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(尾畑明美)
古びた家の暖炉の前。お菓子をくれるその人は、町の大人には怖がられていたけれど、私にはいつも優しかった。
「こんな床で勉強するのかい」
ロッキングチェアに座っている人物は、器用にゆっくりとその身を揺らす。私はその問いに答えないまま、時間が過ぎてゆく。とても勉強がしやすい環境だった。
「なぜ小児科なんだい?外科医の方が稼げるだろう?」
「お金は別にどっちでもいい」
「そんなんじゃ、奨学金を借りても返せないじゃないか」
「生涯をかけて返して行くから大丈夫。私には『普通の幸せ』がわからないから」
「ふ〜ん、そうかい」
いつもの暖炉前。その人物は、聞いた割に興味がなさそうに返事をした。
子供など最初から好きではなかった。
だけど、この町には産婆が不足していた。
そして、研究のためだけに自分が取り上げた子供達を誘拐していた。
古びた家の扉を開ける。相変わらず、外観からは想像もできないような室内だと思う。洋風のおとぎ話にでも出てきそうな室内。暖炉の前のロッキングチェアに座っている老婆がこちらを向いた。
「おや、あんたかい」
うたた寝をしていたのか、その瞳は眠そうだった。床に敷いてある絨毯の上には、何人か子供が眠っている。絵本やおもちゃも散らばっている。お菓子の中に仕込んである薬が効いているようだった。ぐっすり眠っている。
「大変だねえ」
私が子供達を背負う姿を見た老婆が言った。
「今度はどれぐらい持つか・・・」
その言葉に、苛立ちを覚えた。だが、言い返している時間もない。
「自分が取り上げたからと言って、これだけ子供が減れば、この町の将来が危ういよ」
老婆は私が言葉を返さないことをいいことに、続けた。
「今の研究には子供が必要なんです。子供の臨床は難しい」
スヤスヤと寝息を立てている子供を運びながら、私は小さく言った。
「子供はタダでは大きくならないし、簡単にできるものでもない。あんた自分で産めばいい。それができるのだろう?」
老婆のその言葉に、私は大きく目を見開いた。
老婆が言った通り、自分で産む事を決めた。子供に興味がないと言っている町の女性を四人集めて、人工授精を施した。妊娠するかはわからないが、それでもいいと思った。研究がうまくいかずに、半ば投げやりになっていたのかもしれない。人間、お金を払えば人は動くもので、四人を集めることは容易かった。
「金は出すが、お前が見張れよ」
尾畑誠は、そう冷たく言い放った。金も精子提供も拒まなかった。
こちらは痛い思いをするのだから、それぐらいはしてもらわないと協力はできないと言ったからだ。共同研究だというのに、私の扱いはただの助手のようなものだった。
十月十日を経て、六時間もかけて産んだ我が子を抱いた時、子供が嫌いだというのに、不思議な感覚を覚えた。
他の四人も、同じあたりに無事に妊娠し、五人全員が同じ学年になった。そこからは、初めての経験を周りに助けられながら、五人で協力しながら、乗り越えた。
「で?そろそろいい頃だろ?」
浮き足立っているような、ぬるい空気を切り裂く一言を尾畑誠は意図も簡単に言い放った。
「かなりの年数待ったし、金も使った。新薬だって、だいぶ改良を重ねた。問題ないだろ?」
ガハハと笑った顔が、何故か少し腹立たしく思える。
新薬は、毎週金曜日のカレーの日に飲ませるようにした。
「ねえ・・・お母さん?今日、カレーなの?」
キッチンでカレーを作っていると、戸の向こう側から未由が顔を出してこちらを見ている。
「そうだよ?カレー嫌い?」
「ううん・・・でもカレーって苦いんだね。舌がピリピリするし」
子供の感覚というものは、研ぎ澄まされているような気がした。一瞬どきりとした。
「そうだね・・・お母さんも、カレーは苦いって思うから一緒だね」
「そうなの?お母さんもそうなんだね。カレーって苦い食べ物なんだ」
「お家によって味が違うみたいだよ〜」
「そうなの?他のお家のカレーも苦いかな〜」
「どうだろうね〜」
そう言いながら、カレーをかき混ぜるお玉に、力が入ったのがわかった。
「壮がね、うちのカレーはなんで苦いのかって聞いてきたの」
壮の母親が、相談してきた。やはり、新薬のせいか。
尾畑誠に取り合ってみる。
「はあ?味?そんなのきにしていられないよ。我慢してもらって」
試験管を見ながら、こちらを見もしなかった。
「大体、臨床実験だから別にいいだろ?お前がこれ以上、町の子供を誘拐できないって、言ったんじゃないか。町の子供の代わりなんだから贅沢いうなよ」
「町の子供が減れば、この町がなくなってしまうじゃないですか」
「そんなの俺の知った事じゃないよ」
お互いこの町で生まれ育ったというのに、尾畑誠は町の未来のことなど気にしていないようだった。
私は、何も言わず研究室を出ようとする。
「あ〜次の金曜日は、薬の濃度を最大値まであげようと思っているからよろしく〜」
結局この男は、子供を人を人体実験のモルモットとしてしか、捉えていないのだと悟った。いや、私も未由を産むまではそうだったのかもしれない。そんな感覚だったのかもしれない。心に冷たい槍を刺された感覚になる。そう、私の使命を、私の仕事を忘れてはならないのだ。
そして、次の金曜日最悪の事態が起こった。
「食中毒だって〜?」
病院へ事情を聞きにきた、交番の尾畑さんが心配そうに言った。
「ええ。今うちの病院で診ていますから大丈夫だと思います」
結局診ると言っても、経過観察程度だ。
交番の尾畑さんが去っていく辺り、慌てて壮の母親が病院へ来た。
「うちの壮は大丈夫なの?ねえ?」
両肩を強く掴まれて、揺さぶられる。壮の母親は、酷く動揺していた。
「ねえ、一度全員で話せる?」
四人の母親を、病院の会議室に招いた。
「確認したいの。今、あなた達がどう思っているのか」
私は単刀直入に聞いた。
「どうって・・・」
拓の母親が不安そうな顔をしている。
「だって、そういう契約でしょ?子供を産んで、薬を飲ませる。そうしたら、お金貰えるんでしょ?」
菜々の母親が、目を見開いていう。
「・・・この人でなし」
壮の母親が菜々の母親を睨む。
「人でなしって、あんたも同類じゃない!」
菜々の母親が、壮の母親に向かって怒鳴る。
「まあまあ、二人とも落ち着いて」
拓の母親が止めに入る。冬吾の母親は、表情一つ変えずにこちらを見ている。
会議室の扉がいきなり開いた。
「あ、お取り込み中失礼します〜」
尾畑誠が顔を覗かせた。
私を含めた母親達が全員注視したのがわかった。
「今更、子供に投薬をやめたいとか契約違反なので、そこのところよろしく。お金返してもらうだけじゃ済まさないから。というか、全員俺の子供だから」
そう私たちに吐き捨てて、尾畑誠は会議室を出て行った。
「ああ〜〜〜」
壮の母親が泣き崩れる。
そのあと誰一人として、口を開くことはなかった。
五人の子供達は峠を越して、生き延びた。
後日、尾畑誠は恐ろしいことを言い始めた。
「あの濃度で生き延びたなら、もうどこまでいけるか試してみてもいいと思うんだよね」
「え?」
この尾畑誠という男は、最大濃度を耐えた子供達をまだ、実験台にするというのか。
「来週の金曜日だから、よろしくね」
あっさりと言って、涼しい顔を私に見せた。
その夜、私の自宅に集めた母親たちに話した。
「あっ私は、仕方がないって思っているから!」
菜々の母親が立ち上がって、家を出て行く。
「・・・そういう契約ですからね」
珍しく冬吾の母親が口を開いたが、彼女もまた立ち上がって家を出て行った。
「・・・」
拓の母親がソワソワしているようだった。彼女はどう思っているのだろう。
「・・・この一週間を拓と大事に過ごします」
彼女もまた、考えた末にそう言って家を出て行った。
残った壮の母親は、うつむいている。
こんな時に思い出すのは、あの古びた家にいた老婆のことだった。
「ねえ、私に協力してくれる?」
そう言って彼女の肩に手を置いた。
彼女が顔を上げると、その顔は涙と鼻水まみれだった。私は思わず笑ってしまった。
「笑わないでよ〜」
そう言いながら、涙を拭う。私は、ある計画を彼女に持ちかけた。
それは、もう後戻りなどできない計画だった。いや、最初から戻るべき場所などなかったのかもしれない。
計画の決行の日。
他の母親達には言わずに、壮だけを壮の母親の友人へと託した。
「本当に大丈夫なんですか?」
心配する友人夫婦に、壮への新しい戸籍と開発途中だった記憶喪失の薬を託した。
「大丈夫、あとは頼みました」
私はそう言って、車の後ろで眠る壮を見ながら泣いている、母親を車から引き剥がした。
「決めたことでしょう?上手く行ったら、迎えに行きましょう」
壮の母親は、ぐちゃぐちゃの顔で強く頷いた。
そして、肝心のあの男の元へと向かう。
壮の母親のためにも、失敗するわけにはいかない。慎重に、失敗は許されない。
いつものように、研究室で研究資料を眺める尾畑誠。その背中に憧れがあったのは、いつまでだっただろう。
研究室から出る時、私は
「別の子じゃダメですか?」
と、尾畑誠に聞いた。
「え?」
尾畑誠が椅子を回し、こちらを向く。久しぶりに目が合った気がした。
「あ〜昔みたいに、誘拐してくるってこと?ダメでしょ。この薬の耐性がついた子達じゃないと、すぐ死んじゃうって」
そう言って、再び研究資料を見始めた。飲んでいるコーヒーの中に睡眠薬を仕込んでおいた。じきに効いてくるだろう。
病院の研究室を後にした私は、用意していた灯油を地下のいたるところに撒いた。多分外では、壮の母親が同じように灯油をまいてくれているだろう。階段を登り、ライターを投げ入れる。
辺りがあっという間に、赤い炎に包まれる。
急いで外へ出る。壮の母親と合流した。
「撒いた?」
私のその言葉に、彼女はゆっくり頷く。その顔を見て、私は再び外にもライターを投げた。炎はあっという間に広がる。
「・・・なんだか慣れているのね」
病院の外へと走る道中、彼女が言った。
「・・・昔ね、色々あったの」
実験に失敗して亡くしてしまった子供達を、沢山弔ってきた。今では、綺麗事に過ぎないが。
「そう・・・大変な人生だったのね」
「ええ。でも、もうこれで終わり」
これからは、平穏が訪れる。そう思った。
空が真っ赤に染まっている。夕暮れどきだ。
未由の手を握りそっと言った。
「夕暮れどきの魔女はね、実はお母さんなの」
未由は流石に怖がるかと思った。
「え〜そうなの?お母さん魔女なの?」
と、目を輝かせた時、もしかしたらこの子も私と同じ道をたどるのかもしれないと思った。私自身が昔、魔女になりたかったからだ。そう。この子は、正真正銘私の子だ。
思わず口が緩む。
「魔女でもね、自分の子供は食べれられないのよ」
涙ながらにそんなことしか言えなかった。自分身勝手に産み落としておきながら、今更母親のようなことは言えなかった。
終わりを迎えたはずだった。
赤く燃える炎の先に美代子を見つけた時、しまったと思った。
誰にも見られてなどいないと思っていた。
またこんな時に、あの老婆の言葉を思い出す。
「悪い魔女はね、燃やさないと死なないんだよ」
そう、あの小屋にいた老婆が夕暮れどきの魔女ではない。
私が夕暮れどきの魔女なのだ。
だから、だからどうか子供たちだけは生き延びますように。
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