第6話

ㅤ休みの日の彼女は、家でゴロゴロしている事が多くなっていた。

 僕も一緒になってゴロゴロしてくつろいだ。

ㅤ黒猫は僕と彼女の間に入って、僕の顔に効かない猫パンチをした。僕と黒猫が彼女の隣のポジションを奪い合うように喧嘩をするのは日常となっていた。


 彼女が笑ったり怒ったり悲しんだり、どんな時も僕はそばで見守った。そうしているうちに、僕はここに居るのが当たり前になっていた。なぜここにいるかなんて分からない。それに自分がどこへ行けばいいのかさえも分からない。行くべきところが本当はあるのかもしれないが、とにかく彼女のそばで平和だけど少し変わっている彼女の日常を眺めていたかったのだ。


 あの時、『どこへ行けばいいのか分からない』と言ったハゲオヤジをたまに思い出した。

ㅤ少し前まで僕は、あの交差点の隅で『どこへ行けばいいのか分からない』とさえ考えられなかった。そこに留まるのが普通で、時が止まったまま、自分が誰だったのか、いつからそこに居たのかも記憶がない。それが当たり前で変化も求めなかった。彼女と目が合った気がしたあの時から、止まっていた僕の時間は動き出したのだ。


ㅤ初めてここへと来た時、出窓にはコスモスの花が飾られてあった。季節が移り変わり、今では紫陽花の鉢植えが飾られている。それだけの間、僕は彼女のそばにいながら時を感じていられたのだ。


『あの時と今、どっちが良かったんだろう……』


ㅤ僕は何となく、紫陽花の青を見つめた。




ㅤ彼女のそばで日を重ねるごとに、切なさが雪だるま式に大きくなっていった。彼女は無くした誰かに毎日夢を見ながら泣いている。夜は眠れないのか、そんな時は必ずスマホのYouTubeで雨音を鳴らす。それを聴きながら目を閉じ、そのうち、その優しい雨音に癒されるかのように眠りに落ちていく。


 頬に残った涙を拭おうと指先で触れてみるが、触れられない。そんな僕を観察していた黒猫が「触るなよ」と、低い声で唸った。


『キミの姫様はかなりの雨好きなんだな?』


『そうさ。さらにカミナリが鳴ってたらそこの窓開け放ってヒャッハーって叫びながら喜ぶんだぞ。それが超カワイイんだ』


 黒猫は呟き、彼女が横たわるベッドへと上がると、その胸元に丸くなった。


『キミはどう彼女と知り合った?』


『事故に巻き込まれて道端で死にそうになってるのを助けられてからずっと一緒さ』


『そうか。愛音らしいな。キミは愛音とずっと一緒にいられるのか。…僕はこんなんだから。しかも未だに愛音からはわざとらしく見えないフリをされてる。透明人間みたいなもので切ないよ』


『オレは透明じゃないけど人間じゃない。だから愛音とは結ばれる関係じゃない。かといってメス猫にも興味は無い。…なんとなくお前と似てる』


『僕ら、普通に人間だったなら三角関係とかになってたのかな……?』


『オレが人間ならばお前には負けないさ。絶対』


 黒猫はそれ以上話しかけるなと言いたげに僕に背を向けた。

ㅤ僕は窓際に立ち、月と星が輝く夜空を見ながらスマホから流れる優しい雨音を聴いた。リアルタイムじゃない雨音なのに、ひんやりとした雨の日を感じさせてくれる。相変わらず窓ガラスには僕以外の物しか映らなかった。


 僕だけがいない世界を強制的に見せつけられているようだ。そんな光景、何度も何度も見てきたし、思い知らされて来たのに、最近では特にそれが僕を苦しめた。


 僕はこのまま、ここでこうしていてもいいのだろうか……。


 愛音が決めてくれたなら、その選択に従うつもりだが、そんなふうに他人に自分の選択を委ねるだなんて、僕は卑怯者なのかもしれない。

 愛音の寝息が聞こえてくる。

ㅤ同じ空間にいるのに、とても遠くに感じた。



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