バイキャメラル・カインド(Bicameral Kind) ——4月2日=入学式=エイプリルフール——

Task111

第1話 蛾はとまっている時に羽を広げていて、蝶は広げていません。我の強いほうが蛾だと覚えましょう。

ラブントゥール・ルール 1


 はとまっている時に羽を広げていて、蝶は広げていません。

 我の強いほうがだと覚えましょう。


      ○羽井戸はねいど つかさ 職業:学生


 ラブントゥールと、入り口にあった。

 それは、フランス料理店の入り口に打ち付けてあるような金型のプレートで、ラテン語を知らない僕に正確な判断は微妙だが、しかしその文字は恐らくラテン語でそう書いており、左右見渡す限りに続く防波堤のような高い塀、その継ぎ目に似た入り口、門の横、表札のように、それはあった。プレートもさることながらその光景、その佇まいは、とてもこんな島国の片田舎にあるとは思えない代物だった。しかし、そんな突然の光景に違和感を感じるよりも先、

「やっと着いた」

 というのが最初の感想になる。僕は口に出して言った。

 ここにたどり着くため、僕は電車を乗り継ぎ乗り継ぎ、どれほど乗り継いだかわからないくらいになってもまだ乗り継ぎ、途中あるいは逆走しているのではという錯覚にも陥りながらもまだ乗り継ぎ、最終的に見事にたどり着いた。約二日間の長旅だった。国内旅行とはとても思えない。僕はやっと目的地に足を踏み入れる。

 天と地を分断するように高く、そして海を丸ごと堰き止めようとするように横にも長い、そんな塀とは裏腹に、抜け道のように塀に据え付けられている門は無防備に開け放たれていて、見張り等をしている人間の姿も見当たらなかった。だったら、この塀は何のための塀なのだろう、入り放題だけど、そんなことを思いながらも僕はローラー付きのスーツケースを引き、その門をくぐったところで、再び足を止める。

 目測で約四キロ程度の——直径。山育ちの僕はそう推測する。

前方、雲で霞むほど遠くに見えたのは、やはり塀だった。塀が高すぎて外からは何も見えなかったが、中に入ってやっとここの全容が確認できた。どうやらここは三百六十度、円形に、さっきの塀に囲まれているらしかった。

 塀。

 ずっとそう呼んでいたが、もう塀と呼んでいいかもわからない。触ってもみたが、石なのか鉄なのかすらわからない。冷たくとても硬い。それが一枚岩のように、一区画を、クッキーの金型を落としたように、ぐるりとここを囲んでいる。イメージ的には巨大な筒の中に入った、そう考えるのが分かりやすいかもしれない。

 そんな筒の中は、中心に向けてすり鉢状になっていて、今僕が立っているところからは、そこが一望できる仕組みになっていた。筒の中には、街があった。

 全体像は、ここにきてはっきりと洋風で、塀を除けばどこかの外国と見まちがえるだろう。しかし、その町並みを見て僕が一瞬、刑務所のようだ、そう思ったのは、やはりそれが高い塀に囲まれているからで、全方位、それこそ日の入りなどにも影響しそうなほどに高い塀は、とても閉ざされている、という空間をそこに作り出していた。しかし一方で、ここは刑務所というには広すぎて、閉塞感とは無縁にも思える。囲うというには馬鹿げた広さだ。そして、今何の障害もなく通ってきたように、門は開け放たれていて、今だって、出ようと思えばいつでも出られる。だから、やはりここは——、と呼んでいいのかもしれない。

 今のところ、それもまだ早い気がするけど。

 もしかしたら校門、と呼んでもいいのかもしれないそんな場所を通って歩き始めると、左右にレンガ造りの建物が現れ始める。日も落ちかけているということもあってか、どこかくたびれていて、暗い印象を受ける。しかしよく見ると建てられてそこまで年月が経っている気もしない。コンセプトが欠けた洋風の街並、なにか僕の語彙と認識ではそんな表現しかできない。

 街がすり鉢状になっているからか、道は中心に向けて少しだけ下り坂になっていて、それでも、歩いてみると平らと感じるくらい。道標もないが、とりあえず僕は何かが見えるまで、誰かと出会うまでは前に歩き続けることに決めて、歩いてみる。今日からここに暮らすというのだから、そうするしかない。

 学校と言うよりは街。

 ラブントゥールは、学園街である。

 そう勝手に結論づけてはいた。

 ラブントゥールからの入学許可書が届き、その住所がこの国の中にあったときから、そう考えるしかないと思っていた。がこの国にあり、しかし、どこにもそんな情報が漏れていない。ということは、それは完全に独立しており、外部とは隔絶している、それが一個独立した街のようなものなのだろう、それは状況からもそう考えるしかないと思っていた。

 しかし、もちろん、この佇まいは想定外。どんなコンセプトがあってこの限界集落だらけの片田舎に、しかも、こんな筒の中に、偽ドイツ村みたいなのを作ったのだろう。どれだけの資金がかかったのだろう。この塀にどんな意味があるのだろう。もちろん全てについて僕は何も知らない。なにせ、今、僕の手元にあるのは、この場所が書かれた入学許可書だけ。入学許可書には、僕の名前と、入学を許可すると言う簡単な文章、そしてここの住所だけが書いてあり、そこには入学日も書いていないため、今日である必然もなく僕はここに来たという経緯だった。もちろん、事前に色々な予想をしていたけど、今目の前にあるものは、いきなり僕の想像を超えている。

「どうしようか」

 僕は言いながら、あたりを見渡すが、その言葉は誰にも届きそうにない。

 さっきから、人影一つ見当たらない。その影すらも消えようとしている時間帯である。これだけ建物があるのに、これだけ広いのに、人気がない。遠くには街の光も見えているが、ここからはまだかなり遠い。そして一旦歩き出すと、すり鉢上の地形が災いしてか、蟻地獄に吸い込まれるように、街の全体は見えなくなり、あっという間に街中に迷い込んでしまったと言ってもいい状況になった。

「どうしよう……」

 状況になった、というか迷っている。

 なにか颯爽と立ち入ってみたものの、完全に道を見失っている。やっと着いたという興奮から無闇に中に進んでしまった。もしかすると、あそこで待つべきだったのかもしれない。そうすれば、誰が迎えに来てくれるようなことになっていたのかもしれない。引き返そうか、と僕が元来た道を振り返ると、塀の継ぎ目、縦線のような入り口が見え、そこに夕日が沈んでいくのが見えた。あたりは夕闇から夜の暗さとなった。

「こんにちは」

 そんな、静かなパニックの中、僕の背後から声がした。

 僕を驚かさないように配慮されたような落ち着いた声だった。

 振り向くと、そこには女性がいた。

同年代くらいの、メイドのような服を着た女性だった。警戒を解いてくださいと促すように、彼女はニコッと僕に微笑む。

「こんにちは。私、図書館司書の七葉五十夢ななは いとむと言います。図書館から言付けられて、仕事でお迎えにあがりました」

 まるでゲームの中の案内人のようなセリフ回しだった。彼女は深々と僕にお辞儀をする。彼女は自分を図書館司書と名乗った。

「え、あの、案内ですか? 図書館から?」

 急な出来事による動揺から、僕は挨拶もせず、聞こえた単語をいくつか言う。

「はい、私は図書館から依頼されてここにまいりました。名前は、七葉五十夢と言います。図書館司書をやっています」

 彼女は繰り返す。そして、もう一度深々とお辞儀をした。

「え、あの、羽井戸司と言います。よろしくお願いします」

 僕も、ひとまず自己紹介をする。

 顔を上げた彼女は、再びニコッと笑う。

「ええ、もちろん知っております。羽井戸様を案内するために来ましたので。羽井戸様、ようこそ、ラブントゥールへ!」

 その歓迎の言葉は、何か虚しく暗闇に消えていったが、ともかく、そういうことらしかった。

「あの、ありがとうございます。わざわざ来ていただいて!」

「いいえ、大したことじゃないです。こんなの、本来であれば仕事に入りませんから」

 そして彼女は踵を返し、歩き出す。僕は彼女に付いていく。

「しかし、仕事となった以上は、精一杯やらせていただきます。よろしくお願いします」

 仕事、と彼女は言った。さっきも、そんなことを言っていたような気がする。

「あ、あの、すみません」

 と、僕は早速、僕をぐいぐい引き離そうとしているんじゃ無いかと疑うようなスピードで歩く彼女の背中に話しかける。僕は彼女を逃すわけにはいかないので必死でついていく。

「はい、なんでしょう?」

「えっと、ここって、あの、ラブントゥール――学校なんでしょうか?」

「どうでしょうかね」

 彼女は言う。

「……どうでしょうか?」

「ええ、学校とおっしゃりましたが、ここをなんと呼ぶかは、羽井戸様次第と言ったところです」

 その後に、ふふ、と笑い声が聞こえる。

「……えっと、七葉さんは? ここの住人、生徒ですか?」

「ええ、私はここの学生です。三年生です」

 先輩だった。

「で、図書館司書を——やってらっしゃるんですか?」

「そうです、私の職業は図書館司書です」

「校内のアルバイトかなにかですか」

「まあ、仕事ですね」

「……えっと、それで、僕は本当に着いたばかりで何もわからなくて、なんかあっちの方は光が見えますけど、というより、ここらへんは人が一切いないんですけど、なにか僕は間違った道に進んでいたのでしょうか?」

 なんとか会話を続けようと、僕は質問を続ける。彼女の歩速は緩まず、なにか急いで下山しているような気になってきている。

「間違ってなどいません。ここに間違いなどありませんよ」

先程から、彼女は端的に質問に答えてくれるが、その後に説明を丁寧にしてくれる感じではない。すごく感じの良い話し方だけど、この坂道を登ってきたということだ、手間であることは違いないだろう。誰かに言われてきた「仕事」であると先ほどから何度か強調もしている。そして、彼女の躊躇なく歩いている速度。これらを総合すると、笑顔とは裏腹に、彼女はあまりこの仕事を快く思っていないかもしれない。いや、ただ僕の会話の技術が足りていないだけかもしれないが。

「そうなんですか。それで、ここって」

 と、僕がそれでも質問を続けようとすると、

「羽井戸様」

 言って、彼女は突然足を止める。それは彼女の歩くスピードからすると急ブレーキに感じられた。彼女にぶつかりそうになるのをなんとか回避し、そして小気味の良いダンスのように、僕に向き直す彼女。そして、やはり笑顔。すごく美しい笑顔。

「すみません。現在の私は、羽井戸様の質問には詳しく答えることが可能ではなかったりします」

「……可能ではなかったりする。すみません、どう言う意味ですか?」

「文字通り、可能ではないという意味です。今の私は仕事中で、先ほども申し上げた通り、ただの図書館から言われた案内役でしかなく、図書館からは他の仕事は承っていませんので」

「仕事」

 僕が繰り返しただけのその単語を、ええ、と言って頷く。

「羽井戸様。ここって、そういう場所なんです。誤ったことをすると、ラブントゥールから怒られてしまいます」

「ラブントゥールから怒られる、ですか? それって、学校がなにか――」

「羽井戸様」

 言って、彼女はニコッと、流れを断ち切るという意志を感じさせる笑顔を見せ、僕を制した。

「ここで余計なことを話すのは、色々な意味で非常に危険です。私の存在意義にも関わってきます」

「……」

 僕の混乱が僕の顔に出ているのは確実で、彼女は申し訳無さそうに微笑む。

「本当に、申し訳ございません。今は本当にできないんです。図書館に会えば、理由は分かっていただけると思います」

 図書館に会う。初めて聞くことばかりで、今に始まった事ではないが、僕の混乱は深まっていく。

「ともかく、今は案内を精一杯させていただきます」

「……はい、わかりました」

 わかってはいないが、そういうことと大体を自分に納得させるのが僕の長所なので、ひとまず彼女のいう通りにすることにする。というより、あたりの暗さからも、それ以外に選択肢は無くなっている。

彼女は僕の言葉に大きく頷き、また歩き始める。

「さて、羽井戸様。というわけで私は今日は何も話すことはできませんし、これ以上口を開くと話してはいけないことを話してしまいそうなので、代わりに、歌でも歌わせてください」

「歌?」

 さらに意外な提案だった。

「ええ、道中、無言でお連れするのもあれなので。いやならやめますが」

「……いや、ではないですけど」

 何かタクシーでラジオをかけていいかと了承を得るときのような、不思議な提案だが、断るようなものでもない。そして、このなんだか分からない若干の気まずさは、タクシーのラジオのように音楽に託すしか無い。

 僕の許可を聞くと、彼女はそのまま歩を緩めることなく歩きながら、曲名も告げずに歌い始めた。

 それは、なんとも美しい歌だった。

 何かその先の歌詞を思い出そうとするみたいに、鼻歌のように、それでも楽しそうに、彼女は歌を続ける。その歌は、あたりの暗さと人気の無さと相まって不気味にも聞こえないこともなかっただろうが、彼女の声は異様に美しく、そしてその旋律はこの街のために作られたBGMのように僕の耳に響いた。

 そして、彼女の目論見通り、僕は歌っている彼女に話しかけることもできなくなり、ただ、ますますと暗くなり細くなる知らない道をただ歩く。自分が今どこにいるのか、自分がどの方角に向かって歩いているのか、視界に入っている円形の塀を見てもわからない。どこかに迷わされているような感覚に陥る。

 体感で三十分程度歩いたところで、彼女はぴたりと止まる。

「道中ご苦労様でした。さて、私のご案内はここまでです」

「はあ、はあ、え?」

僕はもう息も切れ切れで、キャリーケースを引く手もキャリーケースと一体化しているように硬くなっている。

僕らが止まったのは、何か開けた場所、しかしやはり日は完全に暮れていて、何か目で見えるものは無い——いや。

「本当に申し訳ありません。私が図書館から案内を頼まれたのは、ここまでになります」

 案内を終えて、彼女はまず謝った。

「……ここまでって、えっと、だれもいないし、あれって」

「申し訳ございません」

 彼女はニコッと微笑んで、また謝る。

「それでは、最後にここのルールをお伝えします」

「……ルール?」

「はい、これも図書館から言付かっております。ここラブントゥールのルールです。ラブントゥールにはいくつかルールがあります。それをお伝えします」

「……わかり、ました」

 そして彼女はつらつらと、ルールと称されるものを発表していく。内容は何か含蓄のありそうな、なさそうなポエムのような構成になっていて、正直一度聞いたくらいで覚えられるようなものではなかった。全部で九つあるということがわかったくらいだった。

「以上となります。では、失礼します」

「……」

「ええ、それでは、今度は、友人としてお会いしたいですね」

 ペコリと最後に頭を下げて、彼女は去っていく。何度も見た笑顔とお辞儀、それだけを印象に残して。

 そして。

 また、一人だった。

 僕は周りを見渡す。

 知らない土地。

 開けた広場のような場所。

 日も完全に暮れて、入ってきた門すらも確認できなくなってしまった。

「……ルール1。蛾は止まっているときに——」

 もう一度、覚えているものを反芻してみる。

 もちろん、そんなことをしても、何一つ良い兆しは見えてこない。

 というか、ここは。

 今、目の前にあるもののせいで、僕の中の混乱が極まっていく。

 学校。

 さらに、そのイメージが薄くなっていく。

 自分が見ているものが現実とは思えない。

僕がいる場所。

 開けた広場のような場所に僕はいる。

 そして、暗いが、視界にははっきりとそれが映る。

 それほど象徴的な形のもの。

 確認するまでもないが、さらに近寄ってみる。

 上がる必要もないが、その小高い舞台に登ってみる。

 それは、思った通りのもの。

 なんの捻りもない。

 処刑台。

 ギロチンだった。


        ◯夏日かじつイチコ 職業:処刑人


「……」

 僕はギロチン台の上に立ち、考える。もう一度ここを出て、ラブントゥールと確認したいくらいだったが、すでに戻ることもできない。ただでさえ自分が方向音痴なのも思い出す。

「えっと、蛾は止まっている時に羽を広げていて」

 今の僕は、ギロチンの前で意味の分からないマントラを唱えるだけの存在で、さっきまで電車の中で、クラスに馴染めるだろうか、転校生みたいになるのだとしたら、これから授業についていけるのだろうか、なんて十代らしいことを考えていたのが懐かしい。着いてからは驚きの連続で、ここは、学校なのか、なんていう以前の問題。それこそ紀元前まで遡るようなくらい前の場所に僕は立っていた。

「あ、いた」

 そこで、再び僕を探していたような声が聞こえ、振り向く。

 僕が舞台の上に立っていたから、最初振り返っただけでは彼女の姿が視界には入らなかった。映ったのは、耳だけ。

 耳。

 ウサギの耳。

「お前、そんなところで何やってるんだ?」

 視線を落とすと、そこにいたのは、やはりウサギだった。

 ウサギのお面を被った、小さな女の子——だろうと思う。人参のイラストが入ったパーカーを着ている。

「いいから、そこから降りろよ。どこかわかってるのか? 非常識だな」

「……」

 僕はとりあえず、彼女のその真っ当に思われた指示に従う。

 舞台から降りても、彼女はやっぱり小さい女の子だった。ウサギのお面の耳を除けば、身長は多分小学生高学年くらい。ウサギの仮面の奥には、かろうじて、彼女の本物の目が見える。その目は真っ赤だったが、今の僕に本当に彼女がウサギなのかを考える余裕はない。

「さあ、行くぞ」

 そしてウサギは、先程の彼女のように言った。

 うさぎの彼女はやはり、先ほどの彼女のように歩き始める。

「行く? 今度は、どこに?」

 僕は先ほどのようには素直には付いて行かず、足を止めたまま言った。

 彼女もピタッと止まり、振り返る。

「は、行かないなら、置いてくぞ?」

 不快そうに言う。置いていかれては困る。僕は再度思う。しかし、彼女について行ってよいのか、それがわからない。

「……あの、君は、誰なの?」

「なんでお前に名乗らないといけないんだよ。まずお前が名乗れよ」

 それはまたしても彼女の真っ当な主張だった。なので、僕が自己紹介をしようとすると、

「いいよ、そんなことしなくても。誰でもいいよ。私もお前も。今の私はお前の案内役でしかないし、今のお前は何者でもないし」

「……」

 その意味を理解していない僕をわかってか、彼女はため息のような一呼吸をして、言った。 

「お前は、いつかの夜に着くだろうから、もし見つけたら、あたしが案内して連れてこいって頼まれたんだよ、オトメヤに。私は夜行性だからな。ほら、説明してやったぞ」

「オトメヤ?」

「ああ、オトメヤ」

「誰?」

「お前、これ以上質問したら置いていくからな。だから、オトメヤはまだお前の会ったことのないやつだよ。会ったことないやつにその人間の説明なんてできないだろ」

 彼女は手をしっしっと虫をはらうようなジェスチャーをする。

「すぐ会うんだから、お前が確かめろ」

 そして、彼女は歩き始める。先程の彼女よりは、少しゆっくりなスピードで。

「でも、あの、今、案内されてきたんだけど」

 と言いながら、僕は彼女の後を追い始める。

「……」

 彼女は歩みを止めない。答えない。

 さっき言ったように、もう質問に答えるつもりはないようだ。

 しかし、僕は彼女についていく。例によって、他に取るべき選択肢がない。

「案内されてきた? 誰に? 私がさっき、すれ違ったやつじゃないよな?」

 彼女の横に並ぶと、彼女は不機嫌そうに言った。

「多分そうだと思う。三年の——いや、図書館に案内するように言われた、って言ってた」

 その言葉に、彼女の耳がぴくっと動き、彼女は一瞬沈黙した。

「……図書館に。へえ、もう図書館が手をつけてるんだな、やっぱり」

「やっぱり」

「まあ、想定内ではあるけど。とりあえず図書館のところに行くよりマシだろ。オトメヤの家に連れていく。嫌だっていうんだったらここに置いてく。何も変わらない」

「案内。僕も案内されてあそこについたんだけど……あれってさ」

「だから質問するなよ。私が他人に耳を傾けることなんて、そうそうないんだからな」

 と大きな耳を揺らしながら言う。

 そして、僕は再び沈黙をし、ウサギの彼女について行くことになる。

 完全に不思議のアリス状態。僕にも迷い込んでいく実感はあった。

 しかし、今になって思うことだが、僕がどこから迷っていたのかは定かではない。というより、この時の僕は、まだ自分が既に色々な意味で迷っていることにも気づいていなかった。

 そして、僕はラブントゥールへ入る。


         ○乙女屋おとめや 職業:天才


「貴方——人を騙して裏切って、恐喝して差別して破滅させて、偽造して乱用して密告して堕落させて、密室にして偽装して殺して、幻滅して幻滅させて、そうして生きてきたでしょう? 別に答えなくていいけど」

 彼女の僕に対しての第一声は、驚くほどよどみなく、一瞬僕に向けられているのかわからないほど平静に語られた。

 僕がその家のチャイムを押し「どうぞ」と聞こえ、ドアを開けてすぐの事だった。

「動物が苦しんでるのを見たら一応何とかしようとするけど、死んでいたら一瞥しかくれない、貴方を友達だという人間はたくさんいるけど、貴方が友だちと呼ぶ人間はいない、即決即断するくせに、ずっと後悔を引きずって生きていて、ゴミ収集車に人が轢かれたらと聞いたら、一瞬そのままのせていけばいいんじゃと思う、でも口には出さない、嫌われたくはないから——貴方って、そういう人間でしょう? 別に答えなくてもいいけど」

 僕は言い淀む。

 と言うより、沈黙せざるを得なかった。

 やっぱり。

 もうそんな感想になっていたが、ここに着いてから、ずっとこんな感じだった。二度たどり着いて、まだ、迷っていると言っても良かった。

 ドアを開けて最初に見えたのは、リビングの大きな円形の窓。その窓際に、座り心地のよさそうな安楽椅子を置いて、分厚い本を片手に彼女はその椅子に座っていて、そして、彼女は僕を見るなり言ったのだった。

「……あの、あなたは?」

 僕は彼女に訊く。

「私は、貴方のルームメイトよ」

 彼女は平坦に応える。

「……ルームメイト?」

 それは聞いていない事実だった。僕にルームメイトがいるなんて。

 というより、もうしつこいと言われそうだけど、何も聞いていないのだ。

 そんな僕の不明瞭なつぶやきをよそに、彼女は椅子から立ち上がり、僕の方へツカツカと歩いてきて、睨みつけるように僕の前に立つ。

「乙女屋というわ、よろしく」

 その尖った言葉とは裏腹に、彼女は僕に友好的に手を差し伸べる。僕は儀礼的だと思われる差し出されたその手を、彼女の強制力すら感じる堂々とした態度から、取ることになった。

「貴方、名前は?」

「……羽井戸と言います」

「どういう字を書くのかしら?」

「……鳥の羽に、水を張る井戸と書きます」

「そう、気持ち悪い名前ね。そういう矛盾をはらんだ名前って嫌いなの。ちなみに、私は乙女の乙女に屋台の屋よ。乙女を売るなんて酷い話よね。しかしというか、案外と言うか、ちなみに言っておくけれど、名前の通り私は乙女——処女よ」

「…………」

「さて、貴方のことは今のところ好きになれそうもないけど、努力はしていこうと思うわ。さあ、語らいましょう。こっちへ来なさい」

「……」

「どうしたの? こっちへ来たらいいわ」

 言われるがままに、部屋へ通される僕。

 彼女は元いた窓際、そこに備え付けてある椅子に座る。そして円形のダイニングテーブルを一つ挟んで、対面にある椅子に僕を座らせる。部屋は、多少古びた印象は感じるものも、居心地の良さそうな、魔女の隠れ家のような雰囲気を感じる。素敵な家と言えるかもしれないが、しかし、何もわからないまま魔女の家に招かれているとも言える。

 座るなり、彼女は汚い壺を見定める鑑定士のような澄んだ目で僕を見つめる。

「それで、貴方、転校生なのよね?」

 穴が開くのではないかと思うような鋭い視線だった。

「……はい」

「転校生はここでは珍しいのよ? というより、初めて聞いたわ。それにこの時期。どうしてこんな中途半端な時期に転校をしてきたのか、説明はできる?」

「えっと、僕にも、よくわかりません。突然、この学校から、入学許可書が届きまして」

「許可書が? あらそうなの。ちょっと見せてもらえるかしら?」

「どうぞ」

 僕は自分でも自信のない、ここの入学許可書という名の紙を彼女に見せる。

「なるほど、本物のようね。そんな入学の仕方があるなんて知らなかったわ。へー、ではやはりここの生徒なのね。まあいいわ。とりあえず、貴方、何か飲むかしら? 冷蔵庫には牛乳があるけれど」

「……いえ、今は遠慮しておきます」

「牛乳よ?」

「あ、だからいいです」

「そう、牛乳なのだけどね」

 何度か牛乳と言いながら、どうしてか、彼女は僕に近づいてきて、僕の顔の目の前、至近距離と言えるくらいの位置に来た。

「それで貴方、何になるのかしら?」

「……何に? どういう意味でしょうか。というか、あなたは何を?」

 見るだけでは飽きたのか、彼女は両手で僕の頭を抱え、僕のつむじ辺りを観察し始める。本当に壺のような扱われ方だ。

「何になるのか訊いているのよ。職業よ」

「……職業。えっと、将来の夢、みたいなことですか?」

「将来、というか、直近の問題だけど。まあ現在から数えると全ては未来だから、将来の夢みたいなものね。言葉って難しいわ。まあいいわ。で、何になるのかしら?」

 意味がわからない。

 しかし、そう言えばさっきの七葉さんも、仕事、職業という言葉を繰り返していた。ここの特有の仕組みがあるのだろうか。

「貴方も、どうせ何かなりたいものがあるのでしょう?」

 言いながら、彼女の観察は頭から僕の顔へと移り、僕の顔を見る。必然彼女の顔も僕から見える。恐ろしいくらいの綺麗な顔立ち。印象的な、深い色の瞳。

「将来なりたいもの……特には、考えていませんが」

 僕は彼女の目を見ながら答える。

「特に、考えていない」

 と彼女はその言葉に、驚きを含んだ、今日一番の反応した。

「別になりたいものはない」

 彼女は僕の目を見たまま言う。目というか、眼球を観察している気がする。

「……ええ、そうですかね。まだ、学生なので」

「ということは、勉強をしにここに来ただけで、まだ、やりたい仕事等が確かなことじゃないという状態ということかしら?」

「まあ、そうです。将来こうなるかな、みたいな、そんな予想はあったりもするんですが、今は何も決まっていないというか」

「そう——気に入ったわ」

 と彼女はここに来て初めて僕に好意的な言葉を口にする。我ながら主体性の欠いたことを言っただけの気がするが。

「その年から将来の夢を持ってそれに向かって努力している人間なんて、ろくなものじゃないものね。貴方、少しだけ見どころがあるわね。まさか、勉強だけなんてね」

 ふふっと、何かが彼女のお気に入ったようだった。そして、彼女は僕から離れ、自分の椅子に座る。

「さて、では残りの話はベッドに入ってからにしましょうか」

「え?」

「もう、私は寝る時間なのよ。だから修学旅行よろしくそうしましょう。ついでに私のベッドルームを紹介をするわ」

「ベッドルーム?」

 彼女は立ち上がる。

「ええ、ベッドルームよ。ああ、あと、これは私の親友のテディよ。テディ、ご挨拶しなさい」

 彼女はテーブルの上に座る小さなテディベアを指して言った。

 僕は対応に困ったが、一応テディベアと目を合わせ、

「こんにちは」

 とそのぬいぐるみに向かって言った。

「ぬいぐるみに挨拶するなんて、貴方の印象がまた悪くなったわ。まあいいわ、では私のベッドルームに行きましょうか」

 彼女は冷たく僕にそう言い放ち、ドアの方へ歩いて行く。

「あの、貴方のベッドルームの前に、僕の部屋とかは——無いとは思っているんですが、あるんでしょうか?」

「貴方の部屋? もちろんあるわよ。ここはリビングキッチンが共同で、個室はそれぞれ用意されているわ。貴方の部屋は私のベッドルームの対面、あの部屋になるわ」

 彼女が指差したのは、入り口から見て二つある右のドア。どうやら、そこが僕の部屋のようだった。

「あ、じゃあ、ちょっと自分の部屋に荷物を置いてきます」

「そう」

 そうして、彼女に紹介された自分の部屋のドアを開けると、そこには僕のスーツケースが入らないくらい、隙間もないほどに大小様々な荷物が積み上がっていた。

「荷物置き場になっているの」

 彼女が僕の背後から言った。

「荷物置き場?」

「ええ、そうよ。これは私の荷物よ」

「……でも、ここ、僕の部屋なんですよね?」

「そうね。紛れもなく」

「じゃあ、これ、どかしてもいいんでしょうか?」

「もちろんいいわ。そこは貴方の部屋だもの。貴方の自由に使っていいのは道理よ。でも一方で、そこにおいてあるのは私の私物よ。他人の貴方が私の荷物を動かしたら、私は多少怒りはするわ」

「……え、どういう意味ですか?」

「動かしてもいいけど、少し怒るわ」

「それは良くないと言うんじゃ……いや、そんなことより、じゃあ、僕はどこに自分の荷物を置いて、寝たりとか勉強したりとかすればいいんですかね?」

「荷物はそこら辺に適当に置けばいいわ。貴方の部屋にもあなたのその荷物を置くスペースくらい作れるでしょう。勉強だったらリビングですればいいし、それに貴方のベッドはあるわ」

「え? 僕のベッド? どこにですか?」

「さっきから言っているでしょう。ベッドルームはこっちの部屋よ」

 と彼女が指さしたのは僕の部屋の真向かい、さっき紹介したがっていた彼女の部屋だった。

 彼女がその部屋のドアを開けると、ここは本当に小綺麗な、化粧台なども備え付けてある、お嬢様の寝室と言った具合の部屋だった。ベッドルームという名前の通り、彼女の凝った作りのベッドもあり——また、そこに、違和感しかない全く似合わない地味な一つのベッドが隣に備え付けてあった。

「……これは?」

「もちろん、貴方のベッドよ」 

「そうではなくて、僕は、ここで寝るんですか?」

「ええ、この家は今言ったような状況だから、それしかないと思うけど?」

「けど、って。あなたは、女性ですよね?」

「そうよ。もちろん。さっき言わなかったかしら、処女よ、私は」

「……それは、聞きましたけど」

「そうよ、それに私が女なんてこと、見てわからないのかしら。疑うなら、ブラもあそこの棚の二段目に入っているわ。確認してもいいわ」

 さっきから、無表情でプライバシーをバンバン公表していく彼女。

「でも、これも改まって言うことでもないですけど、僕は、男ですよ?」

「それも報告する必要はないわ。貴方の下着も男物だったもの」

「僕の下着? どうしてそんなことを?」

「だって、貴方はここ宛に荷物を送ったでしょう? あの荷物も見たもの」

 確かに、僕は持ちきれない荷物を事前にここに送っていた。届かない可能性もあったので、一応、必要最低限のものを送っただけだったけど。

「貴方のパンツもあの棚の二段目に入っているわ。ついでだから言うけど、つまり二段目は下着入れということよ」

「……」

 僕の下着は、僕よりも先に大冒険をしていたらしい。

「それから、送られてきた貴方の荷物、この部屋に全部は入らないから、必要な物以外は送り返しておいたわ。今頃はちゃんと貴方の家に届いているはずよ。心配しなくていいわ」

「いや、僕は必要な物だけをここに送ったはずなんですけど、どうしてあなたが……というか、ちょっと待ってください」

「何かしら?」

 僕はここで話を遮る。

 やっと、というべきだろうか。

「どうして、あなたが僕のルームメイトなんでしょうか?」

 僕は彼女に訊く。

「それは、私が転校生が来ると聞いて——もしかして、貴方、何かやましいことを考えているんじゃないでしょうね?」

「いや、それは考えてないですけど。でも、今日から僕と貴方がここで暮らすって、こうして二人で生活するっていうのは、どうなんでしょうか?」

「貴方、さっきから変な所へ引っかかるわね」

「そうでしょうか。結構普通のことを言っている気がしていますが」

「まあ、大丈夫よ。大丈夫」

 彼女は力強く二回言う。

「例えば、私が男性と暮らすことは初めてじゃないわ。ほら、例えば、テディも男性よ。もちろん設定だけれどね。あれはぬいぐるみだけどね」

「……」

 妙に大人びて言った彼女を見て、僕は、ひとまずここから出ることにした。

 とりあえず、これまでの状況を整理する時間を設けよう。

「あら、どこへ行くのかしら」

 部屋を出て行こうとする僕に、彼女は声をかける。

「えっと、ちょっとお腹がすいたので、外でなにか食べてこようかな、と思います」

「あらそう。それは牛乳だけではダメね。では私の行きつけのカフェがあるから、そこに行きましょうか。この時間でも開いているし、軽食なら、まだそこで食べられるわ」

「あ、いえ、大丈夫です。というか、あなたは寝るんじゃなかったんですか?」

「それはそうだけど、貴方、ここは初めてでしょう? 迷うわよ。路地は無駄に複雑だし同じような建物が続くし、街灯もここいらではまばらにしかついてないわ。もし迷っても人なんて歩いていないでしょうし、いてもやばい奴しかいないわ」

「はい、あなたも――いえ、あの、少し散歩をしたいんです」

「散歩?」

「はい。別に遠くまで行きませんし、迷わないように気をつけますから、大丈夫です」

「それは、私は付いていってはいけない散歩かしら?」

「はい?」

「私も、その散歩に付き合ってはいけないのかしら?」

「え、僕の散歩に付き合う理由があるんですか?」

「ないけれど」

「ですよね」

「ええ」

 そして、僕はとりあえず部屋を出て、後ろ手にドアを閉めた。

 一度、大きくため息をついた。

「……なんなんだ、あの子は」

 というか、ここは。

 この学校は、何なのだ。

 ずっと、言い続けている。

 全く状況が把握できない。

 しかし、他に行くところもないし。

今日から、ここで暮らすことになるのか。僕がそう思って、もう一度大きくため息をついた瞬間、直ぐにたった今閉めたはずのドアが開く。

 もちろん彼女。彼女は赤色のコートを着ていた。

「やっぱり、私も行くわ」

「え? 今行かないって」

「ええ、言ったわ。でも、思い直したわ。それは良くないわ」

「……何故ですか?」

 僕の問いに、彼女はやはり平然と無表情に答えた。


「だって、寂しいもの」


   ○辰巳洋子(たつみ ようこ) 職業・カフェ経営者


もぐもぐ。

 三十分後、僕はサンドイッチを食べていた。

 もちろん彼女の行きつけのカフェで。

 やはり、ここでも小さなテーブルを挟んで、再び彼女は皿を見定める鑑定士のように、サンドイッチを食べる僕をしとっと見つめる。すごくおいしいサンドイッチのような気がするのだけど、さっきから味がしていない。

「……あの」

「何かしら」

 彼女は僕から目を離すことなく、ホットミルクを片手に持っている。そしてテーブルの上には、どうしてか、なぞなぞの本もおいてある。何から訊くべきか迷った。

「この本は?」

 最初に僕は机の本を指して言う。

「なぞなぞの本よ。貴方が食べ終わったら、貴方にだしてあげるわ」

 あくまで冷静にカノジョは言う。

 店の前にも再度、ラテン語と思われる店名が書かれた看板があった。暖色の店内はとても落ち着いた佇まいで、やはり洋風で、椅子やテーブルなどもかなりこだわりの感じるデザイン。たぶんその洗練のされ方は、都会の小洒落た店と遜色はなく、どこで出しても若い人たちで溢れることは間違いないだろう。しかし現在、客は僕ら二人だけ。ちなみに、明かりのついている建物はここらへんではここだけで、ここへ来るまでも、やはり誰とも会ってはない。

「あの、なんか、この地域、と言うんでしょうか、人が少なくないですか?」

「そうね。二年生は少し人数が少ないのよ。それがここに人がいない理由ね」

 先ほどのように、答えは返ってこないかと思ったが、彼女から答えが返って来る。

「二年性地区、ですか?」

「ええ、ここは二年生地区なの。ほら、入り口からも見えたでしょうけど、この一区画だけ暗いでしょう? それは、二年生が極端に少ないからなの。一年ほど前にね『一年生秋の乱』、別名『春の珍事』というのがあって、随分と現二年生は数を減らしたのよ」

「春の珍事?」

「そうよ。『わっしょい祭り』とかいろいろな呼ばれ方をするけど。まあ、ともかく、それで少し現二年生だけ生徒数が減ってしまったの。だからここいらには人がいなくて暗いの。人も住んでいないわ」

「そう、なんですか」

 何か、おかしな響きだが、そういうことらしい。

「ええ、そういうことよ。まあ私は人が多い場所が嫌いだから全く不都合は無いけど」

「……」

 さっき、寂しいといっていなかっただろうか。

 というか、さっき彼女が言ったその言葉は、何だったのだろう。

 この乙女屋と名乗る彼女は僕に向かって、はっきりと「寂しい」と言ったのだった。

 今の彼女を見ると、寂しがり屋にはまるで思えない。どころか相変わらず怪訝な表情で、サンドイッチを食べる僕をマグロの解体ショーを見るように、好奇心はあるのだけど直視はしたくないように、眉をひそめながら見ている。だから、寂しいというのは僕の聞き違いだったのかもしれない。しかし、なぞなぞを僕に出したがってもいる。なんなのだろう、これは。

「あら、何か言いたげね」

 彼女はそんな僕を察してか言う。

「いえ、えっと」

 僕は誤魔化すように言う。

「ということは、ここらへん人がいないということですよね? 部屋とかも余ってるんじゃないですか? 廃墟みたいなのとかもけっこうありましたし。どうして、僕とルームメートになったんですか?」

「そうね。別に貴方が一人で住むこともできたけど、私が貴方を自分の部屋に招いたの」

「……どうして、ですか?」 

「それは、寂しかったからよ」

 やはり、聞き違いではなかったようだ。

 彼女はもう一度言った。

「……寂しかったから、ですか」

「というか、その前に、さっきから言おうと思っていたのだけど。ダメよ、敬語なんてつかっちゃ。私たちは同じ学年で、ここの規則性からすると、歳も同じはずよ。敬語はおかしいわ」

 彼女の言葉を聞き、僕は少し考えてから、

「寂しいって、なに?」

 と訊き直す。自分で言ったにも関わらず、それでも不満そうに彼女は頷き、

「そのままの意味よ」

 そう言った。

「私って、一人でいられないのよ。前まではルームメイトがいたのだけど、その子も『春の珍事』で消えたわ。だからあのテディベアを置いたということよ。ぬいぐるみに話しているとたまに、一人でいるよりも寂しい気持ちになるのよ?」

「そうだろうけど」

「どー、仲良くやってるー?」

 と、その時。陽気な声で僕らの間に割ってくる人。僕がここに来てから会った四人目の人物になる。   

 ソバージュのセミロングを後ろに束ね、エプロンをしているカフェの店員さん。さっき紹介も受けた、洋子さん、というらしい。

まさに適職というか、彼女がカフェを選んだのか、カフェが彼女を選んだというのかわからない、この環境の特殊さを除けば、こんな子がカフェで働いていたらな、のような完璧なカフェ店員だった。

「洋子、仲良くするも何も、この子は墓石に頭を打って死んだ人がいたら、そのままその墓に埋めればいいんじゃないかと思うような人間よ。それに、さっきぬいぐるみに挨拶をしていたわ。怖いわ」

 僕を顎で指しながら言う彼女。

「だから仲良くなんてできないわ。さあ、そろそろ食べ終わったみたいね。それじゃあ、なぞなぞを出すわよ」

「ハハ、とにかくよろしくねー。仲良くしようねー。仲良くしてねー」

 と一人だけ陽気な彼女は僕の手を取って、乱暴に振る。

「貴方、洋子とは仲良くしておいたほうがいいわよ。この子が怒ったら貴方、命はないわよ」

「命がない?」

「ええ、例えばそのサンドウィッチが美味しくないとか言って、彼女をここで怒らせたら、私も貴方も命は無いわ。用心なさい」

「……それは、あなたも気をつけるべきなのでは」

「でも、やっぱり転校生なんて珍しいねー」

 洋子さんは乙女屋の隣に座り、僕の目の前には二人が並ぶ。

「聞いたことがないわよね」

「そうだねー、聞いたこと無いねー。初めて見たよー」

 乙女屋に加わり、好奇に満ちた目で僕を見る。

「さっきも言ってたけど、そうなの? 僕は、ここの事、本当に何も知らないんだけど」

「ええ、珍しい、というかほとんど過去に例はないと思うわ。基本的に、私たちは全員一斉に秋に入学してきて、新しい生徒は入って来ないでそのまま三年間一緒なの。だから転校生なんて本来無いことよ。しかもこんな中途半端な時期に転校なんて、普通の学校でも珍しいでしょう?」

「うん。僕も、正直、どうやって来たか、といわれても、突然ラブントゥールから手紙が来て、それだけで……」

「怪しいわね」

「怪しいねー」

 二人は口をそろえて言った。

「二年の人数が減ったからかなー?」

 洋子さんは乙女屋に訊く。

「でも、それにしてはやはり時期が中途半端よ。しかも一人よ? これが入ったところで何も変わらないわ」

 これ呼ばわりされながら話は進む。

「でも、今度の体育祭でアメフトをやるって言うから、それかもよ?」

「ああ、そうなの。それはあるかもしれないわね。でも、このヒョロ男に、アメフトは向いてないと思うけど。というか、だったらアメフト選手を送れって話よ、このガリ男じゃなくて」

「……」 

 まあ、そうなのだけど。

「うーん、じゃあ、男の子がいないからかなー?」

「ああ、そうかもしれないわね。それなら納得がいくわ」

「えっと」

 僕は二人の話を遮って言う。

「えっと、確かアメフトって二十二人とかでやるものだよね。二年生は二十人くらいしかいないってこと?」

「ええ、元々、入学時は四百人以上で始まったけれど、今は全体で言えば二十人くらいかしら。そして、アメフトをやりそうなのを数えるとそれくらいね。男性は貴方一人よ」

「なんで、そんなに少ないの?」

「だから言ったでしょう。春の珍事でほとんど消えたのよ。特に、男子は全員いなくなったの。何度も言わせないで。私は貴方の教師じゃないのだから」

 そんな、初日だった。

 それが、僕と乙女屋の出会いとなり、その日から僕らは当たり前に毎日一緒にいることになる。その時の僕には何から何まで分からなかったし、今思えば、乙女屋に訊くべきこともほとんど訊いていなかった。が、思い返せば、それはお互い様だったのだろう。僕だって、何一つ大切なことは乙女屋に語ってなどいなかったのだから。それでも僕を迎え入れてくれた彼女への感謝は、後に述べよう。

 ともかく、その時の僕は、何故か次の日から普通の学校生活が始まると思っていた。疲れていたというのが言い訳になるのであればそうしたいけど、全ての原因は、僕の凝り固まった頭は、ここが学校である、その言葉を真に受けていて、あらゆる意味で、偏見だらけだったのだ。

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