第33話 この辺喫茶店とか一切ないからね
とにもかくにも定期試験が終わり、否が応でも夏休みの足音が近づく季節になった。
定期試験前には借金取りに追われる債務者の如く教科書にしがみついていたクラスメイトも、定期試験反省会と称した打ち上げを終えて部活動やら青春やらの日常へと戻っている。さながら季節性労働者であった。
「コウタロウ君はもう帰るのかしら?」
「図書室で勉強してから帰るよ」
「もう定期試験は終わったじゃない」
「模試があるだろ」
進研模試は毎年7月に実施される。
難易度は他の模擬試験と比較すると一段劣るなどと評価されているが、自称進学校を中心に受験者数は約40万人と最も多い。今の自分がどの位置にいるのかを把握するのにちょうどいい機会だ、と永礼は思っていた。
彼にとっては定期試験も山を一つ越えたに過ぎなかった。
「牧島はどうするんだ?」
「今日は帰る予定よ」
「そうか」
カバンを肩にかけて教室を出て行きしな、牧島は振り返って永礼を見た。しかし彼は目の前の数式に集中していたので気が付かなかった。
彼女の表情が切なげなことにも、勿論。
# # #
「最近、牧島さん帰るの早くない?」
永礼の向かいの席で勉強していた鬼塚美樹が、ふとそんなことを言った。
彼女は永礼の幼なじみである。幼稚園の頃から家族ぐるみの付き合いがあり、舞も含めて3人兄妹のように育ってきた。一周目の人生では高校に進学した頃、思春期に覚醒した彼により国交の自粛(通称、「光栄なる孤立」と呼ばれる)が実施されたことから次第に交流が途絶え、大学進学以降はほとんど連絡を取らなかった。最後に近況を知ったのはタイムリープ直前、インスタグラムに結婚の報告と共に弾けるようなウェディングフォトを投稿していたのが最後だったが、何の因果か、今はこうして一緒にいる。
いつもの通り永礼が日課の勉学に励もうとしていると、D組の教室から出てきたらしい鬼塚とばったり出くわした。
「あれ、コウちゃん。今帰るとこ?」
「図書室行くとこ」
「あ~勉強ね。いつも熱心だねえ」
近所のおばちゃんのようなことを言った後、唇に指をあてて目線を斜め上へ上げる。何か考え事をしているようだった。
「どうしたんだよ。用が無いなら行くけど」
「今日部活なくて暇でさ。わたしも一緒に勉強していい?」
「いいぞ。じゃあ図書室行くか」
「ええ~つまんない。他のとこ行こ」
「他のとこって、どこだよ」
「マック」
そんな鬼塚の提案を彼は受諾し、チャリを二人で押して近くにあるマクドナルドに入店し、ポテトを頼んで二人掛けの席に座った。
「前回もマックだったな」
「この辺喫茶店とか一切ないからね」
という会話を交わしてからの冒頭のセリフである。
「そうか?」
「そうだよ。教室行くといつもいないもん」
「なぜお前がA組の教室に来ているんだ」
「秋月さんとか窪塚くんと遊ぶためだし」
「え、あのグループとつるんでんの?」
「うん」
勉強会を通じて仲良くなったのだろうが、勿論永礼はその集まりに誘われていない。
「その時に牧島さんの席もチラ見するんだけど、いつもいないんだよね。コウちゃんはソッコーで図書室行くからいつもいないし」
「そうなのか。そう言われてみると気が付かなかったな」
「なんでだろうね」
「実は凄腕の殺し屋だとか?」
「流石にそれはないよぉ」
ケラケラと鬼塚が笑う。
「確か秋月って美術部なんだろ。部活行ってんじゃねえの?」
「最近は部活もサボりがちらしいよ。元々熱心に活動してたわけじゃないみたいだけど」
「なるほどなあ。ならばやはり精神活動か?」
「精神活動? なにそれ?」
「読書とか」
「部活後回しにしてまですることかなぁ?」
「言われてみればそうだな」
永礼は顎に手を当てて考えるが、彼女との雑談の中で手がかりになるような情報は無かった。
考えても詮無きことである。
彼はそう結論付けて、手元の英文へと意識を戻した。
# # #
詮無きこととは言いながらも、心の片隅に昆布のように引っかかった。社会人時代は些細なことでも思い悩み、家に帰って風呂に入って歯を磨いてベッドインして目をつむっても延々とリフレインし続けていた彼である。気にするなと言われても気になってしまう。
隣の席の美少女は、相も変わらず泰然として
永礼は例になくモジモジとして彼女をチラチラ見ている。傍から見ると気色悪い恋煩いをしている男のようだ。視線を向けられている本人が気が付かないわけがない。
「どうしたの?」
「いや。今日はご機嫌麗しゅうか?」
「何を言っているの……?」
「間違えた」
永礼は仕切りなおすようにテキストを閉じ、
「最近どうだ?」
「だからなんだというのよ」
未だかつて、他人に探りを入れたことのない彼にはどうも不得手である。
「ほら、悩みとか無いかって」
「悩みなんかないわよ」
「そうか」
永礼は戦略的撤退を選んだ。決して彼女の物言いに怖気づいたわけではない。未だ彼の頭の中で牧島の自白を導くに必要な戦略を構築しきれていなかったためである。彼はテキストを再び開いて問題を数問解いた後、
「ユヅルは美術部だったな」
「そうね」
「最近、顔を出していないと聞いたぞ。何かあったのか?」
「……誰から聞いたの?」
「企業秘密だ」
「はぁ。余計なお世話を焼いたものね。部活に行ってないのは、そう、家の事で忙しいからよ」
「家の事? 何かあったのか」
「……いいえ」
何かに葛藤するように彼女は否定した。その様子を見れば如何に永礼といえど何かがあることくらい分かる。
「何かあったら話くらい聞くぞ」
「ありがとう」
口ではお礼を言うが、このまま牧島が口を割るとは思えない。永礼は腹を括った。
「今日の放課後、暇か?」
「え?」
「今日の放課後暇かと聞いてるんだ」
「美術部の活動があるわ」
「よし。ならサボれ」
「サボれ、ってあなた――」
牧島が不服な声を上げるのを手で遮り、
「たまには不良になるのも悪くないだろう」
# # #
とクールに言ってみたは良いものの、学校周辺の国道沿いには養老乃瀧などの居酒屋チェーンやコンビニがある他は何も無い。つまり高校生が有り余る青春の日々を空費できるるような店が無い。すぐそばに高校があるというのに嘆かわしい限りである。
結局はJRに揺られて秋田駅へ向かうという選択肢を取らざるを得ない。
左右に大きく揺れる車体に軽い吐き気を催しながら、二人は駅前へと降り立った。
「どこに行くの?」
「来れば分かる」
彼は牧島にこの突発的デートの行き先を告げていない。サプライズを贈呈しようという殊勝な心意気からではない。彼自身無計画に出てきたためどこに行けば良いのか分からないからである。
――とりあえず西口を散策するか。
歩いていれば一周目に利用したことのある店や施設を思い出すかもしれないと楽観的に考えながら、彼は歩き始める。
改札を出て右に折れ、途中伸びた渡り廊下に入って直進する。途中の階段を降り、西口の目抜き通りに入る。ここは秋田県でも指折りの商業力を誇る企業が入ってシノギを削っている県下指折りのストリートであり、ここに面したアゴラ広場は竿燈まつりの際に出発の場所ともなるが、永礼は知る由もなかった。
「こっちにはあまり来たことがないわね」
「そうか」
俺もだよ、とは口が裂けても言えない永礼。早くどこか休める場所を見つけないと気まずさと羞恥心で風船のようにはち切れそうだ。
平静を繕う顔の下にダラダラと冷や汗を流しながら歩くと、ふと行く手に見覚えのあるフォントで「SEIBU」と書かれた入り口が見えてきた。
永礼は迷わず入った。百貨店など記憶の中で利用した覚えは皆無に近かったが、だからこそ「百貨店なら何かあるだろ」という楽観視を彼に許したのである。
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