究極の選択

 ミホが部屋を飛び出してから、スマホを見る限りもう三時間が経った。既に職員から昼飯の工場弁当が届けられたのに、全然戻って来ない。

 リビングにいる事は確定なのに、俺は俺でベッドにうつ伏せ寝して悶々ループを抜け出せなかった。あんな事された後に、どんな顔して接すりゃいいんだよ。


「たっだいま〜、あぁ……身体だる〜」


 そこにコモケーが仕事帰りの様な声を出しながら、部屋に戻ってきた。枕から顔を上げてみると、ジャージ姿しか見えない。


「天草先輩は、一緒じゃないのか?」

「ん〜? 検診に時間かかってるのかもね」

「どっか問題あるのか? 天草先輩……」

「悪くないけど〜、

「なんだよ、その言い回し!」

「命には関わらないから、大丈夫〜」


 呑気な声だから深刻じゃないのは分かるけど、こう毎日朝から検査ばっかりだと心配になるな。コモケーは疲れた感じで、首をコキコキしたり腰をポンポン叩いたりしてる。


「ま、ウチも具合悪くなる予定だし〜?」

「体調崩すのに予定なんかないだろ」

「サムバ漬けで身体がボロボロなのじゃ〜」

「それでさ、大会はどうだったんだよ」

「総合五位」

「すげえじゃん!」

「全然だよ〜、賞金出ないからウチからすれば大惨敗。あそこまでして、この結果とか〜」


 バタッとゲーミングノートパソコンをベッドに投げたコモケー。本人からしたら、納得出来ない結果だったろうけど水泳で全国行った事ない俺からしたら、十分凄いんだけどな。


「結果はゴミだけどさ、誰かに応援して貰えるの初めてだったなあ〜」

「そんな訳ないだろ、ネットでめちゃくちゃチヤホヤされてるじゃねえか」

「ウチって、背中の罵詈雑言と正面からの誹謗中傷が嫌でも響いちゃうから」


 コモケーの真面目な口調で、軽々しく励ませなくなった。リアルでは身内がクラスメイトの命奪ってて、ネットでは見ず知らずの奴に難癖を付けられる。俺なんかじゃ想像しても近付けない、理不尽な立場だ。


「頑張れって掛け声、一人でも直接だとすっごい心強くてネットの何千倍も力貰えた。だからもう、サムバに心残りないや」

「一位目指してまた大会に挑戦すりゃあいいじゃねえか。これで満足すんのはもったいないって」

「どうだろ。短いし、選手生命。……それよりさぁ、今、花笠とリビングで会ったんだけど〜?」

「なッ、なんだよ」

「へっ」


 コモケーの面白がってる気配に息詰まって、俺は枕に顔を埋めた。そうだよ、もう冷やかされても仕方ない事あったんだよ、このベッドでよぉ。


「花笠ったら、靴も履かずにめっちゃ悩める乙女って顔してたぁ〜。ねぇ、何したの北水、花笠に何したのさぁ〜ッ!」

「なぁコモケー……お前ならさぁ、きのこ・たけのこどっち選ぶ?」

「ぬッ、何故に究極の選択〜ッ⁉︎」


 コモケーの声が近付いたから顔を上げたら、腕を組んでベッド外側から俺を見下げてるみたいだった。天真爛漫を透かした饒舌じょうぜつなお前は【きのこ】【たけのこ】どっち選ぶんだろう。


「ウチならぁ今日たけのこ食べて〜、明日きのこ食べるかなぁ〜」

「……あのなあ、二兎にと追うもの一兎いっとも得ずって言葉があるだろ。欲深いのってよくないんだぞ」

「ハングリー精神って言って欲しいなぁ〜。何悩んでるか知らないけど〜、若いうちは選択肢いっぱいあるんだからさ〜!」

「選択肢、いっぱい……」

「一つに絞って、焦ったり苦しむくらいなら最善を尽くす為に欲張っちゃいなって」


 俺は身体を起こしてあぐらをかく、コモケーの言葉、なんでか分からないけど凄く沁みてくる。ボサッとしてたらコモケーに背中を思いっきり叩かれた。


「ゲホッガホッ⁉︎ だから、急に叩くな!」

「正解は後から付いてくるぞ、少年よ〜!」


 咽せながら見る透けたコモケーからは、勇気付けられる眩しい笑顔が目に浮かぶ。その姿に感化されて、行動したくなった俺はベッドから這い出てスニーカーを履いた。


「やる事決まった、ありがとなコモケー」

「ヤるんだな〜⁉︎ 花笠と。今、ここで!」

「どうせなら体育倉庫がいいっつの!」


 悪ノリ返しでコモケーに感謝を示して、俺は部屋を飛び出した。生徒が行ける所なんて、部屋かリビングしかない、軽く歩いただけでミホはすぐ見つかった。


 光が当たらないソファーの右側に一人で座る裸足のミホ。周りに生徒がいるのに、和泉沢でもあろう女子生徒に誰も気付かないくらい存在感を消してる。俺は何も言わず近付き、ドスンと反対側に腰掛けて身体を軽く跳ねさせた。こっちに気付いたミホはびっくりしてるが、逃げられる前に勢いで囲い込むぞ。


「きーちゃん⁉︎ な、何……」

「あのですね!」

 ぺちッと自分の右頬を叩いて、声を強調した。

「俺は全ッッ然嫌じゃありませんでした!」


 音と言葉で意味を理解したのか、ミホは顔を逸らした。水槽は明るくてフロアが暗いせいで、表情が全然分からないが大した問題じゃねえ、透明人間で慣れてるからよ。


「和泉沢のお作法なんですから、恥ずかしがる必要なくないですか⁉︎」

「え。そ、そうだね……?」

「実は俺の事が好きなんじゃないかとか、誰にでもやっちゃう軽い女とか、マジで挨拶感覚とか、色々考えたけどさ!」

 最初の言葉でミホの肩が動いてた、そんな事に目配りしてる場合じゃない。

「そもそも俺、何にも教えてくれない天草先輩が好きなわけじゃん⁉︎」

「……うん」

「分かんないままで、良くねって⁉︎」


 んん、とミホは疑問顔で首を傾げた。言いたい事間違ってないけど、伝わってないやつだ。もう好意探る事とかしたくないって言いたかったんだけど。


「とにかく、細かい事を気にするのやめた! ミホといつも通りじゃない雰囲気になるの、嫌なんだよ俺は」


 そこで声の勢いを落とす。もし本当に異性として俺を好きで、天草先輩の想いを優先する必要があったとしても、ミホを振らなきゃいけないのは絶対に今じゃない。


「俺とミホは、まだ友達だろ?」

「まだ……友達」


 今やっと言葉で近くに並べた気がする。リビングの暗さに染まったミホの表情に、水槽の海洋生物が作った泡影ほうえいが綺麗に飾り付く。その純粋なお嬢様顔見せられたら、恥かかせたくなるじゃんか。


「正直言うと、この控えめさがグッとくるから心置きなく何回でもしていいけど?」


 ほらよと頬を突き出す。するとグイッと右肩から小さな両手で押し除けられた。どんな顔をしてるか見てみたら、照れながらキラキラ笑っている。


「バッカじゃないの、本当に」


 山の合宿所で見た、青春を謳歌する可愛い笑顔。久々な気持ちで眺めていたら、ミホに右のほっぺを指で押された。


「アマユユスに、きーちゃんはスケベだよって言っちゃおうかなあ?」


 マズイってそれはと焦った俺を見たミホは、小悪魔のように笑ってから後ろを向く。


「ほら、噂をすれば」

「何がだよ!」

「アマユユス、来てるよ?」

 そう言われて振り向くと、そこに天草先輩の姿はなかった。

「気配、感じなかったの?」

「……前にも、こんな事あったような」


 ミホの不思議そうな声に、俺はエレベーターを静かに見つめる。しばらくすると、天草先輩が扉が開いたと同時に出てきた。


「がんばって」


 ミホは俺の肩を優しく叩くと、その場を譲って足早に部屋へ戻っていく。この気遣いは、絶対無駄にしちゃいけないやつだと立ち上がった俺は、ゆっくりリビングを歩く天草先輩の所に向かった。


「天草先輩。今、話せませんか」

「部屋……で、いい?」

「部屋はミホとコモケーがいます」


 俺はさっき座っていた空きソファーを指差した。顔色分かんないけど様子から見て、今すぐ横になりたいのは察しが付く。


「すいません、手短に済ますんで」

「……大丈夫だよ」


 二人で話す事だと察してくれたのか、天草先輩はソファーに向かってゆっくり腰掛けた。俺も後に続いてちゃっかり真隣に座り、一呼吸置いてから話を切り出す。


「天草先輩はああ言いましたけど。ミホの気持ち探って振る様な事、俺には出来ないです」

「……うん」

「本人から告白されない限りは……勘弁して貰えませんか」

 俺は項垂れながら、天草先輩に頼んだ。

「ごめんね。意地悪な提案したせいで、北水さんを困らせてさ」

「いや、俺も……よく考えずに、どう振ろうとか考えちゃってたんで」

「同室の二人に、凄く嫌な思いさせちゃう所だった、本当に何考えてるんだろう自分は」

「具合悪いですし、気が回らないのは仕方ないんじゃないですか?」

「自分って、すぐ人を試すような事……しちゃうんだよね」


 天草先輩はソファーの背もたれに全身を預けて、天井を見上げてるようだった。山の合宿所で俺にあんな事したのも、そういう感じだったのかな。

 掛ける言葉が見つからなくて、沈黙が続く。もうミホを振らなくていいなら、用件は済んだけど、話がしたい思いで俺は図々しい事を口走った。


「男女グループに苦手意識あるって、天草先輩は昨日言ってましたけど」

「昔、何かあった……とか、聞きたい感じ?」


 ちょっと言葉に詰まった。でも正直に言うと知りたくて、首を縦に振ってしまった。


「なんもなし。誰かと関わるのは、むしろ好きな方だよ」

「じゃあ、なんで嫌がってるんスか」

「濁りたくないからかな。自分には、この世界が鮮やか過ぎるんだよ」

「鮮やか過ぎる?」

「一つ一つの色は好きなのに、混ざった途端に汚く見えてくる。それに触れたくない気持ちが強くて」


 天草先輩は、透けた両手を見るようにそう言った。ちょっと文学的な言い回しで、俺は意味を掴みきれてない。他人の影響を受けたくないってのは、なんとなく分かるんだけど。


「でも、たくさんの色に染まりたい自分もいてさ」


 嫌いになりきれない。俺の耳にはそう聞こえた。透明な姿なのに、水槽リビングの全てが複雑に反射して見える。


「ハッキリ出来ないのに分かった気でいて、何故か身体は心に従わなくて、それが溺れてるように息苦しいんだ」

「……」

「だから、自分は……過酷で優しい海がどこまでも青く染まってるの、とても羨ましく思う」


「なんであんな事すんの? わたしたち付き合ってるんだよね⁉︎」

「そっちだって、他校の奴と仲良くしてたじゃん」


 天草先輩が海底へ沈む様に話す裏で、チラッと後ろを見ると肝試しから付き合ってると噂の、一般学生カップルが揉めていた。昨日の合コン寿司で、なんかトラブったんだろうな。こっちまで丸聞こえだぞ。


「とにかく、ミホノセキの事は無かった事にして。……北水さんの告白に関しては、もう少し時間欲しいな」

「全然待ちますよ、俺は」

 今すぐ振る必要が無くなって、俺は思いっきり息を吐いた。

「安心した?」

「ミホはいい奴なんで、出来れば傷付けたくは無いんですけど……天草先輩の返答次第では、ケリ付けなきゃですから」


 両手を強く握って、本音を打ち明けた。とにかく、焦らなくて良いだけでも心の持ちようが全然違う。すると天草先輩は、俺を覗き込む様に身体を前に出した。


「男だね、北水さんは」

「えッ、あ……ありがとうございます?」

「決められた生き方出来てて、凄い。それに比べて、自分は……」


「なんで男子ってそうなの!」

「女には絶対分かんねぇよ!」


 後ろから一般生徒カップルの口論が聞こえる。天草先輩は次第に身体を丸めて、ギュッと強く強く左胸の服を掴んでいた。


「天草先輩……?」

「は……ッ、はッ……ぁ」

「大丈夫ですか?」

「ごめ……ッ、席、外す……ね」


 天草先輩は急に立ち上がって、ヨロヨロ歩き始める。今にも倒れそうだったから、俺は介抱する為に話しかけようとした。


「……。……ッ⁉︎」


 声が、出ない。なんだこれ。超音波がグワッときて、水槽全体が揺れてるような感覚だ。騒がしかったカップルまで急に黙り込んで、リビングが一気に静かになったから、この現象に飲み込まれてるのは俺だけじゃない。


 エレベーターに向かってフラフラ歩いていた天草先輩の両肩を支えたのは、いつの間にかその場に立っていた越前先生だった。


「…………」


 口を開くけど何も言わない所を見ると、越前先生も同じ感覚の中にいるんだと思う。壁と天井の巨大水槽を泳ぐ海洋生物が逃げるように、端へ端へ避けていく。何が、起こってるんだ。


「具合、悪そうだねえ……」


 言葉が出る感覚が戻ったと同時に、越前先生は心配そうな顔で天草先輩に話しかけた。


「ここは……息が詰まるだろう」


 天草先輩を身体で支えながら、先生はエレベーターに連れ込む。俺はそれを、黙って見送る事しか出来なかった。


「ごめん、わたしカッとなってた」


 喧嘩していたカップルが、言葉を止められた事で冷静を取り戻す。水槽にいる魚達が自由に泳ぎ始めたが、俺は沈黙に取り残されていた。

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