ムチムチ
牢屋から出されて、俺は五島先生の後に続く。保健室の先生、医者。会う度に印象が変わっていったけど今は科学者にしか見えない。
監獄みたいな暗い場所を歩いてて、自分がどうなるか分からないけど、その前に情報を聞き出しちまおう。俺は痛くない足を加速させて、後ろから話しかけた。
「あの、俺の身体……おかしいんすけど」
「恐るべき治癒力に、驚いてるでしょうね」
コツコツと足音を立てながら、五島先生は前に進んでいく。声からして想定内って感じだ。
「北水くんは【クニウムチン】を知ってますか?」
「なんすか、その……クニ、ムチムチみたいな」
「クラゲ由来のエクストゥラセリュラマトリクス。つまり、細胞内物質の一種」
何言ってんのか、ぜんッぜん分からない。つまりあれか、
「基本は、関節治療に使うものでね。北水くんが捻挫した時に打たせてもらったわ」
「あの注射、やっぱヤバいやつだったのかよ」
「山でのウォークラリー、生徒の関節負傷を誘発するようルートを設定してたけど。治療をした後の反応が違ったのはあなただけだった、それは何故かしら?」
「んなもん、俺が知るか」
「じっくり調べないとだけど、北水くんが私の理想に近付いているのは間違いないわ」
反抗的な言葉を向けていると、五島先生は立ち止まって壁にあるテンキーを操作した。あんまり牢屋から離れた気がしないなと思っていたら、扉が左右に開く。中を覗くと暗くて何も見えない。
「ここに、入ってちょうだい」
「もし、俺が嫌がったら?」
「残りの三人で、試したい実験が山ほどあるの」
胸糞悪い言葉選びに、俺はクッと歯を食いしばる。好きな人と女子二人に何かされるくらいなら、怪我も怖くねえ俺が実験されてやると真っ暗な部屋に入った。
「現状、殆どが想定でしかない」
その言葉の後すぐに、扉が自動的に閉まっていく。俺は逃げずに五島先生を見た、笑顔でこちらに軽く手を振っている。
「もっと期待させてね、北水くん」
そこでガコンッと完全に塞がって、
すると背後からウィーンと何かが開く音がして、振り向いたら閉じ込められているミホとコモケーの姿が見えた。
「ミホ⁉︎」
ここは牢屋の真隣だったのか。ミホとガラス越しに手を合わせるけど、向こうの声が全然聞こえないし、反応を見るに俺の声も届いてない。すると、足元からザザッと水が勢いよく流れてきた。
「水……いや、これ海水か⁉︎」
しょっぱい匂いが迫ってくると同時に、部屋を見回す。ここは完全に密閉空間だ、出口も呼吸を確保できるようなスペースも無い。
「おいおいおい……ッ!」
この部屋が海水で満たされたら、確実に溺れちまうぞ。あっという間に膝まで浸かって、緊張感が高まる。焦っているのは向こうも同じ、コモケーに身体で止められるミホが、ガラスを必死になって叩いているのが目に入った。
「やばいやばいやばい」
危機に飲み込まれる中でもなんとかならないか、俺は動き回る。ここが水槽なのは頭では分かってるけど、生存本能が方法を探せと
「くッ!」
部屋が海水で埋まるスピードが早過ぎて、もう身体を浮かせないと呼吸する場所が無い。空気の逃げ道的な小さな穴を見つけたが、脱出の活路になるとは思えない。もう頭に天井が付くほど水が迫って俺はおもいっきり息を吸う。そして部屋は完全に海水だけになった。
(なんか、なんかないのか⁉︎)
水泳で鍛えてるし二分くらいなら我慢できる。こうなったらあのガラス叩き割るしかないと、口の中を空気でパンパンにした俺は、ミホとコモケーが見守る場所まで泳いだ。
水の抵抗を受けながら殴ったり、床を蹴って体当たりしたけど、びくともしない。向こうも同じ様にガラスを叩いてくれてる。
(くッ、そ!)
力を使い過ぎて、我慢がキツくなってきた。泡が漏れ出た口を手で押さえて、ガラスを殴るけど身体で壊せる気がしない。——まずい、息が苦しい。ミホの泣きそうな顔に動揺して、結構空気を吐き出しちまった。
(もう…………、だめだ……ッ)
限界が来て、俺はガボッと水を吸い込んだ。脱力して、身体が勝手に浮いていく。最悪だ、コモケーとミホの目の前で——溺れる————とか。
「……あれ……?」
——息を我慢してた時は苦しかった。肺に水が入った様な気がした。なのに俺、溺れてない。全然平気だぞ。危機に怯えた身体が、一気に落胆していくような感覚がする。訳がわからないが、とにかく二人に大丈夫だって伝えてやらないと。泳いでガラスの前まで向かった。
「なんか知らんが、俺生きてるぞ」
水中だけどボコボコならずに、言葉も普通に出てる。寝てる間に傷治ったりしてるし、溺れてない事にもう驚かねえわ。
ジェスチャーで無事が伝わったのか、ミホはへなへなと力が抜けて座り込んだ。コモケーが背中さすってくれてるけど、めちゃくちゃ怖い思いさせたよな。
「本当に、ごめん……ミホ」
頭上からザバンと音がした、見上げると天井が少し開いていて、誰かが海水に飛び込んだみたいだ。泡と一緒に沈んできたのは、いつも通りの服を着た天草先輩だった。
「天草先輩⁉︎ 大丈夫なんですか、身体は!」
「自分よりキミだよ。溺れてないのどういう事?」
「……よく、分かりません」
「この合宿の中で、大人からなんかされた?」
「山で足怪我した時に、五島先生から【なんとかムチムチ】を注射されました」
「ああ〜、ムチンか。それでも奇想天外だけど」
「俺もヤバいですけど、天草先輩も水中平気なんですね」
「ここに来た時点で越前先生の目的は聞いてるだろうし……まあ、
天草先輩は寝転ぶように水に漂い始める。それに合わせて、俺は正座した。部活で泳いでばかりだから、こんなに水に対して脱力するのは新鮮だ、無重力のように変な方向へ身体が浮いていって留まるのが結構難しい。
「気管や臓器の空洞に【気体ゼラチン】という膜が隙間なく出来るらしいんだよね、海水が条件反射のトリガーなんだって」
「じゃあ、俺も?」
「うーん。でも透明人間じゃないから、
「どういう事なんだ? ……そういえば、天草先輩はなんでここに?」
「今晩はここで北水さんと過ごせってさ」
俺はそこでボコォと泡を吹いた。あ、あッ、天草先輩と密室で二人——って、ガラス越しにミホとコモケーがいるじゃねえかとすぐに自己解決。実験とやらは、まだまだ続くらしい。
◇
この部屋に放置されてから、一時間は経ったろうか。二人で水中に身を任せながら軽く話すけど、状況を打破出来る方法とか、越前先生の本当の目的とか天草先輩を交えてもあまり踏み込めてない。
それより、さっきからガラスの向こう側から凄いヘイトというか、女性からの冷めた視線を感じる。うずくまるミホの側にいるコモケーが、俺が見てるのを気付く度に親指を下に向けてくるんだよ。
「あのコモケー、絶対【女泣かせ】って言ってるだろうね」
「何も言えねえ……マジで俺が、心配かけちゃってるしなぁあ」
天草先輩に言語化されて水中に漂いながら転げ回る。ミホの好意を察せない俺でも分かるわ、ヒロイン泣かせる漫画の主人公みたいな事してるじゃねぇかよ。
「北水さんはさ、あんな可愛い子から想われて嬉しくないの?」
天草先輩に言われて俺は、男の憧れを曝け出す。
「お嬢様からの好意とか、嬉しいに決まってますよ!」
「正直だなぁ、キミは。まあ、たくさんの娘から好かれるのは気分いいし」
「でも! 俺が付き合いたいのは、天草先輩ですから!」
「……どうして、自分の事が好きになったの?」
俺が硬直すると、水圧に押されるように身体が沈んでいく。尻が床に付いて、俺は胡座に足を組み直して、頬をポリポリ掻いた。
「最初は存在感に惹かれたんです。あとは俺を何度も助けてくれたり合宿で過ごしてたりして、徐々に……」
「そっか」
「でも、一番は……」
そこで言葉が詰まる。照れとかじゃなくてただの興味本位。また、口を塞がれるかもしれない、言い難いやつだ。
「いいよ、言って」
「教えてくれなくていいんですけど……。なんでそこまで、男か女か……必死に隠すのか気になるからで」
正直に言えた。それを聞いた天草先輩は、気を張ったように水中を漂ってる。
「合宿でそんな風に誰かから好かれるなんて、思ってもみなかったな」
「俺もミホから好かれるなんて、思ってもみなかったです。……本人の口から聞いてないんで、半信半疑だけど」
俺の話を逸らしつつ天草先輩が横を向いてたから、合わせてガラスの向こう側を見た。何回見ても、ミホは体育座りで顔を埋めたままで、ずっとコモケーに慰められてる。
「本当は、早くハッキリさせたいよ。でも北水さんの事、知りもしないでとやかく言いたくなくてさ」
「別に、急ぐ必要ないですよ」
「自分って半端者だから。いつも、こうなる」
中途半端がキツいのは、俺も分かる。中学から続けてる部活も、県大会はいつも微妙な所で敗退だ。それなりに本気なのに、インターハイに届かない。部長から比べる必要無いって言い聞かせられるけど、納得出来ない自分と、適当な自分がいつも側にいる。
お互い塩辛い感傷に浸って沈黙が続く。こんな状況だからこそ、前向きになれる何かが必要だ。海の底から、陸を目指すような。
「あの……ここから無事に出られたら、四人でキャンプに行きませんか?」
俺は水中で絵を描くように泡を出す。焚き火とか、テントとか、キャンピングチェアとか。
「こう、開放的な場所でマシュマロ焼いて……くだらない話をして過ごしましょう」
「どうして、キャンプ?」
「俺達の希望、みたいなモンっす!」
両手を強く握って、天草先輩に向かった。水のせいで勢いが止められない、顔が近付いた所で両肩に手を添えられた。近過ぎと焦ってるのを正面から見られてる。
「その前に、あの子に希望を見せてあげないと」
「あッ、あの子って?」
天草先輩はまた牢屋の方を向く。俺は水に逆らいながら、姿勢を立たせて維持する。
「このままだとミホノセキの心がもたない」
「分かるんですか、他人の心の内みたいな」
「心の中を読むまでは出来ないけど、心境の変化には敏感でね」
なら、告白する前に俺の気持ちに気付いてましたか。思わずそう聞きたくなったけど、天草先輩がミホを見守るような気配を放ってたから、言えなかった。
「自分とコモケー……北水さんも適応してきてるけど。訳も分からず閉じ込められて、落ち着く余裕もないこの状況は、育ちの良い女の子には凄くしんどいと思う」
「そう、ですよね」
「それに……好きな人が溺れるかもしれない所、目の前で見せられたようなものだし」
ミホの好意に実感は無いけど、怖い思いをさせたのは間違いない。波に攫われて、海を漂流してるようなもんって考えたら、メンタルなんとかしてやらないとって思う。
「だから、少しだけ彼女を甘えさせてあげてくれないかな」
「甘えさせるって、具体的に何を……」
「頭ポンポンとか、後ろからギュッとか、壁にドーンとか」
つまり少女マンガ的な事という。水槽リビングでの隣で無言はノーカンとして、俺から女子をキュンとさせに行けって事か。でもそんな事したら、逆に期待させて断られた時のダメージ倍増するんじゃねえの。
「それ……後々、後悔するかもしれない希望ってやつじゃないッスか?」
「それでも、今はそうして欲しい」
「……また、俺はそういう役回りですか」
「お願い、北水さん」
ずるい事頼んでるのは分かってるけど。天草先輩から感じる視線は、内心にそう訴えてくる。俺は軽く膝を曲げて、足に手を添えながら意思を示した。
「ミホに何しても……俺が好きなのは、天草先輩です。そこは、変わりませんから」
「うん、分かってる。ごめん、何度も彼女に近付けさせて」
「あんな顔見たら、心のケアしたくもなるんで」
溺れる前の泣きそうな顔が、今でも頭から離れない。俺なんかの為に心配してくれるのが、マジで申し訳ないんだよ。
「北水さん、一つだけ言わせて」
「なんですか?」
「ここまできても、ミホノセキは好きって言葉を必死に押さえ込もうとしてる」
「言えない訳は、なんとなく分かりますけど」
「気付いて欲しいってサインは、なんだかんだ男女一緒だからさ」
「……」
「だから彼女の無意識は受け入れてあげて」
「俺に……出来ますかね?」
「大丈夫」
天草先輩はパンパンと俺の右肩を叩く。
「男だろ、北水さん」
そう言われて黙って頷いた。水槽リビングでも似たような事言われたけど、何気ない声掛けが突き放されるようにも聞こえるの、なんでだ。
「今日はもう寝ようか、色々ありすぎたし」
天草先輩はググッと全身を伸ばすと後頭部に腕を回して、浮きながら寝る体制に入った。流石にガラスの向こうに視線があるとなりゃ、距離は詰められない。
俺は部屋の隅に座わり、腕を組んで身体を楽にする。水中で眠るなんて、人生初めての経験になるけど——海水は冷たくなくて、目に
これが未知に溢れた、地球の住処ってやつなのか。身体の行先を全て任せて、俺は目を閉じた。
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