引き起こされた単独攻撃だった。武装した非能力者二万五千人が、一人の異能力者に敗北。力を持つ者と持たざる者の歴然とした格差を見せつけられ、世界的にも発展した都市を一夜にて焦土にされ、数多くの犠牲を払って、そうしてやっと非能力者勢力は敗北を宣言した。
内戦終戦後、各分野の有識者たる異能力者および非能力者が京東の復興のために共同した。約六年を費やして復興を遂げた京東は、異能と科学の融合技術によって、もとより発展していたが戦前よりもさらに目覚ましい進化を遂げたものの、治安作用組織(主に警察)を再動員するより先に、国内外から異能力者たちが移住し、秩序を捨て去り好き勝手に異能を行使し、治安を悪化させた。それによって京東は、異能犯罪の増加により世界でも有数の異能犯罪都市へと名を挙げるようになった。
非能力者が安全に暮らせる地域ではなくなったものの、しかしながら、それでも非能力者は数多く住んでいる。異能は危険性が高いながらも有用性も広く知られており、様々な職種で活用されている。十人で行う仕事が一人でこなすことができるという利点は、人件費削減の源となった。異能力者に職を奪われた非能力者たちは、復興後もビジネス街の密集地として機能している京東に職を求めて集まっているのだ。
京東都は三十以上の区が密接しており、完全非能力者住区である
上司の内情としては、東京を出れば仕事にありつけないため、異能力者だらけで危険であってもでていくことができないのだろう。日々異能犯罪に巻き込まれるかもしれないという警戒心と恐怖に心を苛まれ、冷静でいられず、気が立ってしまう。京東の非能力者の社畜は、ほとんどがそうである。
『――路上喫煙は条例で禁止されています。喫煙の際は、お近くの喫煙所での喫煙のご協力を、お願い申し上げます』
そうだ、煙草。
桜太郎は上着とズボンのポケットを叩いた。そこに、望む物が入っていないことを確認すると、軽く溜め息を吐いた。このストレス社会で、ニコチンは精神安定剤だ。次いで酒。ヘビースモーカーや飲兵衛というわけではないが、煙草なんかは無いと少しだけ落ち着かない気持ちになる。
コンビニ行くか。
レジが混んでいなければ、赤信号が切り替わる前までには戻って来れるだろう。桜太郎は未だに言い合いを続けている上司と部下の前を横切り、最寄りのコンビニに入店した。
コンビニに入った瞬間、異相の女児が年若い女性店員と対面していた。毛先にかけてスノウ・ホワイトへとグラデーションがかるブロンドの髪を緩く二つ結びにし、夕暮れ時のようなオレンジと紫のグラデーションがかかった珍しい目をしている。白人の西洋人で、子猫のような雰囲気の愛らしさがあった。ワンピースと言っていいのか、ドレスと表して良いのか、いっそローブなのではないだろうか、ファッションに疎い桜太郎にはその服装の名称はわからなかったが、神聖な印象を受ける衣服を着ていた。胸元には片目と落涙を一つの模様で表した金糸の紋様があり、裾を切り絵の人型のようなデザインが同じく金糸で一周している。民族的な衣装か、それとも宗教的な衣装なのか、それもまた桜太郎には判じかねた。
レジ台の上には、紙パックのリンゴジュースとチョコレートの菓子パンがあった。女性店員がバーコードをスキャンし、小さな子供向けの愛想のよい声音と表情で「合計で、三百九十八円になります」と合計金額を読み上げる。
女児はワンピースのポケットを漁り出した。
「三百九十八円……あ、あの、これ……」
女児が握り締めているのは四つ折りにされた一万円札だった。しかし店員はそれを困り苦笑で見下ろした。
「ご、ごめんねえ、このお店、全部キャッシュレスで販売しているの」
「キャ、キャッシュレス……?」
女児は初めて聞く言葉らしい。だが、女性店員が謝罪の言葉を発したことから、一万円札では購入できないと悟ったらしく、わたわたと慌て出した。
「で、でもアリス、これしか持ってなくって……」
「なにか、カードとか預かってないかな? プリペイドカードとか……」
「プ、プリペイドカード……」
女児――アリスの言葉は緊張でほとんど棒読みだった。女児がキャッシュレスカードやプリペイドカードなど持っているはずもない。保護者だって現金を渡すほどなのだから、完全キャッシュレス店はそこまで浸透していないのだ。だが、近々どこの店舗でも完全キャッシュレス決済が導入されるだろう。桜太郎は予想した。
不法滞在者や移民も数多く定住している京東では、 コンビニ強盗が多発している。それには異能力者も非能力者も関係ない。脅しの道具が刃物か異能か。どちらにせよ、質の悪い。
このコンビニもきっと、そういった被害を防ぐために完全キャッシュレス決済になったというバックボーンがあるのだろう。
「ど、どうしても……?」
「う~……ごめんねえ」
アリスもだが女性店員も泣きそうだった。心根が優しくて共感能力が強いらしい。
桜太郎はお菓子の陳列棚に寄って、筒型包装の葡萄味のソフトキャンディを取り、レジカウンターの端にの横に置いてある煙草陳列ケースから、タールが高い煙草を適当に一箱選び、百円ライターと共に女児が並べているお菓子の横に置いた。銘柄にこだわりはないが、タールは高い方が好みだ。
「あ、あの、お客様。申し訳ありませんが、ただいま接客中でして……」
警戒心を露わにする女性店員。それもそのはずだ。桜太郎はだらしなく着こなしているスーツから見てもわかるほど体格にも身長にも恵まれ、精悍な顔つきをしているが無精ひげを生やしているので人相が悪く見える。
「!」
彼女が、桜太郎の目を見てさらに警戒心を高めたのがわかった。
違うのになあ。まあ、俺は男でおっさんで人相が悪いし、しょうがないけどさ。と困りながら内心で呟き、女性店員に向けて微笑んだ。
「一緒に会計してもらえるかい。キャッシュレス決済って、子供には難しいでしょ」
「えっ…………いいんですか?」
「うんうん。だって、ちょっと可哀想だし……一応言っとくけど、別に後からこの子に見返りを求めたりはしないから、安心して欲しい。俺、こう見えても国家公務員だからさ」
財布からクレジットカードを取り出し、信用照会端末の前に近付ける。
「払ったらすぐに出るしさ。気にせずピピッとやっちゃってくれ」
「わあっ、ありがとうございます、お客様!」
女性店員は手早く商品のバーコードをスキャンした。
「小さい袋も一枚いいかな。それと、これはこっちで」
と、ソフトキャンディをアリスの商品側に寄せる。
「かしこまりました!」
Sサイズの袋、一枚三円。合計千八百十六円。クレジットカードをスキャナーに挿し、暗証番号を入力した。ピピッ、と支払い完了の音が鳴り、桜太郎はカードを戻して、煙草とライターをポケットに入れた。
「ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ! よかったねえ、お嬢ちゃん!」
アリスは何が起こったのかわかっていないようで、ぽかんとしていた。正面からみると、とてつもなく可愛らしい顔立ちをしている。夕暮れのような相貌は鮮やかで、鼻はまだ小さいが形がよい。唇の形もハートのようだ。テレビや雑誌に出れば一世を風靡どころか、二世先も三世先も風靡して名を残すだろう。
桜太郎を見上げながら硬直しているアリスの目の前に、彼女の購入品が入ったビニールをぶら下げると、肩を大きく跳ねさせてやっと意識を露わにした。
「ほら、もう買い物終わったぞ」
「え、え」
わたわたと慌てて、それからハッと目と口を開けたアリスは、四つ折りの一万円札を差し出した。
「ん? それはいらねえかな。一万円は大金だから、大事に持っときなさい。それより、ほら、おじちゃんもう行かないといけないから、受け取ってくれるか?」
「う、うん」
アリスは桜太郎から商品を受け取ると、見覚えのない紫色の筒型パッケージが透けて見えていることに気付いた。
「お、おじさんのお菓子が入ってるよ」
「君にあげるよ」
「いいの?」
「いいよ」
アリスは唇をむにゅむにゅと動かして、小さなじんわりとした声で「ありがとう」と言った。
「どういたしまして。じゃあな、気を付けるんだぞ。京東は迷子になりやすいからな」
桜太郎は女性店員の感極まった「ありがとうございました‼」という挨拶を背中に叩きつけられる勢いで受けて退店した。その瞬間、冬の気配が混じった風が吹きつける。
信号待ちの群れに混じると、ちょうど歩行者用信号機が青に切り替わり、人波は一斉に進み始める。配信者や観光客が伸ばした自撮り棒があちこちで見える。異能犯罪都市として名を馳せる京東だが、命知らずな配信者や観光客など非能力者の数は多い。彼らが一目見たいのは、配信したいのは、京東で日々発生する
誰もが一度は夢想する空飛ぶ車も、京東に行けば目撃することができる――異能で吹っ飛ばされたものでよければ。
スクランブル交差点を囲うように展開されたホログラムスクリーンは車両を威嚇するような鬼が目を光らせている。それだけではない。街の至る所にホログラムが展開し、世界観はまるでサイバーパンクだ。今年で四十を迎える桜太郎の目には、少々痛い。
横断歩道を渡り終えると人波を疎らになった。あの上司と部下の姿は、どこにも見当たらない。
異無日本内戦からあと二か月で二十二年か……。
今年の冬も極寒を過ごせますように、と願い、巨大モニターから降り注ぐ音声と電光を浴びながら歩き出した。
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