13.魔王と呼ばれる者
水に潜ったように自然と閉じていた両目を、ゆっくりと開く。するとそこはどこかで見たような暗い森の中だった。
「おい、生きてるか?」
「……っ!」
背後からのその声に顔が強ばる。さっきの魔族の声だ。
「ハッ!人間種が耐えられるかわからなかったけど、なんとかなったみたいだな」
耐えられる、とは地面に沈められたことに対してに違いない。俺もあんな経験はこれまでになかったけど、とりあえず身体は無事だったらしい。
さっきの出来事を思い出しながら、自分の足元を確認する。どう見ても普通の地面だ。常識的に地面が急に人が沈むくらいに柔らかくなることなんてありえないんだから、つまりさっきのは魔法ということでいいんだろう。ダメ元で、というか単純な興味本位で、こいつがやったみたいにタタンとつま先で地面を叩くが当然のように何も起きやしない。
「無駄だ。魔物にだってこんなのできねーんだ。人間種如きが出来るわけがねーだろ。――そしたら魔王に会いにいくとすっかな。……おい人間種、変な真似するんじゃねーぞ?どうせお前には何もできねーんだからよ」
「………………」
正直、こいつが魔族だろうが魔物だろうが知らないけど、俺がこいつに何かしてやれるなんてことは微塵も思っていないから、言われずとも何かしてやろうとかは別に考えてない。もしこいつが俺をこの場で殺そうっていうのなら話は違うけど、どうやらそんな風にも聞こえないし。
さて。
今日は森に転移して、追いかけられて街に着き、そして森に連れられて、まあなんと忙しいことか。でももう一回街に戻れるのならそれがいいかな。
そんなことを内心思いつつ周りを見渡す。俺が転移してきた時の森に似てるようだけど、まあ森なんてどこも大差ないだろうし、ここがどこかを知る術はなさそうだ。そもそも場所がわかったとして、逃げるだとか俺ができることは実際には別に増えない。どうであれ、できるのは大人しくこのまま捕まっているだけなことに変わりない。
ならどうしようか。このまま魔王に土産として献上される?魔王が貰った土産を丁寧に歓待してくれるなら喜んでこいつの元を離れるんだけど、さすがにそうとは考え難い。
ふむ、困ったな……。
「さてと、魔王に会うにはどこに行けばいいんだ?西って聞いたけど、西ってどっちだ?なあ知ってるかよ人間種」
「いえ、ここが何処かもわからないので……」
「だよなー。いっそ魔王の方から来てくれれば楽なんだが――」
「――ほう。それならちょうどよかったな」
「!」
暗い森の奥のほうから、地を這うような声がした。俺と魔族が声のした方向を見つめていると、やがて声の主が姿を現した。
「ああ、君か?この街で騒いでいたというのは」
頭をすっぽりと隠す兜。全身を覆う漆黒の鎧には、所々赤いデザインが施されているよう。一見すると剣士や冒険者のようだが、この魔族とは別次元の『恐怖』を感じる。その二メートルほどもある巨体のせいもあるのだろうとも思ったけど、とてもそれだけとも思えない。圧……というのが近い気がするけど、自分がこれまで経験したことの無い何かを目の前にしていることはわかった。
「な、なんだお前は!俺を倒しに来たってのか?人間種如きが魔族に勝てるわけねーだろ!」
「……ふん。所詮魔族の成り立てなぞ、その程度か」
「あ?」
「控えろ。いち魔族如きが、不敬であるぞ」
漆黒の何者かが短く、そう口にすると、巨大な何か――何なのか俺には全くわからなかったが――が自分の全身を駆け抜けていったような気がした。途端に自分の身体が誰かのもののように動かなくなったのがわかった。
ざっ。
それと当時に、さっきまで俺の首元に爪を伸ばしていた魔物が足元で片膝をついていた。目に見えてそいつは、正面のその存在に怯えていた。
「ど……どうしてここに……」
「どうして?理由を聞かれると……そうだな。お前に会いに来たと言えばよいのかな」
「そ、ん……そんなはずが、無い!たかだか魔族の成り立て一体のためなんかに、
……魔王?
今こいつ、魔王と言ったか?この目の前の男を?
「ふむ……まあいい。我が魔王だろうが何であろうが別に構わない。ならば我は、お前に忠告に来ただけの通りすがりよ」
「忠告……?」
「その通り。なに、至って簡単なことだ。今後一切、お前はこの街に関わらないように。以上だ」
「この街って、この人間種の街のことか?」
「ああ」
「何故だ?どうしてそんなことを?まるでそれは、人間種の手助けをしているようじゃないか!魔王ともあろう者が何を言う!」
「手助けか。そのつもりは無いのだが、そう聞こえたならそれでも構わん。いずれ我の忠告は変わらぬ……直ちにここから去れ。それだけだ」
「くそっ……」
何がどうなっているんだ?目の前にいるのは……魔王、なのか?いや、関係性だとかは全くわからないが、この魔族の様子とやり取りからはそうとしか思えない。だけど、だとしたら魔王はこの街を、アーウェズトを守ろうとしているのか?人間の住むこの街を?駄目だ、考えれば考えるほど意味がわからなくなってくる……。
「さて、名も無き魔の者よ。我の忠告を聞く気はあるか?」
「…………」
聞く気はあるかと尋ねてはいるけど、俺でもわかる。この魔族に選択肢など用意されているわけではないのだと。魔王はこの魔族に対して言葉を投げかけているのに、俺が目を離すことができない。離したらいけないと本能がそう言っている。目の前の魔王とはそういう存在なんだ。
「……む。人間種の君よ、少し目を閉じてくれないか」
「…………」
「そうか。魔力を出し続けていたな。……これでどうだ。目を閉じてくれるか」
「……は、はい」
さっきまで身を包んでいた見えない何かが、急にどこかへ消えていった。それと同時に体の自由がきき、俺は言われるがままに目を閉じる。
「さて、それでお前はどうするんだ?もしまだ街で体を動かしたいと言うのなら、我がこの場で相手をするのもやぶさかでは無いのだがな」
「……わ、わかった!わかりました!俺は言われたようにここを去る。しかし、この人間種はどうする?こいつは元々、魔王……様への献上品とするはずだった人間種。このまま返す訳にもいかないでしょう!」
「別に我は献上品なぞ求めてはいないが、返す訳にもいかないというのは何故だ?」
「何故って、そう易々と人間種に魔王様の姿をお見せするものではないはずです!魔王様の姿を見た者は人間種尽く死ななくてはならない!……そうだ、それではこうしましょう!」
そう魔族の言葉が聞こえた次の瞬間だった。
ぐずあ。
「……え?」
経験のない衝撃に思わず目が開く。そしてそのまま自分の胸の辺りに顔を下げると、そこには魔物の腕が見えた。瞬時にそれが自分の体を貫いているものだと悟った。
「アヴィステラ!」
急に女性の声がしたのとほぼ同時に、魔物の腕が砂のように流れ落ちて消えていく。
支える足に力は入らず、自分の体を支えていた魔物の腕が消えたことで俺はその場に倒れ込む。
熱い。暑い。あつい。アツイあついあついあつい――。
「イグルミさん!イグルミさん!!」
シェナ、さん?
声は出ない。ただ地面から見上げたそこには、ここにいるはずのないシェナさんの顔があった。
「イグルミさん!しっかり!気を確かに!いま助けるから!」
瞼が落ちてくる。眠いのかな。確かに、ああ、いい日差しだ。眠い。眠いよ。眠い……。
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