1.天使と悪魔がやってきた

第1話

人の心の中には、誰しも天使と悪魔が住んでいる。どういうことかって?

 ある人が道端で食べかけのシュークリームを見つけたとする。

「おいしそう……」

 拾うと、

『いけません! そんなものを食べてしまったら、お腹を壊してしまいます!』

 心の中で天使がささやく。

「そ、そうだ。道に落ちているものを食べたらいけないって、お母さん言ってた……」

 それを置こうとして、

『食べちゃいなさいよ。おいしそうでしょ?お腹空いてんでしょ?』

 心の中で、悪魔がささやくんだ。

「ゴクリ……」

 つばを飲んだ。

『いけません!』

『食べなさい!』

『いけません!』

『食べなさい!』

『いけません!』

『食べなさい!』

「うおおおお!!」

 うなって、ついに食べてしまった。心の中の悪魔はピースした。心の中の天使は両手を組んでしくしく泣いた。

 とまあ、こんな具合に、人は誰しも心の中に天使と悪魔を宿しており、悪魔のささやきに負けたり、天使のささやきを聞いたりしている。誰にだって、天使と悪魔は存在している。


 中学校。

「お願い! ノート見せて!」

 女子生徒が手を合わせていた。

「は、はあ……」

 メガネをかけている男子生徒が呆然としている。

「俺も頼むよ〜」

 別の男子生徒が来た。

「ノートノート!」

 生徒たちがそろって、メガネをかけた男子生徒のところへ集まってきた。

「い、いいけど……」

 メガネをかけた男子生徒がつぶやくと、生徒たちはみんなでノートを取り合った。まるで、バーゲンセールで群がっている主婦たちのようだ。

「……」

メガネをかけた男子生徒は唖然としていた。

『そろいもそろってテストのために……。バカみたい』

「ん?」

『みんなそろって、赤点取ればいいのよ』

「え?」

 メガネをかけた男子生徒は、あたりを見渡した。

『ダメよデビル! みつる君のノートを見たいくらい、テストに全力なんだから!』

『なによエンジェル。あんたは人のノート写せばいい点取れると思ってる卑怯者なの?』

『ち、違うそういう意味じゃなくて!』

『じゃあどういう意味よ? ああん?』

 不思議な声が、みつるの頭の中に響いた。みつるは不思議な感覚に見舞われた。

「誰だ? いや、なんだこれは……」


 メガネをかけた男子生徒、みつるは中学一年生一組。クラスいち成績がよかった。そして、クラスいちの堅物だった。だから、テスト前のノート写しにしか扱われていない。中学生らしく、男同士の下ネタオンリーの会話も、女同士のお色気な話にも、どこの輪にも入ることなく、毎日"勉強勉強勉強勉強"で過ごしていた。

 河原のそばを歩いているみつる。その前を、同じ中学のカップルが歩いていた。

「あーあ。あんたもさ、ああやって女の子とお話してみたいよね〜」

 黒髪ロングでゴスロリの女の子が、右後ろから話しかけてきた。

「デビル! いいんだよみつる君。気にしないでね」

 左後ろから、金髪ロングで白いワンピースの女の子が話しかけてきた。

「……」

 みつるは少し歩くと、立ち止まった。

「うわああああ!!」

 みつるが驚いた。

「わあああああ!!」

 女の子二人も驚いた。

「なな、なんだ君たちは!」

 震えているみつる。

「び、びっくりしたあ……」

 と、白いワンピの女の子。

「いやいやそう驚くことないでしょ? あたいたちは、あんたの心の中の、天使と悪魔様なんだよ!」

 自分に親指を指すゴスロリの女の子。

「デビル! みつる君はあたしたちのこと知らないんだから、そんな知って当然みたいな口聞いちゃダメだって!」  

 ゴスロリの女の子をデビルと呼ぶ、白いワンピの女の子。

「はあ? 卑怯者エンジェルが……」

 白いワンピの女の子をエンジェルと呼び、ニヤリとするデビル。

「だからそれは〜!」

 怒るエンジェル。

「卑怯者卑怯者!」

「違う違う〜!」

「卑怯者卑怯者!」

「違う違う〜!」

 二人が言い合っている間に、サラリと去っていくみつる。

「ちょっと待ちなさいよあんた!」

「なんだよ! 手掴むな!」

 デビルに手を掴まれて怒るみつる。

「あんた突然現れたあたいらに疑問を持たないっての?」

「そりゃ持つよ」

「じゃあなぜ去ろうとした!」

「かかわりあいになるとめんどくさそうだから」

「……」

 キョトンとするデビル。

「いやいやあたいらはあんたの心の中の、天使と悪魔なんだよ!」

「なに言ってるか全然わかんないんだけど。僕は帰るよ」

 手を振りほどき、帰ろうとするみつる。

「デビル、やめようよ。無理強いはよくないよ?」

 と、エンジェル。

「あんたはだまってなさい!」

 デビルはみつるのあとを追いかけました。

「みつる。あんたさ、テスト前にノート写してこようとするやつら、うざったいって思ってるでしょ?」

「……」

「みんなしてノート求めてきやがって! 全員で赤点取りやがれって、思ってるでしょ?」

「……」

「そんなことないよ!」

 エンジェルが、みつるの前に、立ちはだかった。

「みつる君は、ノートを写してあげることは悪いことだと思ってる。でも、みんないい点を取りたいのはいっしょだって、思ってるんだよ。ね?」

 エンジェルが顔を近づけてきた。みつるは顔を赤らめた。

「むう……。あっ!」

 ほおをふくらませたデビルが、なにかを見つけた。

「財布みーっけ!」

 道に、財布が落ちていた。

「しかも結構いいやつじゃない。どれ、いくら入って……」

 エンジェルが、財布を取ろうとするデビルの手を叩いた。

「痛いじゃないのよ! バーカ!」

「これは交番に届けなくちゃ!」

「はあーん?」

「デビル、絶対この財布自分のにしようとしたでしょ。だから、エンジェルがみつる君の体を借りて、交番まで届けるの」

「はあーん!?」

 デビルが声を上げた。

「はあ?」

 顔をしかめるみつる。

「あたいが持ってくわよ!」

「ダメ! デビルじゃ絶対自分のにするから!」

 財布を抱きかかえるエンジェル。

「んだとてめえ〜!」

「いやちょっと待って!」

 みつるが声を上げた。

「なんか今僕の体を借りてとかかんとか言ってたよな? どういうこと?」

「だから、あたいらはあんたの心の中の天使と悪魔なんだって」

「だからそれはどういうことなんだってば!君たちごと交番に連れ出すぞ!」

「お、落ち着いてみつる君。人はね、誰でも心の中に天使と悪魔が住み着いてるの。ほら、よくマンガとかアニメとかでさ、キャラクターが迷った時に、心の中で天使と悪魔が争うみたいなシーンない?」

 みつるは今言ったことを考えてみた。確かに、そんなこと聞いたことがある気がした。

「エンジェルたちはその天使と悪魔が実体化して、現れたもの。どうしてかっていうとね……」

 エンジェルに割って入ってきて、

「あんたがいろいろなことを我慢しているからよ」

 デビルが話した。

「あんたは学校で、家で、いろいろなところで自分の思っていることを吐き出さず、我慢している。我慢に我慢を重ねているから、あたいたちがこうやって出てきたのよ!」

「え、ええ?」

「もちろん、みつる君の中に戻ることもできるけど、みつる君はあたしたちが乗り移らないと、自分の気持ちを出せなくなってしまったの」

「僕の……気持ち?」

「そう。例えば、クラスでおいしそうなお菓子をクラスメイトが配ってても、自分だけ食べたいって言えずに、食べられない。エンジェルたちが乗り移らなければね。そんな感じよ」

「べ、別にそんなものいらないよ。第一、そんなことがありえるか!」

 みつるは体を後ろに向けた。

「もう帰る! その財布がどうなろうと、僕の勝手だね」

「エンジェルの言うとおり、あたいたち本当にあんたの……」

「うるさい! 僕は非科学的なことは信じないんだ!」

 声を上げると、そのまま立ち去った。デビルはニヤリとした。

「だったら証拠を見せてやるわよ!」

 デビルはかけ出して、みつるの体に乗り移った。

「大変!」

 と、ほおを両手ではさむエンジェル。

「くっくっく……」

 あやしく笑うみつる。

「これであたいはみつるを自由にできる! はーっはっはっは!」

 デビルが乗り移り、すっかり闇堕ちしてしまったみつる。

「この財布はあたいのものだ!」

「ダ、ダメ!」

 エンジェルが、みつる(デビル)の手を掴んだ。

「ダメ〜!」

 エンジェルは、財布をみつるの手から離そうとした。

「邪魔じゃボケェ!」

 あっけなく突き放されてしまった。

「じゃあね卑怯者エンジェル」

 ニヤリとすると、財布を持って走り去っていった。

「ま、まずい……。止めないと……」

 エンジェルは立ち上がった。


 翌日。一年一組の生徒たちは、呆然としていた。堅物のみつるが、机に足を投げ出して座っているからだ。

「あ、み、みつる君? ノ、ノートありがと……」

 女子生徒がノートをそっと返した。

「あんたさ、ノートを写さないとテストもろくに受けれないの?」

「え?」

「だったら今度、あたいがケツ拭いてやんよ? なんなら今日でもいいのよ?」

 ニヤリとするみつる(デビル)。

「ひどいわみつる君! うわーん!」

 女子生徒はショックで泣き出した。

「おいおいみつる。女子にあんな言い方ないだろ?」

 男子生徒たちが集まってきた。

「はあ……。青二才あおにさいどもが。女子にはやさしくしとけばモテるって勘違いしてんでしょ?」

「え?」

「いい女と悪い女の見分けもつかないんじゃ、いい男とは言えないのよ」

「……」

 男子生徒たち呆然。

「あーあ。誰かジュース買ってきてよ。いちごミルクがいい」

 みつる(デビル)が、気だるそうに頼んだ。

「で、でも中学生が学校にいる間にいちごミルクなんて買っちゃ……」

 男子生徒が言うと、

「てめえ小学生みたいなこと抜かしてんじゃねえよ! 中学生なんだよ! いちごミルクでも練乳ミルクでもなんでも買ってこいやくそったれ!!」

「か、かしこまりました〜!!」

 男子生徒は教室を飛び出して、いちごミルクを買いに行った。生徒たちは、今日のみつるはなんか違うと思った。怖かった。

『ひっひっひっ! こりゃおもしろい。人間様の体を使って、好き放題やりたい放題!』

 みつる……いや、彼の体の中にいる、デビルが笑った。

「まずいわ……」

 教室の窓から、エンジェルが覗いていた。


 みつるの体に憑依ひょういしたデビルは、好き放題やりたい放題した。

 給食は自分ばかり山盛りにしてもらって、移動教室は籠屋かごやみたいに、男子たちに乗せてもらって、体育の時間は、好きなだけ男子たちや先生にボールを投げつけたり、蹴ったりなぐったりした。

「はっはっは! 人間って最高ーっ!」

「大変。そろそろ止めなくちゃ」

 影から覗いていたエンジェルは、その場を立ち去った。


 休み時間、みつる(デビル)はトイレにいた。個室にいた。

「ん? エンジェル?」

「デビルもうやめて! みつる君がかわいそうよ?」

 ぶ〜。みつる(デビル)が屁をこいた。

「デビル!」

「聞こえなーい。あたいはデビルじゃなくてみつるだから聞こえなーい」

 ヘラヘラするみつる。いや、デビル。

「みつる君! わかるでしょ? デビルに憑依されてるって。今、みつる君の体はデビルが自由自在にあやつれる。だから、みつる君がデビルの悪い心に勝たないと、デビルを制御できないの」

 続けて、

「みつる君は、こうなることを望んでいたの? クラスのみんなから、きらわれたかったの? ねえ、みつる君? みつる君!」

 デビルに取り憑かれたみつるには、エンジェルの声が聞こえていた。思った。僕はなぜデビルの思い通りにされているのか、もしかして、こうなることを望んでいたからだろうかと。

「当たり前でしょ?」

 と、みつる。デビルだけど。

「みつるはこうなることを望んでいたのよ。だって、クラスのみんなのこと、赤点取っちゃえばいいとか、うざったいうざったいって思ってたのよ? だったらさ、きらわれたほうがマシじゃん!」

「そんなことない! それは違う!」

 エンジェルは声を上げた。

「みつる君は、みんなと仲良くなりたいんだよね。エンジェルわかるもん。みつる君が、クラスのみんながわいわいしてるのを見て、自分も仲間に入りたいなって思ってるの。だから、ノート写しだけじゃなくて、いろいろなことをお話したいなって、思ってるんだよね」

 心の中のみつるが、呆然としていた。まさか、クラスのみんなと仲良くなりたいなんて……。

「そういえばデビル。昨日落ちてた財布は?」

 デビルはみつるの姿で言った。

「あれね。中身見たらお金がないから、適当なところに捨ててやったわよ」

「なんてことを! えい!」

 エンジェルは、みつるに憑依した。デビルが飛び出てきた。

「ウソ……。実体化したら、一人までしかみつるの中に入れないの?」

 がく然とするデビル。

「よーし!」

 みつる(エンジェル)がズボンを上げて立った。

「行くわよ。財布を探しに!」

 デビルが呆れて、

「あの、まだ出すもん出してないんですけど?」

「え? うあ……」

 お腹がごろごろ鳴った。


 エンジェルはみつるに憑依すると、さっそく学校を抜け出して、財布を探した。デビルも無理やり連れてきた。どこに落ちたか教えてもらうためだ。しかし。

「ほんとに適当なんだってば!」

「ウソつき!」

「ウソつき羽根つき餅つき大会〜♪」

「そんな冗談抜かしてないで、教えて!」

「だからほんとにわかんないの!」

 二人は走りながら財布を探した。というのも、お昼休み中にこっそり出てきたため、あと十分で戻らないといけないのだ。

 公園にやってきた。

「でも確かにこの辺で落としたと思うんだけど……」

 と、デビル。

「ベンチとか、トイレとか……」

「いや、適当にフラフラ歩きながら中身覗いてたから」

「普通盗んだ財布をフラフラしながら見ないと思うんだけど……」

 唖然とするみつる(エンジェル)。

 ワンワン!

 犬の鳴き声がした。みつる(エンジェル)とデビルは鳴き声のしたほうに顔を向けた。

 散歩犬だった。飼い主にリードを引っ張られながら、茂みに向かって吠えていた。二人はなにに吠えているのか寄ってみた。

「ああ!」

 目も口も広く開いた。茂みの中に、探していた財布があった。

 

 みつる(エンジェル)とデビルは、学校へ向かった。

「さあこれで財布を交番に届けて、クラスメイトたちにいいところを見せれば、みつる君の名誉挽回できる!」

「なるほどね」

 デビルがニヤリとした。

「もう一度乗り移ってやる! エンジェルどきなさい!」

 デビルが乗り移ろうとして、みつるに掴みかかった。

「ダ、ダメ!」

 みつる(エンジェル)は必死で抵抗する。二人は学校へ行くことも忘れて、憑依するさせないの争いをした。

「いい加減にしろー!!」

 エンジェルがみつるの体から飛び出てきた。みつるが叫んだ。

「君たちさんざん僕のことをこき使いやがって! これでようやくわかった! 君たちが、ただの人間ではないことを!」

「わかった? あたいらはね、あんたの心の中にいる天使と悪魔なのよ!」

「いーや! 僕を苛む魔物だ! 今日という今日は許さないからな!」

「ますいよデビル。カンカンだよみつる君……」

「知らないわよ」

 デビルは言った。

「でもおかげですっきりしたんじゃない? 今までためてたことを、発散することができたんじゃないかしら。ん?」

 みつるに顔を近づける。

「あんたはね、自分を見失いそうになってる。いいや、もう失ってるの。だからね、あたいたちがこうしてあんたを救ってやるのよ」

 みつるは呆然とした。

「みつる君! エンジェルたちは、いつでもあなたの味方だよ? ね!」

 エンジェルが微笑んだ。しかしみつるは怒りに震えて。

「そんなことせんでもええわい!!」

 と、叫んだ。

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