05 あなたも脱いで

 誰が私たちの命を失ったのか分からない。

 犯人は私の知っている人だろうか。


 ただ、一つだけ確信できる。

 このひとが犯人のはずがない。


 いや、まて。この美しいひとが犯人だろうか?


 死に戻った私は謎を解かなければならない。

 生き延びるために。


 でも、その前に大切な大切な私の宝物を取り戻さなければならない。


 クイーンズマディーノモベリー公爵の姪のパトリシアの整った顔立ちが頭に浮かんだ。今のアンドレア皇太子の婚約者はパトリシアだ。


 ――ごめんなさい、パトリシア。宝物を取り戻すために、私はまたあなたからこの美しい男を一度は奪わなければならない。


 覚悟を決めたはずだ。ただ。


 3人の子供まで私となしてから、私をバッサリ捨てた男と、無邪気に何も知らないふりして恋に落ちるなんて。


 到底できっこない。


 いくら美しい男だからと言って、そんなことが平気でできるわけない。彼のグレーのようなブルーのようなグリーンの瞳は透き通っていて、唇はふっくらとしていて、褐色の髪をかきあげる様は神々しい程の爽やかさだ。


 

 しかし、倦怠期なんて可愛いものではない。

 別れを選んだ夫婦がゼロに戻って恋をやり直せるかと聞かれたら、1000%無理。


 しんどすぎる。


 何より、私と子供たちを捨てた男だ。

 アンドレア皇太子、美しい男は再会しても魅力に溢れていた。


 しんどいが、今は何をさしおいても、私はやらねばならない。


 私がどんなに情けないダメ親でも、もう一度あの子たちに会いたいから。



 だから、子をなすのだ。

 この美しい男と結婚契約をして、ことをなさねばならぬ。


 何を言っている?私は。


 恋に落ちるのは一瞬なのに、無理に恋に落ちるのは不可能だ。




 暖炉の炎は暖かく燃え、記憶の中の山小屋と同じで素晴らしかった。私はアンドレア皇太子に抱き抱えられるようにして山小屋に辿り着き、わずかに生き返った心地になった。


 すぐに濡れた服を脱いでいく。

 だって、そのままでは死ぬから。


「まっ――ちょっ待てっ!」


 アンドレアは真っ赤な顔をして背を向けた。


「失礼しました。でも、脱がなければ肺炎になりますから」


 私は濡れたものを自分から剥ぎ取って行った。この小屋のどこに毛布があるのか知っている。


 見れば、アンドレアのガウンを貸してもらった令嬢は、ブルブル震えながら呆然とコチラをみているだけだ。


「あなたっ!せっかく助けたのに、何をしているの?濡れたドレスを早く脱ぐのよ。ここには皇太子と私とあなたしかいないわ。恥ずかしがっている場合ではないのよ。全部濡れたものは今すぐに脱いでっ!ほらっ!」


 私に一喝された令嬢は、真っ青な顔をしたまま、こくんと頷くと、脱ぎ始めた。


 ――なるほど、なるほど……ってあぁっ、今回の人選もカラダ優先ねぇって。私は何を考えているの。


 マルキューノ博士の見る目の高さに唾を飲み込む。ブレッチダービー公爵とヒュームデヴォン伯爵のお目の高さは抜群だ。今回の令嬢の方が、私よりも数倍も魅力的だ。


 一瞬、豊かなブラウンの髪の毛をきっちりとセットし、メガネの奥の瞳を怪しく煌めかせて、高価な宝石入り懐中時計を持っていたマルキューノ博士のことを思い出して、私は気分が悪くなった。彼の手つきは優しくてプロ級にいやらしい。


 目の前の令嬢を私は見つめる。

 ご立派な双璧と、ご立派な長くスラリと伸びたおみ足、程よくひきしまったウェスト、適度に若い。私と同じ18歳か、19歳ぐらい。


 青い瞳にブロンドの髪。

 私より遥かに素晴らしい色気の持ち主だ。


 いけな……い。

 そんなことを考えている場合ではない。

 早くあたたまらなければ。


「あなた。温かいお茶をお願いします。それからお酒も少々」


 私は元夫婦の気やすさを全面に出して、皇太子である美しい男、アンドレアにお願いした。


 彼は私たちを振り返った。途端に、彼のグレーのようなブルーのようなグリーンのような美しい透き通った瞳がハッと見開かれた。私たち二人が豊かな胸もあらわに服を脱いでいるのを見て、彼は耳まで真っ赤になってまたパッと背をコチラに向けた。


「は……はい。わかった」


 彼はそう言いながら、山小屋でお茶の準備を始めた。ここは彼の秘密の隠れ家のようなものな場所。勝手知ったる場所だと、夫婦だった私は知っている。


 私は裸になった令嬢に抱きつき、毛布で二人の体を巻き、暖炉の前に陣取った。暖炉の前に毛布を何枚も敷き詰め、その上に座り込み、ガタガタと歯がなるような体の冷えをなんとかしようと、女同士でぴたりとくっついて座った。


「いい?ここでしっかりと暖を取らないと、あなたとんでもない病気になるの」


 この時代は簡単に命を失う。


 効力のある薬も抗生剤もないから。


 私は肉付きが素晴らしい彼女のとても柔らかい体にぴたりとくっついて、毛布を丸かぶりしていた。彼女はむちむちしているが、冷え切っている。


「お茶と、それからこちらはお酒だ」


 彼が持ってきた3人分のカップ合計6つを、すぐ暖炉の前に置くように指で私はさし示した。そして、有無を言わさない迫力を込めてお願いした。


「あなたも脱いで」

「はっ!?」

「だって、あなたが温めなかったら、私たち二人とも体が冷えたままですから。今すぐに脱いで。お願い」


 私はこの美しい男に遠慮がない。

 美しい男は、かつてこのような態度を令嬢から取られた一度もことがない。誰にも。


 彼は口をあんぐりと開けたが(その顔も美しい)、私が他意がなさそうなのを感じ取ったのか、服を脱ぎ始めた。


「お酒を飲んで。それからお茶を飲みましょう」


 私は令嬢にカップを渡し、一気に飲むようにうながした。


 酒を流しこむと喉が焼けるような痛みを感じた。そして、ゆっくりとお茶をふうふう言いながら飲み始めた。


「令嬢、あなたの名前は?」

「マリー・アレクシア・ルクシーよ」


 服を脱いで、下着をつけたきりになったアンドレア皇太子の手を引っ張って、私とマリーの間に引きずりこんだ。彼の手が私の胸に触れた気がするが、偶然だろう。私は毛布をかぶってピタリとアンドレアの体に体をよせた。


 耳まで真っ赤なアンドレア皇太子は、大人しくされるがままだった。どうしたら良いのか分からないといった表情で「あっ!」と叫んだが、私に死んで欲しくないというのは本音らしく、3人でピタリとくっついて横になった。暖炉の前で私たちはくっついて寝ていた。


「冷たいな」


 アンドレア皇太子はそう言うと、そっと私の肩に下から手を回して包み込んだ。


 眠くなる。彼の褐色の髪の毛からよく知っている匂いがしてリラックスしてしまう。

 

「マリー・アレクシア、大丈夫かしら?」


 私はアンドレア皇太子の隣に横たわっているはずのマリーと名乗ったブロンドの令嬢に声をかけた。私はすでに目をつぶりかけている。夫の匂いは嫌いではない。むしろ、落ち着く匂いで、一気にくつろぐ。恋が1000%無理な理由はこれだろうか。倦怠期?安堵?家族感?そろとも恨み?



「……誰の差金か、答えろ」


 美しい男、アンドレア皇太子が低い声で言うのが聞こえたが、意味を考える前に、私は目をつぶって意識を手放してしまった。



 ドヴォラリティー伯爵の声が一瞬頭の奥で聞こえた気がした。


 油断しないで……。


 暖炉の前で「死に戻り」を告白したのは、ドヴォラリティー伯爵にだけだ。彼の豊かな茶色い髪の毛と、穏やかで理知的な輝きを宿すブラウンの瞳を一瞬思い出したが、「元夫はやはり美しい男だった」と心の中で彼に告げた私は、疲れ切って眠ってしまった。


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