終章 汐が矜持を損なわないワケ 全4話
第一話 紅月汐、彼女の優雅な1日は、土木作業員のコーラを飲むところから始まる
それらの儀式めいた時間が終われば朝から冷水のシャワーを浴びる。強いて言えばこれは体の目覚めを促すと共に寝癖をセットしやすくする為である。汐本人としてはこのシャワーを浴びるという行為の意味が分からなくなった時、多分自分が完全に人では無くなるだろうと仮定し、自分の観察記録を兼ねて嬉々としてサッパリするこの時間を楽しんでいる。
冷たい水に頭も冴えてくると、次は本日の予定を思い出す。記憶する事は昔から得意だった。FRSを発症する前からなのか、それとも発症していたからなのかは分からないが、十年前の天気ですら思い出せる。
夏休みも半分が終わった。
今年の夏休みはとても予定が多かった。
学校の図書室と図書館に入り浸る日々と思っていたが、
「紅月さん、夏祭りに行きましょうは八日後か」最近友人となった少女に誘われた。「りんご飴はマストだな」と購入する物は既に決定した。
ドライヤーで髪を乾かし、マウスウォッシュで口の中を洗浄すると、冷蔵庫へと向かった。必要な物は牛乳。そして、どっしりとした重みを持ったココア味の粉が入った袋。ジムに通う人達の殆どが愛用しているプロテインである。汐は動物性タンパク質のホエイプロテインと植物性タンパク質のソイプロテインをブレンドして牛乳で摂取する。
汐は食事がとても好きだ。人より大食漢である。故に、前日の晩、予定していた以上のカロリーを摂取した際、肥満予防として朝食を抜くか、こうしてプロテインで置き換えるようにしているのだ。
前日は友人の永空とその友人達とカラオケに行って、その帰りに突発で焼肉の食べ放題に向かった。その日の晩は皿うどん、天秤にかけた結果、汐は母に夕食は不要である事を伝え、本日のカロリー調整に至るという事だ。もちろん皿うどんは冷蔵庫に潜み、本日の昼に食べるつもりだ。
「本日の予定は図書館で永空と勉強をする事になる。夕食までには戻ってくるけど、カフェくらいは寄るかもしれないねぇ」
部屋に戻り、本日着る服を選ぶ。外は年々暑くなる。だが汐は夏という時期は嫌いではない。レジャーも食事も、そして開放的な服装も。永空は汐は流行りという物に疎いと思っている。だがしかし、汐の趣味はネットサーフィンでの情報収集である。「髪型も変えてみようか?」そしてもう一つの楽しみは、汐の行動を予想しなかった永空の反応を見る事。
永空程長い髪ではないのでアレンジの幅は限られている。ネットで調べると、おしゃれなお団子ヘア。水商売の女性が好みそうなそのセット方法を汐は器用に真似てみた。
髪型に合わせて服は少し攻めてみようかとクロゼットを開く。汐には好きな服装という物はない。だが、自分の認識できる世界を増やす為に多くの服を持っている。
中にはクラスメイトの真弓や明日香に選んでもらった物もある。ここから導き出したコーデは
服装が決まったので続いてはメイクだ。愛らしい韓流メイクも悪くないが、この前明日香に施された病みメイク。自分の顔が随分違って認識したのでいつか自分でメイクしてみようと思っていた。鏡に映る自分の姿は世界で認識されている姿とどこまで一致しているんだろうとふと思う。
メイクが完成すると、永空との待ち合わせの時間まで勉強やネットサーフィンでもして時間を潰そうかと思った。それには飲み物が必要だと気づく「コーラだな。ゼロカロリーの」と前日のカロリー摂取の事を忘れない。ノートを広げて、ゼロカロリーのコーラを前に準備は完了。
メイクが崩れないように金属製のストローをグラスに入れて一口。最近のゼロカロリーコーラーは美味いと思う。炭酸飲料の中ではコーラが一番美味い。いまだに王者として君臨しているのは歴史が証明していると汐は概ね納得。
汐は大学に行くつもりはない。というより、大学生まで自分が自分を保っているとは思っていない。それでも学校の勉強はしっかりとこなしている。これも汐としては世界を認識する為のトレーニングの一環でしかない。成績がそれなりに優秀で真面目な汐に当然教員は大学の推薦をいくつか持ってくるようになる。
が、それら全てを汐は断っていた。
「大学か、異世界に行くより現実味のない話だね。あぁ、
汐からすれば高校の勉強は既に通過してきたような物。行きたいと願った大学があればどこへでもいけるだろう。ただし、必要なのが学力でも学費でもなく残り時間というのが笑えないジョークだ。ただし、そんな人はFRSに限らず日本中、いや世界中に存在するし、悲観した事はない。
「なになに? 工事現場の方のコーラの飲み方が素晴らしいとな?」
ロックアイスの袋にそのままコーラを流し込んで飲むその姿に汐の意識は持って行かれた。汐からすればあり得るかも分からない未来よりも今この瞬間の方が何倍も大切で大事なのだ。そして興味を持ったら実行したくなる。
コーラは冷蔵庫にある。ロックアイスは今手元にないのでコンビニにでも買いに行こうと即判断し財布を持ってトートバックにコーラのペットボトルを忍ばせる。
どうせなら待ち合わせの時間を早めて永空を呼ぼうかと思ったが、彼女にも準備があるだろう。汐はこの野蛮かつ、興味深いコーラの飲み方を一人で試してみようと家のすぐ近くにあるコンビニに向かう。このコンビニは子供の頃が贔屓にさせてもらっている。
袋に入った氷なんて今まで購入しようと思ったことすらない。家からコンビニ、僅か300メートル程の距離でもピーカンの外は身体が焼かれるように暑い。
汐はコーラの興味からこのコーラを飲む情景がはっきりと脳裏に映し出された。
「成る程、工事現場の方は凄いねぇ」
この暑さの中で身体を動かす事がどれだけの体力を使い、どれだけ厳しい現場なのか、スポーツドリンクなんかより、コーラの喉越しとカロリーこそ相応しい。コンビニ店員の大学生のお姉さんが汐の購入した物とトートバックの中身を見て察した。
「もしかして汐ちゃん、あのインターネットで一昔前に流行ったコーラの飲み方をしようと思ってるの? ほんと変わった子だねぇ。それにしても今日の格好どうしたのそれ? めちゃくちゃ大人っぽくて可愛いじゃん。彼氏でもできたの? 羨ましいなぁ!」
汐は否定も肯定もしない。よく行く顔馴染みの大学生。お菓子や筆記用具を買い行く際何度か顔を合わせていると話しかけてきてそれなりに仲良くなった。大学でバンドを組んでいるとかなんとか言っていた気がする。汐は楽器に興味があるわけではないが、楽しそうに話す彼女の事を汐も気に入ってる。それ故に、彼氏ができたというワードに対して「秘密だよ」と言っておいた。
それだけで、彼女の妄想は掻き立てられ表情が興味深かった。
「その格好とメイクだと、エナジードリンクの方が合ってそうだね」
地雷系女子のマストアイテムであるという事を汐は知らない。そしてエナジードリンクという物は一度飲んだ事があるが、不味くはない。しかしこれならコーラを飲んだ方が美味しいと思っているのでその意味を知る事はない。
永空と図書館での勉強会までまだ時間が十分にある。少しばかりこの危険なレベルの気温と紫外線の中を汐は歩く。どこのチームか知らないベースボールキャップに日焼け止めを念入りに塗っているが、暑い。夏の中に身を置き身体が疲弊して行くのがなんだか面白い。もはや人間は夏という季節の中、エアコン無しでは生きていけないんじゃないだろうかと汐は思う。「この辺りでいいかな」地域では大きめの“東田公園“その高温になったベンチに座った。
ロックアイスの袋の中にコーラを注ぎ込む。さしずめ巨大なカチ割り氷だなと汐は笑う。そしてストローを指して一口。熱をもった身体を想像以上に冷やされたコーラがその熱を奪う。
これは、大袈裟に言っても美味しいコーラの飲み方だなと汐は納得の満足だった。一人で何かに興味を持って一人で実践するというのは物心ついた時からそうしてきた。今回のこのコーラもまたそうだ。実際、試して良かったと思える感動を与えてくれた。だがしかしだ、ここ最近必ず誰かが近くにいたわけだ。
だから少しばかりこの一人でコーラを飲んでいるシチュエーションというものが不自然に思えた。ふと汐の前に一人の少女の姿。
「汐、アンタなにしてんの? えっ? なにそれ?」
昼食を食べた後、13時半に約束しているハズの永空が買い物袋を持って、呆れ顔で汐の事を眺めていた。汐が予想するに、どうやら本日の永空の昼食はコンビニではなくスーパーのサンドイッチとパックのカフェオレらしい。
永空は汐の格好とメイクをを見て半ば呆れながら尋ねた。「まさかナンパ待ちの実験? この暑さで頭やられた?」と聞くので「とら、とりあえずこのコーラを飲んでみたまえ」とコーラを渡す。
「おいしっ! はぁ? ほんと意味わかんない! これ飲む為にまさか?」
汐の説明、この炎天下の中で擬似的に土木工事をしている人の気持ちを理解し強烈に冷やしたコーラを飲んでいたところ、永空がやってきた。そしてこの心地よさとおいしさを共有できたと。
「いやぁ、とらにこの素晴らしさを知ってもらえて光栄だよ」
今更意味不明な汐の考えを理解しようとは永空は思わない。「あー、美味しい。美味しい。てかお昼一緒にたべない?」と言う永空の提案に対して汐は少し考えて冷蔵庫に本日食べるお昼ご飯がある事を思い出す。「いいねウチで食べよう」と自宅に誘った。
家は隣なので永空は一度準備に部屋に戻る。
「私のお昼、預けとくね! 着替えてカバンも持ってくる」
永空の購入した物を見ながら、汐はツナを挟んであるサンドイッチを見ながら、まだ永空が少年と呼ばれていた頃に好きだったおにぎりの具材を思い出し、性別が変われど好物の好みは変わらないんだなと少しばかり昔を懐かしむ。そして電子レンジに昨晩の夕食であった皿うどんを温める。永空はカフェオレを購入しているので、自分は麦茶でも飲もうかとグラスを用意。永空が来るのが遅いなと汐が思っていると、ようやくやってきた永空は汐に合わせたのか、ギャル風のコーデでメイクもやや濃いめの韓流風に仕上げてきた。そんな永空をみて、少しばかり汐は嬉しくなる。いわゆるツインズコーデという物を実践してくれたんだろう。
「可愛いじゃないんか、とら」
「アンタに合わせたんだから、汐」
今までの人生において、汐には友人と呼べる存在は今までに大勢いたのだが、汐にとって友人といえば、この永空が一番身近で気の許せる友人であると自身としても認識していた。故に、彼女を忘れた時が、
「ははは、とらがどんな反応をするかと思ってこんなお洒落をしてみたけど、女子高生らしくコーデを合わせるとは思わなかったよ」
電子レンジで温めた皿うどんを食べながら汐は永空とのランチタイムを楽しむ。テレビをつけるわけでもなく、リビングで、子供の頃からよく行き来した二人の家。予定より一時間早く集合した二人。「そういえば汐、合コンの件どうなったの?」と聞く永空に「四日後だよ」とナチュラルに答えた。
「はぁあああ? それって真弓達知ってるの? もっと早く言ってよ!」
「グループラインに送ったんだけどね」
汐は永空に対して殆どラインメッセージを送る事はない。それ故に永空は汐からメッセージが届くという考えが一切無い。基本電話がかかってくるので、普通に見落としていたらしい。「なんでこんな時は電話してこないのよ」と少し愚痴を溢す永空に汐はクスりと笑って食事を続ける。こんな反応が面白いので彼女に対しては少しイタズラをしたくなってしまうのは昔からだ。こんな態度故に、しばらく疎遠になった為緩急には気をつける。
エアコンの効いた部屋で食事をしてゆっくりしていると、今から暑い外へ出て図書館に行くという行動が非常に億劫になるもので、事実永空は汐の部屋で勉強でもいいかなと思っているが、汐にその理屈が通用しない事も知っている。
紅月汐という少女は、自分のたてた予定表を狂わすという事を絶対におかさない信念がある。
「さて、そろそろ図書館に行こうか?」
そろそろ言ってくるだろうなと、永空の方も観念して紙パックのカフェオレをずずずっと飲み干した。日照時間が一番高くなる頃に行動する汐の考えを到底理解できないが、カバンに筆記用具とテキストを入れた。
「汐って本当に図書館好きよね?」
予定がなければ週の半分は通っているんじゃないかと永空は思った。
「紙の本は図書室か図書館でしか触ってないからね」
そういえば昔、汐の部屋には大きな本棚があってずらりと本が並んでいた事を永空は思い出した。読んだ内容は覚えているから処分したのだろうか? 「自分が買いたい書籍は全て電子書籍で購入しているから、場所を取る本は図書館と図書室だけと決めてるんだ」と自論を展開された。
「紙の本と電子書籍って中身一緒でも何か違ったりするの? まぁ、図書館とかじゃ流石に電子書籍を借りるってわけにはいかないと思うけどさ」
玄関で靴を履いてしっかりと紐が解けないように結ぶと汐は永空の質問を答えた。
「私の場合はね? 本を持って読むという物理動作を忘れないようにする為だよ。内容を得たいだけであれば電子書籍で十分だからね」
最近は授業の教科書もタブレットでアクセスするようになった「本とか読んでないな」と独り言を言った永空をみて汐がうんうんと頷く。
「読書は趣味としてはこの国の人間であれば識字率が高いので、すぐにでも始められるパーフェクトな物だと私は思っているよ。時間があれば永空も小説の一つでも借りてみるといいさ」
図書館まではバスで15分くらいのところにある。バス停でバスを待っているだけで恐ろしく暑い。汐の家を出る前にバスの来る時間は予め調べて向かったわけだけど「バス来ないね」と言う永空の言葉に汐は笑った。
時刻表とスマホで検索した物を見比べている汐、永空は何か嫌な予感を感じていたが、その永空の嫌な予感は予感止まりで当たらなかった。
「停車駅が多いとかで遅れてるだけだろうね」
冷静に考えれば当たり前の言葉なのだが拍子抜けしてしまった。バスは十分遅れて二人が待つバス停で停車した。
「てっきり何かが起きたのかと私身構えちゃったよ」
二人がけの席に座った時、永空がそう汐に話かけた。
「もしそうなら実に興味深かったろうねぇ」
いつもの興味を持った時に見せる汐の笑顔を見せられた永空はカバンからワイヤレスイヤホンを取り出して片一方を汐に差し出した。
「図書館までの間、音楽聴くけど汐も聴く?」
最新曲をランダムに流しながらそれらを聴いていると汐が知っている曲のフレーズを口ずさんでいた。これもまた普通の事なのだが、永空からすればレア汐である。「その曲、いいよね?」と言うと汐が頷いた。
図書館に到着すると、まず汐は借りていた四冊の本を返却する。ジャンルは多岐にわたる。海外の文学作品から植物図鑑までこれら四冊に記載された内容を汐は記憶したんだろう。
昼からの到着だと自習室は既に埋まっているので、テーブル席に座って汐と永空はノートとテキスト、そしてタブレットをそこに置いた。
永空は宿題と並行して苦手な数学の勉強を汐に見てもらおうと早速勉強を始めるが、汐はというと、ずらりと並ぶ図書館の書物を見て玩具屋さんにきた子供のように表情を綻ばせる。本日この時間に読む本と、借りて帰る本を吟味するべくはじめの第一歩を踏み出した。人気の本をわざわざ予約したりしない。すぐに読める本を手に取り抱えていく。
そして、永空が行きたいと言っていた志望校の赤本も一冊無造作に抱えている本の中に忍ばせる。行きたい大学という場所はないし、もし行けたとしても恐らく日本国内にはないだろうと汐は大学についてあまり調べた事はなかったがオープンキャンパスは中学時代からよく参加していた。
その小中高との設備の差は魅力的で、興味がないといえば嘘になる。だがしかしどう考えても自分が大学生になる未来は見えない。
「とら、これ古いけど過去問。あとで試してみよう」
「えっ? 赤本。まだ私達一年生だよ」
「二年後、全く状況が変わってるかもしれないけど、備えていて損はないだろ?」
汐の言葉には永空はいちいち意味を探してしまう。それは二年後に汐とこうして勉強できるか分からないと言われているようで「受験前に手伝ってよ」とワガママを言ってみた。
思えば長い付き合いの二人だった。汐の頭脳を持ってすればもっとレベルの高い中学にも高校にも行けただろうに永空と同じ中学高校と進学していた。少年時代の永空と少女になってからの永空を知り、永空もまたFRSを発症する前とした後の汐を知る唯一の間柄である。
宿題はもう終わったのかと永空が聞かない理由。汐は小学校の頃から夏休みに入る前に宿題を終える習性があった。永空は本日目標としていた範囲の宿題を終わらせると、汐による苦手分野克服の勉強タイムを所望した。
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