願いの物語シリーズ【佐々木和樹】
とーふ
第1話『僕、もう野球やめる』
僕のお父さんはプロの野球選手だ。
お母さんと一緒に応援に行った球場では、バッターボックスにお父さんが立つだけで、みんな嬉しそうに楽しそうにお父さんの名前を呼んでいた。
そしてお父さんが打ったボールが空の彼方へと吸い込まれていくのを見て、みんな喜んでいた。
そんなお父さんに憧れた僕が、野球選手になりたいと夢を見るのは自然な流れだったと思う。
お父さんの様な凄い選手になる。
野球なんて何も知らないのに、僕は幼い時から口癖の様にそう言っていた。
しかし、そんな僕の夢が非常に困難だと知ったのは何歳の時だっただろうか。
多分リーグチームに入ってからだったと思う。
意気揚々とチームに入った僕は、バンバン打ってお父さんみたいになろうと考えていたが、残念ながら僕に打者としての才能は無かったらしく、ロクに出塁する事が出来なかった。
むしろ投手としての才能があったらしく、そちらの方では監督から絶賛されていた。
しかし、僕は投手に対してあまり魅力を感じていないのであった。
「何でだ? 和樹。ピッチャー格好いいだろ」
「えー? だっていつもお父さんに打たれてるじゃないか。全然格好良くないよ」
「あー。そうか。俺の試合見に来てると、そういう感想になるのか」
「僕はお父さんみたいにバーンって打ちたいんだ」
「うーん。まぁ和樹がそうしたいって言うならお父さんは止めないけどな。でもピッチャー。良いと思うんだけどなぁ」
「……お父さんはピッチャー好きなの?」
「まぁな。お父さんが子供の頃はそりゃあもうピッチャーに憧れたモンだよ。だが、まぁお父さんは才能が無くてなぁ」
「そう、なんだ」
「あらあら。難しいですね。野球の世界は」
「こればっかりはな。でもな、和樹。どんなポジションでも一生懸命やってたら最高に格好いいんだぞ!」
「一生懸命やってたら、格好いい……!」
「そうだ。野球はチームみんなで戦うスポーツなんだ。自分だけが楽しい野球はやるなよ」
「……うん」
「よし。それが分かってるなら、和樹は最高のピッチャーになれるさ!」
「……っ! 分かった! 僕、世界で一番格好いいピッチャーになる! そして、将来はお父さんと戦うんだ!」
「お。それは楽しみだ」
その夜、僕は新しい夢と共に走り出した。
最初に夢見た打者ではないけれど、僕の夢は変わらない。
憧れはずっと同じだ。
お父さんに向かって僕は走り続ける。
練習に練習を重ねて、試合を乗り越えてゆく。
僕はどんどん力を付けていって、誰よりも強いピッチャーになっていった。
このまま順調にプロまで駆け抜ける。そう考えていたのだけれど、僕の周りにある世界は僕を好きじゃなかった。
そう。僕が小学校四年生になった春に事件が起きる。
始まりは監督が病気で変わった事だった。
新しく入ってきた監督は何の説明もなく僕をレギュラーにしないと言ってきたのだ。
当然納得できるものではなく、僕は抗議したのだが、監督は僕の意見を無視して話を進めていった。
そんな理不尽を許せるわけもなく、僕は文句を言い続け、やがて監督は酷く怖い顔で舌打ちをすると、僕を睨みつけながらこう言ったんだ。
「そんなに言うなら、実力を見せてみろ」と。
やった。と僕は思った。
だって僕は今まで誰にも打たれたことのないピッチャーなのだ。
キャッチャーは普段捕ってくれる古谷君では無かったけれど、僕は何も気にせず全力で投げた。
得意のカーブだ。
僕のカーブはお父さんだって凄いって褒めてくれるくらい凄い球なのだ。
これを見れば、監督だって……!
そんな希望と共に投げた球だったが、僕の予想に反して監督の顔は怒りのままだった。
訳が分からない。
「どうした。こんなものか」
「待ってください! 僕は、僕のカーブは」
「何がカーブだ。捕手が球を取れない。暴投じゃないか」
「だって、それは、あの人が……」
取れなかっただけじゃないか。
そう言おうとした。けれど、監督の目が怖くて、続きをいう事が出来なかった。
「お前は! 私の息子のミスだと、そう言いたいのか!!?」
「……っ」
「お前がまともな球も投げられない無能だというのに、それを人の責任にするのか!!?」
「そ、それは」
「ボソボソと喋るな!! ハッキリ話せ!! ゴチャゴチャと余計な事ばかり口にする癖に、自分が悪かったと言えないのかお前は!!」
「僕、僕は……悪くない」
「そうか。お前がそういう態度なら分かった。なら暴投ではない球を投げてみろ」
僕は監督に言われ、また構えながら投げる。
しかし、やっぱり捕手の人は捕れず、球を横に転がしてしまった。
その瞬間横から監督に怒鳴りつけられる。
やる気があるのか。口ばっかりの下手くそだ。と何度も怒鳴られ、そして何度も投げさせられた。
もう投げられないと僕が言っても、それは続き、やがて僕は体力が尽きてマウンドに膝をついてしまった。
「もう投げられんのか。所詮お前は口だけの人間だ」
「チームプレーを乱すゴミめ」
「お前の様な奴はチームには要らん。消えろ」
もう僕は何も言い返す事が出来なくて、そのまま地面を見つめたまま悔しさに歯を噛みしめていた。
立ち上がる事も出来なくて、いつの間にか降り始めた雨が強く打ち付ける。
それでも、家に帰ろうなんて気にもなれなくて、僕は土砂降りの雨の中、一人泣き続けていた。
雨はいつまでも降り止む事はなくて、僕はいつしか気を失って倒れるまでそこで泣いていたのだった。
息苦しさと熱に目を開いた僕は、いつもよりも優しい顔をしたお母さんに頭を撫でられながら息を吐いた。
それだけで咳が止まらず、僕はゲホゲホと体を動かしながら苦しさにもがく。
しかもそれだけではなく、頭がガンガンと痛くて、熱さのせいか、なんだか目の前が歪んでいる様にも見えた。
苦しくて、悔しくて、辛くて、悔しくて。
僕は涙を滲ませながら、歯を食いしばった。
「和樹。お薬飲める?」
お母さんの問いかけに声が出なくて、僕は小さく頷いた。
そしてお母さんに起こして貰いながら、水と一緒に薬を飲んだ。
「辛いなら目を閉じちゃいなさい。お母さんはここに居るから」
目を閉じて、お母さんのあんまり上手じゃない歌を聴きながら僕は暗い世界に沈んでいった。
燃えるような暗闇の世界にはいつまでも監督の声が響いていて、僕は耳を塞ぎながら、違うと叫び続けていたのだった。
それが夢の中の話だったのか。現実の世界の話だったのか。僕には分からないけれど。
でも、僕にとっては現実と何も違いは無いのだった。
そして、それから三日ほど熱は下がらなくて、布団の上で呻き続けていた僕は、一つの決断を下した。
お父さんはガッカリするかもしれない。
でも、もう駄目だと思った。
だから……。
「和樹。大丈夫か? ごめんな。帰ってくるの遅れちゃって」
「……ううん」
「お母さんに聞いたよ。ようやく熱も下がってきたからって」
「お父さん」
「……どうした?」
「僕、もう野球やめる」
「……そうか」
僕の言葉に、お父さんは少しだけ寂しそうな顔をしたけれど、優しく笑って僕の頬を撫でてくれたのだった。
それが、なんだか酷く悲しい事の様に感じたけれど、僕はもうこれ以上続けたくないんだ。
ごめんなさい。お父さん。
……ごめんなさい。
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