私は、人間になりたかった

みかみ

第1話

 ――あぁ、もうすぐ死ねる


 少女は七歳にして『死』を望んだ。

 親に捨てられ、行く当てもなくただ街中を彷徨い続ける。

 空腹など今ではとっくに消え去り、親から受けた仕打ちに対しての怒りや悲しみなど今となってはどうでもよかった。

 ただ今は死に対する安心感で溢れかえっている。


 命の灯火の勢いが少しずつ衰えていく。

 瞼に重みが増していき少女は目を閉じる。


 ――とても心地がいい。走馬灯が見える。お母さんとお父さんがいる。食事をとっている。今日はとても豪華。パンにスープに、それにお肉まである。家族と喋って、ご飯を食べて、お風呂に入って、布団に入って、寝て、起きて、そしていつもの日常が――


「――っ!」


 誰かが夢の世界から強引に、少女を現実世界に引き戻した。

 声は聞こえないが、何かを呼びかけていることはわかった。


「――っ! ――っ! ――ぉぃっ! ――おい! ――おい君! しっかりしろ!」


 少女は肩を揺さぶられる。

 重い瞼を少し開けてみるとそこには男性が二人、少女の目の前にいた。

 はっきりと声は聞き取ることは出来ない。ただ、助けようと必死になってくれていることはわかった。


「早く治療しねぇとその子死んじまうぞ」


「あぁ、わかってる」


 そう言って男性は少女を横向きに抱き上げると、どこかに向かって走り始めるのであった。


 ――――――――――――――――――――――――


 一年が経過した。

 少女は男に拾われ、現在は一般的な教養を身につけている最中だ。


「ヘレナも大きくなったなぁ」


「エルメス様、それにファラート様のおかげでございます」


 少女の名はヘレナ。碧眼で体は年相応の見た目である。

 そしてヘレナを拾った二人の男性、エルメスとファラート。二十代前半の好青年である。

 基本的に家に残るのはヘレナ一人であり、エルメスとファラートは仕事の都合上家に居ることが少ない。

 限られた時間の中でヘレナは読み書きに算術、礼儀作法といったことを主にエルメスから学び、身につけてきた。

 

 そして今日、ヘレナが拾われ一年。記念すべき日ということでいつも以上に豪華な料理が食卓に並べられている。

 目を輝かせるヘレナを見て、エルメスは微笑ましく思う。


「こんな豪華なもの、本当に食べていいのですか」


「当たり前だろ? しっかり食べて成長して、美人に……元気に育ってくれればそれで十分だ」


 そう言ってエルメスは微笑を浮かべた。

 温和な顔つきのエルメスは不思議と、本当の父親のような安堵感をヘレナに与える。


 ――あぁ、生きてて良かった


 時間というものは儚く、幸せは長くは続かなかった。

 名残惜しい気持ちと共に、いつもの日常が始まるチャイムが聞こえる。

 そうしてヘレナは、明日からまた頑張ろうと決意するのであった。


 ―――――――――――――――――――――――


 また一年、ヘレナは時を過ごした。

 この一年間でヘレナは『魔法』について学んでいた。

 ファラートから魔法の指導を受ける。教材として『魔法の祖』という分厚い本を使う。

 その本にはありとあらゆる魔法が載っており、一つ一つ丁寧に説明されている。

 魔法には火、風、水、土属性の四大魔法と回復魔法があり、他にも様々な魔法が存在する。


「ヘレナの魔力量だと……この魔法がちょうどいいかもな」


「フルーズソル、氷柱を放つ魔法ですか。」


「ちなみにこの魔法を選んだ理由は魔力量だけじゃないぞ? 周りへの被害も考慮しつつ、どの環境下においても使える万能魔法。それがこのフルーズソルってわけさ」


「そこまで考えていたなんて、さすがファラート様です。」


「だろ?」と言って誇らしげな表情をあげる。

 一度調子が乗ってくると止まらないファラートを軽くあしらう。


「試しに一回やってみたらどうだ? 俺が受け止めてやるし」


「ケガとか……しませんよね」


「こう見えても俺、結構強いんだぜ」


 グッドポーズをして、ヘレナに向かって微笑む。

 そこまで言うなら、といってヘレナは一度、魔法を試し打ちする。

 掌を向けて目を瞑り、掌に魔力を送り込む。

 そうして一言、詠唱をする。


「フルーズソル!」


 言葉を発した途端に、ヘレナの周りに一つだけ薄く青光りした氷柱が出現した。

 威力はそこそこだが、一般人では対処しきれない域に達している。

 そんな中で、ファラートは軽々と氷柱を防御魔法で打ち消す。


「一回目にしては上出来だ。それと少しだけ、魔力を抑え込むようにしろよ。あんまりむき出しにしてると、悪目立ちするかもしれねぇからな」

 

「はい、ファラート様。日々精進してまいります」


 そう言ってヘレナは鍛錬を続ける。

 一日、また一日、ヘレナは魔法の練度を高めていく。

 そんな毎日を過ごして、ヘレナはまた一年、歳を重ねるのであった――

 

 ――――――――――――――――――――――――


 

 今日はなかなか寝付けなかった。

 寝付けなくなるようなことはしていない。ヘレナはただ家事をして、魔法を学ぶ、それがヘレナの日常。

 それでもヘレナは今日、何故か嫌な予感がする。

 理由は無い。根拠もない。ただただ落ち着かない夜である。

 

 そこでヘレナは心を落ち着かせるために、本を取りに行くことにした。

 本には様々な種類が存在するが、今日は歴史について書かれた本を読むことにした。

 本棚に手を伸ばし、お目当ての本が取れたので自室へ戻ろうとすると、何やら二人が会話する声が聞こえる。

 上手く聞き取ることができない。盗み聞きは良くないと分かりつつ、やはり内容が気になって仕方がない。

 そうしてヘレナは耳をすます。

 まず最初に耳に入ってきた一言は、


「ヘレナも、随分と成長してきたなぁ」


 ファラートは我が子の成長を喜ぶかのような声音をあげており、ヘレナは自然と笑みがこぼれた。


「そうだね。そろそろ、良いかもしれない」


「おい、それはちょっと早すぎはしないか? あいつはまだ10歳だぞ」


 話の趣旨がなんなのか、未だによく分からないが、ヘレナは自分のことについての話なのは分かる。


「10歳……か。確かに早いね。でも、あの子は予想以上の成長速度だ。もうそろそろ頃合いだと思うんだよね」


「そうか、お前が言うなら仕方ないな。結構気に入ってたんだけどな」


「ヘレナを、誰に売り飛ばそうか」


「――」


 理解が追いつかない。

 正確に言えば、言葉の意味は理解している。ただその言葉を理解したくなかった。

 エルメスから発された一言『売り飛ばす』はヘレナを一瞬にして廃人と化させる。

 その背景で、二人は淡々と会話を続けていた。


 数十秒ほどその場で立ち尽くし、ヘレナに突如とてつもない吐き気が襲う。

 声は出せない。もし盗み聞きがバレてしまったら何かされてしまうかもしれない。

 

「王族、もしくはあの子を高くで買ってくれる貴族もいるだろう。そうすれば多額の金が俺たちに入ってくるはずだ」


「お前もなかなか非道なやつだなぁ……」


「非道なんて人聞きの悪い。俺はただ、生きるために仕事をしている。ただそれだけのことだろ?」


 ヘレナの知っている二人はもう存在しない。

 優しく、本当の父親のように思っていた二人は、人身売買で生計を立てるような人だった。

 今まで不可解だったことが、一瞬にして解決した。二人がヘレナに職業を断固として言わなかった理由も、やけに膨大な金が二人の元にあった理由も、今までの二人の言動の違和感も、全て繋がった。辻褄があってしまった。


 ――逃げなければ


 逃げる、が今のヘレナにとった選択だ。

 一刻も早くあの二人から逃げなければ、何をされるか分からない。

 そう思いヘレナは足を運ばせようと試みる。


「……」


 足が止まった。

 ヘレナは逃げることをやめた。

 今のヘレナには逃げる以外の選択肢『戦う』が存在する。

 三年前、為す術もなくただ殴られ虐待を受ける毎日。当時のヘレナには逃げるしか出来なかった。

 でも今は違う。

 皮肉にも、ファラートから学んだ魔法がある。

 そう思うと途端に、ヘレナは二人に向ける感情が変わった。

 裏切られて悲しい、そんな感情は消え去った。

 ヘレナの小さな体からは凄まじい怒りと憎悪、そして魔力が二人に向けられている。


 ――――――――――――――――――――――――


「ヘ、ヘレナ、お前……聞いてたのか」


「――」


「……そうか、それなら仕方ない。ヘレナ、お前の聞いてた通り、俺たちは売らなければない。人を、な」


「――」


「金のためには、こうするしかなかった。冒険者だけでは稼ぎが足りなかった。だからこうして人身売買をしてる」


「――」


「そしてお前も、いずれ売るつもりだった。あの日、お前を拾った日。正直予想以上に、お前は優秀だ。本当にお前を拾ってきてよかったと心から思うよ」


 あんなに優しくて、温和な顔つきだったエルメスが、今では犯罪者の顔つきだ。

 そして畳み掛けるかの如く、また一言口を開く


「ヘレナ、すまないがお前は、俺たちの金になる。」


 エルメスは異常なほど饒舌になっていた。

 それは、優位に立ちたいと思う気持ちと、焦りを隠すためのものに他ならない。

 話しても無駄。恐らく何を言おうが反論が返ってくる。


「お前からの感謝もまだ――」


「――」


「エル、メス?」


 沈黙が続く。

 ファラートは何が起こったのか、さっぱり分かっていない。


「エル……メス? おい、エルメス、しっかりしろ! エルメス!」


 エルメスは腹に大きな穴を開けて、力尽きていた。

 ぐちゃぐちゃになった内蔵が辺りに散りばめられ、どす黒い血が広がっていく。

 エルメスは生きる隙すら与えられなかった。それ程までの強力な魔法を、ヘレナはエルメスに放ったのだ。


「ヘレナ……お前、なにをっ……」


「――」


 無数の氷柱がファラートに向けられている。

 いつも以上に殺意の籠った『フルーズソル』は、いかにも殺傷能力の高そうな見た目をしている。


「フルーズソル……それもお前、無詠唱で……」


「何か、言い残すことは」


 ファラートの目に映るヘレナは、別人だった。

 それはまるで、禍々しいオーラを放つ、前にいるだけで息が詰まるような存在。


「ヘレナ、お前……」


 魔女だった――。

 以前のヘレナの面影はない。今では怒り狂う魔女のような見た目をしている。

 だがどこか、悲しげな表情をあげていた。

 その姿は魔女とは程遠い、年相応の普通の少女の姿だ。


「ご……ごめん……ごめん、ヘレナ……」


「――」


 一瞬でも、魔女だと思ってしまった自分を恨んだ。一人の少女を裏切ってしまった自分を恨んだ。

 ファラートは涙を流し、ヘレナに謝罪をする。

 許してもらえないとわかっていても。


「ごめん、ヘレナ、お前の純粋な愛を、裏切るようなことをしてしまった……」


「――命乞いですか」


「そう思ってくれてもいい。でもこれだけは、本当なんだ。俺はお前を、愛していた」


 愛していた、ファラートから出た一言に衝撃を受けた。

 嘘偽りのない、ファラートの本音。

 ずっと言えなかった、ずっと言いたかったファラートの本音。


「今更、なんなんですか……見苦しい」


「見苦しいかもしれねぇけど、俺はお前のことを心から愛してたんだよ、本当に、自分の娘のように思ってたんだよ……」


「だったらどうして、私を助けてくれなかったの?」


 ファラートは言葉が詰まっていた。

 ヘレナは今にも泣きそうな顔をして、ファラートを見ていた。


「違う。それは、俺が流されやすい性格で、あいつに逆らえなかったから……」


「言い訳なんて聞いてないの!」


 ヘレナは声を荒らげた。

 今まで聞いたことのない声に、ファラートは戸惑いを隠せない。

 逆らえなかった、などヘレナに通用するはずがない。今のファラートの発言はヘレナにとってまやかしに過ぎない。


「私は、誰を信じればいいんですか。親にも裏切られ、あなたたち二人も、私を裏切る。もう誰も、信じられない……信じたくない」


 ヘレナは普通の日常が続くことを強く望んだ。

 ヘレナは普通に食事をとって、普通に家事をして、普通に会話して、そして一日を終える。

 そんな生活がしたかった。

 

 ヘレナはただ、普通の人間になりたかった――。


「私はもう、誰の手も借りません。一人で大丈夫です」


 そう言ってヘレナは、ファラートに背中を向ける。


「今までありがとうございました」


 ヘレナは歩みを初める。

 小さな背中からはどこか、逞しさのようなものを感じた。


「……」


 ファラートは言葉が出ない。

 ファラートは呆然と、自分の行いをただ悔やみ続けるのであった――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私は、人間になりたかった みかみ @mikami_novel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ