バーテンダー彼氏。

桜 さな

第1話

飴色をした木目調のテーブル。

明度の抑えられた落ち着いたオレンジの照明。

ひっそりと会話を楽しむ言葉にならない囁きと、邪魔をしない軽快な店内BGM。


カウンターの後ろ側にはズラリと並ぶ酒類のボトル。

僕はその前にギャルソンスタイルで佇みシェイカーを振る。

シャカシャカと液体が混ざる音と、シェイカー内で氷がぶつかるキンキンと甲高く澄んだ音が混じり、店内の視線が集まるのが分かる。

その漂う緊張感を武器に変えて、シェイクに神経を研ぎ澄ませる。


混ぜると冷やす、その二つが噛み合う時を見計らい、グラスへと移す。そこには鮮やかに発色する白くとろみを帯びた液体。


「お待たせ致しました。ホワイトレディです」


差し出す相手は、漸く彼氏の座を射止めた大学のマドンナ。

カウンターの端からジッとこちらを見つめていた彼女は、差し出されたカクテルグラスに口を付け頬を綻ばせた。


「うん、美味しい」


「良かった」


もう何度も飲んでもらったカクテルではあるが、本命に振る舞うとなるとやはり緊張するものだ。


ホッとして微笑みを返し、暫し談笑する。

大学の講義でこんな事があったとか、お気に入りの作家の新作がもう直ぐとか他愛無い話に花を咲かせる。


そんな風に仕事として他のお客様にドリンクを作ったり、合間に彼女と会話を楽しんで過ごしていると、彼女のグラスがまだ、半分程残っているのに気付いた。


彼女も僕の視線を追って気付いたのか、少し困ったように頬に手を当て「まだ、飲みたいのがあるけどこれ以上は酔っちゃうかも」と言った。


シェイクするタイプは基本的に度数が高い。低めのものでもワインより少し高めと言えば想像つくだろうか。

つまり、油断して飲みすぎると当然ながら酔っ払ってしまう。彼女は既に3杯目。しっかり理解しているので、次を悩んでいるのだ。


「任せて」


バーテンダーなら、彼女の悩みはカッコよく晴らさなければ。


彼女の前に置かれたグラスを持ち上げ、ゆっくり、けれど素早く嚥下する。

飲み干した後も、グラスは粗雑に扱わない。音のしないよう、サッと下ろし何事もなかったように笑いかけた。


「さあ、次は何を飲まれますか?」




僕がこの仕事を始めたきっかけは、至極単純。

かねてより憧れていた大学のマドンナの彼氏の座を得る為である。


「マドンナ」と称される彼女は華やかな容姿に優しく気さくな性格で当然ながら物凄くモテる。ナンパはもちろん、告白されているところを見かけたこともある。ただ彼女がそれに応えたことは無い、らしい。

らしい、と言うのは自分で見た範囲でしか知らないからだ。


そんな折にカフェテリアでたまたま1人で座っていた席の後ろで、図らずも盗み聞きのようになってしまったが、彼女が友人達とガールズトークをしているのを聞いて僕は内心歓喜した。


元々、彼女の好みのタイプが「大人の男性」だと言う話を聞いていた僕は、彼女の気を引くために大学近くにあるバーでバーテンダーになるべく修行していた。

もう既にドリンク作りの一部をお客様に振る舞えるようにはなっていたものの、彼女に釣り合える自信はまだ無く、アピールするタイミングもないまま時間だけが過ぎていたのだが。


顔は整っている自負はある。高校の時に何度か告白されたしお付き合いしたこともある。…別れたけど。

頭脳的な事は…大学の成績は優良だ。物覚えには自信がある。

背も高い方だ。少なくとも彼女よりは。挨拶を交わす仲だし、その時に並び立つこともあったので間違いない。

声が落ち着いている…かは不明だが、性格的に思った事をそのままアウトプットするのはあまり得意じゃ無いので、そういう意味で落ち着いてはいる。

私服のセンスは柄のある物よりシンプルに纏まった物が好きだし、毎度気に入ったマネキン1体お買上げしているので流行から外れていることも無く問題ない。アクセサリーもシンプルなピアスを着けただけ。


と、当て嵌めていくと、外見的要素はクリアしていたのだ。


そして、肝心の「大人らしさ」。酒の知識やドリンク作りの技術だけでなく、バーテンダーとしての接客経験を積んだ事で紳士的な振る舞いは様になってきているはずだ。店主マスターと言う見本もいる。


その後彼女と同じ講義があったので、それが終わった後1人になったところを見計らい、声をかけて告白したら、予想外にもOKしてもらえた。


話に聞いていた上で玉砕覚悟だったのだが、良く思い返してみれば彼女に声をかける男性はいつだって彼女に劣らず華やかで溌剌とした性格の人達だったので、単純にタイプから外れていたのだろう。

運が良かった。


早速、店主に報告しデートの際にここでカクテルを振る舞いたいと話をした所、「そう言えば君の志望動機ってそうだったね」と苦笑しながら了承してくれた。理解ある人でありがたい。


当初、下心満載の志望動機に店主は「まあ、切っ掛けなんてそんな物だよね」とやっぱり苦笑を浮かべ、2ヶ月の下働きの後、メニューのカクテル2品を3分以内に作る試験をクリアする事を条件に、僕にバーテンダーとしてのノウハウを教えてくれた。

その後順調に試験をクリアした僕は「私の及第点とお客様の納得は別物だよ」と店主に釘を刺されたが、勿論彼女の好感度もかかっているので妥協はない。


結果、彼女に飲んでもらいたいカクテルを中心にドリンク作りの修行に打ち込み、半年程でそれらを任せてもらえる技量を身につけたのである。


店主は「私は数ヶ月の下働きからの試験を経て、そこから1年かけて漸くお客様に出せるようになったのに」とボヤいていたが、諦めて欲しい。

恋は盲目になれば火事場にいるより馬鹿力を発揮する物である。


火事場・・・といえばこんなこともあった。

彼女と共にこのバーに来るようになった少し後のこと。


フードメニューのオーダーが入り準備していたら、店主から声をかけられた。


「カウンターの端のあの男性から、彼女さんにマティーニを出してほしいって。後は任せるよ」


ふざけないでほしい。


思わず男性に冷たい目を向けてしまった。

マティーニは「カクテルの王様」として映画などでもよく登場するが、知名度が高ければ度数も高い代物だ。しかも結構辛口で飲む人を選ぶカクテルでもある。初対面の女性に勧めていいカクテルではない。


店主は「任せる」と言ってくれた。これはドリンク作りを任せると同時に対処も好きにしていいと言う事だ。本当に上司に恵まれたと思う。


お客様の目線に入らない、カウンターの影に材料であるシェリー酒に、ベルモットを用意する。

作るのはバンブーというマティーニと同じ無色透明で度数が半分以下のカクテル。

値段はマティーニよりも安いが、安心して欲しい。差額をお客様の代金から引き、店のレジ内へは僕の給料から補填すれば万事解決。彼女の安全に手段は選んでいられないのだ。


カクテルグラスではなく、細かい模様のカットが入った小さなワイングラスに注ぎオリーブの不在を誤魔化す。カウンターの端から端の距離だ。遠目からには入っているかどうかは分からないだろう。


わざわざカウンターから出て彼女の側に寄り、「あちらのお客様から」だとグラスを差し出す。商品名は出さず、ただ潜めた声で感想は言わずに黙々と飲んでほしいと伝えた。


彼女は素直にそれを受け入れ、男性には軽い会釈を返すだけで少しずつ黙って飲んでくれた。

お陰でその後悪酔いすることも、絡まれる事もなく終われることができた。穏便に済んで良かったと思う。




そんな出来事を回想しながら、新しいカクテルを作り出す。

彼女の次の希望は少し前に披露した、彼女の為に作ったオリジナルカクテル。

とはいえ僕はまだまだ半人前なので、店主に大分助言をもらったが。


彼女は僕がシェイカーを振る姿を気に入ってくれているようなので、これは外せない。

味はフルーティーな甘口を好んでいるようで、特に柑橘系のような爽やかなものが良い。

色は透明な物よりも鮮やかに発色して華やかなものが好き。特にピンク系の色が惹かれるようだ。

そして度数は、彼女に振る舞うタイミング的になるべく低く。


そんな要望を元にして出来上がったのは、ピーチリキュールをベースに、コアントローで酒感と風味を、グレープフルーツジュースで爽やかさを、クランベリージュースで色味を付けた薄桃色のカクテル。


「お待たせ致しました。LOVE COSTです」


タイトルは直訳すると重いかも知れないが、彼女に対する愛情の本気度を示したくて付けた。


彼女の好みをできる限り詰め込んだこのカクテルは思った通り彼女を満足させる事ができたようで、サプライズで披露した日から欠かさずオーダーしてくれるようになった。

うっとりと顔を綻ばせながら味わっている彼女の姿を見て満足感を得る。バーテンダーやって良かった。


1つ想定外があるとすれば。


「お兄さーん」


少し離れた席から僕に掛けられる声に、来た、と身構えた。

彼女に声をかけ、そちらに向かうと期待のこもった目でこちらを見つめる女性客と、グラスに半分程残ったカクテル。


「次に飲みたいのがあるんだけど、こっちの残り、お願いします」


それは彼女を助けるつもりでやった、カクテルの残りを僕が飲み干す行為が、パフォーマンスとして確立してしまったことである。


普通ならあり得ない事だが、僕が勢いでやったそれを見ていた他の女性客が「いいな」と言い出して、店主も売り上げに繋がるならと許可したのだ。


僕も彼女との事で割と好き勝手させてもらっている手前、売り上げに貢献できるなら協力するしかない。

結果、その分のお代もきちんと頂くことを前提に、希望客の残りのお酒を僕が引き受けることになったのである。


ただ一つ問題があり、実を言うと僕はお酒に強くなかった。

バーテンダーとして店頭に立っている間は気を張っているのもあって絶対に出ない。意地でも出さない。のだが、店から出た瞬間に一気に酔いが回るのだ。


修行中、自分で作ったカクテルの味見をする事はあったが、その時はほろ酔い程度にしか感じなかったので気付かなかった。


僕が酔うとどうなるのかというと、極度に甘えたになってしまうのだ。発覚した時は彼女に散々甘えて縋ってしまい、その「大人」とかけ離れた醜態に、朝起きた時は正直破局を覚悟した。


その事についてすぐに彼女に謝ると、彼女は薄っすら頬を染めて、「自分の前以外で絶対にお酒を飲まないように」と約束する事で許してくれた。

心の広い彼女に感謝である。


とはいえ、やはり彼女の前ではカッコよくありたいと思うのは男の性だろう。

彼女の様子から、僕に甘えられるのも満更ではないようだが、正直に言えば複雑である。

できる事なら最初から最後まで、紳士的にエスコートしたいのだが。


僕は今日、あと何杯飲まされるのだろうか?


〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜


少し離れた席で、そこに座る女性の残ったカクテルを口にする彼を、こっそり見つめる。


口に含むのは、彼が私の為に作ってくれたオリジナルのカクテル。

味も、色も、作る工程までも私の好みを網羅してくれているお気に入り。

それをコクン、と喉に流して彼の働く様子をそっと見守る。


離れる一瞬、微かに頬が引き攣るのを見たので、きっと自身が飲んでいる酒量に危機を感じているんだろう。

それでもそれを隠してしっかりと対応する彼を微笑ましく思う。

彼と恋人同士になれた私は本当に運が良かった。


 


自分で言うのも何だが、私はこれまでかなりモテていた。告白は何度もされたし、お付き合いも何度かした。

けれどその相手もまた見目が良く、交友関係が広いタイプであった。

それなのに束縛が酷かったり、逆に自身の浮気に寛容だったりと嫌な思いと別れを繰り返し、いつしか私の理想の相手は「大人男子」となった。


私を束縛するのではなく見守っていてほしい。

多少の我儘に寛容であってほしい。

いつでも穏やかで気遣いできる紳士的な人がいい。


そんな願望を持ちつつも、やはり近寄ってくるのはこれまでと同じような華やかな人ばかりで。「マドンナ」等と持て囃されつつ、私は高嶺の花扱いされている現状に辟易していた。


ある時、友達と一緒にカフェテリアでおしゃべりしていたら、内容が恋バナになった。外見の理想、中身の理想を語り合っていると、じぶんの理想の高さにちょっと驚く。


同世代で、イケメンで、紳士的だなんてそんな何もかも兼ね備えた人が簡単に見つかるわけがない。

だからその後すぐに彼が現れて告白してくれたのは僥倖だった。


彼とはいくつか講義が重なり、挨拶を交わす程度には親しくしていた。

顔良し、頭良し、背も高く、声も割と低くて落ち着いている。私服のセンスも申し分ない。

私の理想の「大人男子」というよりは、「大人しい男子」という印象の彼だけれど、今まで声をかけてきた男性の中で1番理想に近い人だったから、私は告白を受け入れお付き合いを始めた。


そんな彼とのデートに誘われた先は大学の最寄駅に近いバーだった。それも、彼はここでバーテンダーとして仕事をしているという。


カウンターに案内してそのまま席を外した彼が、ギャルソンの衣装でカウンターの向こうから現れた時は驚いた。

予想していなかったのもそうだが、似合いすぎていたのだ。


滑らかな肌は透明感のある白。スッと通った鼻筋に、一重だが知性を感じる目元。

上は白くタイトなシャツの長袖を七分丈ほどに捲り、質のいい黒のベストで身を包んでいる。

下は同色のソムリエエプロンを付けてカウンターに立つ彼は、店内の照明と相まってミステリアスさを備えたイケメンになった。


メニューを開いて差し出した彼は、初めてならフルーツ系のものがいいと教えてくれた。

私はメニューによく見る文字を見つけて、スクリュードライバーをオーダーする。


雰囲気のいいバーで彼氏手ずからカクテルを振る舞ってもらえるなんて思ってもみなかった。

ドキドキしながら目の前に材料を並べる彼の一挙一動に集中する。


「お待たせ致しました。スクリュードライバーです」


少ししてオレンジ色の液体に満たされた細長いガラスのコップが私の前のコースターに置かれた。縁にはカットされたオレンジが添えられている。


「シャカシャカしないの?」


カクテルの定番と言ったらあの銀の容器を振る姿をイメージしていたので、彼がそうしないのを残念に思っていると、このカクテルはマドラーでかき混ぜるタイプだと教えてくれた。


「シェイクするタイプなら、ホワイトレディがいいと思います。次にお作りしましょう」


そうして次のカクテルを作る彼の姿は本当に格好良かった。


準備をしながら道具や材料の説明をしてくれたり、目の前で一つずつ工程を見せてくれて、待ち時間を持て余すこともなく。


準備が整ったシェイカーを持つ彼の細長い指。

振る腕の素早くしなやかな動きと響く音。

集中しているのが分かる真剣な表情。視線が少し下を向いて睫毛が作る陰影が妖艶さを醸し出す。

目を惹かずにはいられない。


見惚れている間にグラスに移された目に鮮やかな白い液体が私のコースターに差し出された。

そっと細い足を摘み、口に運ぶ。


まず感じたのは柑橘系の香り。

爽やかな中に甘さと、アルコールの仄かな苦味。


「美味しい」


「良かった」


嘘偽りなく感想を溢せば、彼がホッとしたように微笑みを返してくれる。


良いムードが漂う中、1つ気になる点があった。

それは、スッと喉を通る冷たいカクテルが残す熱である。


もしかして度数が高いのかと思って訊いたら、その予想は当たっていた。

それでもこのカクテルは低い方だと言うが、これでは何杯も飲むわけにいかない。


けれど、もう一度彼がシェイクする姿を見たいし…


そう頭を悩ませていると、私の葛藤に気付いてくれた彼が優しく声をかけてきた。


「大丈夫。僕に任せて下さい」


そう言って彼は躊躇なく私のグラスを取り、ゆっくりと呷った。


上下する喉仏。

濡れた唇をなぞる、小さく覗く舌。

音を立てる事なく下ろされるグラス。


彼の仕草全てに酔いとは別の理由でクラクラしてしまう。


「さぁ、次は何を飲まれますか?」


私の彼氏が格好良すぎる。


彼は私に幾つか試してほしいカクテルがあるようで、話の合間に次のオススメを紹介してくれる。


顔色を変えずに幾度も私の残したカクテルを飲む彼を心配しつつも、シェイカーを振る彼の姿を何度でも見たくて、私は彼に勧められるままあれもこれも頼んでしまった。


この時のデートは彼の新たな一面知った大切な思い出深い出来事となった。

しかし、本当の意味で忘れられない思い出となったのは、むしろこの後の出来事である。


デートの時間が終わって、エプロンを外した彼と店を出てすぐ、異変それは起こった。


グラッ


「……ッ」


不意に彼がフラつき、店の壁に体を預け、熱の籠った息を吐く。

その姿に、私の為に飲んでくれたお酒の量を思い出し、酔っ払ってしまったのだろうと心配になって近付いた。


「大丈夫?」


「……」


呆けたように反応の鈍い彼の様子に顔を覗き込む。具合が悪いようならタクシー呼ばなきゃ、と思った瞬間。


彼がフッと表情を崩した。


「だいじょうぶに決まってんだろぉ?」


「ーーーへっ?」


誰が何と言ったのか、すぐには理解する事が出来なかった。

が、そこに気を取られ固まっている間に、彼に引き寄せられ抱き締められた。


「なんだよ、オレのこと心配してくれてんのか?かわいいなぁ」


蕩けた目で見下ろされ、耳の近くで吹き込まれた声に、漸く今まで一緒にいた彼の言葉だと理解した。

先程までの紳士的なエスコートでお酒を振る舞ってくれていたバーテンダーの面影は跡形もない。


そこにあるのは、酒気を帯びて頬が色付き熱を孕んだ眼差しで私を見つめる1人の男性。


口調が全然違うし、一人称が「オレ」になってる…。お酒が入ると人格が変わるの⁈嘘でしょ…⁈

何なら同一人物である事を疑うレベルだ。


「しっかし、あっちぃな…」


そう呟いた彼は徐ろに空いている片手でシャツのボタンを2つ外して首元をくつろげた。

くっきりと浮かぶ鎖骨とチラリと覗く胸筋が酷く色っぽい。目のやり場に困る。


紳士的なイケメン彼氏が突然、酔って魔性属性を身に付けたら、一体どうしたら良いのか。誰か教えてほしい。


ドギマギしてしまって視線が定まらずにいると、すかさず彼から非難の声が上がった。


「おい、よそ見してんじゃねぇ。こっち見ろ」


ムリムリムリムリ 直視できない!


そう悲鳴を上げる間もなく、強引に、けれど優しい手つきで頭の向きを変えさせられる。

どアップの彼と目が合って、頬の熱が一気に上がったのが分かった。


「ははっ、真っ赤になってんな。酔っ払ってんのか?まるで熟れたいちごだな」


酔っ払っているのはお前だ。

と言える余裕があるはずもなく、豹変した彼の腕の中でハクハクと言葉にならない声を溢す。


そんな私の唇を彼の親指がゆっくりなぞってジッと視線を落としてくるから、居た堪れない気持ちになる。


おかしい。こんな風に迫られて、逃げるどころか振り払えないし、何ならちょっと嬉しい、なんて。


「どうだ?」


「え?」


「好きなんだろ?オトナの男が」


こ れ は!

違う!ぜったい違う!


私の思う「大人な男性」は、恋人に対して寛容で包容力があって穏やかで気遣いできる紳士な人を指しているのだ。

断じて色気全開で恋人にグイグイ迫って来るような男ではない。

はずなのに。


「すきです…」


こんなのずるい。こんなのずるい。

こんなギャップ聞いてない。

こんなの惚れてしまうではないか。


「ね、キスしていい?」


「…っダメ!」


「オレ、アンタに釣りあえるような男になりたくて頑張ったんだぜ?なのに、ご褒美くれねぇの?」


「ちょ…!」


ちょっと待ってほしい、本当に。

ご褒美にキスとか、何なの。

さっきからずっと抱き締められたままだし、オレ様と見せかけて甘えられてるの、私?


ご褒美をあげるのは吝かではない。

しかし、思い出してほしい。私たちはまだ店の前、公共の場にいるのだ。

どちらのでもいい。家に帰ってからにしてほしい。


よく分からない攻防戦を繰り広げていると、異変を察知したらしい店主が店の外に出てきて、状況を確認すると面白そうにこちらを見て「タクシー呼んであげる」と言った。笑い事じゃない。


店に戻ろうとする店主を慌てて捕まえて、いつもこうなのかと問えば、こんな姿初めて見たと答えが返ってきたので安心した。

話によれば彼が仕事中に飲むことはないし、自作のカクテルの味見をすることはあってもこのように乱れたことはないと言う。


ついでに今後の仕事内容について協定を結ぶ。

彼がお酒を飲む時は必ず私がいる時だけであること。そのかわりお客様にお願いされたら、パフォーマンスとして残ったお酒を飲ませることを許すこと。


いわゆる交換条件なのだが、店主は更にシフト時間を早めてくれると言った。


「彼と一緒に来たらいいんじゃない?時間はいくらでも融通するから、うちの新たな集客イベントとして彼には頑張ってほしいんだ」


とのこと。それもどうかと思うが、話が早くて助かる。


「…おい、いつまでほかの男としゃべってんだよ」


それまでただ黙って様子を見ていた彼が、会話に入ってきた。

会話の切れ目を認識しているかは分からないが、いいタイミングだった為、店主はそそくさと店に戻っていった。


「アンタの相手はオレだろ?恋人をほったらかしてんなよ」


見送る間もなく再び顔の向きを変えられ、視線を合わせばそこに拗ねているような不安なような表情を浮かべた彼が視界一杯に映った。


「マスターみたいにはまだなれねぇけどよ…。アンタにふさわしい男になるから、オレのことだけ見てろよ、な?」


「は、はい…」


あぁ、もうダメだ。

こんな口説かれ方したら、もう惚れるしかない。


それから少しして店主の呼んだタクシーが来た。一瞬も私を離そうとしない彼を何とかタクシーに詰め、自分も乗り込み行き先を取り敢えず私の家にする。

その後、めくるめく甘い時間を2人で過ごしたのは言うまでもない。


翌朝、正気に戻って落ち込む彼に、散々甘えてしまったと謝られた。

しかし、人格が変わってグイグイ迫っていた事は覚えていないらしい。


やっぱりアレは甘えていたんだ…。


うっかり思い出して頬を染めてしまう。

私はすかさず、彼に私の前以外でお酒を飲まないよう厳命した。

彼のあんな姿、他の女に見せられない。


「絶対よ!ぜっったいだからね!!」


「はい、約束します」


私の勢いに彼は少し戸惑っていたけれど、素直に受け止めてくれた。




そんな出来事を経て、私たちはこの関係を続けている。


新しいカクテルを作り先程の女性に提供した彼は、また別の女性に呼ばれている。

この分だと今日もまた、もう1人のに会える事だろう。


彼としては、酔って甘えてしまう事を複雑に思っているに違いない。

けれど、仕方がないのだ。

私が、もう1人の彼にも会いたいから。


今日はどんな風に甘えてくるだろう。

紳士なバーテンダー彼氏を視界に収めながら、この後待ち受ける甘い時間を想って、私は私の為だけの特別なカクテルを飲み干した。

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