4.社会はこわいところ

「よし、では改めていぐるみくん。ここが俺の勤め先の、『運輸』だ」

 彼――山田やまだ龍生りゅうきさんの提案で、もう暗くなった外ではなく、建物の中で話をすることになった。

「『イセカイ運輸』……なんと言うか、変わった名前ですね」

「そうだな、会社の事業そのものが変わってるから名前もそれに伴ってるという具合なんだが、変わっているのはその通りだな」

「?」

「さて弋くん。俺は君にいくつか教えることがあると言った。君がトラックに轢かれた、ってのは話した通りだ。それについては思い出せたな。ただ腑に落ちてないこともあろうとは思う。ま、君の中の疑問は解決してないだろうが、とりあえず置いといてくれ。ただ先にこれだけ言っとくと、轢かれたという割に君が無事なのは、俺が超、ちょーゆっくり運転してたからだな」

「言われてみれば確かに、怪我らしい怪我はなかったです」

「だろう?」

「でも、その割には意識を失ってたみたいですが――あ、もしかして、俺――僕が驚きすぎて失神してたとかですか」

 もしそうならイヤすぎるな。自分から轢かれておきながら、ただとんでもなくびっくりしたなんて理由であのザマだとか。そう思ったが山田さんが否定する。

「そうじゃあないんだなこれが!」

 それも、妙に嬉しそうに。

「ではどういうことなんですか」

「それはだな」

 山田さんは言って、こほんと咳払いをする。

「弋くん、君、って行ったことあるか?」

「異世界……ですか?」

「ああ」

 異世界……イセカイ……。うん、『イセカイ』が指すものなんて『異世界それ』しかないよな。テレビでよく観光地を「見てください!まるで異世界です!」とか取り上げてるのは見るけど、山田さんが言ってるのはそういうことじゃないだろうし。

 異世界、異世界……。

 と、頭の中で繰り返したが、答えなんて考えるまでもなかった。

「たぶん……というか、無いですね。無いです」

「そうだな。

 変な言い方をする。まるで俺が、異世界なんてのに行ったことがあるというような――。

「弋くん。君はね、異世界に行ったんだよ」

「――はい?」

 この人は何を言っているんだ?

「『この人は何を言ってんだ?』とか思っただろ」

「……いいえ?」

 おっと、読心術かな。

「一応だけど、怒ってるわけじゃないからな。だけど考えてみろ。さっき弋くんは言ったよな、知らない森の中で目が覚めたらドラゴンに出会ったって。お、なんか『森の熊さん』みたいじゃない?」

「いやまあ、確かにそうですね……じゃなくて、言いましたけどドラゴンっていうのは夢の話で……」

「それがもし夢じゃなかったとしたら?」

「いや、そんなわけないっていうか。だって僕は、今こうして山田さんの目の前にいるわけじゃないですか。それも夢の中で――夢の中で、そのドラゴンに殺されたんです。現実であるわけがありません」

 俺の言葉を、山田さんはうんうんと頷きながら聞く。

「言っていることも、言いたいこともわかる。じゃあここで、俺の会社の説明といこうか!」

 山田さんは立ち上がると、近くにあったホワイトボードに大きな文字で書き始める。

「『イセカイ運輸』――これが、俺の勤めている会社の名前だ。さっきも言ったし言われたけど、変わった名前だろ?とはいえこれが一番わかりやすいし、間違いない。何せこの会社のやっているのは、顧客へのの提供だからな!」

「それはつまり、『まるで異世界のような体験』ってことじゃなく……?」

「そう、そんなありきたりな、よくある口説き文句なんかじゃない!『まるで』なんて偽物でしかないだろ。うちは正真正銘、異世界に行ってもらうんだ!もちろん身体はこっちの世界に置きっぱなしだから、意識だけだけど『転移』っていう言い方をウチだとしてる」

 何か悪い宗教の勧誘かもしれないと、そう思った。でも山田さんの目は、とても嘘をついているようには見えなかった。

 ……まあそれほど彼が本気でのめり込んでしまっている可能性は否定できないけど。その場合は、残念だけどこの人はもう手遅……。

「おや、なにか言いたげな感じ?」

「え?いや、あはははは」

 危ない危ない。山田さんは読心術の使い手(仮)だった。

「じゃ、じゃあですね、僕がドラゴンとか見たっていうあれは、つまりあそこが異世界だったって言いたいんですよね?」

「そう。実際に現実ではありえない体験になったろ?」

「でも本当に異世界に行ってたとして、僕、特に山田さんに何かされた訳でもないんですけど」

「いやいや、ちゃんとされたじゃないか」

「何をですか?」

「正確には違うけど、轢かれただろ、トラックに」

「確かにそうですけど……それとどういう関係が?」

「なんだ知らないのか。異世界に行くにはトラックに轢かれる。これ、常識」

 んな馬鹿な。

「あ、ほんとに知らない?そういうアニメとか見ない?若者はみんな見てるんじゃないんだ」

「アニメとか、それなら言いたいことは一応わかるんですけど、ちょっと現実に常識として持ってこられても困るというか……」

「そうか」

 そう言って、山田さんは心底残念そうな顔をする。あれ、これ俺がおかしい?違うよね?

「つまりですけど、この会社では異世界に行きたいって人をトラックで轢いてあげてるってことですか?」

「いや、それは普通にダメだろ。車に轢かれたら人間死ぬし。身体がダメになるんだからな。それに道交法とか殺人未遂とか、なんかもう色んな容疑で俺たち捕まるもん」

 は?

「でもトラックに轢かれたら異世界に行けて、この会社ではそれを仕事にしてるんですよね」

「そうなんだが、厳密には轢かれる必要はないんだよ。強い衝撃で衝突さえすればできる。具体的には人間側が走ってぶつかればいい。もちろん普通のトラックじゃダメで、特別なトラックだけだけどな。さらに言えば、技術的にというかで言えば、ぶつかるのが別にトラックである必要すらないとか聞いたこともある!」

「じゃあ何でトラックにしてるんです?」

「そういうもんだからな。常識的に」

「常識的に」

 いけない。輸入された常識に置いてかれている。

「えっとつまり、僕はその特別なトラックとやらに轢かれて、異世界に行ったということですか」

「そうだな。今回行ってた異世界は、まあ体験版みたいなもんではあったけど……とりあえず、そんな感じだな」

「例えばですけど、今回は僕が死んだから戻ってきたじゃないですか。もし異世界むこうで生活できちゃったらどうなるんです?」

「あくまで今回の世界はって話だけど、本当なら、ゲームをやめるみたいにいつでも自由に戻ってこれるようにするつもりだ。ただ、ちょうどその機能はできあがったばっかりでさ。明日にでも試験導入しようってところだったんだよね。つまり今日時点では、もしかするとそのまま異世界生活を楽しんでもらうことになってたかもしれなかったな!」

 なるほどね。危うく異世界人として余生を過ごすことになってたかもしれないわけだ。むしろ俺は、ドラゴンに感謝すべきなのかもしれない。

「……ん?そういえばさっき、車で轢くのは法律違反だから客から車にぶつかってもらってる、って言ってましたよね」

「ああ」

「これは単純に疑問なんですけど、僕、結果的にはさっき轢かれたわけじゃないですか。法的にはどうなるんですか?」

 ただ純度の高い疑問をぶつけたつもりだったけど、なんか脅してるみたいになったな。でもほら、防犯カメラとか写ってたら色々後で面倒そうだなって……。

 すると山田さんが俺に近づき、両肩にぽんっと手を置く。

「弋くん、そうなんだよ。だからさ――」

 そして山田さんは急に笑顔になり、言った。

「なにか、弱みとかない?」

 やっぱ法的に問題ありだったらしい。とはいえそんなあからさまな脅迫があってたまるか。

「いやいやそんな顔しないで。世間話というかなんというか、ちょっとそんな話をしたいなーって思っただけでさ!特に!特に深い意味とかは無いっていうか!」

「え、えっと……」

 山田さんを眼前にした俺が、視線を逸らして言い淀んでいると、両手を離して大きな声で笑った。

「……わははは!悪い、軽い冗談のつもりだったんだが、そうだよな、この見た目の野郎が今みたいなこと言えば怖いよな!悪かった、忘れてくれ」

「……脅かさないでください」

 言っちゃ悪いけど、山田さんの見た目はそこそこアレだ。話した感じから、恐らく中身はいい人なんだとは思う。ただ目の前にあの顔、あのセリフと相まって、なかなかの破壊力だとは思った。

「じゃあさ、弱みって訳じゃないけど、なんか困ってることとかない?個人的な悩みでいいんだけど。さっきの話、ぶっちゃけ俺としても実際バレたらマズイんだよね。手を貸せることならやるからさ」

 そう山田さんはだいぶ苦い顔で言う。実際に法律違反にはなりそうだから、警察沙汰とかなればそれはさぞ大変なんだろうと思う。

「まあ困ってることはありますけど……」

「お、なんだ!」

「でも山田さんに話すことでは無いというか」

「なんだよ水臭いな。俺とお前の仲だろ」

「どんな仲ですか」

「罪を共有してる仲」

「………………」

 やっぱ脅しじゃないか。

 しかしさておき、困ってることといえば、ある。

「じゃあお話しますけど、僕、いま無職なんです。何社落ちたかわからないくらいで」

「就活ってことか?まあ確かに、最近は就職先がないってよくニュースで言ってるもんな。弋くんは大学生?」

「いえ、この春に大学は出てます。就職浪人ってやつです」

「俺が偉そうに言えることでもないんだけど、会社がとってくれない理由に心当たりは?」

「よく以前から、感情が表に出ないことは指摘されて育ちましたね」

「ああ、俺もそう思う」

 やっぱりかー。

「なんて言うか……怒るなよ?死んだ魚の目ってよく言うじゃん。それとは違うっちゃ違うんだけど、目に生気がないというか、常に無気力っていうか。目を合わせるとこっちまで力が抜けてくるような感じかな」

「その辺については自覚がありますね」

 もちろん感情がないとか、喜怒哀楽を感じないわけではない。ただ、それらが顔、言葉、行動その他に出にくいだけ、と思ってる。直したい気持ちはあるけど、どうすればってのもわからない。とはいえ就職が上手くいかないのがこれが本質的な原因かはわからないけど。

「そうだな……じゃあ俺から提案がある」

「はい」

「弋くんさ、この会社で働くってのはどうだ?」

「この会社で……ですか?その提案は願ってもないことですけど……いいんですか?何社も落ち続けてるような人間ですよ?」

 山田さんは少し首を傾げ考えるが、「まあ大丈夫だろ」と軽く言う。

「何せこんな俺が雇われてるんだ!その理由でもあるんだけど、ウチの特異性っていうかで、社員も好き勝手増やせないから人手は不足しがちでね。で、真面目そうな若者なんて余計に貴重なんだから、社長も欲しがるだろ!」

「そういうもんですか」

「そういうもんだ」

「というか山田さん、そんな人事的な話を決められるんですか?」

「いや、まさか。あくまで中に話を通すだけだ。だけどきっと大丈夫だろ。で、どうする?」

「えっと……」

 急な話だし、第一この会社のことを何も知らない。この場で決める訳にもいかないというのが正直なところだよな。あと山田さん。人事権ないのに採用だとか軽く言ってるけどいいのか?

「とりあえず、今日のところは持ち帰ってもいいですか?」

「もちろん。ただ、この会社のことはネットとかで調べてもほとんど出てこないぞ」

「え?なんでですか」

「だって異世界転移なんて事業、大っぴらにできねえもん。聞いたことないでしょ?だからネットに出すなんてもっての外ってもんよ」

「どういうことですか?」

「言っただろ、うちの会社のやってる事は普通じゃないんだよ。だって、つまりは客をトラックにぶつからせて、その上で身体は残したとはいえ客を異世界に転移させてるんだぜ?これが合法に聞こえるか?」

「合法というか……もはや法律の範疇にはない気がしますね」

「それはそう。だけど、いずれこんなこと公にされたもんなら色々とマズイことになるとは思う。だからあえて、広く知れ渡ることのないようにしてるってわけだ!」

「それ、就職するかもしれない相手にしない方がいいと思いますよ」

「いや言うね!普通にダメだろこれ」

 やっぱダメなんだ。だとして山田さんが言うか?

「すると、それを承知の上で決めないとなんですよね」

「もちろん」

「でもさすがに、それだと簡単には頷けなくて……」

「だけど弋くんは頷くんだな!」

「どうして決まったことのように言えるんですか」

「いいのかな弋くん?この会社に不法侵入して、さらには見方次第じゃあトラックに体当たりしたようなもんだからね。あそこって確か監視カメラに映るところだったと思うなー」

「………………」

 やっぱりそういうことですよねー。

「一応確認ですけど、もしかして脅されてたりします?」

「いやいや、まさか!ただちょっと、ちょっとだけこの後どうなるかなーって想像しただけで!」

 どうなるんだよ……どうなるんだよ!

「でも、そこまでして僕を誘う必要ってあります?人手が足りないかもしれませんが、別にわざわざ俺を雇う理由もない気がするんですけど」

「会社になくても、俺にあるんだよ」

「それは何ですか?」

「いやほら、仮にも俺も弋くん轢いたわけだし……」

「ああ……」

 つまりこれは。

「僕が雇われれば、お互いに余計なことを隠したままになるウィン・ウィンの関係ということですね」

「うん。さらに俺は弋くんにいろいろこの会社のことを話した。で、話した通りこの会社は普通じゃない。じゃあ普通じゃないこのことを知った君が、もし言いふらしたりしたらどうなるかな!」

 まさかの二段構えだった。

「ちなみにウチの社長、見た目は俺みたいな方向の人で、中身も見た目通りの人だよ!」

 どこまで予防線張れば気が済むんだ!

「では弋くん、この会社に入ってくれるかなー?」

「……はい」

 ノリが悪いぞーとやや不服そうな山田さんだけど、それより不服な俺がいるのだから許してほしい。

 だけど一方で、この無職生活にもサヨナラバイバイできるのではないか、果たして会社がどんなかはさておき、内心ではそのことに微かな喜びを感じたり感じなかったりの俺だった。

「じゃあたぶん上司とかとの面接って話になるから、日程連絡のために連絡先教えて?」

「あ、はい」

 久しぶりに使った、アプリの連絡先交換機能。毎回使い方忘れるんだよね。今回は山田さんに言われた通りにしてスムーズに終えられた。

 ………………はっ。

「ありがとー!」

 そう言いながらスマホをしまう山田さんの口角がさっきより上がっていることに気がついた。これでもし弋が逃げてもいつでも連絡できるね!そう山田さんの心の中が読めた気がした。いつの間にか俺も身につけてたのか、読心術を。

 個人情報は大切にしよう。急に社会人の入り口に立たされた、そんな気分だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る