海底へ沈められて

「う……、く……?」


 冷たい地面に起こされて、俺は目を覚ます。少しずつ記憶が戻ってくる、部屋の天井からなんか噴射されてそこから凄い眠気に襲われたんだ。

 ゆっくり身体を起こすと、そこは薄暗い部屋みたいな所だ。雰囲気的には、山の合宿所みたいな病院っぽい壁と天井と——とにかくどこかは分からない。視界に横たわるミホとジャージ姿のコモケーが見えて、俺は肩を揺りに向かった。


「ミホ、おいミホ!」

「ん、……きーちゃ……?」

「コモケー、起きろ」

「ぬ……ぅ〜」


 順番に二人を起こして、状況を共有する。学校の教室くらい広いフロアに、俺らは閉じ込められたようだ。水槽リビングのような青さがあるけど、全体的に明かりは薄い。


「……どこだよ、ここ」


 俺がそう言った瞬間、ガコンッと重たく扉を開ける音がした。それでも部屋の視界が悪いせいで、何も認識出来ない。


「人は何故……宇宙に夢を追い求める?」


 聞き覚えのある来賓スリッパの音。そしてこの年老いた声、薄暗い闇から姿を見せたのは白衣を着た越前先生と、科学者のような男女二人だ。


「未踏の海が、すぐそこにあるというのに」


 越前先生は呆然とする俺らを横切って、何もない壁に向かっていく。あの時もそうだ、この人が喋ると話を聞けと命令されてるような恐怖に引き摺り込まれる。


「これまで、宇宙へ行った人数は五百人を超えたが……深海へ到達した人間は……ほんの僅かしか存在せず、海の底に関する多くの謎は未だ解明されていない」

「越前、先生……?」

 俺が恐る恐る話しかけても、お爺ちゃんは全く聞く耳を持たない。

「地球の約六割が深海であり、地球上で最も深い海底とされているのが……太平洋でね」


 越前先生が軽く腕を払うと、目の前の壁が重くスライドして見慣れた明かりが差す。水槽の青が機械的に広がっていくと、水中に脱力している天草先輩の姿が見えた。


「天草先輩ッ!」


 俺は前に飛び出した。相変わらず姿は透けてるけど、パーカーとスラックスは着たままだ。見た感じ、眠っているように見えるけど——呼吸とかどうしてるんだ。


「透明人間は、今や審美治療として……社会に浸透した。肌の色と外見に囚われない多様性の一つと……受け入れられているが」

 越前先生はゆっくりと、水槽のガラスに片手を付ける。

浸透海月シントウクラゲの作用として……【透過】は始まりに過ぎないのだよ」


 状況が飲み込めない。越前先生の一人語りがホームルームのように続いて、俺達生徒は黙る事を強要されてる。


浸透海月シントウクラゲの勉強会は後日設けるとするが……【閉鎖空間における心の揺れ動き】は、実に面白い……想定内の事ばかり起きる」

「この合宿は、実態調査、なんじゃ……」

 ミホが力の抜けた声で越前先生に言った。

「表向きはそうだった。だが今回は……違う。人の心理的反発は【性】と【生】が最も強烈であると……こうして再認識出来たのだから」


 そこで越前先生は、俺達の方に笑顔で見返す。優しそうなのに、どうして高圧的に見えるんだ。


「そうだ。君達は気にならないかね……天草優あまくさ ゆうの生物学的性別が」


 俺の興味が思わず反応してしまった。それは教えられる事を待ち望んでいた、曖昧な真実。合宿に参加した生徒全員が知らない事を把握してるのか、授業みたいにそれとなく問いをチラつかせてくる。


「この若者は……」


 ブワッと音波のような何かが、目の前から飛んできた。水槽リビングの時と同じだ、また声が出ない。そこにいる全員の言葉が塞がれて、それが禁句だって分かった瞬間、発言が許される。


「……素晴らしい」


 越前先生は両手を広げて、天草先輩の入っている水槽に語りかけた。


「君は、海の底に近付いている」


 ずっと黙って聞いていたけど、越前先生の面白がる声に俺は耐えきれなくなった。両手を握って、歯を食いしばって、声を振り絞る。


「何が、目的なんだよ……!」

浸透海月シントウクラゲの全てを人類が手に入れた時……生身での深海到達が現実となるのだ」

「海の底へ行く為だけに、俺達を巻き込むな!」

「浅はかだよ北水君。浸透海月シントウクラゲは……現代社会問題の多くを解決する力がある」

「そんな事、知るか。天草先輩をそこから出せ!」


 俺が迫って越前先生が振り返るとドスッと引き裂くような音がして、痛覚に引かれながら下を見る。俺の右太腿に、メスのような刃物が突き刺さっていた。


「未来ある若者サンプルを傷付けるのは……わたしも心苦しいのだ」


 憐れむ顔の越前先生にグリッと刃物をねじられた瞬間、足の力が抜けて右からぶっ倒れる。震える足を押さえた俺に、ミホとコモケーが駆け寄ってきた。


「きーちゃあん!」

「く……ッ、そ……」

「これから君達に、最終実験を執り行う……」

「子供がこんな目に遭うとか、親からしたら激怒ものだけど。越前さ〜ん……!」

「万が一、命を落としても合宿中の水難事故として処理する。……親御さんには本当に……本当に、悪いがね」


 大人の力で、俺達はあっという間に取り押さえられた。越前先生は血がついた刃物を丁寧に男の科学者に渡すと、オリエンテーションの時みたいに生徒を出迎える笑顔を薄暗く浮かべた。


「まずは、更なる極限状態に置かせてもらうよ——」


   ◇


「——ちゃ、きー——ん!」


 ミホの呼び声が聞こえる。貼り付くような冷たさを感じる。俺、いつの間にか意識飛んでたみたいだ。ゆっくり目を開けたら血が染みた自分の下半身が見えて、顔を上げるとミホの心配そうな顔が視界に入る。


「ミホ……?」

「大丈夫⁉︎ ……良かった、気が付いて」


 俺は壁に背中を付けて座っていた。灰色の壁と天井、一枚の仕切りだけを付けた開放的な洋式便所、ガチガチの鉄格子。ホラーゲームとか刑事ドラマで見た光景だ。


「ここ、マジの牢屋ろうや?」

「せいか〜い」


 胡座をかくコモケーの気楽な声でも、現実味は薄まらない。越前先生、ガチで俺達を極限状態に置いてきやがった。ドミトリーより酷い環境の部屋に三人まとめてぶちこまれたら、もう合宿とか言ってられないぞ。


「俺ら、越前先生に閉じ込められたのか」

「参っちゃうよね〜、透明人間のウチまでこんな扱いだし〜」

「きーちゃん。足、大丈夫?」


 すぐ側で正座するミホが不安げに言った。そういや俺、鋭利な刃物で右の太腿をブッ刺されたんだっけ。ズボンの血は広範囲だし、何にも手当てされてないじゃねえか。


「……?」


 大怪我と結び付かない違和感が、俺の頭から駆け巡る。軽く服の上から指で触ったけど、やっぱおかしい。この疑問を目で解決する為に、俺は動いた。


「どしたの北水〜?」

「すみません、小便に行きたいです」


 二人の前で脱ぐ訳にいかなくて、刑務所みたいな便所に向かう。立って歩ける時点で、もう異常だが便器の前でベルトをカチャカチャ外し、軽くズボンを下ろして右足の太腿を確認した。俺は確実に越前先生から刺されたはずだ。肉をえぐられて意識ぶっ飛んだくらいの痛みも、まだ感覚として覚えてる。


(傷が、ない……⁉︎)


 制服に付いた血と破けた穴は本物だ。なのに、肌は綺麗で何もない。もう一回、触ってみたけどやっぱり消えたように傷が治ってる。

 ぶっ飛んだ現実に固まるけど、だんだん思い当たる節が浮かんできた。山の合宿所で挫いた足、ここに来てからぶつけた後頭部、どれも痛み引くのがめちゃくちゃ早かったような。


(俺の身体に、何が起こってんだ?)


 ベルトを戻しながら、俺は便所を離れた。いきなり閉じ込められたのもヤバいけど、自分の身体はもっとヤバいかもしれない。


「北水はっや! 汚い音姫しなかったけど⁉︎」

「出そうで出なかった」

 コモケーの驚き声を受けながら、俺はストンと座る。

「きーちゃん、無理して歩かない方が」

「思ったより、痛くねーから大丈夫」


 普通じゃない事を隠すように、無傷の右太腿に解いたネクタイを巻いてギュッと縛る。


 そこでコツコツと足音が近付いてきた。逃げられない空間から誰がくるのか待っていると、鉄格子の向こう側に姿を現したのは保健室の五島先生だった。


「こんばんは」


 優しい笑顔だけど、こいつも越前先生側の人間っていうのはすぐ察しが付いた。五島先生は、やたら俺ばかり見る。


「私と来てください、北水くん」

「……俺だけですか」

「ええ。も、必要でしょう?」


 ワタスィって言わない。語尾に、〜ね。を付けない。これが本来の五島先生なんだろう。生徒を閉じ込める事に何も躊躇しない大人に向かって、コモケーがめんどくさそうに鉄格子を掴む。


「ちょいちょい、五島〜。なんでウチまでここにぶち込まれるのさ〜」

「あなたを閉じ込める事に、意味があるからですよ」

「はァ〜ん⁉︎ あんたらの悪趣味に、付き合わされる身にもな……」

「あら? 悪趣味なのはどちらでしょう」


 五島先生の言葉に楯突いたコモケーが、ピタッと固まった。いくらでも言い返せそうな勢いあったのに、すんなり黙ってコモケーらしくない。


「この場に置かれたあなたが心に何を宿すのか、じっくり観察させてもらいますよ」

「……ウチに、思い残す事なんてない」

「簡単に無視出来ないのが、人間というものです。さあ、北水くん。こちらに」


 色々検査した五島先生は、俺の身体に異変が起こってる事を分かってるんだろうな。わざと覚束無い足で歩み寄って、静かなコモケーの隣に並ぶ。


「大丈夫か、コモケー」

「……気を付けな、北水」

 短い忠告を受け取った俺は、開けられた牢屋を恐る恐る出た。

「あら? 北水くん」


 五島先生が何かに気付いたのか、俺の右肩に手を伸ばす。軽く撫でられた後に、指で何かを掴んで目を凝らして確認している。


「これは……越前博士の白髪じゃないの」


 よく見せるように、ちぢれた短い白髪を目元までそれを近付けてきた。合宿中に、誰かの髪の毛がやたら俺の身体に付いてる印象がある。なんなんだよマジで。


「髪の毛は一日、百本近くが抜け落ちるのだけど。特に、白髪は……気付きにくいでしょうね」


 なんで意味深みたいな感じに、そんな事ばら撒くように言うんだ。不気味さを俺に植え付けた五島先生はついてこいと歩き始めた。

 抵抗したら、ミホやコモケーや天草先輩になにするか分からない、とにかく全員でここから脱出する方法を探そう。俺に今出来る事は、それだけだ。

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