第34話 一人だと色々心細かったもの
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1階と2階はアパレル系のテナントが多いため、エレベーターで地下へと降りる。地下には外国人が28個食べたことで有名な秋田銘物・
永礼は歩いているうちに見つけたスイーツショップに目を付けた。
「そこのスイーツ屋に入ろうか」
「いいわよ」
牧島も拒否しない。そのまま入ろうとしてふと目線を横に向けると、永礼の目が思わず釘付けになってしまった。
淡い橙色に照らされたショーケースに、醤油や味噌や担々麵といった王道のラーメンサンプルが並んでいる。
彼は男の例に漏れずラーメンが好きである。それも東京の店のようなオシャレな店内に思想の強そうな標語を掲げ化学調味料不使用の透き通ったスープと小麦粉の旨みを引き出した手打ち麵を合わせた一杯よりも、ヤサイとニンニクをドカ盛りにし味覚を完膚なきまでに破壊しつくすスープを並々と注いだ一杯よりも、このような昔気質を思わせるシンプルな麺にシンプルなスープにシンプルなトッピングを載せたラーメンが好きだった。
もう久しくそんないぶし銀のラーメンを食べていない。
そんな折に、恥ずかし気に顔を俯ける乙女のように暖簾をさげたラーメン屋が目の前に現れた。これを運命と言わずして何と言おうか。
「入りたいの?」
牧島に話しかけられたことで、忘我の境地を脱する。
「いや、気にするな。当初予定通りスイーツを」
「いいわよ、ラーメンでも」
「いやでも、牧島が」
「私がラーメン嫌いだなんて、一言でも言ったかしら?」
「……言ってないな」
牧島はからかうような笑みを浮かべ、永礼の顔を覗き込んだ。
「もしかして、女の子と一緒だからって遠慮してるの? 可愛いとこ、あるのね」
「断じて否」
永礼は硬派を自称し、願わくば他人からも硬派をもって認められんと欲する男である。女の子に遠慮してラーメン屋に入らないなどという話が広まってはたまらない。
彼はもはや
# # #
「……おいしい」
時間を置かず配膳された醤油ラーメンのスープを口に含んだ牧島が、驚き混じりに呟いた。
確かに牧島の言うとおり美味である。東京で出されるような1000円超えの凝りに凝った一杯とはまた違う美味さがあるような気がしたが、永礼にそれを言語化するだけの経験値はない。しかし、煮干しベースのスープとちぢれ麺の相性が抜群であることくらいは分かった。
永礼がスープまで飲み終えた時、彼女はまだチビチビと薄切りのチャーシューを賞味している最中だった。そういえば彼女は食べるペースがゆっくりだったな、と今更ながらに思い出す。自分が気を使えない人間のようで気まずくなる。
「食べるのが早いのね」
「男子だからな」
「ふふ、そうね」
何が面白いのか、彼女は微笑んだ。
「何がおかしい」
「別に。男の子だなと思っただけ」
「……そうか」
なんだかヤンチャ盛りな少年を見るような目で見つめられてまごついてしまう。こう見えて彼の中身は雄汁滴る26歳である。会社の同僚から歳下扱いされるのとは訳が違う。
永礼は無性に恥ずかしい感情に襲われた。
# # #
「ご馳走様でした」
牧島が手を合わせて涼しげに言い、
「美味しかったわ。意外なくらい」
「よかったよ」
彼女は水を一杯飲んで口を拭うと、涼し気な切れ長の目で彼の顔を見据えた。
「それで、本題があるのでしょう」
「ああ」
思わぬところで切り込まれたが、永礼は大人の余裕で答えた。十分に根回ししてから臨んだ会議で突如味方であるはずの主任に背中から刺されるなんてことが日常茶飯事である社会人にとって、この程度の出来事は動揺する範疇に入らない。
「さっきも言ってた、家の事情のことだよ」
「些細なことよ。あなたに話すことでもないわ」
「嘘だな」
「嘘じゃない」
「嘘だな。ならばなぜ目を合わせない」
「……それは」
さっきから牧島は微妙に彼から視線をそらしているのであった。
「別に本当に言いたくないなら聞かないが、そうでもなさそうに見えたからな」
「そういうとこ、変に鋭いのね」
彼女はため息をつき、
「母が夏風邪を引いてしまったから、看病のために早めに帰っているのよ」
「夏風邪か。最近流行ってるもんな。……こんなとこ来てよかったのか? 今更だが」
「だいぶ良くなってるから問題ないわ。ただ、母は身体があまり強くないから長引いてしまってて」
「父親はどうしてるんだ?」
「父はいないの」
能面のような表情で、彼女は言った。
「……すまん。不躾だった」
「私が言ってなかったから、いいわよ」
「で、家には誰もいないから早めに帰ってるってことか」
牧島が小さくうなずいた。
改めてよく観察してみると、彼女の疲労が随所に滲み出ているように思われた。相変わらず織物のように美しい髪だが、平常よりも枝毛が目立っている。雪のように白い肌に、うっすらと黒い隈が積もっている。その眼差しは幾分眠たげだ。
永礼の両親は少なくとも彼が生まれて以降病気らしい病気をしたことが無い。馬鹿だからだと彼は思っているが、親の看病が大変であろうことは想像がつく。
自分を庇護してくれる存在が病に倒れている不安。
急に身の回りの事を全て自分がやらねばならなくなることで発生する負担。
部活動をしている暇もないであろう。
「そうか、大変だな。俺の親は風邪を引かないんだ」
「丈夫なご両親なのね」
「阿呆なだけだろう」
「ご両親を阿呆って」
牧島が口に手を当てて笑う。儚げで、今にも消えてしまいそうな笑顔であった。
彼女は笑うのをやめると、両手で包むようにコップを持ち、腕を伸ばした。身に溜まった疲れを吐き出すように、「ふう」と息を吐く。そして永礼を見つめながら遠慮がちに、
「誰かが一緒にいてくれると、心強いのだけど」
「なら、俺も行こうか?」
「え?」
――あれ? 今のってお誘いじゃなかったの?
暗に「来てくれるとマンパワーが増えて助かる」という意味で言われたのだと彼は捉えたため、心底意外と言わんばかりに驚く彼女を見て「あれ? 違うの?」とまごついてしまった。
「冗談だ。忘れ」
「た、助かるわ」
彼が前言撤回しようとしたところに被せるように、牧島が言った。
「いいのか?」
「一人だと色々心細かったもの。コウタロウ君なら気心が知れてるし、助かる」
気心も何も、彼が実は26歳の中年に片足突っ込んだ男であることすら彼女は知らない。それを心苦しく思うが、暗に信頼していることを唆す言葉を受けて悪い気はしなかった。
「よし、任せとけ。看病なら自信がある」
「ご家族に病気がちな人がいるの?」
「いや、俺自身がよく身体壊すからな。その応用で看病もできるだろう」
「絶妙に不安が残る経験則ね」
牧島は呆れ顔で言った後、ティッシュで口元を拭い、雑巾でテーブルを拭き、立ち上がった。
「それでは、行きましょうか」
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