第1話

アオイヒマワリ


雲一つない青い空


煩いくらいに鳴り響く蝉の鳴き声


地面から立ち上る陽炎


今年も気付けば、また夏が来ていた


彼はまた、来てくれるだろうか


僕は座ったまま青い空を見上げる


今日もこの日が来てしまった


彼は、元気だろうか


そう、思いを馳せて何時間が経ったであろうか


ジャリ… ジャリ…


規則正しい足音が聞こえてきた


あぁ、この足音はきっと彼だ


見なくても判る


聞きたくて待ち続けて、


そして今年こそ、最も聞きたくない足音だった




「…よぉ、今年も来たぞ


向日葵」


「……また来たのか、葵」




彼の言葉に上に向けていた視線を正面に戻す


そこにはやはり、彼がそこに立っていた


あの頃から少し、大人になった彼が薄く笑みを浮かべてこちらを見ていた




「……早いもんだな


あれからもう5年にもなるなんてな」


「はは、そうだな


葵も大人になったな」




彼の少し複雑そうな笑顔に、僕も少し苦しくなる


この少し複雑そうな表情はあの頃から余り変わらない


見た目は少し老けても、中身は変わっていないのだろうなぁと、毎年彼の表情と言葉からそう思う


身長だって、いつの間にか彼はあの頃から伸びている


そんな彼を眺めていると、彼は鞄をあさる


鞄から出した彼の手には折り紙が握られていた


あれは……




「今年も折ってきたぞ


青い向日葵」


「…………」




彼が取り出したのは青い折り紙で折られた向日葵だった




「今年のは、まだお前ほどじゃないけど、うまく折れたと思うんだ


上手くなっただろ?」




そう言ってはにかむ彼に僕もつい頬が緩む


確かに彼の手の中にある折り紙の向日葵は僕の記憶の中にあるものよりも俄然上手くなっていた




「…ほんとだ、いつの間にこんなに上手くなったの?」




年々上手くなっているなとは思っていたけれど、今年は更に綺麗に折れている向日葵に、僕らの花にあの日を思い出す


あれも、思い出せばとても暑い夏の日だった


僕が自室でいつも通り折り紙を折っていた


なんとなく取った紙が青色で、僕はふと幼なじみの葵を思い浮かべた


僕は幼なじみの葵が好きなのだ


彼が、初恋だった


僕は生まれつき、体が弱く医者からは長く生きられはしないと言われていた


そのことは知っていたし、なんとなく理解していた


それどころか、ある意味しょうがないと諦めているところさえもあった


だが、僕は幼なじみの葵を好きになり、でもその気持ちを伝えきれずにいたのだ


どうせ僕の人生は短いものだから仕方がないのだと


でも、だからといって抑えられるような気持ちでもなく、僕は彼の色で自分の花を折ってみたのだ


今思えば、なんと恥ずかしいことをしたのだと自分で自分が恥ずかしくなるものだが、それが僕らの関係を変えたことを思えば、よくやったと褒めたくもなる


青い折り紙で折った向日葵


実際に、現実に青い向日葵など咲いているはずなどなく、できあがったそれを見て、やはり違和感しかないなと苦笑していたところに、彼はやってきた


僕が折り終わった青い向日葵を見ていると、彼は僕の部屋に来て、僕が持っていた青い向日葵をその手に取った




「わ、青い向日葵とか初めて見た、綺麗だな」


「……そう?


僕には違和感しかないよ」




笑顔の彼がまぶしくて、ついネガティブなことを口にしてしまう


でも、彼の笑顔が曇ることはなかった




「まぁ、現実には咲かない色だけど、良いじゃん


俺は好きだよ


それに、青い向日葵だなんてまるで俺たちみたいじゃん」




そう言って笑った彼はとてもまぶしくてキュンと胸が締め付けられた


それからは彼も向日葵を折れるようにと慣れない手つきで折り紙を折るようになった


そんな彼を好きになるななんて、難しい話だろう


そんなことを思い返しながら、彼が持ってきた青い向日葵を見る


最初のあのぐちゃぐちゃだった向日葵もどきを思い出しながら、彼の手の中の向日葵を見ると、笑みが広がるのも仕方ないだろう




「……生花よりも、向日葵ならこっちの方が喜ぶかなって思ったんだ


それと、これ


向日葵が好きだったジュースも買ってきたんだ


これ、好きだっただろ?」




そうやって彼が更に取り出したのは、僕が好きだったリンゴジュースだった


彼は取り出したリンゴジュースと、青い向日葵を僕の前に置いて、手を合わせる


このリンゴジュースは、リンゴの甘みと少し効いている酸味が好きだった


こんなことまで覚えてくれている彼にまた心が惹かれていくのを僕は自覚する


あぁ、だから彼には心の底から会いたくても、それ以上に来て欲しくはなかったのだ


死んでなお、彼のことが忘れられず、8月15日のお盆には毎年墓参りに来てくれる彼を待って、来てくれた彼を更に好きになるのが判っていたから


僕が死んで、5年


彼は毎年欠かさず僕のお墓参りに来てくれていたのだ


真夏のこの時期にだけ会える彼に、もう届くことはないと知りつつ、僕は想いを募らせていく


だから、彼には僕を思い出してきて欲しいけれども、これ以上彼を好きになってしまわないように、この世に未練を残してしまわないように、彼には来て欲しくなかったのだ


喉と鼻の奥がつんと熱くなり、視界がにじむ


外気温の暑さなんて一切判らないのに、この涙がこみ上げてくる感覚は、生前と何ら変わらない


この感覚も、判らなければ感情的にならずに済んだだろうか?


ぽたりと僕の目からこぼれた涙は頬を伝って地面に落ちるけれど、そこにシミができることはない


誰にも見えず、溶けて消えるだけ


それが如実にも、僕がもう生きていないことを思い知らせてくれるから、どうしようもない悔しさとさみしさと、彼への気持ちが募るだけ


こみ上げた涙はなかなか止まらず、せっかく1年ぶりに会えた彼の姿がにじんで見えなくなる


きっと、僕の冥福を祈りながら手を合わせてくれている彼に、僕は申し訳なくて、嬉しくて、悲しくて…


いろんな感情が死してなお、僕の心を揺さぶる


声も出ず、泣き続けた僕がやっと泣き止むぐらいに、彼は合わせていた手を下ろし、ゆっくりと目を開ける


そのときに、彼と目が合った気がしたが、彼の瞳が僕を写すことはもう永遠にない




「……向日葵、ありがとうな」


「葵…


僕こそ、ありがとう…」




彼はそう言って、元来た道へと引き返す


僕にはもういけない、生者の道を


引き留めてはいけない、そう判っているのだけれども




「……っ、葵!」




聞こえるはずのない声で、彼を呼んでしまう


彼には聞こえていない、はずなのに


それでも、彼は振り返った


ただの、偶然のはずのそれが、僕は言葉にできないほどに嬉しかったんだ




「…向日葵!


またな!」




そう言って少し赤い目をした彼は、僕の大好きな笑顔で手を振って、帰って行った


あぁ、葵がまたななんて言うから、来年もまた来てくれるのではないかと期待、してしまう


その幸福感と、罪悪感を胸に抱き、僕はまた眠りについた

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