第5話 夜の静寂

リベル村の夜はとても静かである。

周りに家がないことが、この静寂の空間を作り出しているのだろう。

壁に掛かっていた垂れ布をそっと横にずらし、四角い木枠から覗く漆黒の暗闇の一面には、まばゆいほどの光輝く星々が無数にその存在を主張していた。


オリヴァーは寝間着姿で部屋の寝床に両膝を立てて小さく座りながらその闇を見つめていた。


(......あそこにあるのはデネブとアルタイル、ベガの星だ)


ジュワン(六月)の月に特徴的に見えるほのかに白く光る星と、その近くに散っている青白い星を眺めながらぼんやりとそんなことを考える。


オリヴァーは夜の空をただ静かに眺めることが好きだった。

まだ七歳の頃に、メアリーが空を指さしながら教えてくれたのだ。


『オリヴァー、あの空に浮かんでいるものはね、"星"っていうのよ』


自分の肩を優しく抱きながら隣でそう言うメアリーの顔はどこか嬉しそうだった。


『ほ、し...?』


馴染みのない言葉にたどたどしくもそう反芻すると、彼女はにこりと頷く。


『昼間は太陽が輝いているでしょう?それと一緒で、夜は小さな星が輝いているの』


『たいよう、とほしは、ちがうの?』


いつも空に浮かんでいる、目ではしっかり直視できない太陽の姿を想像する。


『そう。太陽は眩しく元気を与えてくれる王様ね。それと反対に、星はみんなを静か

 に見守ってくれる神様かしら....?』


目元をほころばせ、ふふっと笑みをこぼす義母はどこか無邪気な子供のようだ。


『...私がまだ小さかった頃におばあさんから聞いた言い伝えなんだけどね』


メアリーはオリヴァーの頭を優しく慈しむように撫でながら言葉を続ける。


『星はこの大きな世界のことをなんでも知っているそうよ』


『なんでも....?』


『えぇ。人々の想いも、動物たちの声も、悲しみも幸せも、全部ね』


今まで想像もしなかった壮大な話に思わず固まってしまう。

自分たちの遥か遠くにある小さなものが、そんな大きな役割を担っているとは考えたことがなかったからだ。


『嬉しいことがあった日も、寂しいことがあった日も、星はきっといつもみんなを

 見守ってくれているはずよ』


義母の穏やかな声音が心地よく、二人で眠りにつくまでずっと夜空を見上げていた。


小さい時から星の存在は彼にとって、とても大きな意味があったのだ。


「......今日の星は綺麗だなぁ」


自分一人しかいない小さな部屋で呟いた声は、窓から僅かに入り込む風によって瞬く間に溶けていく。無音で静かな空間は安心感をもたらすとともに、まるで自分だけがその場に取り残されたような孤独を与える。


その時窓の遠くのずっと外から、獣の遠吠えのような声がかすかに聴こえてきた。

普段は聴かない鳴き声に一瞬びくっと肩をすくめる。


(影の森からかな......?)


遠吠えが聴こえたのは窓の方からだった。オリヴァーの部屋の窓は南にある影の森の方面を向いているため間違いないだろう。


息を潜め声のする方に耳を澄ませると、再びよく伸びる声で遠吠えが聴こえてくる。

なぜか、その声が仲間を呼んでいるこものだとオリヴァーは直感的に理解した。


(遠吠えをあげているのは...縄張りの長だ)


今日、小鳥に道の途中で出会うまでオリヴァーは実際に動物の存在をこの目で確認したことが無かった。なのに今日という日は様々な生き物に遭遇している気がする。

それは、今まで自分の中に知らないうちに奥底に溜めていたものが地の底から徐々に湧き上がっていくような、本来眠っていた懐かしい感覚がむくむくと蘇ってきているような不思議な心地だった。


知らない存在だったはずの、かつての仲間たちとの再会とでもいうべきか。


オリヴァーはそこで初めて、自分の口端の先が柔らかくほころんでいることに気がついた。


(遠くにいるのになぜかすごく懐かしい)


目には見ることのできないその獣の勇ましい姿は考えなくとも彼の頭に浮かんでくる。


こげ茶色の長い獣毛に金色に輝く双眸、体長は彼の背をも越しているであろう。

黄金に輝くその瞳は頭の中の姿越しに彼のことをじっと見つめている。

まるでこちらの存在を知っていたかのように。


「.....僕を知っているの......?」


縋るようにそう頭の中の彼に呟く。自分の想像に語りかけても意味はあるのか、一瞬の間にそんな考えがよぎったが、そんなことはないと本能が訴えかける。


この意識は遠くの彼と確実に繋がっている――――


端からみれば容易には信じ難いことであるが、少なくともオリヴァーにとってこの出会いは単なる偶然ではないと感じていた。


彼の呟きを聞いたその獣は鋭かった目つきをふっと緩ませた。


『.....そうか、本当にそなたが』


聞こえてきたその声は低く落ち着いており、年老いた威厳に包まれた声音だった。

どこか切なげに見つめるその瞳は、いつも義母が自分に向けてくれる慈愛に満ちた眼差しにとても良く似ている。


『....いずれ時が来る......待っておるよ.....』


大きな獣の声はそう言い残すと姿とともに霞となって、儚く消え去った。


オリヴァーには最後の言葉の意味がこの時はまだ理解できずにいた。けれど、彼とどこかの場所で再会する自分の姿が目に見えた気がしたのだ。

これは最後の出逢いなのではなく、これから起こるであろう出来事のほんの小さな始まりに過ぎない。


それはまるで、今まで錆びついて動かなかった歯車が再び動き出した瞬間だった。


オリヴァーは耳元で彼の発した言葉をよみがえらせながら、風によって少し冷やされた己の細い体を腕で抱きながら静かに目を閉じた。







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