第15話 探偵の隠密スーツ
「すみません、ここでちょっと特別なスーツを作ってもらえると聞いて来たんですが…」
店のドアを静かに開けて入ってきたのは、どこかミステリアスな雰囲気を漂わせる中年男性だった。彼はグレーのコートに中折れ帽をかぶり、まるで昔の映画に出てくる探偵のような姿をしている。
数子は彼の姿を見て、少し驚いた表情を浮かべた。
「おやおや、あんたは探偵さんかい? その格好じゃあ、まるで昔の白黒映画から抜け出してきたみたいだね。何か事件の調査でもしてるのかい?」
男は少し笑って、帽子を取りながら答えた。
「はは、そうかもしれません。実は僕、探偵なんです。でも、最近、依頼を受ける中でどうしても目立たないように行動しなければならなくて、特別なスーツを作りたいんです」
数子は腕を組み、彼の話をじっと聞いた。
「なるほど、目立たないスーツね。スパイみたいなもんかい? 普通のスーツを着てりゃ、そんなに目立たないと思うけど、あんたは違うんだろうね?」
男は真剣な表情で頷いた。
「そうなんです。普通のスーツだと、どうしても人に覚えられてしまう。僕が欲しいのは、誰にも印象に残らず、どこにでも溶け込めるスーツです。だけど、あまり地味すぎてもおかしいし、ちょっと悩んでいて…」
数子は彼の言葉を聞き、少し考え込んだ後、ふっと笑みを浮かべた。
「ふん、アンタ、なかなか面白い注文をするじゃないか。目立たないけど、しっかりしたスーツってのは、職人冥利に尽きるね。でも、どんなデザインを考えてるんだい?」
「ええと、色はグレーかネイビーで、スタンダードなデザイン。でも、細部に少しだけ工夫を加えてほしいんです。例えば、襟の内側に隠しポケットを作るとか、袖口に小さなポーチを縫い付けてもらうとか。何かあったときに、さっと証拠を隠せるようにしたいんです」
数子は思わず笑い出した。
「ははは! まるでスパイ映画の小道具だね。でも、アンタみたいな探偵にはそれが必要なんだろうね。いいさ、その無茶な注文、引き受けてやるよ。でも、文句はなしだよ。いいね?」
男は真剣な顔で頷いた。
「もちろんです! 数子さんにお任せします!」
数子はさっそく作業に取りかかった。彼女は、男性のリクエスト通り、目立たないグレーのウール生地を選び、シンプルで洗練されたデザインに仕立て上げた。襟の内側には小さな隠しポケットを作り、袖口には証拠品をさっと隠せる小さなポーチを縫い付けた。
「これじゃまるで秘密兵器だね。アンタがこのスーツを着たら、どんな事件も解決できるんじゃないか?」
数子は笑いながら、細かいディテールにも気を配り、特別なスーツを完成させた。数日後、男が再び店を訪れると、数子は誇らしげにスーツを手渡した。
「さあ、これがアンタのための隠密スーツだ。試してみな、気に入ると思うよ」
男は興奮しながらスーツを受け取り、更衣室に向かった。しばらくして、彼はまるで全く別人のような落ち着いた佇まいで姿を現した。シンプルながらもどこか存在感のあるスーツは、彼の体にぴったりとフィットし、袖口や襟の内側に隠された工夫が光っている。
「すごい…! これなら、誰にも僕のことを覚えられないでしょう。しかも、ちょっとしたサプライズも仕込んであるなんて、まるで魔法みたいだ」
数子は満足そうに頷いた。
「そうさ。アンタのその仕事にぴったりのスーツを作ってやったよ。だけど、くれぐれも悪いことに使うんじゃないよ。スーツが泣くからね」
男は微笑みながら、帽子を軽く持ち上げた。
「もちろんです。これで、どんなに難しい依頼でもうまくやれそうです。本当にありがとうございます、数子さん!」
「ふん、アンタがそのスーツを着てどんな事件を解決するか、ちょっと興味があるね。でも、まあ、無理はしないことだ。アンタが無事でいられる方が私にとっては大事だからね」
男は感謝の言葉を繰り返しながら、スーツを着て店を出て行った。その背中は、まるで影のように静かで、確かに人目を引かない雰囲気を漂わせていた。数子はその姿を見送りながら、ふっと息をついた。
「まったく、あの探偵があのスーツを着てどんな事件を解決するのかねぇ。でも、スーツがアンタを守ってくれることを願ってるよ」
それから数週間後、男が再び店を訪れた。今回は、少し疲れた表情をしながらも、どこか達成感のある笑みを浮かべている。
「どうしたんだい、事件は無事に解決できたのかい?」
数子は彼を見上げて尋ねた。男は頷き、静かに話し始めた。
「はい、あのスーツのおかげで、ずっと追っていた難事件を解決することができました。誰にも気づかれずに行動できて、必要な情報を手に入れることができたんです」
数子は驚きの表情を見せ、笑みを浮かべた。
「そりゃあ、良かったねぇ。アンタのそのスーツ、ちゃんと役に立ったんだね」
男はさらに話を続けた。
「はい。でも、今回の事件を通じて、自分にもっと大事なことがあることに気づかされました。スーツの力じゃなくて、自分自身の力で人を助けたいって思ったんです」
数子は微笑みながら、彼の肩を軽く叩いた。
「それでいいさ。スーツはただの布切れさ。着る人がどう生きるかで、その価値が決まるんだからね。アンタがそう思えるなら、このスーツも本望だよ」
男は感謝の言葉を述べ、力強い握手をして店を後にした。その後ろ姿を見送りながら、数子は再びミシンの前に座り、微笑んだ。
「さて、次はどんな依頼が来るのやら…。スーツ作りも、人の心を映し出す鏡みたいなもんだね」
彼女の店には、今日も新しい物語が生まれようとしている。数子と個性的な客たちの笑いと感動のスーツ作りは、まだまだ続いていく。
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