永礼高太郎逆行記~もしも学歴コンプレックス持ちの社会人が高校時代にタイムリープしたら~
國爺
プロローグ
「今日は早く退勤できたな」
腕時計を見ると、まだ19時を回ったばかりだった。四半期末の翌月にあたるこの時期、書類作業が急激に増えて繁忙度が高まるのが常だったが、ここ最近は働き方改革の一環で業務フローの見直しや自動化なんかに注力していたおかげで、日が落ちる前に退社できることも増えた。
それは良いことだと思う。
しかし、帰ってもやることがない。
27歳になって未だ独身の彼女なし。休日は酒を飲んでYouTubeを観ていると終わり、平日はまた会社へ。
学生時代は読書やスポーツなどといった趣味もあったのだが、社会人になってからは次第に疎遠になり、いつしか全く嗜まなくなってしまった。仮に今、時間を与えられたとしても……触れるかどうかは分からない。
それが、
「はあ……とりあえず、ラーメンでも行くか」
もっと遅い時間に帰る日はコンビニ弁当で済ませたりするが、時間がある日は行列のできる店で食べる余裕がある。
好きなラーメン屋に到着すると、まだ夕食には少し早い時間にもかかわらず、店外まで行列が伸びていた。食券を先に買い、列に並ぶ。並んでいる時間、手持無沙汰だったので、インスタグラムを起動した。
すると、タイムラインの一番上に、
結婚式の報告である。
この年になって、同級生のご報告ラッシュが始まっていた。一週間前も誰かが婚姻届と指輪の映った写真を投稿していた気がする。
それ自体は珍しいことじゃない。しかし、アカウントネームを見た永礼は、思わず固まってしまった。
彼の幼なじみだった。
実家が近所だったというなんてことはない理由で、中学まではよくつるんでいた。高校に上がってからなんとなく疎遠になり、たまに連絡をとる程度だったが……まさか結婚したとは。でも確かに、彼女は顔立ちが整っているし、男女分け隔てなく接する社交性も相まって、高校ではかなりモテていた。彼氏も絶えなかったように記憶している。
写真に写る彼女は満面の笑みを浮かべている。隣に座っているのは、スポーツをしていそうな爽やかな好青年。その後ろで並んで立っているのは、新郎新婦の友人たちだろう。誰もが夫婦の誕生を心の底から祝っていることが、写真越しでも伝わってくる。
なんだか複雑な気分のままいいねを押し、次の投稿へ。今度は真っ黒な服を着た美女が、これまた目の覚めるようなイケメンとツーショットを撮っている。手には映画のポスターを持っており、投稿本文には宣伝文句が羅列されている。
アカウント名は、yuduru_makishima_official。
そして彼女は、永礼の高校時代のクラスメイトだった。かつての同級生が女優デビューすると聞いて、同窓会ではかつてない盛り上がりを見せたこともあったが、肝心の本人は高校卒業後一度も顔を見せることはなかったと記憶している。それもまた、孤高の花であった彼女らしかった。
そして次の投稿――それは、SNS運営側でサジェストしてくるおすすめ投稿。その投稿は、『データサイエンスシンポ終了! 非常に刺激的な議論が交わされ、よりモチベーションが高まりました』というものだった。
プロフィールを見に行くと、『UT→ITコンサルで機械学習エンジニアやってます。博士(工学)』という自己紹介文。UTとは東京大学の略だろう。
「いいなあ……」
彼はため息をついた。
高校でそこそこの成績を収め、まあまあの私立大学の経済学部へ進学し、それなりの会社へ事務職として就職した。仕事内容は思っていたものと違う面もあったが、かといって転職できるようなスキルもなく、一方では人間関係も悪くないし、このまま定年まで勤めあげるのだろう……それでいいんだと思っていた。
しかし最近、AIやデータサイエンスといったワードが目に触れることが増え、溌剌とした有識者たちのコメントが目に入るようになり、彼は強いコンプレックスを抱くようになった。IT人材も不足感が強く、特に専門性の高い人材は引く手あまたとも聞く。工学系は大学院へ進学する学生も多く、文系の学部卒という自分の身の上と引き比べると、あまりにも培ってきたものが違うように思える。
専門性。そして学歴。
それを持っている人間と持っていない人間の価値に大きな差があることは、社会人として働き始めてから感じるようになった。替えのきく量産型大学卒の事務職と、替えのきかない技術職。もちろんそれには彼自身の偏見が多分に反映していることは重々承知だが、それでも……
「もし、高校に戻れたら――その時は、勉強しっかりやって、旧帝大の理系に進学したいな。そんで大学院行って修士……できれば博士をとりたい」
自分の考えを確かめるように、言葉にする。それは冬枯れの都会の電灯の中へ、蜃気楼のように消えていった。
やがて店員に席へ案内され、にんにくの効いたラーメンを頬張り、はち切れそうな腹を抱えて家へ帰り、泥のように眠った。
――そして、目が覚めると、彼は高校1年生の入学式の日にタイムリープしていた。
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