サヤカゼ

@shinanaide

サヤカゼ

一.

 

「私さ、花散里のこと、カザリって読むものだと思ってたんだよね、昨日まで。」

「なんかかわいくない?カザリちゃんって。こっちのほうが人の名前っぽいし。ハナチルサトも悪くないけどさ?」

特別なことなど何も無い、至って普通の日の夕暮れ、私と風花はいつものように、決まったルートで家に帰っている。

「実際いるんじゃない?カザリさん。けど、昨日までってのは良くなくない?先週の授業でやったとこだぞー、花散里。」

私が右で、風花が左。別に決まってるわけではないけれど、なんとなく、いつもそんな位置関係。だから帰り道の私はいつも、顔を左に向けていた。

「先週ー?あーそっかあ、どおりで。難しい読み方なのに、先生何も言ってくれないなーって思ったんだけど、そういうことか。」

 一度、風花が自転車で通学してきたことがあって、その時は自転車を押すために風花が右側を歩いたことがあった。その日私は電柱にぶつかりかけて、風花は自転車の慣性で急には止まれず、少し歩いてゆっくり止まった。私と風花の間に三メートルほどの謎の間隔ができてしまったのを、二人可笑しくなって笑っていた。

「先週寝てたの?多分テストに出るとこだよ、このへん」

「大丈夫大丈夫。漢字でなら書けるから。」

「そこじゃなくて先週の授業内容の話なんだけど」

 風花は少し適当なところはあるが、基本的には真面目な人物だ。規則を大きく外れることもなく、かと言って生真面目ということもなく。いい意味で、普通の女子高生だと思う。

「まーなんとかなるでしょー。いざとなったら、紗耶が助けてくれるし?」

 そして私も普通の女子高生だ。おかしなところなど何も無い。取り柄は、まあ、少し頭が良いくらい。

「私も今回は自信ないから、あんまり期待しないほうがいいよ?下手すると共倒れになるかも。」

「えー?まあでも、それもいいかもね?私達は運命共同体!死ぬも生きるも一緒だー!って感じ?なんかかっこいいかも。」

 そして風花の取り柄は、甘え上手なところだ。この性格のせいかやたらと男子にモテている。まあ顔もあるんだろうけど。

「それかっこいい?あんまわかんないけど…まあ、どうせ勉強会するだろうからいいけどさ。けど、ちゃんと私にもメリットがないと勉強会の意味ないんだからね?家庭教師じゃないんだから…」

「私が数学担当、紗耶が国語担当でしょ?わかってるわかってる。」

 風花はこの感じでゴリゴリの理系だ。なんでか数学だけは出来る。

「風花が数学、私がそれ以外ね。数学以外殆ど勉強してこないのはどうかと思うんだけど?」

「数学教えてるんだから別にいーじゃん?それに、教えること多くなったら、また泊まりで勉強会すればいいんだし。お泊まり会できて楽しいんだし一石二鳥でしょ?」

 そのお泊り会の会場は一体どこを予定しているんだろうか。

「私は五石二鳥くらいだから普通に損なんだけど。」

「まあまあそう怒らないの。かわいい顔にシワができてしまいますよ?いつもニコニコしてないと。」

 シワを作るほど顔をしかめたつもりはないのだけど。意外と表情だと怒ってたのだろうか。

「それじゃあシワを作らせた本人には美容液くらいは買って欲しいところだなあ。」

「あー残念、もう家に着いてしまいましたー!途中にあったコンビニによればよかったかも?」

 言葉とは裏腹に嬉しそうな声で笑いかけてくる。斜め六十度くらいの角度で上目遣いをするのが風花が自分の最も可愛いと思っている顔だ。

「どうせ買う気ないでしょ。てか途中のコンビニって言っても信号渡らないといけないし。」

「まあね。…ところでさ、今日このあと時間ある?」

あまりない返答だったので少し驚いた。学校帰りにそのまま遊びに行くというのは、私達の間ではあんまり無いことだった。

「え?うん、あるけど。どっか遊び行く?」

要求を先読みしてみる。というか、この場合遊びに行く以外の要求が存在するのだろうか。

「ちょっとモール行こう。買いたいものあるんだよねー。」

モールか。だったら電車だな。片道百十六円くらいだったっけ。

「いいよ。なんならそのまま行く?荷物置いて。」

「あー、ううん、一回家帰りたいからちょっと時間おいて集合がいいかも。」

まあ制服で行くわけにもいかないか。着替えるのを待つ時間が発生するのもちょっと嫌だし、そりゃそうだ。

「ん、わかった。じゃあ四時三十分くらいに駅あたり?」

「うんー。それでおねがい。それじゃ、また後でねー。」

そう言って風花は小走りで帰っていった。なんというか少しウキウキしているようにも見えた。確か、最後に遊んだのはもう先月のことになる。三週間くらいは二人で遊んでなかったのか。珍しいこともあるもんだと思ったけれど、むしろ学校帰りに遊んだことが無い、というのも不思議な話だ。今後はこういう事が増えていくのかもしれない。二人で遊ぶとき、誘うのはたいてい風花の方からで、私は専ら誘われ待ちという感じだったので、風花が誘わなければ、遊ぶことも少なくなってしまうのだ。実際、私も少し楽しみなのであった。


二,

 

「おー、早いねぇ。実は結構楽しみだった?」

 七分ほど遅れて到着した風花が悪びれもせず私にからかいかけてくる。しかし、少し息を切らしているのを見るに、多少急いでは来たようだ。

「誘った側が遅れてくるのはいただけないなぁ。風花の方が家も近いんだけど?」

「ごめんごめん、ちょっと服選びに手間取ってた。久しぶりのお出かけなんだし、可愛い服を着ないとね?」

服選びときたか。けどまあ確かにいつもより少し、いやかなり気合いが入っているように見える。この格好で街を歩いている風花にばったり会おうものなら、私は多分デート帰りかと聞くことだろう。

「久しぶりとはいえ、たかがモールに行くだけだよ?気合い入り過ぎじゃない?てか、風花そんな服持ってたんだ。」

「いやいやー、いつも誰かに見られてると思って行動しないと。欠伸もくしゃみも可愛く魅せるのが大事なんだよ?」

この子実はどこぞの王族なんだろうか。そしてそこまで意識が高い人は時間には遅れないだろう。

「まあ、紗耶はそんなに着飾らなくても大丈夫か。いいよねー、なんかくしゃみも可愛いし。」

「それって褒めてる?それとも私皮肉言われてる?」

「なんで。褒めてるに決まってるじゃん。紗耶って自己評価低すぎだよ。数少ない欠点の一つだよ?」

「そりゃどうも。…やっぱり皮肉言われてると思うんだけど。」

いかにも同性受けが悪そうなタイプの風花があまり嫌われていないのは人付き合いの上手さにあった。とにかく人を褒めるのだが、それも何かにつけて可愛い、可愛いと言うわけではなく、かと言って具体的に褒めるわけでもないのだが、なんというか、相手の気分を良くするのが上手いのだ。そんな話をしていると、電車が到着した。

「…?何してるの?」

「遅れてきたお詫びに、今日は一日紗耶お嬢様をエスコートしようかと思って。」

 ドアの横でいかにも使用人ですといったようなポーズで、私の手を取ろうとしてくる。周りに誰もいなくて助かった。

「ささ、お嬢様。お手をどうぞ。」

こういうのはエスコートされている側のほうが恥ずかしいものなのだ。勿論するわけがない。

「あー、ちょっと、無視しないでよー。」

一番手前の端の席に座る。知らない人が隣に座るのがあまり好きではないタイプなので、風花といる時は基本的に私が端だ。

「風花、ネイルもだけど、今日は本当に気合はいってない?よく見たら顔もなんかいつもより白い?」

「うわー、傷ついた!顔はいつも通りですー!」

 まあそうか。実際、風花の肌は化粧の必要がないくらいに白い。これ以上白く化粧をしては白粉を塗ったようになってしまいかねない。

「そんなに気合入って見える?私?そこまで気合を入れたつもり無かった。」

「うーん、見たこと無い服だったからかな?結構したんじゃない?生地とかめちゃめちゃ良さそう。」

躰の線が出るタイプの紺色のクロップドシャツに、かっちりめのワイドパンツ。オーバーサイズなシースルーのアウターは袖口が開いていて、フリルになっている。とりあえず、そこらの適当な服屋で買えるものではなさそうだ。

「おー、わかっちゃった?流石、お洒落さんは違いますねぇ。でも、そんなに高いものじゃないよ。ちょっとしたブランド物ってだけ。」

そう言って風花は萌え袖にした手を小さく振って見せてくる。どうやら服を褒められたのが結構嬉しかったようだ。風花は特別オシャレ、というわけでもないが、割と普通にオシャレ、くらいの、至って普通の都会の女子高生といったタイプだ。それにしたって今日のような服装はあまり見なかったし、普段の風花の装いに、特段褒めるほどの特質性は無かったから、あまり服装について言及したことはなかったのだけど、こんなに嬉しそうにするなら、たまには褒めてみてもいいかもしれない。

「今日のお洒落さんはそっちでしょ。私なんてTシャツで来ちゃったよ。なんかすごく私が服に無頓着な人みたいに見えない?この二人で歩いてるとさ。」

「大丈夫でしょー。紗耶別にオシャレしなくても目立つじゃん?その大きめのTシャツも似合ってるし。でもま、ネイルはしたほうがいいかもね?」

「ただモール行くだけなのにがっつりネイルしてくるほうが少数派だと思うけど。それに、一応軽く塗ってはいるよ?」

そんな他愛もない話をしていると、車内アナウンスはいつの間にか目的地の名前を読み上げていた。跳び上がるように立ち上がり、ドアの脇で手を差し出しているメイドをよそに、点字ブロックを大股で跨ぐ。

「お嬢様ー、せっかくエスコートしてるのにー。ワガママ過ぎるよ!」

「オーッホッホ、駄目メイドのエスコートなんて必要ありませんわ。」

…お嬢様というよりもお貴族様になってしまった。オーッホッホはやりすぎたか。


3.


 大型ショッピングモールというのは不思議なもので、大抵の施設は二回目以降は新鮮さもなくてワクワクしないものだが、大型ショッピングモールは割と何回行っても飽きない。いや、飽きはするのだけど、飽きづらい。そして、今我々二人がいるショッピングモールは完成して間もないというのもあって、行ったことのない店舗も多いから、未だに少し楽しいのだ。こういった施設を友人との遊び場所やデートスポットに出来るのは、都会でも田舎でもないくらいの街ならではのものなのだろうか。多分こんなに若者が多いのも珍しいと思う。映画館とゲームセンターくらいしか遊べる場所など無いというのに。

 まあしかし、私も人のことを言える立場ではない。風花に誘われ、何も目的など無くとも赴いてしまったのだから。そして風花の方も特に何か目的があるわけでもないのだろうということがこれまで付き合ってきた時間から推測出来た。多分、ちょっと来てみたかっただけだろう。

「それじゃあ、何しよっか?」

「買いたいものあるんじゃなかったの?」

 どうやら私の推測は正しかったようで、風花は私に無邪気な笑顔を向けてくる。

「うんー、まあ、あるようなないような?」

とはいえ、買いたいもの一つなかったとは思わなかった。別にわざわざ目的を提示してこなくても、たとえ特に目的はないけど遊びにいこう、と言われてもついて行ったのに。まあ、でも放課後にどこかへ行くというのは初めてのことだったのだから、探り探りにもなってしまうのも仕方がないのかもしれない。

「とりあえず何か食べる?」

「いいねー。お茶会と洒落込もうか。」

「席、空いてるといいんだけど」

 人口密度の高い時間帯なので座れないことを覚悟していたのだが、フードコートはガラガラで、私たちは端にある一番座り心地の良さそうな席を確保した。不思議なもんだと思ったが、よく考えれば平日の夕方というのは多くの学生にとって部活動に充てる時間なのだ。帰宅部である私達はそのへんの感覚がズレているのだということを失念していた。

「帰宅部の活動、開始といこうかー。」

風花が小さい玉ドーナツにピックを刺し、持ち上げる。無害そうな小さな体にとてつもないカロリーを隠しているとんでもない代物だ。

「"帰宅"部なんだし、帰宅することが活動なんじゃない?これじゃお出かけ部だよ。」

「んー、じゃーお出かけ部ってことにしよう。」

「それ、毎日出かけることにならない?」

「あー、そっかー」

私の方はというと、カップに入ったチョコレートアイスをつついている。三種類のチョコレートがブレンドされているらしい。すると、風花がドーナツを私のアイスにフォンデュしてきた。ことわりくらい入れてほしいものだ。

「まあ、私は別に紗耶と毎日お出かけでもいいけどねー。」

「毎日出かけてもやること無いでしょ。今日だって持て余してるんだし。」

「まあねー、じゃあ、定期的にサボるしか無いかー。」

そう言ってまたドーナツを私のアイスにフォンデュして、今度は私の口に運んできた。

「美味しいでしょー?アイスチョコドーナツ、私のオリジナルスイーツだよ。」

 口の中でパサパサとしたドーナツの食感と冷たくてまろやかなアイスが溶け合って私の舌を喜ばせてきた。

「あんまりオリジナリティ感じないなぁ。私のアイス勝手に使っただけだし。」

「だからサービスしたんでしょー?ドーナツ一個食べたんだしwin-winだよ」

「なんか風花主導過ぎてwin-winとは言いづらいなぁ」

「そんな細かいこと気にしないの。てか、紗耶はもっとカロリーのあるものを食べないと駄目だよ?細すぎるんだから、アイスだけじゃダメ。健康に気を遣ってドーナツを分けたんだから感謝してくれないとね?」

「ちょっと傲慢すぎない?と言うか、JKなんだし、細すぎて駄目ってこともないでしょ。むしろ、風花はカロリーを気にしなさすぎじゃない?」

「うわー、言っちゃいけないこと言ったー!どうせ私はデブですよー!」

そう口を膨らませて言いながら風花は最後のドーナツを頬張る。正直、全く気にしなくていいくらいに風花は細身だ。多分太らない体質なのだろう。羨ましい。

「それ風花が言うと嫌味にしか聞こえないんだけど?」

「…でも、紗耶は細いのに気にしすぎだよ。お母さんとかに心配されないの?」

少しアイスクリームがついたカップを捨てながら風花が聞いてくる。こんな風だけど、風花は意外としっかりしているので、まともなことを言ってくるのだ。実際、私は気にしすぎなのだろう。ただ、私は食べたら太ってしまう体質なのだから、年頃の女の子である以上、仕方がないというものだ。そう、仕方がないのである。

「そりゃ美味しいでしょって感じだけど、さすがに美味しいね。アイスチョコドーナツ。」

「でしょー?私のオリジナルスイーツだよ?」

「"私たち"のじゃない?あわせ技なんだし。」

「あー、そっか!ふふ、私たちのオリジナルスイーツだ。」

「将来は二人でアイスチョコドーナツ屋でも開く?」

「いいねー。スイーツ界を変えてやろー。」

 とりあえず、ドーナツ屋とアイス屋が共存しているこの環境は、かなりの追い風になりそうだ。今潰しておくべきだろうか?

「店名はかぜはなドーナツで行こう。」

「え、私だけの店みたいじゃん、二人のお店なんだから二人の名前をいれないとだめだよ!かぜさやドーナツにしよう、こっちのほうがカワイイ。」

「それだと意味分かんないじゃん。さやって何ってなるし。」

「…まあ、間を取ってさやかぜドーナツとか?語感もそよ風みたいだし。」

「おー!いいね、さやかぜドーナツ!ふふ、さやかぜドーナツ。さやかぜドーナツ開店記念日だー。」 

「まだ開店はしてないでしょ。発足記念日とかになるんじゃない?」

「じゃあ、六月三十日はさやかぜドーナツ発足記念日だー。」

祝日のない六月に、特別な日が一日生まれた。どうせなら、国民の祝日になればいいのにと思ったが、全員が私の名前のついた日を待ちわびるのはやっぱり嫌なので、こっそりと二人だけで、この日を祝うことにしよう。


4.


 スイーツ欲を満たした私たちは、前に来た時がいつだったか覚えてはいないが、特に品揃えに代わり映えは無さそうだと思いつつも服屋を物色することにした。特にやることがない時は、たいていの人間にとってウインドウショッピングが暇つぶしの手段の最も有力な候補になるんじゃないだろうか。私も風花も人並みにオシャレには気を使っているほうだけれど、女子高生という立場上、ハイブランド物だとか、そういうものと向き合うのは多少気後れする。そしてそれは恐らく店員側も同じで、私たちのような、興味はあっても客層になり得ない人々に対しては、見物客に対するような態度で接してくる、というのは、わたしの僻みからくる色眼鏡なのかもしれないけれど。

「ちょっとこれかぶってみてー、紗耶ー。」

そんな気後れ貧乏女子高生にとって、試着のできる帽子屋はウィンドウショッピングの中にも彩りを添えてくれるホットスポットだ。ついでに眼鏡なんかも置いてあるとなおいい。

「ちょっと、中に何か…」

頭に帽子ではない感触が当たる。どうやら型くずれしないためのものを取り出し忘れていたらしい。くしゃくしゃになった紙を取り外し、お返しにと風花にのせる。

「わ、紗耶の帽子なのにー。」

顔が口だけになった風花が帽子を抑えながら騒ぐ。鼻まで隠れてしまう帽子など、かぶれたものではない。

「この店のでしょ。買ってくれる予定だったの?」

風花は髪を巻き上げながら頭を離れたキャスケットを戻し、少し眉をひそめながら入念に髪を整える。こういうのは、そこまでは崩れていなくとも、気になってしまうものだ。

「絶対紗耶に似合うと思ったのにー。」

「にしても大きすぎない?私、そんなに頭大きい?」

恐らくユニセックスモデルなのだろうが、それにしても大きい。多分男性でも大きいと思う。

「ちょっとブカブカくらいが可愛いの。…まあ、ちょっと大きすぎたけど。」

言わんとすることは分かる。実際さっきの風花は割と可愛かったし。どこかの二頭身キャラみたいで。

「…あ、頭のことじゃないよ?」

「ちょっと、そう言われると気を使ってる感出るからやめて?」

そう言って奥の棚にあった小さめのキャスケットを頭に乗せてみる。キャスケット自体は好きな帽子だ。名前もデザインも可愛いと思う。問題は、季節感が皆無なことと、今日の私はTシャツにデニムだということだ。正直言って絶望的に合わない。

「ほらー!紗耶はキャスケット似合うと思ってたんだよー!こういうレザーのやつとかも…」

「帽子って、服装に合わせるものじゃない?今日の私がそれ被ったら水兵みたいになっちゃいそう。」

「ふふ、たしかにそうかもねー?マリンキャップとかのほうがいいのかも?」

「ついでにパイロットグラスなんかかけちゃったりして」

店の角の方に置いてあったバーバーポールのようなメガネスタンドから一番レインボーなサングラスをかけて、渾身のドヤ顔を披露してみた。風花はキャッキャと笑いながら、「ちょっと待って!写真撮る!」と言ってスマホを私に向けてくる。

「見て見て!紗耶!マッカーサーみたいな紗耶!」

はしゃぐ風花が見せてきた画面にはずいぶん弱そうな連合国最高司令官の姿が写っていて、私と風花は顔を見合わせて笑い合った。

「私、これ待ち受けにする!」

「風花、歴女だと思われちゃうかも?」

サングラスにキャスケットの女子高生の待ち受けを見て、どこの誰が歴女だと思うのだろう。そもそも、マッカーサーを待ち受けにする歴女って何だ。そんなことを思ったが。

「ふふ、可愛いマッカーサー。」

今私の横に一人、マッカーサー推しの歴女が誕生した。


五,


 計画的に、目的を持って集合したときに比べ、行き当たりばったりに、目的もなく集まったときのほうが別れるのが名残惜しくなってしまうと感じるのは、私だけのものなのだろうか。晩御飯を惣菜で済ませた時のような、食欲は満たされているのだけど、満腹感が煮えきらない感覚。メインディッシュの不在からくる、不完全燃焼感。ダンジョンに潜り、雑魚モンスターを倒し、大量のアイテムは獲得したが、まだボスを倒していないかのような、そんな感覚を、今の私は感じていた。そして、風花もまた、なかなか別れを切り出せないでいるような感じだ。

「もう七時になりそうだけど、どうする?」

軽くジャブを打ってみる。時計の針は六時四十分を過ぎたあたりだった。私も風花も特に門限はないが、健全な女子高生たるもの、八時までには家に帰るべきだろう。ただ、この"門限がない"というのが、私たちを足踏みさせる。私たちの判断次第では、いつまででもいけてしまうのだ。勿論、場合によっては、お説教と引き換えにだけれど。

「うんー。まあ、帰ろっか?お腹も空いたし。」

双方の合意の元、帰宅の決断が下される。名残惜しさを残したまま、出口の方へと歩を進める。

「もうやることもなくなっちゃったしね。」

実際、特にやり残したことなどない。やれることはあるけれど、やりたいことは特にない。遊ぶことが特にない上、時間的にも解散が妥当だということは、お互いに分かっている。なんとなく、ただなんとなく、少々名残惜しいというだけだ。

「来週の宿題、ちゃんと終わってる?」

「え、なんだっけ?英語?」

「国語の、ほら、予習のノート提出しろーってやつ。」

「あー!え、あれ来週だっけ?やば、何曜日?」

「月曜日。五限だったと思うけど。」

「えー。やばい。何もやってない。」

「瑞沢せんせーはさすがに怖いぞー?」

他愛のない会話から、いつものように、流れるように。まるでそうなるために仕組んだかのように。

「…ね、紗耶、明日とかって…」

「間に合う?明日だけで。明後日は私用事あるよ。」

「えっと…!ふふ、紗耶先生、じゃあこのあとのご予定は?」

「まあ、家に帰って国語の予習ノートでも見直そうかなあ。」

お泊り勉強会の日取りが決まる。そのためにあったものかのように、名残惜しさが消えていく。きっとまた、明日にでも、やってくる名残惜しさが消える。

「今日、夜ご飯はー?」

「カレー。多分いっぱいあるけど、うちで食べる?」

風花はうれしそうに「いただきます」と言うと、足取り軽く駅の方へと駆けていった。私の方も、風花に合わせて、少し小走りしてみたが、結局電車に乗るわけで、時間的にも、わざわざ走る必要などなかった。すると風花はくるりと方向を変え、私の方に駆け寄ってきて、「駅のホームでジュース飲もう!」と私の左手を掴んで再び駆け出した。やはり走る必要などないのだけれど、多分それは風花も分かっているだろうし、私も別に何も言わなかった。ふたりとも、少し走りたい気分だったのだ。


六,


 七時半に家に着いた私は、風花が泊まりに来る旨を伝えたあと、すぐにシャワーを浴びて着替えたのだが、その時にはもうすでに風花はうちの敷居を跨いでいたので、髪を十分に乾かす間もなく、濡れた髪を携えたまま出迎えなければならなかった。

「やっほー。あれ、紗耶びしょびしょだ。」

「風花ちゃんと汗流した?まだ三十分経ってなくない?」

風花は「失礼な、いい匂いですー。」と言うと、Tシャツを脱ぎ、中に着ていた薄手のパジャマ姿になった。

「えへへ、嗅いでみる?フローラルの香りだよ?」

シャワー後のふわふわになった髪を嗅いでみる。確かにフローラルの香りだ。しかし、前とは少し違っている気がする。シャンプー変えたのだろうか。 

「別に臭かったわけじゃないんだけど。来るの早すぎじゃない?」 

「ふふ、早く来たかったからねー。それに、お腹すいてたから。」

うちの晩御飯は少しだけ遅いので、この時間でもお母さんはカレーの用意をしてくれる。「部屋で食べるでしょ」と言って私たち二人の分を部屋まで持ってきてくれていた。

「髪、私が乾かそーか?」 

そう言うと風花は私の返事を待たずしてドライヤーを手に取り、私の背後を取ってきた。多分、風花が暗殺者であれば、私の命はここで終わっている。

「ん。じゃーお願いしようかな。」

友人同士、髪を乾かし合うというのが、どのくらい一般的なことなのか私にはわからないが、私と風花の二人にとって、この行為は何度も行ってきた一般的なスキンシップになっていた。

「どうですかー?気持ちいいですかー?乾かし足りないところ無いですかー?」

髪を乾かしてくれる時の風花は、いつもこうやって美容師風に話しかけてくる。

「まだほとんど乾いてないでーす。」

自分で髪を乾かすことは生活習慣の中でもかなり上位に入る面倒くさいことなのだが、他人に乾かしてもらうと、とたんに心地よいものになる。シャワーを浴びたあとのポカポカと、少しの疲労感も相まって、風花に髪を乾かしてもらうときはいつも、少し眠くなる。

「ほんと、紗耶は髪さらさらだよねー。いいなー。」

風花が私の髪を指で梳く。この感覚が妙に心地良い。頭のてっぺんの方から毛先まで、丁寧に指が通ってゆく。途中、指先が頭皮をかすめた時の、少しこそばゆい感覚が、更に私の眠気を誘ってくる。

「…風花のふわふわな髪もかわいいから…いいんじゃない。」

一瞬、風花の手が止まって、再び頭に手を乗せる。風花は少し横に動いて、私の頭を横から撫でる。それに合わせて私の体は、吸い込まれるように風花の脚へと倒れ込んだ。

「ふふ、おやすみ、紗耶。」

風花には悪いけど、今日はもう、予習のノートは進みそうにない。

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