⑥ ロウツの記憶と黒の点火
行脚を始めてまだ間もない頃だ。
いま執官史として支えてくれているミクミズ族のウルアを連れ手に、比較的大きな町の教会に立ち寄ることにした。旅に慣れていないこともあり民衆の厚意だけでは身が持たず保存食も切らせてしまっていたからだ。
道草に精を出して神徒の補佐にまで上り詰めた信者の真似をしてみたものの、まだ駆け出しのわたしでは民とのやりとりが上手くゆかず路銀が底をつくのも時間の問題だった。
「ロウツ、干からびる前には着きそうです。しかしいくらジニと話が合うからといって日巡り二つは費やしすぎですよ。
それに仮にもわたくしたちは行脚信者の身。互いに異なる順路を行き民に教えを説くのが務めなのです。寄らぬ村や集落へ足を運ぶのは結構ですがただただ論じ合うだけの時間を道草とは――――」
「わかった。わかったからその辺で堪忍してくれウルア。」
そう言ってもまだぶつくさボヤく同じ歳のウルアはしっかり者だった。気持ちだけで前へ行ってしまうわたしを上手に管理してくれる。頼もしいのは今とて同じだ。
「とにかく、まだ半分にも達していないこの旅路のこれからについてきちんと考え・・・
おや、あれは・・・ふふ、もしこうなることまでが運命ならあなたのそれも見捨てたものじゃありませんねぇ、ロウツ。」
何を言っているのかと視線を辿ると、そこには二人の信者の姿があった。
気配りのできる温和な性格のリウフと、体が弱いながらも信仰心の厚いウルアの妹・ホルネだ。
「茶化すのはよしてくれ。それよりホルネの様子がおかしくないか? 行ってみよう。」
教会本部のある聖都から離れていない町ということもあり、そんなふうに行脚信者が鉢合わせになることは珍しくはなかった。とはいえ先に出発したわたしたちが後発の彼女たちを追いかけるというのは珍しいかもしれない。
「ホルネどうした、具合でも悪いのか?」
リウフの肩を借りようとはせず自力で歩くその顔は真っ青に血の気が引いていた。
そんな言葉を返すのも苦しそうなホルネに代わって答えたのは、隣でおろおろしている色白の可憐な連れ手のリウフだ。
「あ・・・ロウツさん。・・・あいや、そうなんです、朝から調子が悪かったのですけどここへ来てみるみる顔色が悪く・・・ウルアさん、どうしましょう。とりあえず教会で休ませてもらおうと思っているのですが。」
我々に気付いて安堵したのもあったのだろう、キヌタ族特有の長い下まつげと垂れた目を困らせてリウフはそう言った。そんなリウフも、可愛いかった。
「そ、そうだな、よしホルネ、わたしの背に乗るといい。あ、ウルア荷物を頼む。」
そうして教会でホルネを休ませて町の医法師を呼ぶことにした。
幸いすぐ駆けつけてくれたのだが、疲れが堪えたのだろうと楽観していたわたしたちはそこで眉根を寄せることになった。
「――――というわけですのでホルネさんの行脚は医法師として認めるわけにはいきませんね。今はまだ軽微な段階なので立ちくらみや目眩、頭痛や吐き気で済んでいますがきちんと処置しなければ悪化してしまうでしょう。といっても日常生活ならば問題はありません。
ただやはり血流の問題なので医法師の手の届かないところを旅させるわけにはいきませんね。」
これでも満を持しての出発だった。
若い女二人の行脚は教会からも止めるよう諭されていたものの、ホルネはどうしてもといって聞かなかった。そしてホルネが一番信を寄せるリウフとの行脚がいい、と体を鍛えてまで望んだ旅だったから。
「そうですか。ありがとうございます。妹にはわたくしから伝えておきましょう。ええ。それでは。」
医法師の見立ては間違っていなかった。その後もホルネは血巡りの具合で幾度も厄介になったからな。
「あぁ、どうしましょう。ホルネは行脚をずっと心待ちにしていたんです。
弱っているヒトや困っているヒトの力になりたい、自分のような微弱な力でも役に立つことがあるんじゃないか、って。私もそんなホルネだから一緒に成し遂げようと約束したんです。・・・それなのに、あんまりです。」
そう声を落とすリウフに、わたしはどう接したらよいか迷うばかりだった。どうすることもできない場面では半端な励ましなどかえって虚しくさせてしまうだけだから。
「弱き者や悩む者のため、か。さすが中枢教舎を首席で終えたウルアの妹だな。
いや、もちろん褒めているのは学業の成績ではない。崇高な信仰心と自己犠牲さえいとわぬ博愛に胸を打たれているのだ。
・・・だがどうするウルア。君も心配だろう?」
日常生活に支障はないと言われてもあれだけ青ざめた顔を見せられては兄としても「よかったよかったじゃあ次いってみよう」とはならない。
「・・・あ・・・あぁ、リウフ、ごめんなさい。
それにロウツさん、お兄さんにまで迷惑掛けてしまって。」
浅い眠りを覚ましてしまったらしい。ホルネはそう言ってふらつく上体を起こした。
「だめよホルネ、ちゃんと横になっていて。・・・いいの。ゆっくり、しましょ。」
リウフとて旅の断念は心残りだったはずだ。頭で平和や安寧を祈ったとてまだそれが為されていない現実がそこここにあるからな。
「ホルネ、よく聞きなさい。先ほど医法師さんに具合を診てもらったところ、あなたは行脚に出ることができない状態だと伝えられました。
・・・誰も、何も、悪くありません。今は休むことに専念しなさい。」
やさしくもきっぱりと言うウルアは、だから信用ができる。
うやむやにして「もしかしたら」に無益な希望を抱かせたりはしないからだ。
それがわかるから、だから、駄々をこねたい自分を、訓練してまで鍛えたはずの弱い自分の体を責めてしまうホルネは、静かに静かに涙を流した。
「はい・・・・・・あっ? 待って。ということは・・・リウフ・・・。」
自分が行けないだけでは済まされないと気付いて起き上がるホルネを、リウフは「いいから」となだめるように寝かせてやる。
「リウフ。あなたにも辛い思いをさせてしまうでしょうが、どうかホルネを恨まないでやってくださいね。・・・さ、ロウツ。わたくしたちは行きましょう。」
いえそんなことは決して、と目をしばたかせるリウフの手を握るホルネは顔だけをこちらに向ける。
「いいのかウルア。・・・いや、君の決断だから間違いはないと思うのだがしかし・・・」
強く、時に厳しく在らねばならないことはわかる。
だがやはり、ウルアにとって大切な妹を置き去りにするのは気が進まなかったはずだ。たとえそれによりわたしたちの行脚が遅れることとなっても。
「お兄さん。・・・か、勝手を言って、申し訳ないのですけど、・・・わがままを言うことになるのですけど、・・・リウフを、どうか連れ手に選んでもらえませんか?」
だがだから、ウルアは首席なのだと思った。
「何を言ってるのホルネ? 私はあなたと行くつもりで準備してきたの。・・・それに、私なんかじゃウルアさんたちの迷惑になってしまうもの。」
リウフを置いていけばホルネは一層自分を責めるだろう。傍に居続けてくれることはありがたくとも、その分だけ責め続けるだろう。
そうなればリウフも複雑なはずだ。誰かに背中を押されれば行脚に足は向くだろうが、やはり大事な友を一人残すのは胸が痛むから。
「お兄さん、リウフはとても純粋な心を持っています。決して、足手まといになるようなことはありません。」
当然わたしたちまでが教会に残ればもはや苦痛にしかならない。
といってウルアやわたしが無理にリウフを誘い出してもしこりは残る。
だめなのだ。
ホルネ本人に、そう言わせなければ。
「・・・わたくしは構いませんが。さて、ロウツはどうでしょう?」
それが分かればあとは猿芝居だ。
わたしの心などとうに知っているウルアがリウフの同行に示す態度など属性をそらんじるより遥かに容易い。
「イモーハの真理に捧ぐ心があるなら拒む理由などどこにもない。・・・愚問だが、どうだ、リウフ。」
そうなればわたしも役者になるだけだ。
わたしたちの連れ手になることが「ホルネを置いてけぼりにすること」ではなく、「信者として果たすべき役割を担うこと」だと思わせればいい。
それでリウフは罪悪感を削いで行脚へ踏み出すことができる。ホルネは後悔こそあれ罪責感から解き放たれる。
「あ、あの、もちろん、この心は尊きヒトビトの平和のため、安寧のために捧ぐ覚悟にあります。」
頭のキレる悪はいる。
疑いを知らぬ善もある。
だが、こんなふうに知恵で不幸を最小に留める術があるなどとは思いもしなかった。
そして、真に頭がいいとか、優秀だとかいうことの本義をこうしてヒトのために使いこなせたのなら、ヒトの願う「もしかしたら」が叶うかもしれない。
この「もしかしたら」は漠たる希望や希求ではないから。
努力とその継続によって届き得る理想なのだから。そう、信じられた。
「・・・ホルネ。それにリウフ。よく決意してくれました。
これは確かに躓きです。誰の何の悪意もない、といってただの不注意でもない、しかし厳然たる小さな躓きです。
ですが一度躓いただけで歩みをやめる者がありますか。ふふ、ありはしません。わたくしたちには目指すべきものが、場所が、明日があります。
できますね、ホルネ。わたくしたちは歩きます。そしてあなたはまた歩き出せるよう体を休めなさい。あなたの想いは、持ち続ける限りあなたを見放しません。あなたが見限った時に離れてゆくだけです。
さ、教会主とは話はつけておきますから安心して眠りなさい。そして、いってきます。」
それを、わたしは一つの救いだと思った。
悔しくて流れていたホルネの涙が、今ではすっかり乾いてしまっていたのだから。
「しかしロウツ、あなたも礼儀知らずですね。ふふふ。」
教会主にはひとまずの看護と教会本部への連絡を頼んで町を出た。そうして路銀と食糧はリウフたちのそれを拝借し、わたしたちはそのまま進むことにしたのだ。
「あまり冷やかすなウルア。それにリウフとは・・・いや、次は順路に従って行くのだったな、ええと、地図は、と。」
連れ手は三人までが慣例、ということでリウフと共に行脚ができることになったこの顛末を言いたいのだろう。
確かに嫌ではなかったが、経緯が経緯だ。諸手を上げてとはいかない。
「あ、こちらの背負い袋の方ですよ。ほらね、どうぞ――――」
「ああ、ありが――――」
手渡された地図にちょこんと乗った、まっ白な、そのやわらかな指にわずかに触れて、それだけで息が止まってしまう。
「はぁ。困りますね、こんなことでは。ふふ、なんだったらわたくしだけでもホルネのところへ戻りましょうか?」
「いや、いいっ!」
「いえ、いいんですっ!」
そんなふうに言葉が重なって、すこし、困る。
それでも、まだこの指がその指に重なる地図は離さなかった。
「ふっふっふ。こちらが恥ずかしくなってしまいますよロウツ。ま、とにかくええと、ボラクサンの集落へはこっちでしたね。この辺りは三叉路が多くていけません。」
わたしとリウフの指が触れ合う地図を覗き見てウルアが道を示す。
「ああ、そうだな。・・・リウフ、地図はしまっておいてくれ。」
こんなことで困ってしまっては確かにいけない、そう思って地図を預けた。心がぽわんとなる小さな出来事はありがたくともその都度体が強張っては身が持たない。
はい、と受け取るリウフもたぶん同じように思っていたのかもしれない。
その後はウルアと歩いてきたように黙々と歩いてボラクサンを目指した。
「こんにちは。いや、もうこんばんはでしょうかねぇ。」
余計なことは考えないようにと無心に歩いたからだろうか。道程はあっけなく終わり、わたしたちは目的地へと到着していた。
「はぁ、こんばんはぁ。信者さんですかぁ、これぁありがたい。ありがたい、ありがたい。」
そう言って集落の男は背をかがめて行ってしまった。
泊まる宿の相談でもしようとしていたのだが。
「行ってしまわれましたね。」
皆が皆、信心深いというわけではない。それはどの町どの村においても言えることだ。
「構わんさ。無理に信教を強いるのが務めではないのだ。我々に与えられるのは厚意だけで充分。さ、もう少し回ってみるとしよう。」
そうして通りに面した家を数件訪ねてみたものの、どこも「ありがたい」の言葉一つで戸を締めてしまった。といって全ての家を回るとなると日が暮れてしまうのもあり大きな屋敷を訪ねることにした。
「こんばんは。わたくしたちは行脚の途上の信者にあります。一宿の無礼をお許し願いたいのですが。」
戸を開け中に呼びかけると向こうから女の使いが火燈りを持ってやってくる。
「あれまぁ。どうぞどうぞ。地長さんは奥の間におられるんでまずは。」
順路ということもあってよく信者が訪ねてくるのだろう。
手馴れた様子で女は地長と呼ばれる領主のいる部屋へと案内してくれた。
「こんばんは。夜分に申し訳ありません。我々は――――」
「いや結構。まあそこへ座って休みなさい。」
当然そうなればいい加減聞き飽きているはずだ。みなまで聞かず囲暖敷の座敷に座らせると、地長は女に食事の支度を言いつけた。
「一飯の恩にすがれるとは誠に恐縮ですねぇ。ご迷惑をおかけします。」
いつものように温和な笑みを湛えながらウルアは礼を述べる。
「気にするな、旅の信者。これも地長の務めなのでな。」
そう言ってシイノイ族の老夫は諦め顔でため息をひとつ。
「そう、なのですか。・・・あの、こんなことを言うのもなんですが、この集落の方々はあまりイモーハ教がお好きでないのでしょうか。」
立て続けにあしらわれたのはどうやら初めてだったらしい。
リウフとしては「せめて順路の村や集落ならそこに住む者たちと話ができるもの」と思っていたのだろう。
「まぁいくらか保守的な者たちが多いか。だがそれも徐々に受け入れられてはきている。教会や教皇から「順路」の指定を受ければ警邏隊の見回りも増えて治安も良くなる。そうなればこの辺鄙な集落にも訪ねる者が出てくるからな。
わずかばかりでも宿に飯屋に金が落ちればそれに越したことはないのだ。」
宿屋がどこかも判然としない集落の、それが生き残る道だったようだ。
「しかし地長殿、その務めのお陰で我らはこうして・・・あ、ありがたく頂戴いたします・・・こうして一宿と一飯にありつけ行脚を続けることができるのです。何か役立てることがあればお手伝いしますゆえ――――」
「結構だ。さ、質素なものだが食ってくれ。寝床は使いが案内する。悪いが俺は仕事があってな。ではゆっくりと休んでいくといい。」
説法も助力も一蹴して、用があるのかないのか地長は急ぎ部屋を出ていった。
「・・・あんまり、好かれてないみたいですね。」
茹でた干し練りと根菜のスープ、木の実と虫の酢漬けばかりとはいえ、腹を空かせていたわたしたちにはご馳走だ。
「ま、こういうこともあるでしょう。教えに寄り掛かるより先に立てなければならない生計がありますからねぇ。信仰心から順路指定を願い出る町村ばかりではないのですよ。」
こうして歩いて訪ねなければ、教舎や教会の中にいただけでは見えてこない景色がある。
信仰する者だけが集う場所にいては教えを凌ぐ優先項目とて、「野卑で低俗な凡人の考え」としか思えなかっただろう。
「そうだな。だが、やはりこういった集落ばかりでないのも事実。君を、いや、我々を温かく迎えてくれる者も必ずあるはずだ。今夜はさっさと寝るとしよう。」
そうして飯を平らげ案内された小部屋でその晩は眠ることにした。
ウルアが無駄な気遣いでわたしを真ん中にと提案してくれたものの、それではかえって眠れないからと断ることにした。同じ部屋の空気を吸っているというだけで、それだけでわたしは満足だったのだから。
夜明けは女の使いが報せてくれた。
丁寧に用意してくれた食事はありがたく頂くも、そこに地長の姿はなかった。どうやら本格的に敬遠されているらしい。
「どうもお世話になりましたねぇ。地長殿には感謝の旨どうかお伝えください。それでは。」
ウルアの言葉に合わせ頭を下げると女の使いは水と干した食糧を人数分だけ手渡し、へぇへぇと畏まって奥へ戻っていく。
一抹の切なさと無力感が胸に涌いたがこうした現実を知ることこそが最も重要な務めと思い、我々は集落を後にした。
「さて、次はどこだったか。まだまだ浮島シオンが望める場所までありそうだな。」
『ファウナ革命戦線』が浮島シオンを占拠してからは離れた岸から大白樹ハイミンを遠く望むしか許されていなかった。そうなれば周辺区域は治安が不安定ということで立ち入りが制限されるため、多くの信者は一目でも拝もうと小高い丘を目指してゆく。
「うふふ。ロウツさんは一刻も早くハイミンを拝みたいのですね。
あ、でももう少し先の三叉路まではきちんとした道ですけど、その先のシオンに向かう方には村も集落もありません。たぶん馬駆け用の道があるだけだと思います。」
シオンに続く橋や渡し船のある岸へはまた別の道から行くようできている。今回わたしたちは丘の上から眺めることが目的なのでヒト通りのない道を選ぶことにした。
「それもいいでしょう。昨晩は特別豪勢でしたからねぇ。水も食糧もあるのですからなんとかなるでしょう。」
優等生だったウルアには時間の浪費にも思えたはずだ。
それでも、わたしのワガママに付き合ってくれるのは本当にうれしかった。
「ふふ、走れば昼には折り返せるが、どうするウルア?」
それはダメです、とにこやかに返し、リウフも同じく首を振る。
「ならば野宿は覚悟だな。ふ、それでもわたしは、楽しいと思ってしまうな。」
ウルアもリウフも同じ意見だったらしく、三人並んでふふふと笑った。
楽しむための行脚ではなかったが、楽しくて仕方なかったのだ。
だが。
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