継ぎ接ぎナルシシズム

桜人 心都悩

第1話 走馬燈

 その街はいつも曇り空であった。雨が降るでもなく晴れるでもない。湿気もなくからりと乾いた空気が肺を満たしていた。時々、雨が降るようなことがあったが、正確に大人たちがそれを予測した。子供たちは大人の言うことに従って、雨の日は絶対に外に出なかった。

 今日もいつもと変わらない曇り空だった。

「今日は四時までには帰ってくるのよ、××」

「わかった」

 ××は栗毛色の髪に青い目をした少年だった。齢十一、平均身長よりやや下。運動や勉強に関してはほとんど学校の真ん中くらいの成績。そして心の優しい両親と痴呆の祖母との四人暮らしだった。

「××、今日もお祈りしてから遊びに行くんだよ」

 祖母が言った。××はこの祖母があまり好きではなかった。

「今日は遊びに行くんだよ。ケンちゃんが待ってるんだ。早くいかなきゃだから」

 傘とゲームとほんの少しの勉強道具を持って、足早に家を飛び出した。その背後で、少しだけ悲しそうな祖母を見ないふりした。勉強道具の入ったカバンが揺れてうまく走りにくい。正直、勉強などはしたくもなかったが、ケンちゃんはとても頭の良い子なので勉強を教えてもらうつもりだった。

「遅いぞ! ××のくせに遅れてくるなんて」

「ごめん」

「別に怒ってないぜ。まぁ悪かったって思うならゲーム貸してくれればいいから」

「そのつもりで持ってきたんだから、一緒にやろう」

 ケンちゃんはにっこりと子供らしく笑った。

 ケンちゃんとよく遊ぶのは学校だった。近くには図書館もあったけれど、学校の方が広いし遊ぶものもたくさんある。さらにケンちゃんは遊びの天才だった。新しい遊びを生み出すのが得意だったのだ。危険な遊びや大人を騙すような冗談もよく考えついて、それをするたびに大人たちに怒られているのだ。けれども大人たちもそんなケンちゃんの悪ふざけにほとほと手を焼いているわけではない。時には呆れながら、時には一緒に楽しみながら。全くこの子は、と言いながらケンちゃんの愛嬌を受け入れている。そんなケンちゃんを××は時々羨ましく思った。そんなすごいやつが、どうして自分なんかと遊んでくれるのか、不思議に思ったこともある。けれどもケンちゃんの笑顔を前に、そんな疑問もどこかへ行ってしまうのだった。

「よっしゃ! クリア!」

「えぇ、また負けた……」

「脳筋プレイしても仕方ないんだよ。頭を使え」

「僕、頭を使うの苦手だもん」

「だろうな。なら尚更勉強はした方が良いぜ。ゲームもクリアしたし、教えてやるから」

「また勝ち逃げして!」

 ぶつくさと文句を言いながらも、持ってきたワークを机の上に広げた。ケンちゃんも同じようにワークを取り出す。ケンちゃんのワークは既にほとんど解き終わっていた。

「お前のワーク、落書き多すぎ。そんなに落書きしてるから、授業聞いてもわかんねぇんだよ」

「ちがうよ、授業が分からないから落書きして目を開けてるフリするんだよ」

「寝るなバカ」

 口は悪いが面倒見がいいので、余計に彼を憎めない。

今だって、ノートに綺麗にまとめながら教えてくれている。

「ケンちゃんが先生だったら、みんなきっと勉強わかるようになるのにね」

「そんなわけないだろ、俺にだってわからないことくらいあるし」

「え! そうなの!」

「当たり前だろ、というか早く解かないとゲームの続きできなくなるぞ」

「あ! もう三時だ! 今日四時から雨降るってお母さんが言ってたよ」

「だからだよ」

 ケンちゃんも大人と同じように、天気を予測することができた。大人よりかは幾分か精度も劣るが、それでも雨が降る、晴れるくらいの予測はできるのだ。××にとってケンちゃんは随分と大人に見えていた。憧れの対象だった。

「……解けた! やっと終わったよ」

「時間かかりすぎ。多分、今から帰ると途中で雨が降ってくるな……」

「ごめん」

「別にいいよ。スマホ貸すから家に電話するか?」

「うん……お母さん怒るだろうなぁ」

 ケンちゃんからスマホを借りて、家に電話をかける。

「もしもし……?」

『あら、××かい』

 電話に出たのは祖母だった。しまった、と××は思った。雨が止むまで学校に残ることを、祖母が母に伝えられるとは思えないからだ。

「お母さんは?」

『お母さんも少し前に出かけたのよ。××もまた学校に残るのね』

「うん、お母さんに伝えておいて」

『わかったよ、××も気をつけて帰ってくるんだよ』

 電話を終えて、××は肩を下した。

「誰が出たんだ?」

「お祖母ちゃんだよ。僕、お祖母ちゃんのことあんまり好きじゃないんだ……」

「そうか」

「神様とか仏とか、よくわからない話ばっかりしてくるんだよ。お母さんも、お祖母ちゃんは痴呆が進んでるから仕方ないのよって言ってた」

 うんうんと相槌を打ちながらケンちゃんは話を聞いてくれた。ケンちゃんにはやはり、大人の言う話が分かるのだろう。

「ま、仏さん云々の話はよく分からないけど、神様はいるかもしれないぜ」

 ××は目を丸くした。

「ケンちゃんまでお祖母ちゃんと同じこと言うの⁉ そんなわけないじゃん!」

 ケンちゃんはそっと××の頭を撫でた。ケンちゃんは××よりも身長が高い。だから簡単に頭を撫でられる。ケンちゃんに頭を撫でられるのは、なんだかいやな気がしなかった。

「ケンちゃんは神様にあったことがあるの?」

「ない」

「神様は何をする人なの?」

「さあ」

「やっぱりわかんないんじゃん!」

 アハハ、と笑ってごまかされてしまった。

「神様は、奇跡をくれる人だな」

「へぇ、じゃあケンちゃんは奇跡を貰ったの?」

「そうだな。××も貰ってるぞ」

「えー?」

「もう少し大人になったらわかるよ」

「そんなこと言ったって、ケンちゃんだって僕と同い年じゃん」

 ××はわざと、頬を膨らませて見せる。そうした後で、こういうのが子供っぽいのかもしれないと少しだけ思った。××自身、もうすでに子供っぽくなくなっていることは理解していたものの、ケンちゃんの前ではどうしても甘えた姿を見せてしまうのだった。

「××、ただ年齢を重ねても、大人に離れないぞ」

「むぅ、じゃあケンちゃんは、どうやったら大人になれると思うの?」

「……」

 少しの沈黙が流れた。外ではちょうど雨が降り出して、雨粒が窓にあたった。

「そうだなぁ。××には難しいと思うけど、『知りたくなかった』って思うことが増えたら、大人になるんだ」

「そっかぁ」

「意味わかったのか?」

「うーん、わかんない」

 そうか、という返答の後、ケンちゃんは頭を撫でていた手をおろした。その時の笑顔は、悲しいような無理して笑っているようだと、××は感じた。

 ケンちゃんは時々こういった表情を浮かべることが多かった。例えば、テストの点が良くて先生に褒められた時や陸上競技で結果を残せたとき。表彰台に立っているケンちゃんはとってもかっこいいと思った。そう思ったのに、ケンちゃんが悲しそうに笑っているのを見て、かっこよかったよなんて言葉は口に出せなかったのだ。

 そして、ケンちゃんが一番そのような顔をするのは名前を呼ばれた時だった。ケンちゃんの本当の名前は、ケントといった。ケンちゃんの国の言葉で、賢い人という意味を持つらしい。まさに名は体を表すのだと、その時××は思った。

「その名前は好きじゃないんだ」

 そう言って「笑う」ものだから、いつの間にかケンちゃんと呼ぶようになっていた。

 ケンちゃんはやっぱり大人だと、××は感じている。名前のことも、大人のなり方もいろんなことを知っている。知っていて、それだから「知らなければよかった」と思うことの多いケンちゃんは大人なのだ。

 雨の音が一層強くなった。傘は一応持ってきたけれども、きっとこの雨では濡れてしまうだろう。大人たちは皆、口をそろえて子供が雨に濡れてはいけないという。雨にぬれると風邪をひいて命を落としてしまうかもしれないから、と。だから傘を持っていても、外に出てはいけないのだ。

「ケンちゃん、雨が止むまでどのくらいかかるかな?」

「結構強いから、二、三時間は止まないな。ゲームの続きでもするか?」

「うーん、ケンちゃんに負けちゃうから、違うことしたい」

「練習しないといつまでも弱いままだぞ」

 ケンちゃんはニカッと嫌味な顔で笑った。その顔に少しだけほっとしたことに、××は気付かなかった。

「じゃあ、学校探検しようよ!」

「もう五年もこの学校にいるのに探検も何もないだろ」

「でも、中等部棟とか高等部棟にはいったことないじゃん!」

「再来年にはいくだろ」

「今行きたいの!」

 ケンちゃんは一つ大きなため息をついた。

「しかたねぇな、案内してやるよ」

「え、案内できるの!」

「高等部棟に兄貴がいるからな」

「へぇー! ケンちゃんのお兄さん! いつか会ってみたいな」

「いつか、な」

 遊んでいた教室を出て、中高等部棟へと歩き出した。二人はいつものように他愛のない会話をしながら、一つひとつの教室を見て回った。ケンちゃんの説明を聞きながら再来年、使うであろう教室に✕✕は憧れを抱いた。

「わぁ! いろんな楽器が置いてあるね!」

「俺たちの音楽室とほとんど変わらないだろ」

「変わるよ! 僕たちのところよりいっぱい楽器があるもん! あれ弾いてみていいかな?」

 ××は適当に、趣くままにその楽器の弦を弾いた。不気味な重低音が教室中に響き渡る。

「下手くそ」

「違うもん、初めて触ったからわからないんだよ」

 ××は弦の弾き方を変えたりしながら遊んでいた。最初は不気味だった音も××がその楽器を弾くのが慣れてきたためか、それとも重低音に慣れてきたためか不気味ではなくなった。しかしながら、下手であることにあまり変わりなかった。

「やっぱり下手だな」

「うー、この楽器も再来年には弾き方を教えてもらえるのかな?」

「どうだろうな」

 うまく弾けなかった悔しさと弾き方を知りたい探求心とともにそれを元の位置に戻した。

音の響かない教室に流れてきたのは一つの足音だった。少しずつ大きくなる音から、こちらに向かっていることが分かった。

「下手な音が響くから、だれか文句を言いに来たのかもな」

 ケンちゃんがそんな冗談を言う。××はちょっと不貞腐れた。

「下手じゃないもん! でも、うるさかったのかな。勉強の邪魔しちゃったかな……」

「まぁ、外は雨だからこんなところにいるようなやつは余程の暇人だよ。大丈夫」

 ケンちゃんの言葉が終わるくらいに教室の扉が開いた。そこに立っていたのは××と同じ顔で、栗毛色の髪と蒼い瞳を持った少年だった。驚いたような面持ちでそこに立っていた。

「え、僕たちおんなじ顔だぁ!」

「う、うん。そうだね」

「ケンちゃんが、世界には三人おんなじ顔の人がいるって言ってたけど、ほんとうにいるんだね! もしかして僕って双子だったのかな?」

 興奮する××。頬を紅潮させ、目はキラキラと輝いていた。其れとは対照的に困惑した表情の少年は、ぐるりと教室を見渡した。

「あー、もしかして、さっきの君たちが弾いてたの?」

「えっと、ごめんなさい。うるさかったですか?」

「ううん、うるさくはないよ。ちょっと下手だったけど」

 少年は笑った。どことなく笑い方がケンちゃんとそっくりだと××は感じた。少年は笑う時に口元を隠していた。ケンちゃんはそんな少年を見ながら、少しの間固まっていた。

「ケンちゃん?」

「……あ。ほらな、やっぱり下手くそだってよ」

「下手じゃないってば! 初めて弾いたから仕方ないの!」

 二人のやり取りに、少年は肩を震わせた。

「初めて弾いたんだ? よかったら、弾き方教えてあげようか?」

「え! 弾けるの? いいの?」

「いいよ。おれも退屈してたところだから。三人で一緒に演奏でもする? えっと……」

「うん! 僕は××っていうの。こっちの子はケンちゃんだよ! きみは?」

「……。うーん、君の好きに呼んでいいよ」


 一言で言えば、少年は不思議な子だった。ケンちゃんと同じで、いろんなことを知っていて、笑い方も似ていて、そして随分と大人びていた。だから、××は最初、少年は年上だと思っていた。同い年だと聞いてすっかり驚いてしまった。

 さらに不思議なことに少年には名前がなかった。××はその不思議さから、どこかから降ってきた宇宙人なんじゃないかと随分と非科学的なことを考えてしまった。実際にそのくらい地に足がついてないような子だったのだ。少年は、見たことないくらい綺麗な容姿をしていた。少し巻いたようなくるくるとした癖のある髪。それでいてさらさらと指が通った。夜闇に一段と光り輝く月光のような青い瞳とそれを守る長い睫。身長もケンちゃんと同じくらいか少し高いくらい。声も鈴のなるように綺麗だった。

言ってしまえば、××は一目惚れのような衝撃を受けてしまった。それは見たこともないくらい綺麗な「人間」も見てしまった物珍しさから抱いた勘違いかもしれないし、初めて会った人に対する探求心なのかもしれない。なんにせよ、この少年が女の子だったら好きになってただろうな、と口には出さない思いを抱いた。

 少年の細く白い指から奏でられる音は、先ほどまで××が出していた重低音からは感じられないほどに軽快で色彩豊かな音が溢れた。一つ一つの音が、お互いを尊重して響く。その音は流れを作り、曲となって××の心に留まった。

「わぁ……すごく、すごく上手だね!」

「ありがとう」

「ねぇ、もう一度聞きたい!」

「え、弾きたいんじゃないの? 教えてあげるよ」

「うん、勿論教えてもらいたいけど……。それにきっと君みたいに素敵な曲をすぐに弾けるようにならないと思うから、今は聞いていたい。」

 少年は花の咲くような顔で笑った。こんな笑い方もあるんだな、と××は思った。

「そうだ! ケンちゃんと一緒に弾いてよ!」

「はぁ?」

「ケンちゃんもすごいんだよ! 運動も勉強もなんでも上手にできるんだよ!」

「××、お前なぁ……」

 ケンちゃんは少しだけ嫌そうな顔をした。××はそれを見逃さなかった。しまった、ケンちゃんは褒められるのがあまり好きじゃないんだった、言い過ぎたかな、という後悔が頭をよぎった。

「……仕方ないな」

 ケンちゃんはそんな××の不安を見透かしたように了承してくれた。

 二人の演奏が始まる。

 ××の知らない曲が流れる。ケンちゃんが最初に弾き始めて、それに倣うように少年が続けた。初めて会ったはずの二人の音が、喧嘩することもなく協調していく。それは授業で聞いたオーケストラよりも耳障りの良い調べ。歩幅の合った「音楽」が教室中を満たした。××の楽器への興味はすっかり消えていた。たとえ自分がどれだけうまくなったとしても、この二人の演奏には蛇足だと感じてしまった。まだ十一歳の××にそれほどを思わせる演奏だったのだ。

「すごい! 本当に二人は初めて会ったんだよね? すごいよ、どうしてそんなに綺麗に弾けるの!」

「大袈裟だよ、練習すればできるようになるよ」

「そうだな」

 ××はもはや、すごいしか口にできなくなっていた。その横で、少年はケンちゃんに話しかけた。

「ケンちゃん、だっけ? 本当の名前はなんていうの?」

「……ケント。でも、その名前は好きじゃないからケンちゃんでいい」

「へぇ」

「ねぇ! 二人ともどこかで楽器の弾き方習ってたの? いいなぁ! すごいなぁ!」

「……かなり面白い子だね。こんな子、初めて見た」

「そうだな、だから一緒にいるんだ」

 ××の興奮した様子に、少年はまた笑うのだった。

「ねぇ、君はどこに住んでるの? この学校の人なの?」

 すっかり少年に魅了された××は矢継ぎ早に質問を投げる。そんな質問に、少し困ったような表情で少年は答えた。

「そうだね、住んでるところは教えられないけど、この近くだよ。それから、実はこの学校の生徒じゃないんだ。だから、今日ここに来たことは秘密にしてくれる?」

「また、会える?」

「会えるよ、また来るよ」

ケンちゃんがそんな様子を見ながら苦しそうな面持ちをしていることに××は気付かなかった。

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