第2話 ラジェル村に薬を届けに
第3王国は、12ある王国の中でも最も貧しい国の類に属する。
その理由として一つ挙げるとしたならば、それは魔法が浸透していない国だからだ。
この世界ではより高度な"魔法"を使える者が優遇される。
故に大昔から偉大な魔法使いや魔術師を輩出し、その先人たちの知恵を借りてきた中央の国と、またその国と積極的に交流を深めていた国は裕福に暮らしてる人々が多いのだ。
第3王国はもともと自然界との関わりが親密であったため、昔から魔法というものにはほとんど無縁の国であった。
自然界の恩恵を受けて育った生い茂る野原に色とりどりの草花、川を流れる流水はいつでも透明で輝いており、村のあちこちで小さな鳥のさえずりが聴こえていた。
しかし、あの日の惨劇でこの世界、この国は大きく変わってしまった。
今まで得ることの出来ていた豊かな川の水も水量が圧倒的に減り、村に住みかを作っていた小動物たちの姿はもはやもう見ることは叶わない。
以前は家の周囲を笑顔で走り回っていた子供の笑い声すら滅多に聞かなくなり、時はだいぶ流れた今でも、この国の薄暗い雰囲気は依然として残っている。
30分ほど東へ歩いたオリヴァーは、大きな川の上に掛かる細い板橋を渡り前方にある、白い大理石で丸くかたどられた噴水に腰かけて、義母からもらった昼食を食べることにした。
布のカバンからライ麦パンを二枚取り出し両手をあわせてから口に運ぶ。
リベル村は第3王国の中でも太陽が当たりやすい温暖な気候にあるため、ライ麦などの穀物が育ちやすい。今いる場所はちょうどリベル村とラジェル村の境目あたりであるが、ラジェル村は幾分か涼しい気候になるためブロッコリーなどの野菜が主食になる。
同じ国に位置しているとはいえ、村がひとつ違うだけで食べる物も服装も異なるのだ。
(叔母さんがこの前欲しいと言っていたレタスの葉もついでに買って帰ろう)
そんな事を考えながら硬いパンをよく噛んで少しずつ食べていると、自分の左側に1羽の白い小鳥がちょこんと立っていた。柔らかな羽毛につぶらな黒い瞳が愛らしい。
「....こんにちは」
オリヴァーが小さく微笑みながらそう声をかけると、小鳥は彼を見上げて首を横に傾げる。ここで鳥に遭遇することは今までなかった。これも何かの縁なのだろうか、とオリヴァーは初めて見る美しい生き物に喜びを感じていた。
持っていたパンを飲み込みやすいようにいくつか小さくちぎると、手のひらに乗せて小鳥の前にそっと差し出す。
「よかったらお食べ」
小鳥は細い声でピピッと鳴くと、彼の手にあるパンのかけらを嬉しそうにつつき始めた。
その瞬間オリヴァーは胸の中で何か温かく、そしてぼんやりと光るものを感じた。
(....なぜだろう。すごく....温かい)
今までに感じたことのない感情に少し戸惑いつつも、ゆっくりと自分の胸に手を当てた。初めて生き物に出会って興奮しているのだろうか。けれど、この気持ちは興奮というものではないと彼自身の奥深くにあるもう一人の自分が言っている。
オリヴァーはパンを食べる小鳥を静かに見つめながらじっと考えた。
(これは...懐かしさだ)
今抱いている感情の名前を理解すると、なんとも言えない不思議な幸福感が体中にあふれ出ていくのを感じる。
これは偶然なんかではない。もっと大きな――――
その先を思いつこうとしたところで、小鳥の鳴き声に我に返った。
その白い生き物は手のひらにある食事を終えたようで、再びピピッと鳴くとオリヴァーの白い手のひらに挨拶するように口ばしをつけると大きな青空に羽ばたいていった。
一瞬何が起こったのか呆然としていたが、日の光に照らされながら羽を大きく動かす後ろ姿を見た時に、自分は感謝されたのだと気がついた。
「....こちらこそありがとう」
気づけばそう口に出していた。何に対してのありがとうなのかは自分でもよく分からなかった。だけれど、この小さな出会いでこれから自分が大きく変化していくような、そんな期待が確かに待ち受けていることを心のどこかで確信したのだ。
昼食をとった場所からさらに30分程荒れた一本道を歩き、とうとうラジェル村に到着した。オリヴァー達の住んでいる住民が圧倒的に少数で閑静なリベル村に対して、
ラジェル村はどちらかというと賑やかな村だ。
荒れた道が開けたそこには、大小さまざまな石積みの家々が並んでいる。
村の入り口の木でできた簡素な門構えをくぐると、茶色の衣服をまとった人々の声がそこかしこから聞こえてきた。
オリヴァーは自身の顔を見られぬようマントのフードを深く被り直す。
今日の届け先は馴染みのある場所である。慣れた足取りで、時々歩いている人からの異様なものを見るような眼差しに気づかないふりをしながら足を運ぶ。
目の前にあるこの村では比較的大きい部類にあたる横長の家の前に来ると、いつものように古びた木製のドアを4回ノックした。
「僕です。薬を届けに来ました」
義母に昔から知らない人が聞いている可能性がある場面では安易に自分の名前を名乗ってはいけないと教えられてきたため、よその家への挨拶ではたとえ親しくとも名前は伏せている。
けれどここの家の人たちとは義母も含めて交友があるため、いつも通りの挨拶ですぐにドアを開けてくれた。
「オリヴァー!二週間ぶりか!」
満面の笑みでドアを開けたのは、オリヴァーが10歳の頃からの親友―――リアム・ペンバードンだった。
同い年のリアムは赤髪の赤眼で、背はオリヴァーよりも少し高めである。
透き通った白い肌のオリヴァーとは対照的に彼の健康的で日に焼けた肌はどこか野生を感じさせる。狩りの仕事で鍛え上げられた引き締まった体つきと整った顔立ちは逞しさと安心感を与えてくれる。
オリヴァーのこれまででたった一人の友人だった。
「リアム、元気そうでよかった」
そう微笑むと、リアムはガバッとオリヴァーに抱き着く。
「おう!俺はいつだって元気だぜ、とりあえず中入れよ」
そう手招きして家の中に入れてもらう。いつもながらの彼の振る舞いと家に、無意識に安堵しているオリヴァーを見てリアムは笑った。
「そんなに近い距離でもないのにいつも届けてくれてありがとな!ここに来る途中もほんとはずっと緊張してただろ」
彼の手に薬を手渡しているとふいにそう言われ、オリヴァーは一瞬自分の心を読まれたのかと驚いた。しかし表情にはそれを出さずに微笑む。
「薬を届けることは好きだよ。叔母さんも自分の薬が誰かの救いになれたときが一番嬉しいって言ってた。僕も少しでもリアムのお母さんの力になれたらいいな」
自分の苦労を一切吐き出さない親友の優しい言葉に毎回リアムは感心するとともにいつか彼の心が壊れてしまうのではないかと不安を抱いていた。
(オリヴァーは優しすぎるんだ。もっと自分をさらけ出しても良いのにな)
目の前でフードを外し顔を出した彼。
シミや日焼けなど一つも無い白い肌に、肩で切り揃えられた金髪になんといっても人間離れした神秘的な緑眼の美しさは言葉に表せられないほど美しい。
六年間彼と共に親しく仲を深めてきたリアムにとっても、親友の容姿は綺麗だった。
だが、それなりに長くつきあってきたがために、まさにその生まれながらの容姿のせいで彼自身が苦しんでいた過去も知っている。
(それに...右目の眼帯の下までは俺もまだ知らないしな)
彼の右目を覆い隠すようにつけられている革製の眼帯の下には何が隠されているのか気にならないわけではない。
しかし、誰にでも興味本位で踏み込んでほしくない領域があるということは十分に理解している。
(それでもいつか教えてもらえる時が来たら、ちゃんと話を聞かなきゃな)
今の俺が親友として彼にできること。それは―――――
何があっても彼を一人にしないこと。
「.......ム?.......リアム?」
はっと我に返る。目の前には心配な表情でこちらを見つめるオリヴァーがいた。
知らない間に考えごとをして突然無口になった俺に「大丈夫?」と声をかける純真無垢な優しさに改めてお前は昔から誰よりもおせっかいだったなと小さく苦笑する。
当の本人は俺がなにを考えていたのか知るはずもなく不思議そうに微笑みながら首を小さく傾げていた。
「悪い、ちょっとぼーっとしてたわ」
受け取った二つの薬瓶のうち一つを手にとり台所の棚にしまう。
「オリヴァー喉乾いただろ?麦の葉をこのあいだじいちゃんから譲ってもらったんだ」
先ほどの考え事などなかったかのように違う話題をふる。
お前のことが心配でその考え事をしてた、なんて今は知らなくていいからな。
なんとなくはぐらかされたように感じながらもオリヴァーはそれ以上聞くことは
なく、その代わりに「麦の葉あまりとれないけどすごく美味しいよね」、とはにかんでいた。
(その笑顔に、俺も母さんも、彼と親しい人はみんな救われてきたんだよ)
お茶を二人分コップに注ぎながら心の中でそんなことをぼやく。
だから、もしお前が何か変われるきっかけができたなら俺も全力で応援してやるからさ。床に礼儀正しく座り、窓の向こうを静かに見つめている横顔をちらっと盗み見る。
「できたぜ。あと、あまった茶葉は叔母さんに渡しといてくれ。薬のお礼だ」
「ありがとう、大事に使わせてもらうね」
「おう」
(オリヴァー、俺たちはお前の味方だからな)
二人で最近のことを談笑しながら時々笑いあう中で、リアムは言葉にはしない思いで親友との時間を堪能した。
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