あと一歩勇気を

つきレモン

第1話 逃避想の行く先

「沙織さん、最近ぼーっとしている様子が目立つけど……」


 そのことか、とわたしは下を向く。


 教室にひとり残されたわたしはすぐに何のことかわかった。

 担任の林先生が目の前に立っていて、わたしは座ったまま帰りの準備を中断する。


「前までとっても真面目に取り組んでいたのに。沙織さんがしっかりしないとクラスもだらけてしまうの。学級長なんだからそんな態度じゃだめでしょう? しっかりしなさい」

「……はい」


 確かにわたしは学級長だ。クラスをまとめる立場だ。

 そんな人が授業に集中していないなんて、クラスの評価も下がっていく。


「……以後、気をつけます」

「そうしてちょうだい。あなたがしっかりしないとクラスもまとまらないんだから。ただでさえこのクラスは学年の中でだらけてるって言われてるのに」


 ぶつぶつとつぶやく先生に、わたしはうつむくことしかできない。


 その通りだったから。先生の言ってることは正しいから。

 わたしが頑張らないと、わたしがしっかりしないとってことも、確かだったから。


 全部全部、本当のことだから。


 膝の上に置いてあったペンケースについているキーホルダーをぎゅっと握る。


 友達とおそろいで買ったキーホルダー。

 中学生になるとき……つまり、一年前、わたしは転校してきた。知っている人がいなくて、友達もできなかった。でも、その中でも唯一声をかけてきてくれた子。友達になろうと言ってくれた子。


 その子と遊びにいったとき、このヒマワリのついたキーホルダーを二人で買ったのだ。


「はあ。明日からは気をつけなさいよ」

「はい」


 先生が教室を出ていったのを見て、わたしは大きなため息をついた。


 わたしがいけないんだ。わたしがしっかりすればいいんだ。

 わたしが――……。


 どろどろとした闇に飲み込まれていてしまいそうで、わたしは左右に激しく頭を振って、なんとか別のことを考える。


 みんなの机を揃えて、窓、電気を確認する。


 雨のじっとりとした湿った風が開いていた窓から入り込んできて、そういえば雨の予報だったっけ、と朝のニュースを思い出す。


 にもかかわらず、傘を忘れてしまった朝の自分を恨みたい。

 ホントは毎日折り畳み傘を持ち歩いているけど、一週間前の大雨で傘の骨が折れてしまったのだ。かなり前から使っていたものだから、元々壊れかかっていたのかもしれない。


 雨はさっきよりも強くなっているし、その雨を浴びて帰るのも勇気がいる。

 風邪を引いたら困るし、教科書や本が濡れたら最悪だ。


 ぼーっと教室の窓から空を眺める。

 四角く切り取られた空はどこかぼんやりとしていて薄暗い。

 分厚い雲が光りを遮って、そこからは絶えることなく雨粒が降ってくる。


 十分経った。でも、まだ雨は降り続ける。

 止む様子はない。でも少し弱まった気がする。


 わたしは暗い教室を出て昇降口から外に出る。

 もう生徒はほとんどいなくて、ただ雨が降る音だけが響いた。


 雨はまだまだ降り、どんどん視界が奪われていく。


 ずぶ濡れになりながら、わたしはひたすら家まで小走りで帰った。


 ―――――

 

 日が過ぎる。

 

 目覚めは最悪だった。

 心なしか頭は痛いし、まだ眠い。


 昨日は夜遅くまで勉強しちゃったからかな……。


 でも学校を休むほどのことじゃないし、学級長が休むというのもなんだかなあと、いつも通り家を出た。


 今はすっかり晴れている。昨日、土砂降りだったのが嘘のように、燦燦と太陽が照らしていた。


 少し濡れているアスファルトに太陽が照りつけ、キラキラと光る。

 眩しさにわたしは思わず目をつぶった。


 通学路の途中、明日は学級長の集まりがあったことを思い出す。

 学級長だけが集まって、クラスの様子などを伝える、週一の現状報告のようなものだ。


 放課後に居残ってやることになるので、帰るのが遅くなってしまう。

 

 せっかく勉強できると思ったのになあ……。

 もうテストも近いんだし、時間を工夫して使わないと……。

 

 思わず、といったふうにため息をつくわたしの背中を、太陽がギラリと睨んだ。

 ため息をつくたびに幸せを逃がしているというのなら、わたしはいったいどれだけの幸せを逃がしているのだろう?


 ズキ、と頭が痛んだ。

 責めたてるように鈍い痛みはまだ続く。


 わたしを照らそうとしている太陽から逃げるように、歩くスピードを上げた。

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