第16話
春の柔らかな陽射しが遊園地の喧騒を優しく包みこんでいた。
観覧車が空に描く大きな円が、雲ひとつない青空に影を落としている。
休日のため、至るところから行き交う人々の歓声が響いていた。
「あいつら遅えよなぁ」
隣のベンチに座っている翔が、スマートフォンを見ながら面倒くさそうに本日三度目のため息をつく。
翔は待ち切れないのか、先程から茶色く染めた髪を掻き上げる仕草を何度もしている。
「まぁまぁ」
蒼空は苦笑しながら翔をなだめる。
幼馴染の3人と妹の色羽を加えた5人で近くの遊園地を訪れていた。
午前中は全員で様々なアトラクションを回り、昼食後は女子3人がお土産を見に行きたいと言い出したので、翔と蒼空は待機組に回されていた。
「なぁ、いくらなんでも遅くねぇか?」
翔の言う通り、すでに1時間以上経過していた。
だが、女子3人の買い物なら時間がかかるのは分かる。
「心配だし、ちょっと様子見てくるよ」
立ち上がろうとする蒼空に、翔が心配そうな目を向ける。
「俺も行ったほうがいいか?」
「いや、いいよ。見つからなかったらすぐに戻って来るからさ」
「迷子になるなよ」
からかうような翔の言葉に、蒼空は軽く肩をすくめる。
「僕もそこまで馬鹿じゃないよ」
蒼空はベンチから腰を上げ、お土産店が並ぶエリアへと向かう。週末の人混みを掻き分けながら進むと、聞き慣れた声が耳へ入った。
その声の主を探して視線を巡らせると、小さな路地の入口で陽菜の姿が目に入った。
だが、そこには見知らぬ男性の姿もあった。
陽菜と話している男は、蒼空と同じくらいの年齢に見える。
彼は黒いパーカーを羽織っており、鋭い目つきで陽菜のことを見つめている。
その眼差しには、強い執念じみたものを感じるほどだった。
対する陽菜の表情も、今まで見たことがないくらい険しい。
いつも穏やかな表情を浮かべる彼女の、そんな表情を見るのは初めてかもしれない。
「前々から言ってますよね! もうこんなことやめてください!」
「そう言って毎回断るけど、俺の何がダメなんだよッ!」
男の声が急に荒々しいものへと変わり、次の瞬間、彼は陽菜の手を乱暴に掴む。
「きゃっ」
陽菜は短い悲鳴を上げる。
このままではマズい。
そう思った蒼空は考える前に体が動いていた。
心臓が激しく鼓動を打つ中、急いで陽菜のもとに向かう。
そして、蒼空は腕を伸ばし、強引に男の腕を振りほどく。
「……やめてください。嫌がってるじゃないですか」
「そーちゃん……」
男は「チッ」と舌打ちをして、蒼空を睨みつける。
その目には明らかな敵対心が宿っていた。
「お前が例の彼氏クンとやらか」
男はギロリと恨みがましく蒼空を見つめる。
完全に人違いなのだが、蒼空はなんと返答すべきか迷ってしまい、適切な返答を導き出せなかった。
だが、陽菜はおもむろに蒼空の前に立った。
そして、毅然とした態度で男に言葉を返す。
「違うよ。そーちゃんとは付き合っていない。彼氏はこの人とは別の人」
その言葉を聞いて、蒼空は目の前が真っ暗になった。
世界の色が一瞬にして抜け落ちていくのを感じる。
覚悟はしていた。
でも、何かの間違いであった欲しいと思い続けていたのも事実だ。
けれど、実際に本人の口から聞くとそれが真実であることを否が応でも理解させられてしまう。
翔の言っていたことは全て事実だったのだから。
重苦しい沈黙が場を支配する。
男は陽菜を睨み、陽菜も凛とした佇まいを崩さない。
その緊迫した空気は永遠に続くかのように思えた。
だが、膠着した空気はそう長く続かなかった。
「アンタ達何してんの!」
突如響き渡った声に全員の注目が集まる。
声をかけたのは彩乃だった。
彩乃の腕には、可愛らしいキャラクターグッズの袋が下がっている。
男は彩乃を一瞥すると、大きく舌打ちをした。
「覚えてろよ」
捨て台詞を吐き残し、男は人混みの中へ消えていった。
その背中を蒼空は虚ろな目で見送った。
陽菜の方を見ると、ホッと胸を撫で下ろしていた。
そして、陽菜は蒼空の耳元へ顔を寄せる。
彼女温かい吐息が耳元をくすぐった。
「ごめんね。また後で教えるから」
申し訳無さそうな囁きに、蒼空は軽く頷くことしか出来なかった。
胸の中で何かが音を立てて崩れていくのを感じる。
遊園地の喧騒がこれほどまでに疎ましく思えたのはこれが初めてだった。
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