幼馴染♀が勇者に任命されたので、闇魔術師の俺は陰ながら支援することにした。

有馬悠宇

第1話 村娘、都へ行く

「へへっ、弱虫のクリス! 仕返しできるもんならしてみろよ!」


 短い黒髪で、生真面目な雰囲気をまとった少年――クリスは同じ村に住む悪童たちの一人に突き飛ばされ、倒れ込む。同年代の男子たちに比べ華奢きゃしゃで、力もないので、ケンカはめっぽう弱かった。


「うぅ……」


 うめき声とともに身体を起こし、その場に座り込む格好になるクリス。向こうから挑発されたものの、それに対して何か行動を起こすわけでもない。そんな彼を、周りを取り囲んだ少年たちがはやし立てる。


「おい、立てよ! 弱虫クリス」


「根暗野郎! 悔しかったらやり返してみろよ」


「ほら、早く立てって」


 周りの子供たちは、皆一様にニヤニヤと笑みを浮かべている。中には手を叩いて笑っている者までいる始末だ。


 当のクリスはと言うと……怒りとか憎しみといった感情は湧いてこない。彼の中にあるのはただ、呆れだった。


 ――どうしてこいつらは、こんなにくだらないことをするんだろう? 力ある者が無闇にそれを誇示することの愚かしさが、なぜわからないんだろう。


 彼はそう思うのだが、かと言って知慮の欠片もない悪童どもに説教をしたりはしない。彼らにそれを理解させようとするだけ、労力の無駄だからだ。


 だから今日も、黙って耐え忍ぶ。


 だが……この日は、いつもと違った。



「クリスをいじめるのはやめて!」



 彼らのやり取りを見ていた一人の少女がその中に割って入り、クリスをかばうように両手を広げたのであった。


 赤茶色のよく手入れされたストレートヘアが、陽の光を反射してつやめいている。クリスと同じ十五歳で、隣の家に住んでいるパトリシアだ。



「ありゃあ、女子に守ってもらっちゃって、恥ずかしくないのか? クリス」


「おいおいパトリシア、お前もしかしてクリスの事が好きなのかよ! ずいぶんと趣味が悪いな」



 悪童たちが口々に嘲笑の言葉を投げかける。


 それに対し、パトリシアは毅然とした態度で言葉を返す。



「何を言ってるの……? よってたかってたった一人をいじめて、それを面白がってるあなたたちの方が……人として、よっぽど情けないわよ!」



 パトリシアがそう叫ぶと、悪童たちは一瞬ポカンとした顔になり、そして笑い出した。



「ハハハッ、お前、面白い事言うなぁ」


「俺たちより弱いくせに、偉そうに吠えやがって」


「なあ、みんな、ちょっとこの生意気な女を痛めつけてやろうぜ」



 その言葉に、周囲の悪童たちも一斉に下卑た笑いを浮かべて賛同する。



「よし、みんなで取り囲んで、袋叩きにしてやれ!」



 リーダー格と思われる少年が号令をかけると、五人の少年が一斉にパトリシアに飛びかかる。どう考えても、パトリシア一人きりで、まともに戦って勝てる相手ではない。



 ――まずいな。俺はいくら痛めつけられようと構わないが、パトリシアに怪我をさせるわけにはいかない。



 クリスは、悪童たちからは見えない位置に右手を移動させ、静かに魔力を練って……解き放つ。


 すると、パトリシアを殴ろうとしていた少年たち全員が突然動きを止め、そのまま地面に崩れ落ちた。彼らは立ち上がろうとするが、見えない力によって上から押さえつけられているかのように、立ち上がることができない。



 ――重力魔術。闇魔術の中では、初歩中の初歩。自分で言うのも何だが俺は慈悲深いので、魔力量を調整し、気絶しない程度に加減はしてある。



「いったい何をしやがった、パトリシア……!?」



 突然のことに驚き、うめき声を上げながら狼狽ろうばいする少年たち。


 パトリシアはパトリシアで、目の前の光景に唖然あぜんとしている。



「えっ、私何もしてないけど……? 一体何が起こってるの?」



 パトリシアの疑問に答えるように、クリスが口を開く。



「あー……えーと、見た感じ、卑劣にも五対一で女子に殴りかかろうとした馬鹿どもに、天罰が下ったとか……そんな感じじゃないかな」


「天罰ぅ?」



 クリスの言葉に振り返り、怪訝けげんな表情を浮かべるパトリシア。まあ、当然の反応だろう。



「ああ、そうだ。うーん、よく分からないけど、パトリシアは、何か特別な加護でも受けてるんじゃないかな」



 クリスは口から出まかせを言う。実際のところは、単に彼がパトリシアを守るため闇魔術を使っただけなのだが、これは話すと絶対に面倒なことになる。正直に話すわけにはいかなかった。



「ええっ? 私のうち、ただの農家なんだけど……」



 パトリシアが困惑した顔でそう言う。



 その通り。彼女はいじめられているクリスを放っておけないような、優しくて正義感が強いだけの……一介の農家の娘にすぎない。


 聖女だとか大賢者だとか、そういった存在とは縁遠い、ごく普通の家庭に生まれた少女なのだ。



「ただの農家の生まれであっても、誠実で正しい行いを繰り返していれば……お天道様が奇跡を起こしてくれるんだよ、きっと。地面に這いつくばってるこいつらとは違ってな」



 クリスは、地面に転がっている悪童たちを指差しながら言った。



「そう……なのかな……」



 パトリシアはそう言ってしばらく考え込む。彼女の眉が少し下がり気味なのは、まだ納得できていないからだろうか。


 すると、悪童の一人がを上げた。



「……お、おい! 聞いてくれ! もうパトリシアには手を出さない! だからこの重圧を解いてくれ!」



 その言葉を聞いた他の四人も口々に叫ぶ。



「俺も約束する! もう二度とこんな真似はしないし、お前たちの悪口も言わない! だから許してくれぇ……!」



 パトリシアはその声を聞いて少し考えた後……クリスの言葉には半信半疑ながらも、天を仰いでこう言った。




「ええと…………みんな反省してるみたいなので、『これ』を解除してあげてください。お願いします」



 それを聞いたクリスは、さっそく重力魔術を解除する。次の瞬間、五人の少年は勢いよく立ち上がり、一目散に逃げていった。


 パトリシアの方はと言うと、間髪入れず座り込んでいるクリスの方に駆け寄ってきて、彼の顔を覗き込む。



「大丈夫!? 怪我はない?」


「ああ、平気だよ。それより……かばってくれてありがとう」



 クリスがそう言うと、パトリシアは少し照れくさそうに答える。



「ううん、気にしないで。私が勝手にやったことだから」



 それから二人は並んで家路についた。村はずれにある自宅に着くまでの数分間、会話はなかったものの、二人の間には穏やかな空気が流れていた。



 * * *



 その日の夜、夕食を済ませた後、クリスは自室で勉強をしていた。もちろん、先祖代々受け継がれてきた闇魔術に関して、だ。人生のほとんどの時間を費やしてきたと言っても過言ではないほど、彼は真剣に勉学に励んでいる。


 そこに、ドアをノックする音が響いた。


「クリス、ちょっと良いか?」


「大丈夫」



 ドアを開けて入ってきたのは父だった。彼はこの村で唯一の薬屋を営んでおり、村の人々の健康管理を一手に引き受けている。医療魔術を得意とする魔術師がこの村に居るのならばまた話は変わってくるのだが、クリスの知る限り彼と彼の父以外の魔術師は、こここの村には住んでいない。



 さて、父は部屋に入るなり、心配そうな様子で口を開いた。



「昼間のことなんだがな、クリス。お前……思いっきり闇魔術を使っていただろう。離れてても分かったぞ」



 クリスは一瞬ギクリとするが、すぐに平静を装って答える。



「ごめん、父さん。でも、あいつらがパトリシアに手を出そうとしたから……」


「それは分かるんだがな、もしうちが闇魔術師の一族だと知られたら、村八分どころじゃ済まないかもしれないんだぞ?」


 確かに、この世界の多くの国において闇魔術師は忌み嫌われる存在であり、彼らは自らの素性を隠すのが普通とされている。闇魔術は重力や影などを自在に操ることにけた強力な魔術であり、使い方によっては一国を滅ぼす事さえできると言われている。それゆえに、どこの国の王侯貴族からも危険視され、忌避されてきたのである。


「分かってるよ。でも、どうしても我慢できなかったんだ」


「そうか…………それだけ、パトリシアちゃんの事が大切なんだな」



 父がポツリとつぶやくように言うと、クリスは顔を赤くして答えた。



「べっ、別にそういうわけじゃ……! いや、確かにそうだけど、その……」


「ハハッ、照れるな照れるな。若いうちはそうやって好きな子のために頑張るもんだ」



 父のその言葉に、クリスはさらに顔を赤らめる。それを見て、父はさらに笑った。



「まあ、なんだ。とにかく、今後は気をつけるようにな」


「う、うん。わかったよ」



 クリスが素直に返事をすると、父は満足したように頷き、部屋を出ていった。


 一人になった部屋で、クリスは大きくため息をつく。



 ――まあ、大丈夫だろ。根暗で弱っちい俺が闇魔術を使えるだなんて誰も思わないだろう。同じ闇魔術師である父さんには簡単にバレてしまったが、それはそれ。とにかくパトリシアは、悪童たちにちょっかいを出されるような事はもうないはずだ。



 なんて事を思いながら、クリスは机に向かい直し、夜更けまで勉強を続けたのだった。



 * * *



 クリスが悪童たちに重力魔術を使ってから一週間ほど経った、ある日。



 クリスたちの住む村に、予想だにしない珍客が訪れた。王都からの来訪者。つまり、国王陛下直属の騎士団員たちだ。


 彼らの目的は言うまでもない。この村にいるという、ある人物を探し出すためだ。



「この村に、聖なる加護を受けた少女がいると聞いています。是非とも、彼女にお会いしたい」



 村長の家を訪れた者のひとり……熊のような体躯をした短い茶髪の男が、開口一番そう言った。どうやらこの男が騎士団長らしい。



「はあ……? 心当たりはありませんが、その子の名前は……?」



 困惑しながら聞き返す村長に対し、騎士団長の隣に立っている……おでこの広く出た紺色のショートカットで、温和な顔立ちをしている女性が答えた。



「パトリシア・ハーバートという、十五歳の女の子と聞いておりますわ」


「なんと……!?」


「彼女の居場所をご存知ならば、すぐに呼んでいただきたい」


「し、承知した……」



 村長は急ぎ足で家を出ていき……しばらくの後、戻ってきた。その後ろについて歩くようにしてやってきたのは、長い赤茶色の髪の少女――パトリシアだった。


 騎士団長の男は彼女を一目見て驚いたような表情を見せた後、彼女に向かって言った。



「おお! あなたがパトリシア殿ですか? お目にかかれて、光栄です」


「あ……いえ、とんでもないです……」



 突然のことに戸惑いながらも、なんとか返事を返すパトリシア。そんな彼女をよそに、騎士団長は会話を続ける。



「私は王立騎士団の団長を務めております、アレックスと申します。こちらは副団長のマリアです」



 そう言って頭を下げる二人に対して、パトリシアも慌ててお辞儀を返す。



「あ、どうも初めまして……ええと、それで私に何かご用でしょうか?」



 おずおずと尋ねるパトリシアに、アレックスと名乗った男は答えた。



「ええ、実はあなたを探していたのです。単刀直入に言いますと、あなたには勇者候補として王都に来ていただきたくて参りました」


「……はい?」



 一瞬ポカンとした後、意味が分からないといった表情を見せるパトリシア。それを見たアレックスは説明を始めた。



「実は我々は今、魔王軍が勢力を増大させつつあるとの情報を掴みまして……それに対抗すべく、勇者にふさわしい人物を探している最中なのです」


「勇者にふさわしい人物……それって、もしかして」


「そうです。あなたには是非とも、王都にて勇者となり、魔王討伐のためのパーティを結成して頂きたいのです」



 それを聞いてパトリシアは思わず息を飲んだ。一介の農家の娘にとって、「勇者」という言葉はあまりにも現実味のないものだった。



「ちょ、ちょっと待ってください! そんな急に言われても……」



 思わず反論しようとするパトリシアだったが、それをさえぎるようにしてアレックスが口を開く。



「もちろん、いきなりの申し出ですので、今すぐ答えを出せとは言いません。ですが、なるべく早いうちに決断していただけると助かります」



 そう言って一礼し、きびすを返して立ち去ろうとする二人を前に、パトリシアは慌てて呼び止めた。



「あ、あの……!」



 二人が振り返るのを見て、彼女は言葉を続ける。



「私なんかが本当に勇者になれるんでしょうか……? 私みたいな田舎娘が世界を救うだなんて、そんな大それたことが出来るんでしょうか……?」



 すると、それを聞いたアレックスは少し考える素振りを見せた後、こう返した。



「正直なところ、我々も半信半疑ではあります。ですからまずは王都へ来ていただいて、一度加護の力を試してみてから判断されてはいかかがでしょうか」


「試す……?」


「王都の大聖堂では、先代勇者がのこした聖剣が、次なる『持ち主』に引き抜かれる時を今か今かと待ち望んでおります。そこで実際にあなたの力を見せていただければ……と思います」



 それを聞いたパトリシアは、真剣な面持ちで言葉を返す。



「なるほど……そこで、私が聖剣を抜けなかったら……『聖剣に選ばれなかった』としたら……私は勇者になるうつわではない、ということになるんですね?」


「もしそうなれば……残念ではありますが、そういうことになりますね」


「分かりました。いつ、出発ですか? 少し、支度したくの時間をください」


「そうですね……明日の朝には出立します。それまでに準備を済ませておいてください」



 * * *



「……っていうわけなんだ。クリス。急だけど、明日王都に行くことになっちゃった」



 クリスの家を訪れたパトリシアは、事の顛末てんまつを彼に説明した。突然すぎる話に驚きつつも、彼は黙って話を聞いていたのだが、やがて口を開いた。



「そっか……それで、パトリシアの両親は何て言ってるんだ?」


「それがね……お父さんとお母さんに話したらさ、『お前の好きなようにしなさい』って言われたんだ。…………私が無事に勇者に選ばれたら、報奨金が貰えるんだって。それが、せめてもの親孝行になれば良いな、って思う」


「なるほどな」


 クリスはそう言うと、小さくため息をついた。



 ――あの時、俺が重力魔術を使ったせいだ……きっとあの時に言ったでまかせが、いつの間にか王都にも届いてしまったんだ。俺の軽率な行動のせいで、パトリシアの人生が大きく変わってしまう。本当にこれで良いのか……?


「あのさ、パトリシア」


「何?」


「王都に行って、もし本当に勇者という肩書を背負う事になっても……パトリシアは平気なのか?」


 クリスの問いかけに、パトリシアはしばらく黙り込んだ後、ゆっくりと口を開いた。



「……本当は、ちょっと怖いかな。でも、もし勇者として『たくさんの人に希望を与えられるような存在』になれるとしたら、こんなに誇らしいことはないと思うの」


「そうか……」


 パトリシアらしい答えだな、とクリスは思った。幼い頃から正義感が強く、困っている人を放っておけない性格だった彼女にとって、誰かのために戦うというのはまさに理想の姿なのだろう。


 しかし一方で、そんな優しい彼女が過酷な使命に身を投じることになると思うと、胸が締め付けられるような思いに駆られた。本当は、彼女と離れ離れにはなりたくない。この村に居続けて欲しい。だが、彼女の意思を尊重したいという気持ちもまた、彼の中に存在していたのだ。



 ――だから、彼女パトリシアのために出来ることを考えよう。明日の朝まで、まだ時間はある。



 * * *



 翌朝、村の入り口に見送りに来た村人たちの前で、パトリシアは言った。


「それじゃあみんな、行ってきます」


 その言葉に、村人の一人が声をかける。


「おう、行ってこい! 頑張れよ!」


 そしてもう一人がそれに続く。


「元気でね! 怪我とかしないように気をつけるのよ!」


 さらに他の誰かが言う。


「身体に気をつけてねー! 何かあったらすぐに戻ってくるんだよー!」


 そうして次々と別れの言葉を投げかけられていくパトリシア。しかし、クリスの姿は見当たらない。


 ――寝坊かな? ヘソでも曲げちゃったのかな? まあいいか、…………きっとまた、会えるよね。


 そんなことを考えながら、彼女は騎士団員たちと共に馬車に乗り込んだ。



 * * *



 ――ふぅ。やっと出発か。


 その頃クリスはと言うと、闇魔術「影隠れ」でパトリシアたちの乗る馬車の影に「潜って」いたのだった。この魔術を使えば、気配を完全に遮断できる上、誰にも気づかれずに移動することが出来るので、こういう時は非常に便利である。


 ――パトリシア。俺が巻き込んでしまった以上、この先何があっても必ず君を守るから。たとえどんなことがあっても……俺は君の味方であり続けるから。


 クリスは、そう胸に固く誓ったのだった。

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