銀河のローレライ
篝 麦秋
一
なにがそうさせるのかはわからないが、空から人魚が降ってきた。
それは夜空に銀河の洪水が起こり、うお座流星群が降りしきる、昨晩のことだった。
「すみかが銀河だと、うろこも銀河に擬態するのか」
たいした生きざまだと、上司が感嘆の吐息をついた。
ほんとうに、なんという姿なのだろう。
「綺麗ですね、すごく」
「綺麗だな」
うお座流星群の名に合わせ、年に一度、空から恵みが降ってくる。流星群は、海のはるかかなた向こうに落ちて、人の手には入らない。反して、流星群の波に乗ってやってきた、銀河の魚は地上に落ちてくる。海で獲れる魚に似ているから魚と呼んでいるけれど、実際に魚なのかどうかはだれも知らない。
私が生まれ育った国は、食事という行為を崇拝しているといってもいい。食べられるものを粗末に扱おうものなら、その様を見られた瞬間に集中砲火を受けて死ぬ可能性すらある。
そんな国だから、たとえ空から降ってきた得体の知れない、たぶん魚かもしれないというものであろうとも、まず食べてみようと考えた奇特な人間がいる。それが美味であれば、空から降ってくる魚を
うお座流星群が降る日に限っては、漁師に就業する人間が爆発的に増加した。なんといっても魚なので、鮮度が重要になる。落ちてきた瞬間の魚を捕まえようと、たくさんの漁師が網とバケツを持って、街とも森とも草原ともいわず、どこにでも出没する。
「よくそんな空から降ってきた得体の知れないものに、高い金を払って食べようとするな」
「その言い方だと食べたくないみたいですね。私はいちどくらい食べに出かけたかったですよ」
たった一日しかない、空からの恵みだ。当然のように、料理店で提供される魚料理はお高い。海鮮料理店では、うお座流星群の日の予約だけで半年分の売り上げが保証されるとも聞いた。来年以降の予約もすでに埋まっていて、新規の予約を入れられる店などほとんどないらしい。
どうしても食べたいのであれば、自力で捕まえてさばくしかない。いまのところは毒のある魚はいないとされている。なんと保健所のお墨付きなので、わが国の食に対する姿勢は筋金入りときていた。
私はといえば、食中毒者が出た場合に変死体が出る可能性を見越して、法医学研究室に待機させられていた。研究室のある敷地に魚が降ってきても、学費のためと必死に走りまわる学生たちを窓越しに見ては横取りもできない。かといって料理店には行けるはずもない。
「まるで上司の俺が悪いみたいにいってくれるな」
「そうはいっていません。連れて行ってほしいなんてもっといっていません」
「男に料理店に連れて行ってほしいなんて、前時代の女みたいなこというなよ」
「なら参考までに、現時代の女ならなんていえばいいのか教えてもらえませんか」
「俺を連れて行ってあげたかった」
食べたかったのは自分のほうだったらしい。捕まえた魚を売るように頼んで買収していた学生も、結局は料理店に卸すほうが高い金になるということで裏切られたという。
そんな当日限定高級
「俺は占いに詳しくないから知らないんだが、うお座って人魚なのか」
「うお座はもともと神様の親子ですね」
美の女神とその子どもが川辺を歩いていたら、怪物が突然現れた。おどろいたふたりは魚に姿を変えて川に飛び込み逃げた。離ればなれにならないようにと、母親である女神は子どもとしっぽをヒモで結んだ。うお座が二匹の魚である由来だとされている。
「ならこっちはうお座そのものってわけじゃなく、銀河に棲む人魚ってところか」
人魚はすでに、息絶えていた。
死因を調査するために私は上司の男と、こうして現場を訪ねている。警察官に人払いをしてもらったおかげでだれもいない。もっとも、人が来るような場所ではない。夏草が風に揺れる平原は、うお座流星群で落ちてくる魚を捕まえるための漁場として買い上げられている土地だという。その日以外はほとんどだれも訪れないというから、落ちてきたタイミングがズレていれば発見されなかった可能性さえある。もっとも、うお座流星群にまぎれて落ちてきたのだろうが。
夏特有の蒸れたにおいをまじえた風が、人魚の髪も揺らす。夜空によく似た黒い髪が、いまは日の出ている空の下で風にもてあそばれていた。ちょっと癖のあるうねった長髪は、彼女の腰まで伸びている。髪よりもさらに夜空に、いや銀河に似ているのは下半身だった。黒い鱗の縁が日の光に反射している。合間あいまに青みがかった鱗もアクセントとして映える。夜空でまたたく星に似ていた。
まさしく、銀河だった。第一発見者の、銀河が落ちているという錯乱じみた通報もうなずける。
「転落による損傷も見受けられるが、それほどでもないな。どこから落ちてきたのかも知らないが」
「銀河でしょうね」
「なら銀河から空に飛び出してしまって、酸素不足で窒息死してしまったのか」
上司が人魚の口を差す。細かな泡が口から漏れ出していた。溺死した遺体によく見られる特徴だ。
「知っていますか。人魚姫って、最後は泡になって死んでしまうんですよ」
「死んだら王子と結ばれないだろう」
「人魚姫は結ばれずに終わるんですよ」
上司は私を見て、真顔で硬直した。なにかいいたげに口を開けたものの、動かない。どうやらほんとうに知らなかったらしい。姉妹でもいない限り、男性が女の子向けの童話と出会う機会なんてそうそうないか。かいつまんでストーリーを教えてくれと頼まれて、記憶を探る。
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