ノンフィクション・ホーキー
カムリ
ずる休みと陰謀論:1
今日はずる休みをしよう。
上司の叱責を浴びながら、
「今月の営業成績だけどさぁ」
年嵩の部長が、デスクに資料を放り投げた。
赤く強調され、一か所だけ大きく凹んだ棒グラフが見てとれる。
「真取くんだけ二か月連続でゼロイチだよね。どうなってんの?」
ゼロイチとは、ひと月に0件から1件の案件しか成約できない状態を指して使われる言葉である。真取の務めている食品製造機械の会社では、未だに個人の作業負担や業務量を無視した成約件数主義がはびこっているため、ゼロイチという指標が吊るし上げに使われるのだ。
「これじゃあ新卒の子の方が使えるよ!」
部長が思い切りアルミの業務机を叩くと、背後の席で誰かがびくりと身を強張らせた気配がした。恐らく、まだ部長の叱責に慣れていない新入社員だろう。恐らく真取をだしにして新人たちからよく思われたいのだろうが、今の若い子にはむしろこういったパワーハラスメントじみたやり方は逆効果だ。聡い子ほどすぐにこの会社を辞めるだろうと、真取は醒めた思考で考えていた。
「申し訳ございません。来月はアポ取りに注力致します」
「謝罪だけなら子供でもできるんだからさ。大体、真取くんは辛気臭いっていつもお客様からクレーム来てるわけ。もっと愛想よくできないの?」
「申し訳ございません」
疲れて頭が回らなかった。睡眠薬を飲んで無理に働きに出ていた弊害だ。
上司が怒鳴る声を尻目に、そのまま自分のデスクに戻る。
そのまま椅子に座りしばらく呆けていると、隣の席の眼鏡をかけた若い新入社員――
「真取さん。大丈夫っすか?」
花匡は新入社員の一人で、入社当初は真取が面倒を見ていたのだが――ようやく案件に着手させられそうな時点で部長に担当を奪われた。そのため、直属の教育係は部長ということになる。そのため、いま真取に媚びを売るメリットは特にないはずなのだが、それでも花匡は真取を何かと気にかけてくれていた。
「あんなん、真取さんの業務量把握できてないバカがバカ晒して怒鳴ってるだけっすから。気にすることないすよ」
「ありがとう。でも、僕が早く仕事をこなせないのが悪いだけだから」
花匡は呆れたように首を振った。
「真取さんが新人に任されてるヤバい量の業務肩代わりしてくれてるの知ってるんで。ウチの会社ほんとにブラックですよね」
「まあ、今までお世話になった会社だしね」
「ほんと真面目っすね。こういう時って、冗談の一つでも言ってお茶を濁さないっすか?」
「僕の冗談は通じないって評判だから」
「何ですかそれ。ともかく、こんな所に尽くしてもタイパ悪いっすよ」
花匡は溜息をついて自分のデスクに戻って行った。
若いが、先の見えている子だ。恐らくこの会社である程度職歴を積んだらすぐにでも出ていく心づもりなのだろう。今の社会は人手不足で、花匡のように若く優秀な人材は引く手あまただ。ひるがえって、自分はどうだろう。
仕事にやり甲斐も感じていなければ、恋人や妻子がいるわけでもない。
交友関係も、中学時代からの友人が一人いるくらいで、今ではほとんど連絡も取れていない。真取自身に日常を彩る趣味があるわけでもない。
死ぬ理由も殊更ないが、だからと言って生きる理由もなかった。
唯一、人に誇れるものがあるとすれば――。
「部長」
真取は部長のデスクの前に立ち、挨拶でもするような調子で告げた。
「【体調が悪いので、今日は帰ります】」
明らかな嘘だ。平然と告げる真取の様子は健康そのもので、誰がどう見てもずる休みだとわかる。まして真取は先程部長から叱責を受けた身だ。真っ当に考えれば真取の言い分が通るはずはなかったのだが、
「……確かに、大分顔色が悪いね。休むのは良いけど、体調管理できてないんじゃないの? 気を付けてよ」
「はい。ありがとうございます」
あっさりと部長は真取の嘘を認め、手で追い払うしぐさを見せた。
真取は一礼し、デスクに帰って荷物を片付け始める。すると、花匡が驚いた様子で声をかけて来た。
「真取さん、やっぱズル休みの天才っすね。何かコツあるんすか?」
「ないよ。若い子がそんなことを覚えたらダメだ」
実際、ズル休みのコツなどなかった。当の真取自身にも、自身の「超能力」のことはよくわかっていないのだから。
「強いて言えば、本気で騙そうとすること」
真取宗一には、昔からある「超能力」が備わっていた。
『自分のついた嘘を、必ず他人に信じさせる』ことができる。
「ノンフィクション」。自身の能力を、真取はそう呼んでいる。
「ノンフィクション」という特殊な能力を初めて自覚したのは、中学生の時だった。社交性の低さから友人が少なかった真取は、自分から世界を広げていく術を持たなかった。「真面目だから」と席替えの際無理に押し付けられた教室の最前列で、「今日の日直」の文字をぼうっと眺めて休み時間を過ごすしかなかった。
だが、そんな真取にも話しかけてくれた友人が一人いた。
大澤という少年で、運動も勉強も得意な、クラスの輪の中心人物だった。
真取は何となく怖くて近づけなかったのだが、大澤はお構いなしに真取の席に歩いて来たのを覚えている。
「真取くん。いっつも黒板眺めて、退屈じゃない?」
あのとき、大澤はやたら白い歯をむき出して笑っていた。
「そんなことはない。黒板を見るのは好きだから」
自分がぶっきらぼうにしか話せなかったことも覚えている。大澤に話しかけられると、真取はきまって後ろめたい気持ちになった。だから、真取は拒絶の意を示すつもりで明らかな嘘をついたのだ。真取がクラスに馴染めていないことは明らかであり、「黒板を見ることが好き」な人間などどこにもいるはずはない。生来人と接することが苦手だった真取には嘘をつく機会も発想もそうそう存在せず、下手な言い訳しか思いつかなかった。
自分の嘘に騙されて、どこかに行ってほしいという一心だったのだ。
だが大澤は隣の席に平然と座り、
「黒板見るのって確かに楽しそうだな。俺もやってみよう」
あろうことか、真取と共に黒板を眺め始めた。
当然、困惑したのは真取の方だった。追い払おうと思ってついた嘘が本当になってしまったのだ。真取はたまらず、
「やめてくれ。普通考えれば嘘だって解るだろ」
「マジで? 全然解らなかったよ、俺。真取くんって嘘上手だね」
こいつは何を言っているのかと思い、真取は大澤の表情を凝視した。しかし大澤は至って真剣そのものといった顔で、真取はそれ以上何を言えばわからなくなった。中学校まではそもそも人と関わることはなかったし、真取に関わろうとする同級生もいなかった。その中で大澤だけが違った。つまり真取が自分の「嘘」の特殊性に気付いたのは、大澤がきっかけとも言える。
本気で人を騙そうとすると、相手は信じる。
その後は親族や教師で実験を繰り返し、自分の「嘘」は周囲に比べてひどく受け入れられやすいことに気付いた。
例えば、貰ったはずのお年玉を「【貰っていない】」と主張すると、すぐに代わりのポチ袋を配られる。
微睡んでいるところを叱責されそうになったら、教師に「【寝ていない】」と言うと信じて貰える。
中学生の真取にとってその力は福音にも思えたが、子供らしい無邪気さで喜ぶことができたのは最初のうちだけだった。
すぐに真取は、自分の能力がさほど万能ではないことに気付いたからだ。
配ったはずのお年玉がもう一度配られていたことはすぐに露見し、親にきつい叱責を受けた。教師が真取は寝ていないと信じても、周囲の生徒から「あいつは居眠りをしていましたよ」という垂れ込みがあり、やはり真取は叱られた。
嘘を信じて貰おうとも、事実を改竄することはできないのだ。
お年玉を貰っていないという嘘をついても手元にあるポチ袋は消えない。
教師に寝ていないと主張しても、周りの生徒はその様子を見ている。
言ったことが
要するに、証拠があってはまるで意味がない能力だった。
おまけに、一日にそう多くは使えない。何度も心から相手を騙そうとすると、胸に重い石が支えたように体調が悪くなる。
それが能力の副作用なのか心理的な抵抗なのかはわからなかったが、どちらにせよ自分には他人を騙し続けるのはあまり向いていないと思った。
だから真取は、自分のささやかで下らない幸せにしか「ノンフィクション」を使わないことに決めた。大したことのない力で身の丈に合わない幸せを得ても仕方がない。ずる休み程度が関の山だ。
夜の繁華街を真取は歩く。憂さ晴らしにどこか適当なところで飲もうかと思ったが、ずる休みしたことを考えると大っぴらに飲み歩くのもはばかられた。結局「ノンフィクション」という能力があっても、真取の人生は変わらないままだ。
部長から逃げても何にもならないことはわかっていた。だが、現状を改善するだけの余力は真取には残っていない。本当ならば使えるものは何でも使って案件を取って来るべきなのだろうが、嘘をついて契約を勝ち取るのも、自分の手柄に嘘を計上するのも、真取には不誠実に感じられた。
だからと言って転職をするほどの気力もない。毎日睡眠薬と向精神薬を服用して出社している始末だ。
繁華街にはどこにも出口がない。ネオンの光が眩むほどに目映い。
思わずふらつくと、大柄な人影にぶつかる。謝罪しようと後ろを向いた。
「あれ。真取くんじゃん。元気?」
真取は目を疑った。中学からの唯一の友人、大澤大智がそこにいた。
実業家が着るようなジャケットを纏い、細い金のネックレスを提げている。
「大澤」
真取がうわごとのように呟くと、大澤は真取の背中を思い切り叩いた。
「ちょうど真取くんのコト探してたんだよ。相談したいことがあってさ」
「相談したいことって」
大澤とは長い付き合いだったが、大澤から真取に聞くべきことなどないはずだ。大澤の装いも容貌も、全てが成功を物語っているように見えたからだ。
「相変わらずつれないよね」
「つれなくないよ。お前が僕に相談することなんてあるのか?」
「大アリ」
大澤は真っ白い歯を剥き出して、真取を覗き込んだ。
「真取くん、変な力持ってるっしょ」
膝の力が抜けそうになる。ずる休みなんてするものじゃない、と真取は思った。
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