11.シェンガ・ルビニーア

「シェナ、お客様だ」

 階段を上がった先、ドアを開きながら男はその人の名前を口にする。

「ん?ダロ、休憩入ったんじゃなかったかい?」

「店出た途端に、門兵からお客様を押し付けられた」

「よくわからないことを言うね。――それで、そのお客様とやらは随分血塗れに見えるけど?とりあえず、人間のものではなさそうだね」

「ああ」

 その人は、身体に見合わない大きな机で何か仕事をしていたようだった。

 長い銀色の髪は窓から射す光を反射させ、肌は透き通るように白い。そしてそんな白か透明とは対称的に、深い青の眼は、見るものの内面を暴くような、俺のとは別の鋭さを持っている。

 そして、何故か軍服みたいのを着ている。

「こんにちは。一応確認だけど、ニホンの人だね?名前を聞いても?」

「シェナ。こういう時は自分から名乗るのがマナーってもんだ」

「ふむ。それもそうだ。じゃあ先に自己紹介といこう。私はシェンガ・ルビニーア。だ。ニホンではこういう文化もないと聞いたけど、通名で呼ぶのがアーウェズトこっちでは普通でね。シェナと呼んでくれ。そして、私はここ、アーウェズトギルド異世界部門の代表を務めている」

「俺はダロイヤ・ガラサッレ。ダロ、でいい。同じく異世界部門で、シェナの担当外のことは全て任されている」

「ん?まだ名乗ってなかったのか。マナーは?」

「休憩中だったからな」

「絶対にそういう問題じゃないとは思うが……今は名乗るんだね」

「この時間は時間外労働というやつだ。午後はきっちり遅れて戻るからよろしく」

「……いいだろう」

 見た目ではダロさんが上司、というかシェナさんが部下というふうにしか見えないけど違うらしい。というか、すわった姿とはいえシェナさんは背格好からすれば日本での高校生くらいだろうか。服装には違和感しかないけど。ただ、異世界ではそんな基準が通用するとも限らない。見た目で判断するなんて無理な話なのかも。……いや待て、異世界に軍服なんてあるか?

「さて、では改めて。名前は?」

「あ、はい。弋灯哉といいます。イセカイ運輸……って言って伝わりますか?今日からそこに勤めることとなり、初めてこの世界に来ました。所属は探索部です。ええと、弋と呼んでもらえればいいかなと思います」

「と、自分はイセカイ運輸の人間だと言ってる」

「別に、向こうの人かなんて私たちにはわからないし、今朝の犯人じゃないならいいんじゃないかい?けど、まずはそうだね……」

 シェナさんはそして、少し困ったような表情を見せる。

「別に転移者の人達にもこっちの文化を強要するつもりは無いけど……まあ変にそちらのルールを押し通されるよりもいいか。それじゃあイグルミさん。その服の血はどうしたんだい?アーウェズトで今朝何があったかは聞いてる?」

「さっき門番――門兵の人達に捕まった時、殺人があったとは聞きました。ですが詳しいことは何も。ただ、この血はですね――」

 幸い、さっき門兵とは違い、目の前の人たちは俺のことを事件の犯人だとは思っていないらしい。イセカイ運輸の社員であることは疑われてるようだけど、今は別にいい。とりあえず更なる誤解だけは生まないようにと注意しながら、この世界に来てからのことを話した。

「――というわけです。山田さんがいれば全て説明がつくと思うんですが、こっちに来た時にはぐれてしまったみたいで……」

「なるほどね。聞く限り、辻褄は合ってるみたいだ。少なくともヤマダさんのことは知ってるから、ある程度信じても良さそうかな」

「別にアーウェズトこっちに来てる人間なら、ヤマダさんを知っててもおかしくないんじゃないか?」

「いや、ヤマダさんはウチとのやり取りの担当だから、転移そのものの窓口はやってないと聞いている。だから普通の転移者はヤマダさんのことは知らないと思うね。あと転移者がイセカイ運輸の部署の名前を知ってるとも思えないから、それも立派な証拠かな。でも信じるのに最も値するのは――」

 そこまでシェナさんが言いかけて、後ろからドタドタ階段を駆け上がる音が聞こえた。そして勢いそのまま、ドアが開けられる。

「す、すみません!こっちに弋ってやつが……」

「――ヤマダさん本人に聞くことだね」

 息を切らしていた山田さんは、俺を見つけると飛びついた。

「い、弋ぃーーー!!」

「――う゛っ!」

 自分よりも体格のいい成人男性から実質体当たりのようなハグを喰らえば、さすがにこんな声も出ようよ。こっち来て身体強化されてるはずだったのに。あ、それは山田さんもか。

「――ダロ、そういう訳だ。もはや疑う必要も無いだろう。……感動の再会のところ悪いんだけど、ヤマダさんから説明していただいても?」

「……ああ、すみません!だいぶ俺も焦ってて」

 シェナさんに声をかけられ、山田さんはやっと俺を離す。本当に焦ってたんだろうな。それだけはわかる。

「弋くんも、悪かった。完全に俺が色々と忘れてた。……それで、説明ですね。先に彼の紹介からさせてください――」

 山田さんは、そう言って俺の紹介をする。内容はさっき俺が言っていたことと齟齬もないから、聞いていた二人も納得してくれた様子だった。そして二人に、そして俺にも向けて、何があったのかを話してくれた。

 山田さんの話によると、こっちの世界ではアーウェズト周辺にと呼ばれる箇所がいくつか点在しており、アーウェズトへの二回目以降の転移では、直近で現実世界へ戻った時の場所から最も近くにあったスポットに必ず転移されるらしい。スポットは場所がわかっているので、その全てに小屋みたいなのが建てられていて、だいたい転移すると用意されているベッドの上とかで目が覚めるらしい。

 ただ、俺みたいに初めてアーウェズトに来た時はスポットには転移されない。ではどこに転移するのかというと、俺が目覚めた森の、それも山田さん曰く、というそこそこな範囲のどこかに転移するらしい。でもそこは、俺が身をもって経験したように凶暴な熊っぽいの(ああいうのは総称して『魔物』と呼ぶらしい)とかが普通に生息している。異世界初心者が独りで放り出されたらあまりに危険なため、初めて異世界に転移するときにはそこにほど近いスポットにイセカイ運輸の職員が護衛のため転移するようにし、すぐに合流して安全を確保している。しかし今回は、山田さんが間違って遠くの転移先のスポットに転移してしまったとのことだった。さらに普段なら魔法で周辺を探知して合流できるけど、それも魔法の範囲外だったそう。

 で、急いで向かった森で探知魔法を使ったところ俺がそこにいなくて、何やかんやでやっとアーウェズトのギルドに俺がいることを見つけて急いでやってきたという話だった。

「だけど、イグルミさんがギルドにいるって気がついたのなら、そんなに焦ることもなかっただろう?」

「いや、探知魔法が生きてる人間だけに反応するのかわからなかったので……」

「そういうことか。一応言っておくと、その魔法では死んだ人間は探せないよ。あくまで魔法の使用者がイメージできるのは生きてる相手だけだからね。それに生きた人間と死体では魔力のまとわり方が違うから、そもそもその魔法の仕組みからしても探すことはできないよ」

 魔法に魔力!現地の人の口から聞けた、しっくりくる異世界感。死んだ人間だとかなかなか恐ろしいことを二人が話してるようだけど、やっぱここは普通の世界じゃないんだとちょっと感動している。

「それに転移者は、死んでも死体は残らないだろ?」

「……あ」

「そういうことだ。まあそれが頭から抜けるくらいヤマダさんも焦っていたということだね」

「すみません……」

「それもイグルミさんを心配してのことだろう?私としてはそれを責めるつもりはないよ。それでヤマダさん、事情は私もわかった。今日はどんな用事……って、それがイグルミさんの紹介だったのかな?」

「はい。それがメインです。弋くんは今日から私と同じく、イセカイ運輸の人間としてお世話になることになります」

「よ、よろしくお願いします」

「ああ。こちらこそ、よろしくね。それで、今日はこれからどうするんだい?イグルミさんの紹介以外に仕事の話でもあった?」

「いえ、今日は特には。紹介の後は弋くんに、この国を案内しようかとは思ってました」

「そうか。ならゆっくり見て回るといい。だけどその前に、その血だらけの服くらいは着替えた方がいいね。ダロ、替えの服を用意してくれ」

 シェナさんに言われ、ダロさんは隣の部屋から上下の服を用意してくれた。

「すみません。ありがとうございます」

「気にするな。むしろその格好で出歩かれても困る」

「こら、ダロ。もうちょっと言い方ってものがあるだろ。……ところで出かける前に、ヤマダさんに一つ聞きたいことがあるんだが」

「はい!何でしょう?」

「今朝――こっちで言うところの今朝、イセカイ運輸の職員か、そちらの客の誰かでこちらに転移している状態だった人がいるか、わかるかい?」

「今朝ってことは、たぶん私たちが転移する前ですね。であれば、少なくとも職員にはいませんでした。お客さんについても私は聞いてません。ですが、どうしてそんなことを?」

 山田さんの問いに、シェナさんは小さくため息をつく。

「今朝、街の中で殺人事件があった。事件が起こったのが朝早くであったこと、場所も狭い路地裏という人もいないところだったこともあり、後になって死体だけが発見された。詳しいことは憲兵団が調べてるけど、現時点では何も詳しい情報は出回ってない。むしろ意図的に隠してるようではある」

「そんなことが……」

「ちなみにイグルミさんも、最初は門兵がその犯人だって言って連れてきたよ」

「え」

 シェナさんと、俺も頷く。再び申し訳なさそうな顔をする山田さん。

「その……犯人の情報って、シェナさんにも届いてないんですか?」

「それが、今回は何もなくてね。よっぽど秘密裏に進めたいのか、もしそうなら可能性としては……」

「うちの会社の人間、特にお客さんが犯人だと疑われているということですね」

「たぶんね。刃物だとか単純な手段でなく、一般的な魔法でもない。そんな殺され方でもしていたんだろう。だったとして、それじゃあ魔物の仕業って線の方が普通は強いんだけど、如何せん事件があったのは街の中だからさ。立場上、一応そういう線も疑っておかないとね」

 結局それから、簡単な挨拶の後、やっと休憩に入れるダロさんに連れられて山田さんと建物を出た。そこは正確には『アーウェズトギルド 異世界部門』というらしかった。ギルドというのは各国にあり、日本でいうところの役所のような役割を担っているらしい。そしてここは、世にも珍しい異世界関係専門の部署だという。「まあ、部署といっても私とダロの二人しか正式な職員はいないんだけどね!」とはシェナさんの言葉。

「ほんとごめんな、弋くん。入社初日からこんなことやらかしちまって……」

 ダロさんと別れてから山田さんが最初に言った言葉だ。言葉の通りにかなり反省してるといった様子。表情からよくそれが伝わってくる。

「いえ、結果として僕は無事ですし、今日の一番の目的だったシェナさんにもお会いできたのでよかったです。いい人たちですね」

「いい人たち……まあそうだな。俺の知っている限り、確かにいい人たちだ」

「?」

 随分と含みのある言い方だ。まあ、一概に「いい人」といっても、色んな意味があるだろう。増してやここは異世界。価値観だって現実世界と同じなんてことはない。

「――さて。じゃあ挨拶も済んだことだし、アーウェズトを回ろうか!」

「はい、よろしくお願いします」

 ……まあいいか。さっそくドタバタのスタートになったけど、今日は仕事初日。シェナさんたちにはこれからお世話になる予定だし、少しずつどんな人か知ることもできるだろう。


   ◇


「――なんだ、また来たのか。上に立つ者っていうのは案外ヒマなのかい?」

 シェナ以外には誰もいないはずの部屋。陽の届かない仕事場の隅、そこに向かって声をかけると、誰かの声が返る。

「――ヒマ、といえばヒマだな。第一、戦争でもなければ我の出番など無いに等しいよ」

 その闇の中――実際に闇の中から、一人の人物が現れる。顔の全てまで漆黒の鎧に身を包んだその人物は、その言葉通りというか、むしろというか、戦場の真っ只中にいるような格好である。しかしその姿は騎士などではなく、むしろ戦場で敗れた者たちを迎えに来た死神のようでもある。

「ところで、例の事件は魔族、あるいは魔物の仕業かい?」

「どうだろうな。我とて全てを把握しているわけではない。むしろ自由な奴らばかりで困っているくらいだ」

「そんなことを言っても、どこの世界でも種族でも、部下の指導は上司の仕事と決まっているものだよ。さっきまでイセカイ運輸の人達たちが来ていてね、新人さんが入ったから紹介に、ってさ」

「ほう。どんな奴だった?」

「新人らしく緊張してたかな。あとは、失礼極まりないのだけれど、目がこう、魔物のようだった」

「それを貴殿が言うのか」

「ん?喧嘩かい?喧嘩ってなら私は確実に負けるわけだが、受けて立つのが人間種としての矜恃ってやつだよ」

「ふっ、冗談だ。我にはその気がない」

 二人がそんな話をしていると、影がもう一つ、突然シェナの隣に現れる。

「――ただいま戻りました」

 黒髪を高い位置でポニーテールにした、黒服の女性。見た目は人間そのものだが、漂わせる雰囲気が実際にはそうでないことを表している。

「おかえり、ゼタク」

「はい。……そして、お久しぶりです。いらっしゃっていたのですね」

「ああ。ゼタク、お前も元気そうだな」

「はい。――それでシェナ様。承っていた件ですが」

「ああ。どうだった?転移者の可能性は?」

「ほぼ間違いなく魔物か魔族でしょう……よい報告ができず申し訳ございません」

「謝る必要はない。しかし起きたのが国の中である以上、魔族と考えるべきか。そうなると、この国の憲兵団にどうやって伝えたものか……」

「待て。やったのが魔族というのであれば、我の領分でもあるというもの。ここは我に任せてもらいたい」

「それはつまり、国の中を探し回るとかそういうことだろう?そんなに自由に国内を動かれると、この国と、何より前の勇者の立場がないのだが……」

「シェナ様。仮に今回の件がそいつらの仕業なら、既に国へのそいつ侵入を許していたということです。私たちはどこかにあるはずの結界の穴を探すのを優先すべきかと」

「……そうだな。そういうことなら、この件は任せるとしよう。必要ならゼタクを行かせるかい?」

「いや、いい。言ったように我もヒマをしていたのだ。次の被害が出る前には片を付けよう」

「そうか。なら任せるとしよう」

 その言葉を聞くと、漆黒の鎧は周囲の黒に同化するようにして音もなく姿を消した。

「そうは言ったけど、私も一応見張っておくか……ゼタク。私らにとっては有難いことでもあるのだけど、君の上司、あれでいいのかい?」

「上司ではなく、元、上司です。……が、歴代これまで色んな方がいたと聞き及んでいます。さすがにあれほど方はいなかったでしょうが、私としてはシェナ様に危害を及ぼさない限りはどうでもいいですね」

「……そうか」

 シェナは椅子の背もたれに体を預け、独り言のように言葉を零す。

「数年前に勇者が誕生したというし、間違いはないのだろうが。しかしまあ、もしもこの世界の常識を変えることができるのなら、過去にも未来にもあの者の他には現れないだろうな。さらには同時期に現れた転移者……。何か神の意図を感じずにはいられないよ」

「………………」

「ゼタク。私はね、怖いんだ。人間が築き、歴史こそ浅かれ積み上げてきたこの国、さらには世界の一部が、もしかすると全てが、たった一人によって壊される。それが例え人の命でなかったとしても……。その先にあるのは、よりよい世界かもしれない。少なくとも今の私はそう信じているし、信じたい。だが、そんなのはたった一人の人間の希望でしかない」

 「……シェナ様」

 ゼタクはシェナを、静かに抱きしめる。ただそっと、自分が力を込めたら小枝のように折れてしまう、そんな彼女を抱きしめる。

「私に教えてくれ……お前は何者なんだ?――」

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