心臓が近付く
あれから二時間半は歩いたろうか、透明人間関係の雑談を挟みながら山道を進んでいく。道は険しくないが、足元には太い枝や石がゴロゴロしていて気を付けないと足を取られる。右側は滑り落ちたら戻るのに苦労しそうな傾斜もあって油断禁物。
——なのに、後ろのミホがさっきからスマホを手に持ちながら歩いている。何度か振り返って確認しても街中にいるように、やめる様子が無さそうだ。隣にコモケー、最後尾に天草先輩がいるとはいえ、そろそろ指摘してやらないとまずいな。歩く速度を緩めて、声をかけてやった。
「歩きスマホすると危ねぇぞミホ」
「施設から離れたら、位置情報で場所が分かると思ったんだけどやっぱりダメみたい」
「こんな所でネット繋がる訳ないだろ」
「でも、SNSとサイトは普通に見れるし」
ミホが困り顔でスマホを眺めていると、コモケーが話したそうに前に出た。
「昨日もサムバしたんだけどさ、通信速度がめッッちゃくちゃ快適なんだよね〜。ゲーミングカフェより良いまであるよ〜!」
「どうなってんだよ、この山は……」
ここまで回線環境が良いって事は、近くに基地局でもあるのか。ネット使えるのはありがたいが、位置情報が取れなかったり合宿について投稿なりすると速攻で消される。システム管理されてるってのはしおりにも書いてたけど、ここまでとはな。
「ミホノセキ、足元悪いから気をつけて」
ネットワーク事情の疑問も、天草先輩の気遣いに目移りする。ミホは操作に集中して、なんとか位置を割り出せないか試行錯誤してばかり。歩きスマホ自体、普段の移動でも控えるべきだが山道でもそんな事してたら痛い目見るぞ。
「ちゃんと見てるから、平気だよ」
そう言うだけあって、慣れたように歩いてるが危なっかしいなとチラチラ後ろを見ちまう。
ザリッと足が取られて俺の視点が右に傾く。やばいと思った時にはもう山道を逸れて身体が傾斜面に転がってる。数メートル滑落して、なんとか木にしがみつけた。
「北水さん! 大丈夫⁉︎」
三人の呼び声が頭上から伸びてきたが、意識的に聞き取ったのはやっぱり天草先輩だ。俺は大丈夫ですと言い返しながら、掴めるものを頼りに傾斜をよじ登る。——なんとか、元の場所に戻れた。危なかったぁあぁぁ。
「ちょっと! びっくりさせないでよきーちゃん」
悪い悪いと返す。歩きスマホしてる奴に気を取られて、逆にコケるとかだせえ。俺の方が不注意だったことを悔いながら足元の枯葉を払った瞬間だった、痛みが下からジクッと広がる。ッてェと声が出てしまった。
「んん? 北水どこか痛めたん⁉︎」
「右足が。いやでも歩けるッスよ」
コモケーが心配そうな声を掛けてくれる。大した事ないと足を動かした瞬間、ガクンと膝からが沈む、嘘だろ、足挫いたかもしんないそこれ。
「えっ、確実に怪我してない⁉︎」
指摘したミホが足を見せてとしゃがんで催促するので、靴下を捲ると右足首が真っ赤に腫れていた。よじ登った時、捻った足に力込めすぎたのが仇となったかも思いつつ、歩くだけならともう一度トライする。でも立てない有り様をまた晒してしまった。コモケーも屈んで、俺を見てるようだ。
「あーあ、これ挫いちゃってるよ〜」
「あと10分程度なんで、俺我慢して歩きます」
「時にはNOと言える男になろう〜、北水〜!」
ビシッと指差されたような風圧がコモケーから飛んできた。正直関節の内側から痛いけど、俺のせいで行き詰まってるのも申し訳ない。
「自分が北水さんをおぶって行くよ」
へ? と顔を上げる。今なんて言った、おぶるのか。俺を、天草先輩がか。理解が追いつかないのに、ストンと姿勢を落とす透明人間のハッキリとした背中が近付いた。
「ほら、遠慮しないで。力には自信あるから」
「いやいやいやッ、後から追い付くんで先行って下さいよ!」
「捻挫だとしたら、歩かない方がいい。少しでも早く診てもらわないと」
「俺重いですし! 合宿所の救護要請を待つのも……ッ」
「往生際が悪いの、自分は嫌いだよ」
嫌われるのだけは。そんな甘えが「じゃあ、頼みます」と俺の口で代弁した。運動着以外シルエットしか視認出来ない透明人間にゆっくり身を預けていく。肩に腕を通し、俺の足に天草先輩の腕が入ると飛び上がるように身体が持ち上がった。
「よいっしょ。両腕を交差して貰っていいかな」
「はいッ」
キョドりながら言われた通りにすると、クロスした両手手首を天草先輩に掴まれた。それだけで、胸が強く脈打つ。初めて会って握手した時のように、見えない熱が伝わる。ガッシリとした皮膚、やわらかい骨、シャンプーの香りと汗臭さが透けて分かる。
「フーッ、アマユユス力持ち!」
ミホが横から煽ってきた。みっともなくて、また俺は焦る。
「キツかったら下ろしていいッスからね⁉︎」
「大丈夫。自分を信じて、身体預けなよ」
てくてくと緩い山道を進んで、まるで空中散歩のようだ。透明人間に背負われるなんて想像もしてなかった。距離が近くても遠くても変わらない、スケスケの気配が訴えかけるのは【側にいる】それだけ。
横からミホとコモケーの茶化す声が聞こえるが、全然内容が入ってこない。心臓が白状してくる。気になって仕方ないのは、透明人間が放つ気配のせいなんかじゃない。
好きになってる、天草先輩を。
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