彼岸花を咲かせて
入月純
第1話
幸せの定義など当然の如く人それぞれであって、他人の幸不幸を一様に論じるべきではないのだろうけれど、それでも敢えてどちらかに決めなければならないのであれば、最も分かり易い指標となるのは、人間関係の円滑さではないだろうか。
個人が所有している財産を、幸福度を表す指針の中で絶対的に信頼している人も多いだろうけれど、そこはそれ、やはり資産家故の騒動や葛藤、何よりも遺産問題で揉めるのが常でもあることを考えると、私のような
しかしでは、人間関係には煩わしさや面倒事がないのかと言われればそれは当然首を横に振らなければならないことも私は理解している。
人間関係とはある意味、お金以上に厄介なものだ。
世の中思い通りにいかないとよく言われるが、それは大抵の場合他人とのコミュニケーションが思い通りに、円滑に行われないことを指すことが多いように感じる。
会社での人間関係然り、家族間友人間での摩擦軋轢然り。むしろ、それらが好調ならば他の物事で多少の躓きを見せようとも下を向くことなく口角を上げ続けられる気がする。
これは誠に
我々が生きるこの現実世界には天上人の知る由もない地獄のような光景が溢れていて、いつの時代も純真無垢な人間こそ被害者になり得るのである。
騙された方が悪いとまで言われてしまう世の中に、誰が希望を見い出せるのであろうか。
見い出せる者がいるとすれば、それは騙す側の人間だけである。
騙すくらいなら騙されるほうが良いと言えたら格好が良いのだろうけれど、大事には至らなくとも、少なからず騙された経験のある私は、被害者が悪いなどと口が裂けても言うつもりはないし、泣きっ面をフライパンで引っ叩くようなことをする気も毛頭ない。
しかし、泣き寝入りを選んだ人間は、いつまでも愚痴愚痴と周りを不快にするような愚痴を言うべきではないとも考えている。
「いつまでも被害者振るな」
テレビや知り合いの話を聞いていて、そう思う時もある。
愚痴っていて幸せなのか? そんなはずはない。ではどうすれば幸福を手にすることができるのか。
もちろん答えは誰にも分からないだろう。
Aにとっての最善がBにとっては最悪であることも十二分に有り得る時点で、どれだけの成功者であろうとも、完全なるハウトゥーを誰かに伝えることなど絶対に無理な話である。
では、私は、私達はどうすればいいのか……?
その問いに対しての答えは私の中にきちんとある。
――流れに身を任せ、死ぬまで生きろ。
それが答えだ。
死ぬまで生きるしかない。
私達に与えられた僅かな生涯の中で、大それたことをやり遂げることができる人間など極僅かの選ばれし者達だけなのだ。それを認めない限り、幸福感を得ることなど不可能だろうと私は勝手に思っている。己を知り、敵を知ることで、百戦を乗り越えた
そう。
私達は、死ぬまで生き、死んだように生きていくことが、最も正解に近いのではと、最近の私は考えている。
死ぬまで死に生きることを選んだリビングデッドの私には、幸せを追い求める資格なんてきっとないのだ。
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